休日-昼すぎ2
午後3時過ぎ。
「ていうか、倉田、お前今日部活は……?」
倉田を自分の部屋に招き入れた千尋は、テーブルの上に、お茶の入ったコップを並べながら言った。
倉田はなんでも、サッカー部の期待の新人らしい。土曜日でも、練習に明け暮れていてもおかしくない。
「えっと、今日は学校の都合で、午前中までだったんです」
緊張のせいか、ピシッと正座をした倉田は、千尋の持ってきたコップに手を伸ばしながら答える。
冷たいお茶を流しこんで喉を潤すと、倉田はじっくりと千尋の部屋の観察を開始した。
千尋の部屋は、男の子らしい簡素なものだった。
家具らしい家具といえば、机に本棚、それからベッドくらいで、あとは写真立てなどのちょっとした小物がところどころに置いてあるだけ。
そして、写真立ての写真には必ずと言っていいほど、千尋の隣に、遥が並んでいた。
(なんか……ムカつくよなぁ……)
倉田は、しんなりと眉をひそめた。
幼馴染だといって、当たり前のように千尋の隣を陣取る遥に嫉妬心を抑えられない。
千尋は遥とは恋人同士ではない、と言っていた。
しかし、倉田にとってはそれは決していい情報とは言えない。
確かに、千尋は遥との恋人関係を否定したが、それはつまり、遥が男であるからだ。
男と恋人などありえない。
千尋の中ではそれが当たり前の常識で。
同時に、男である倉田も千尋の恋人には、なれないことを意味していた。
告白の返事も、目に見えている。
「えーと、その、告白の返事なんだけど…」
先に話を切り出したのは千尋の方だった。
倉田は、ゴクリと唾を飲み込む。
断られる覚悟はすでにできていた。
「ごめん。俺、やっぱ男同士では、無理……だと思うんだ。それに、倉田のことまだよく知らないし……」
(やっぱり、か)
予想通りの返事に、覚悟はしていたものの、やはり倉田は落胆した。
しかし、倉田はすぐに気をとりなおして、笑顔を千尋に向けた。
そして、あらかじめ考えておいた台詞を口にする。
「いえ….こうなることはわかってましたから。でも、恋人としては無理だとしても、後輩しては側にいてもいいですよね?」
「え……?」
「俺、諦めるつもりなんてありませんよ。先輩は俺のことよく知らないって言ったけど、そんなの、これから知ればいいだけの話じゃないですか」
倉田は、にっこり微笑み、さらりとそう告げた。
(そういう問題じゃ、ないんだけど……⁉)
千尋は、心の中でそうツッコミを入れるが、目の前でニコニコしている倉田を見ていると、そんなツッコミもなぜか、どうでもよくなってくる。
(ま、いっか……)
一応、告白の返事は終えた。
倉田は、千尋を諦めてくれる気配は全くないが、いずれ時間が解決してくれるだろう。
それに、ちゃんとした後輩といえるものが出来たのだ。
帰宅部で、あまり上下の学年と関わりの少ない千尋にとって、それは嬉しいことだった。
「じゃ、じゃあ、とりあえず、今は先輩後輩っていう関係で付き合っていくってことにしよう」
千尋が提案すると、倉田は嬉しそうにパッと顔を輝かせた。
「ほんとですかっ⁉ それに、"今は"ってことは今後、俺にもチャンスあるってことですよねっ‼‼」
言いながら、倉田は机の上に身を乗り出して、向かい側に座っていた千尋の両手をつかむ。
「へ……⁉」
思わぬ倉田の返しに、千尋は目を丸くした。
(しまった….もしかして俺、まずいこと言っちゃった……?)
しかし、今さら気づいてももう遅い。
嬉しそうに笑う倉田に、千尋は前言撤回など到底できなかった。
「千尋先輩………俺、今、すごく嬉しいです」
頬を赤く染めた倉田は、千尋の両手をつかんだまま、机越しにさらに距離を詰める。
そして、そんな倉田の動きに翻弄されて、動揺している様子の千尋のおでこに、キスをした。
それも、わざとらしくリップ音までたてて。
「な、なななにすんだよ、いきなりっ⁉」
千尋は突然の出来事に口をパクパクさせる。
一方倉田は、にこりと優雅に微笑んで見せた。
「後輩として先輩を尊敬しているという、忠誠を示しただけです」
「はっ⁉ 普通先輩と後輩はそんなことしないだろ‼」
「いいじゃないですか。減るものじゃないですし。そんな固いこと言わないでください」
まるで悪びれる様子もなく、倉田はそう言い放つと、さっと立ち上がった。
それから、「お茶ご馳走様でした」と礼を述べてから、ドアの方へと歩きだす。
「あまり長いしすぎると、千尋先輩も迷惑でしょうから、俺はこれで失礼します」
最後は礼儀正しく頭を下げて、倉田はドアに手をかけ、千尋の部屋を後にした。
(なん、だったんださっきの)
千尋は、倉田がたった今出ていったドアを呆然と見つめた。
それから、そっとおでこに触れる。
不意うち……だったのだ。
まさかキスされるなんて、全く予想していなかった。
なんだか、狐につままれたような気がして、千尋は肩をおとした。
かくして、この日を境に、すでに壊れるつつある日常がさらに崩壊していくとは、まだこの時の千尋は、知る由も無い。