第九話 さよならヒーロー
コーポ村石に帰ってきたレヴとネロは、ぼんやりと居間に座り込んだ。そしてちゃぶ台の上のえびせんを同時につまんだ瞬間に、くっくっとネロは笑い出した。
「おれそんなにおかしかったか」
レヴはえびせんを噛みながら、少しはにかんだように尋ねた。
「おかしいってゆうか……楽しかったの」
ネロがそう答えてまた、肩を震わせると、レヴもなんだか幸せそうに
「そーか……」
と俯きがちに微笑んだ。
「緊張したけど、何かおもしろかった」
マッキーさんの事、そして鍵の閉まった宝物庫の格子の隙間からいきなり躊躇なくスーパーボールをボトッと投げ入れ、「入れたし、いいよね」と言い放ったレヴをネロは何度も思い起こし、愉快そうに身体を揺すった。レヴはしばらくその様子を眺めていたが、えびせんで少しばかり腹ごしらえをした所で腰を上げると、台所から魔力鍋を抱えてきた。
「で、あれはまあ、いいとして。こっちを早いとこ、もとに戻さないとな」
「マッキーさんも大変な事になるって言ってたね。でも、どうやるの?中にいちゃん」
ネロが闇竜の玉を覗き込んでいるうちに、レヴはテレビの隣の小箪笥の引き出しを開けて何か探し出した。
「兄貴はあれだろ、魔力で何とかしよーとしてダメだったんだろ?」
ガチャガチャと乱雑なマイナスドライバーやらペンライトやらを掻き分けて、レヴは目的のものをつかんだ。
「なら、手作業でやるしかなくね」
スーパーアルンアロファー。
レヴが取り出したのはごく普通の、接着剤だった。
翌朝。通勤ラッシュも終わろうという時間。
204号室ではまだレヴが起きていて、闇竜の玉パズルと格闘していたのであるが、その強烈な接着剤の匂いはコーポ村石の廊下にもかなり漏れていて、津賀はそれを嗅ぎながら
あん、ちょっといいニオイかもと感じちゃってるオレがいる
などと考えながら205号室のチャイムを鳴らしたのであった。
ティンローン。
「砂山さーん、いい?」
「ちょま、まって!マスカラが!マスカラがっ!」
中から砂子の大声が響いてきて、津賀はドアの前でひとりニコニコしてしまう。クビにならないための勉強、とは言え。砂子と二人で豪楽園遊園地に行くのだ。嬉しくない筈がない。
電車はとても空いていて、豪楽園遊園地前駅までは2駅しかないにも関わらず、津賀と砂子はついつい座ってしまった。
「つきあわせちゃってごめんね、砂山さん」
日の光と、中途半端な田舎の路線特有の眠たげな空気を、電車の走行する音の、低い周波数が揺らしていた。
「いいよーそんなの。てか、アタシ近所以外に出かけんの、ひと月ぶりとかなんですけど。やばいよー。漫画家やばいよー」
うはは。と砂子は目を細めた。津賀は思わず俯く。晴れた日の電車の中の風景とその中で笑う砂子が可愛くて、あんまりしあわせで、少し悲しくなってしまったのだった。
勇敢な音楽が鳴り響く。ステージの前に群がった観客の中には、子供だけでなく、若い女性の姿も多く見られた。黄色い歓声が遊園地全体を振動させていて、津賀と砂子は完全にその雰囲気に圧倒されてしまい、目をパチパチさせながら群衆の最後方へ逃げてきた。
「なんじゃこりゃ……」
ずり落ちたショルダーバッグを押さえながら砂子が呻く。
「と、東友デパートと全然ちがう」
津賀は興奮して砂子を振り返り
「ああコスプレしてる子供までいるじゃん!いいなぁオレもされたいコスプレっ」
と、悶えた後、急激にションボリした。
「あ……そっか……どうせクビなんだった……」
「いやほら、ね。これから見て勉強して頑張ればまだわからないんだから」
そう言って慰めた砂子だったが、ショーが始まると、絶句してしまった。爆発音と共に登場した竜戦士キングドラゴンは、恐ろしいほどに「ヒーロー」だったのだ。
まずもって、津賀とはオーラが全然違う。頼れる存在感、一挙一動にみなぎるパワー。
「みんな!来てくれて嬉しいぜッ!任せろ!必ず、地球の平和はこの、俺達竜戦士が守ってみせるッ」
リーダーのドラゴンファイヤーこと火村竜二の台詞はとても力強い。
と、いうより、力強すぎる。
「うう……こ、これは……」
津賀と砂子は顔を見合わせて
「恥ずかしいっ……」
赤面。
「竜戦士キングドラゴン」は、火、水、地を司る竜の玉を受け継ぐ3戦士からなるヒーローで、残る1つの「闇竜の玉」の封印を解こうとする邪悪な魔族、ファングル伯爵の陰謀を阻止するために戦っている。
と、パンフレットには書かれていた。
今日のショーに出演する3人のうち、2人は偽物で、本物が来ているのはドラゴンファイヤーだけ。しかし、人気絶頂のヒーロー集団ともなると、1人でも本物を見られる機会は滅多にない。リーダーの火村が来ると聞けば、大勢のファンが熱狂して詰め掛けるのである。
けれども、津賀と砂子は火村の正義テンションについていけず、最後尾で鳥肌をたてるばかりだった。
真っ赤な鎧に身を包み、炎を纏わせた剣をひと振り。
