バースデー①
休日に倉田が家に訪ねてくるというアクシデントはあったものの、千尋の周辺は割と落ち着いていた。
どうやら、サッカーの試合が近い倉田は、部活でずいぶん忙しいらしい。
そんなわけで、倉田の登場以来、降下し続けていた遥の機嫌も戻りつつあった。
やっと戻ってきた平穏な日常に千尋はホッとしていた。…………が。
それはまさに、嵐の前の静けさというものだった。
ことの発端は、倉田が突然千尋のクラスにやって来たことによる。
「千尋先輩っ‼」
初め、教室のドア越しに手を振る倉田に、千尋は驚きを隠せず、困惑した。
「チィ、呼んでるよ、後輩くんが」
龍平に促されて、千尋は倉田のもとへと駆け寄る。
ニコニコ笑ながら手を振る倉田は、まるで耳と尻尾の生えた大型ワンコのように思えた。
「どうしたの、いきなり……」
「先輩にお知らせしたいことがあるんです」
「お知らせしたいこと……?」
千尋は首を傾げる。
一方、倉田はこちらに注目している教室の生徒達を一瞥してから、千尋の右手をとった。
「とりあえず、ここじゃ目立つので場所を変えましょう」
千尋の返事を待たず、倉田は千尋の手を引いた。
そして、なんだか訳がわからないうちに、倉田に連れられて誰もいない空き教室へと入ることになる。
教室に連れ込まれてからしばらくの間、千尋は倉田が話を切り出すのを待った。
しかし、一向に倉田が話出す気配はない。
「………倉田?」
ついに沈黙に耐えられなくなった千尋は、怪訝そうに倉田の名を呼ぶ。
名前を呼ばれると、倉田はうっすらと笑みを浮かべた。
いつものワンコのような人懐こい笑みではない。
嫌な予感がした。
「………先輩ってほんと、無防備ですよね」
「は?」
「だって、俺は先輩のこと好きなんですよ?なのに、こんな簡単に人気のないとこに連れ込まれちゃって……」
言いながら、倉田はジリジリと千尋との間合いを詰め始めた。
それに合わせて、千尋も壁側へと後退する。
「倉田、お前、何言って………」
「この前だって家の中にまで入れちゃうし。無警戒にも程があります。俺、心配ですよ」
「くら……」
名前を呼びかけたところで、ついに千尋は壁に背中をぶつけた。
完全に追いこまれてしまった形だ。
すかさず倉田は壁に手をつき、逃げ場をなくす。
(何これ、デジャヴ?)
最初に倉田から告白のされた時のことを思い出す。
この後輩はいつもやり口が強引だ。
「先輩……」
倉田は、そのまま千尋へ顔を近づける。
唇が触れそうなくらいの至近距離。
千尋は一瞬息を呑んだが、すぐにキッと倉田を睨んだ。
(俺は先輩なんだから、ここで怯んでたまるかっ‼)
という、先輩としてのプライドの芽生えからだ。
そんな千尋の思いを知ってか知らずか、倉田はプッと吹き出した。
「冗談ですよ、冗談っ。俺、先輩に嫌われたくないですから。用件は別にあるんです」
倉田は、可笑しくてたまらないといった感じで笑いながら、千尋と距離をおいた。
とりあえず、ホッと胸を撫で下ろす。
「よ、用件ってなんだよっ……」
「来週の日曜日、暇ですか?」
「え……」
「その日、試合があるんです。それで、先輩に応援に来てもらいたいんです。俺の……ために」
来週の日曜日……
千尋は頭の中で、試合の日の日にちを割り出すと、すぐさま首を振った。
「ごめん。その日は無理なんだ」
「えー……どうしてですか、何か他に用事でもあるんですか?」
あからさまにしょんぼりと、大型ワンコの耳と尻尾を垂らして、倉田は残念そうな声音で言った。
そんな倉田に苦笑しながら、千尋は頷く。
「うん。その日は、すっごく大事な日だから、さ」
「……….そうですか。わかりました。なら、諦めます。でも、もし暇になったら来て下さいねっ」
「うん……」
「いきなり、教室に来ちゃったりしてすみませんでした。それじゃ、用事はそれだけですから」
退き際はアッサリと。
それもこの後輩の特徴だ。
倉田は手を振りながら、空き教室から出て行った。
一人ポツリと残された千尋はフーッと息を吐く。
(来週の日曜日、か……)
その日は千尋にとって、一年に一度の特別な日だ。
彼の自慢の幼馴染、櫻川 遥の誕生日なのだから。
というわけで、遥バースデー編始まります。