休日-朝
朝8時半
「え………ああああつ‼‼」
唐突に目を覚ました千尋は、目覚まし時計を確認して、絶叫した。
時計の針が指し示すのは、紛れもなく8時半で、普通ならもう学校で課外を受けている時間帯である。
(嘘……もしかして俺、寝坊した?)
サーッと血の気が引く。
そういえば、昨日はいろいろ考えて、よく眠れず、夜遅くにようやく寝付くことができたのだ。
恐らく、寝坊してしまったのはそれが原因だろう。
そして、自分が寝坊したということは、同時に遥も寝坊し、学校に遅刻することになると気づいた。
(ヤ バ イ ‼)
千尋はまず、慌てて携帯を手に取ると、遥の携帯に電話をかけた。
が、しかし、寝起き最悪の遥が携帯の音ごときで目を覚ますわけもなく、いっこうに遥が電話に出る気配はない。
仕方なく、いつも通り千尋は櫻川家へと向かうことにした。
「ハルっ‼ ハルってば‼ 起きろよ」
櫻川家に着くとすぐに遥の部屋へ入り、ベッドの上に猫のように丸まっている遥をゆすった。
「ハル、寝坊した‼ 遅刻だよっ、俺たち!」
千尋が大声で遥にそういうと、遥はようやくゆっくりと瞼を持ち上げる。
そして、焦った表情の千尋を見るなり、眉間に皺を寄せた。
「お前……寝ぼけてんのか?」
「へ?」
今起きたばかりの奴に、まさか「寝ぼけいるのか」などと言われるとは思わなかったので、千尋は目を丸くする。
遥はそんな様子の千尋を見て、不機嫌そうに口を開いた。
「馬鹿だろ、チヒロ……今日、土曜日。課外も今日は休みだっつの……」
「え、ああっ‼」
(そういえば、昨日のHRで担任がそんなこと言ってたような……よかったぁ)
とりあえず、今日学校がないことがわかり、千尋はホッとして、へなへなと床に座り込んだ。
しかし、ホッとしたのもつかの間、いきなり手を遥につかまれ、そのままベッドの方へと引っ張られる。
「え、ちょ、ええっ!?」
いとも簡単にベッドへと引きずりこまれてしまった千尋は、間近に遥の顔が迫っているのに気づいて、ハッと息を呑んだ。
一瞬、昨日の光景が頭をよぎる。
いきなり押し倒れて、ろくな抵抗もできなかった。
初めて遥に本当の恐怖を抱いたあの時がよみがえり、ビクリと肩が跳ねた。
と、同時に、なぜか心臓の鼓動も高鳴り、千尋は少し困惑する。
(だから、なんで俺はこんなにドキドキしてるんだよっ!?)
「チヒロ」
「な、なに……」
間近に迫った遥に名前を呼ばれ、さらに千尋の鼓動も高鳴る。
「どう責任とるつもりだ?」
「責任?」
遥の発言の意味がうまく理解できず、千尋は首をかしげた。
一方遥は、ニヤリと不敵な笑みを浮かべる。
「意味もなく、俺の睡眠を妨害した責任」
「はぁっ!? なんだよ、それ‼ 俺は、学校が今日あるかと思って…….」
「でも、結局学校はない。なのにお前は俺の睡眠を妨害しただろ?」
「そ、それは……悪かった、けど」
「だったら、ちゃんと責任とるべきだよな?チヒロ」
「………………っ」
耳元で囁かれ、千尋は思わず体を震わせた。
(この、我儘大王ドS男めっ‼)
千尋がそんな風に心の内で毒づいている間にも、遥はどんどん顔を近づけていく。
「せっ責任とるって一体どうやってとれば……」
「キス。唇に」
遥の言葉に、千尋は固まった。
(またキス!? しかも唇って……。さすがに男同士でそれはアリなのか?)
確かに、千尋にとって遥とのキスは、幼い頃からの習慣だった。
しかし、キスと言っても、おでこや、頬に軽く触れる程度で、唇にしたことなど一度もなかった。
(それに、俺……ファーストキスもまだなんだけどっ‼)
「どうしたんだよ、チヒロ。もしかしてお前、ファーストキスもまだなわけ?」
「うっ……」
意地悪そうに口の端を持ち上げて、遥が言ったことは見事に図星で。
千尋は顔を歪ませた。
そんな千尋の表情を見逃さなかった遥は、さらに笑みを深くする。
「ふーん……まだまだお子ちゃまだな、チヒロは」
「うっさいなぁっ、もう離せよ」
遥のお子ちゃま発言に、千尋はムッと頬を膨らませた。
いつまでも遥に捕まっている訳にはいかないと、遥のベッドからの脱出を試みると、意外にも遥はあっさりと千尋を解放してくれた。
責任がどうとか言っていたのは、どうやら、おふざけだったらしい。
「じゃあ、俺はもう帰るからなっ」
遥のベッドから這いずりでて来た千尋は、そのまま遥の部屋の出口へと向かう。
すると、遥は「チヒロ」と名前を呼んで引き留めた。
遥の真剣な声の響きに、千尋は足を止めて振り返る。
「倉田 総司のこと」
「なん、だよ」
倉田 総司の話題に昨日のことを思い出しながら、千尋は緊張した面持ちで、遥の次の言葉を待った。
「お前が……どうしても倉田 総司との関わりを断つ気がないなら、好きにしろよ。俺が口出す筋合いもねぇしな」
「え」
(ハ、ハルが、まともなこと言ってる……!?)
千尋は、耳を疑った。
まさか、そんなことを言い出すとは完全に予想外だったのだ。
「そのかわり、気をつけろよ」
「気をつけろって……何に…」
「あー、もういい。俺はまた寝るから、早く帰れよ」
キョトンとした顔で首を傾げた千尋を見て、遥は「はーっ」と息を吐き出すと、前髪を掻き上げた。
(なんだよ、変な奴….…)
千尋は、再び遥がベッドに寝転がるのを見届けると、遥の部屋を後にした。
千尋の居なくなった部屋の中で、遥は目を閉じたが、もう一度眠ることはできそうになかった。
頭の中を巡るのは、千尋と倉田のことだ。
倉田のことは、やはり気に入らないし、できるなら千尋には関わって欲しくない。
それが自分のエゴであることくらい、遥も理解していた。
だから、千尋にああ言った。
千尋は心底驚いていたが。
いくらなんでも、鈍感すぎる、無防備すぎる。
遥は、そんな千尋のことが心配でならないが……。
(俺は、どうこう言える立場じゃない)
自分はあくまでもただの幼馴染だ。
恋人でも、なんでもないのだから。
結局、千尋のことは、千尋自身が決めるのだ。
遥は、それがなんだかもどかしくて、小さく舌打ちをした。