「とうっ!」
容赦なく敵をぶった斬る火村の姿はショーとはいえ、迫力があった。会場は盛り上がる。
「……救急車呼ばないんだね」
津賀が呟いた。
「え?」
砂子が聞き返すと。
「……オレいつも、改造人間倒したあと救急車呼んでんの……だって、悪いじゃん。怪我させといてさ。いつもやってるから、ショーでも普通に、そこまで再現してたんだけどさ、」
喝采の嵐の中で、津賀は淋しい溜め息をついた。
「でもそうゆうのは、ヒーローには必要ない事なのかな……そりゃそうだよね……よくかんがえたらさ、」
ステージでは、再び爆発音が鳴って、ドライアイスの煙が吹き出す。
「ツガケン……」
砂子はセルフレーム眼鏡の裏で津賀が目を伏せたのに気付いた。握手やらサインやらでステージはまだ熱かったが、二人は自販機のコーナーで珈琲でもすすって休憩することにした。
「ダメだや……」
津賀は観覧車を眺めながらそう言って笑う。
「無理だー。オレあんな風にできねえもの」
でも段々声が掠れてきた。
「あの人、敵をさ、斬った後、喜んでたんだよね……笑ってたんだよね……そうゆうのがヒーローには必要なんだったら、オレ無理だよ……だって、そんなのって、あんまりじゃんか……あんまりだよ」
珈琲にはポタポタと涙が落ちる。それを見て砂子は、やんわり津賀の頭に触れ。そして、囁くように言ったのだった。
「何でこんなやさしい子をクビにするかなぁ……」
そもそも、ライザーシャープは敵を殺した事がない。やられた改造人間は最悪でも全治1年以内の怪我で済んでいる。津賀が、必殺技をフルパワーで出さないからだ。
というより、出せない。それは別に高尚な信念などではなかった。ただ、単に津賀は、何となくそういう事ができない類の男なのである。性格の問題だ。
キングドラゴン火村のように徹底的に悪を憎む心が、津賀には欠落していた。
要するに、津賀は誰かを憎むのが苦手なのである。子供の頃から、両親にも、お前はそれだけが取り柄だ、と言われてきた。小学校の通知表には毎回、少しおっとりしていますが、友達に優しい子です、と書かれて続けていた。だから火村を見て津賀はつくづく思ったのだ。
ああオレ……必要とされてないんだなあ、と。
帰りの電車でも津賀は落ち込みっぱなしだった。いつもの津賀なら、砂子の
「和菓子食ってく?」
の一言で立ち直る。しかし、今日は。つ、と眼鏡の下から涙が伝い落ちて、津賀は横隔膜を震わせるだけで。砂子は、かける言葉も見つからず、そっと津賀の手をとった。すると、電車の中にも関わらず津賀はもう本格的に泣き出してしまった。
「ウッ、ウッ、クビになったら実家継がなきゃなんだ……栃木だけど、オレ淋しくてダメだよ……だって、好きなんだもん、オレ砂山さんが好きだから……」
言った途端に、津賀ははうっとなった。
オレ今なに言った?
ちょうど駅に着いて、開いた扉から、
津賀は、
……逃げた。
うわーんオレの馬鹿、馬鹿!
歩道橋を走りながら津賀は猛烈に後悔した。
友達のままでよかったではないか。あんな事言わなければ、栃木の実家に帰ってもメールのやりとりぐらいできたかもしれないのに。もうだめだ、顔を合わせられない……。
津賀は、一度立ち止まって、少しずつ夕方の色に染まっていく町を感じながら、ゆっくり歩き始めた。
そっかこの町とも、もうすぐお別れなんだ……。
何を売ってるのかわからない怪しい天草商店、金の無い悪の組織、うまい和菓子屋、愛ある悪魔の兄弟。
そして、いつでも味方してくれた少女漫画家に。
「バイバイ……」
小さく呟いた。
その頃、コーポ村石204号室では、レヴ・グレイムがまだ、闇竜の玉を、ちまちまと組み立てていた。
夜も近くなってきて、トイレに行こうとしたネロは、煌々と電気のついた居間を覗き、驚いた。
「中にいちゃん!もしかして寝てないの!?」
「いや……なんか。夢中になってた。気付いたら時間が、すごい経ってて」
頭を上げたレヴは、何だか接着剤だらけだった。そしてちゃぶ台の上の闇竜の玉は、無理矢理な感じでくっつけられていて、レヴは困ったようにネロを見る。
「あんまうまくできなかった。割れたのバレバレ?」
「う……うん」
ネロはすまなそうに頷く。
「だよな」
レヴは煙草に火をつけながら眉間にシワを作った。二人は、いびつな闇竜の玉を眺め回し、はあ、と同時に溜息をついて顔を見合わせる。
「やすりをかけたらいいんじゃない?」
ネロが言う。
「ニスも塗っとくか」
レヴもそう答えて、煙を吐きながら欠伸をした。
けれどこのとき、レヴは考えていた。
色々試してだめだったら、おれが盗んで割ったことにすればいい。簡単なことだ。兄貴やネロが罰せられるよりはずっといい。
でもそうすることで兄も弟も、悲しむかもしれないな、とも思った。
その考えは、ちくりとレヴの胸を刺す。痛みは、新鮮な感じがした。レヴは、確実に自分に心があるのを、感じながら、煙を吸い込んだ。




