バースデー③
そして、迎えた日曜日。
千尋はあれからモヤモヤとした気持ちを抱えながら、普段通り遥と接していた。
うるさく鳴り響く目覚まし時計を止め、ベッドから這い出た千尋はうーんっと伸びをする。
いつもなら、このまま準備をして、遥と共に誕生日を祝う………はずであったが、遥には既に先約がある、らしい。
小さくため息をつくと、千尋はカーテンを開けて、ふと、窓から櫻川家を見やった。
「あっ!!」
そこで、珍しい光景を目の当たりにし、千尋は目を大きく見開いた。
ちょうど、遥が家を出るところだったのだ。
大抵、休みの日は昼すぎまでベッドの中でゴロゴロしているはずの遥が、午前中に家を出るとは。
それに、格好はきっちりとした服で、髪型もばっちりきめ、まるで雑誌から飛び出したモデルのようだった。
そんな完璧な遥が向かう先は、当然、千尋の元ではなく……遥はそのまま、呼び寄せたらしいタクシーに乗って、何処かへ行ってしまった。
(ハルがあんな格好して出かけるなんて……)
千尋は、不安げに眉を寄せる。
遥は一体誰と何の目的で会うのだろうか。
もしかして、彼女とデートの予定でもあるのかもしれない。
あの遥に限ってありえないと思いつつ、千尋はそう思って肩を落とした。
(って、なんで俺、ハルに彼女が出来たかもしれないってだけでこんな落ち込んでんだよっ!?)
遥はモテる。だから彼女の一人や二人出来て当然だ。
今までいなかったのが変なんだ……!!
千尋は、そう自分に言い聞かせた。
「……倉田の試合、見に行こうかな」
なんだか、家に一人で居るのも嫌だったので、千尋は前に誘われていた倉田のサッカーの試合を見に行くことにした。
倉田から聞き出した試合会場に着くと、千尋は適当に観客席に座った。
観客席は予想以上に人で溢れいた。
天気は快晴で、太陽の光がさんさんと降り注ぐ。
その太陽の下、試合開始に向けて体を動かす選手達をぼんやりと眺めていた千尋は、その中に後輩の姿を見つけて小さく微笑んだ。
こうして、遠くからスポーツをしている倉田の姿を見ると、本当に様になっている。
女子にモテるのも当たり前だ。
遥とはまた違った魅力を持つ後輩をなんとなく目が離せなくて見つめていると、ふいに倉田が千尋の方に顔を向けた。
観客席に千尋の姿を捉えた倉田は、ぱぁっと顔を輝かせる。
そして、大きく手を振った。
すると、千尋の隣に座っていた学生らしき女の子たちが色めき立つ。
どうやら、彼女たちは、単純に試合観戦をしにきたわけではなさそうだ。
彼女たちは、倉田が自分たちに向かって手を振ったのだと思ったらしく、倉田に向かって手を振り返していた。
それに気づいた倉田は、今度はちゃっかり女の子たちに向けて手を振っている。
そんな倉田を見て、千尋は苦笑した。
試合の結果は、倉田達の圧勝だった。
倉田なんか、ゴールを三回もきめて、絶好調だ。
あまり、サッカーを観ない千尋も、気づけば夢中になって応援していた。
試合が終わり、だんだんと人が減っていく観客席で、千尋はしばらくぼんやりと試合の余韻に浸っていたが、やがて帰ろうと腰を上げる。
そうして、試合会場から出たところで、後ろから「千尋先輩っ」という声に呼び止められた。
後ろを振り返ると、そこには案の定、倉田の姿があった。
倉田は試合の後にも関わらず、嬉しそうに元気に駆け寄ってくる。
「先輩、来てくれたんですねっ!!ちゃんと見てました?俺の勇姿っ」
「うん、すごかったよ。勝利おめでとう」
千尋の言葉に倉田は嬉しそうに笑う。
そんな倉田に、千切れんばかりにブンブン振られる尻尾が見えるような気がして、千尋は思わず頭を撫でてやりたくなった。
しかし、なんとかその衝動を抑え込む。
「そうだ、先輩。俺勝ったんだから、ご褒美くださいよ」
「ご褒美?」
「そうです。ご褒美に、キスしてもいいですか?」
「………………へ?」
一瞬、言われた言葉の意味が分からなくて、千尋は目を見開く。
そんな千尋の様子がツボにハマったのか、倉田は声をあげて笑い出した。
「じょーだんですよ」
声を震わせながら言った倉田に、千尋は口をとがらせる。
「先輩をおちょくりやがって」
「まぁまぁ、そんな機嫌を損ねないでください。……でも、ご褒美が欲しいのは本当ですよ?」
「じゃあ、何が欲しいんだよ」
「名前」
「名前?」
「下の名前で呼んで欲しいんです」
「倉田じゃなくて………総司って?」
「はいっ」
とろけそうな笑みで倉田は頷く。
「別にいいけど……」
「本当ですかっ!?じゃあ決まりですねっ。あ、それから、メアドも交換しましょうよ」
倉田の言葉に、(そういうば、まだ交換してなかったけ)と思いながら、メールアドレスを交換する。
「今日は本当に最高の一日でしたっ。俺、もう、幸せすぎてヤバイです」
何がヤバイのかは分からないが、倉田が喜んでいるのはよくわかって、千尋も笑顔になる。
遥のことで落ち込んでいた気分も倉田のおかげで晴れたようだ。
帰り道をたわいのない話をしながら共にし、やがて、わかれ道にさしかかると、倉田は申し訳なさそうに言った。
「本当はちゃんと家まで送りたいんですけど俺は用事があるので……」
「あのなぁ、俺は男なんだから一人で帰れるよ」
「そうですね……」
少し寂しそうに言ってから、倉田は手を振る。
「じゃあ、千尋先輩、気をつけて」
「ああ、くら………総司も」
「総司」という言葉に満足したのか、どこか名残惜しそうだった倉田は千尋に背を向けると、去ってしまった。
倉田の背中を見送った後、千尋は自分の家に向かって歩き出す。
遥はもう家に帰っただろうか。
遥は一体どこに何の用事で………
倉田のおかげで晴れた気持ちがまた沈む。
不安を抱えながら、千尋は歩き続けた。