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独白と行く年

 さて年の瀬の過ごし方を軽く振り返ってみるね。


 町の片隅でひっそり営業している片っぽ靴屋の妖精さんが、いつの間にか聖者扱いで救世主の生誕日に全世界のいい子へプレゼントを配って回る日になるという、前向きに考えれば大出世といえなくもない混沌とした聖夜祭の前日からいこうか。



 なぜか日本ではこの日が最大の安息日ではなく最大の繁殖日となっているという、間違いなく全世界で一番混沌とした地域で、だというのにいい年してるはずの僕らは普通に男だけで集まって騒いでいたというね。


 雌雄同性体でもないくせに、日本で一番の繁殖日和に同性で同棲してどうせいというのか、そんな季節と同じくらいうら寒いギャグを飛ばさずにいられないお寒い一日でしたと。



 そういえば件の聖者さん、元は妖精なだけあって大量に存在してるみたいだけど、日本に来る人ってなんで従者が身体的特徴でいじめられてるのを目撃した時に、その身体的特徴を更に上げ連ねていじめる鬼畜の人なんだろうね。従者も連れずサーフィンしながらやってくる明るいタイプもいるってのにこれはあんまりだ。


 子供のころ、毎回毎回身体的特徴をいじられまくるのに、一言も言い返せないどころか、感謝していますありがとうございますと言わねばならないその様は、どう考えても日本の悲しきプロレタリアの縮図じゃないですか! 年に一度だけ、朝から晩まで市中引き回しの刑に処されてる上にいじられなじられ、その事を涙ながらに感謝する、そんなものすごくいい子が、畜生だから、従者だからって理由でプレゼントカットされてるんですよ! これはあんまりにもあんまりなんじゃないでしょうか、彼が貰えないというのなら一体この世の誰がプレゼントを貰える権利を持つっていうんですか。それを誰が決めてるんです? あの上から目線の聖者さまですか! そんないい子なんてクソ食らえですよ! 


 とまぁこんな難しく流暢にしゃべったわけじゃないけど、だいたい上記の内容のセリフで折角のクリスマスプレゼントを前にグズりまくった七歳のあの日。恐らくそっと枕元にプレゼントを置いてくれたと思われる父上は困った顔して笑うだけでしたね。そんな父上を見てますますヒートアップしていった僕の頭を優しくなでながら諭してくださった母上。あのセリフだけはいまだ一言一句違えずに覚えておりますよ。


「従者はいい子よ、ただし正確にはどうでもいい子っていうの。そして聖者であれば人や畜生をそう扱っても許されるの。悲しい? なら貴方がそれを越えるくらい偉くなって助けてあげなさい。それまでは黙って従う事」


 泣く子も黙るを地で行きましたよ、グウの音も出なくなるとはまさにこの事。情操教育にハンパなく問題がありそうな上に、特定の信仰心をお持ちの方から生きたまま火あぶりにされそうな論理を、満面の笑顔で述べておられた母上。

 

 今なら解ります、あの時単にみんなに早いとこ朝ご飯食べて欲しかったんですよね。なんだかもの凄く大事な所で絶望的に不器用な点がしっかり遺伝したみたいですよ僕に。


 あれから十六年、今では従者に限らず大半の人がどうでもいい人になってしまうくらいには毎日毎日歯車で忙しいです。


 そういえば今更なんですが、あのいじめは日本の縮図というか、第六天魔王様が、親を人質として差し出させていた部下の一人を、柑橘系のあだ名で呼び続けた時代から何一つ進歩していないどころか、三日でもいいから逆転出来る夢一つ見れない。そんな日本の絶望を表している気さえしているこのごろです。


 初夏にも書きましたが、生まれて初めて自分がいじめられているのではないかと真剣に悩んだりしていまして……。いじめは事なきを得ましたが、世の中って腑に落ちない事と割り切れない事が年々増えていくものだったんですね。


 さて今年は三十一日にから翌一月一日まで帰省するかと思いますのでよろしくお願いします。



 そんな内容で家族あての手紙を書いていたのが聖夜当日。ケータイを小学生の時分から認知していた身でなんで手紙かというと大した理由ではなく、単に日本でかなり有名な童謡に十五歳でお嫁さんに行った姉が即音信不通になるというホラーがあることに起因するのよ。大学で一人暮らしを始めたら必ずお便りを書こうと心に決めていて、修学旅行以来、自分の意志という意味では初の手紙を書いて送ったら家族全員に大受けだったらしく、いまだ帰省すると手紙の内容を揶揄されるし次回のアンコールもされる。両親に宛てたものなんだから弟妹に見せるのはマナー違反な気がするんだけどねぇ。


 しかし冷静になってみると、あの童謡のお姉さんは実家暮らしが嫌だと思ったり、気付いたりする機会すらなかったのかなぁ、爪に火をともす生活の後、右も左も解らぬままの結婚生活ってどんな気持ちなんだか。貧ずれば鈍するとはいうけど、毎日の生活に感謝の気持ちを持ってられるって素晴らしいことなのかも。


 それにしても、わずか百年ばかり前までは十五歳でお嫁さんお婿さんをやっていたのに、今やそれには世間の壁、家族の壁、そして法治国家による法律の壁と、極上のサーロインステーキより分厚い三枚壁が立ちふさがっているって事実が一番のホラーポイントなのかも。正直、愛と自由と正義の最大の敵って時代だよね。


 そんな感じで三ヶ月に一度はお里の頼りを書いていたり。


 そのせいで家族からもバルサンと呼ばれるようになってて複雑な気分。家族から友人間にも触れ回られたせいでここ三ヶ月、僕の名前を呼んでくれるのってダイレクトメールの音声発信だけなんだけどこれってどうなの。絶対間違ってるでしょ人間としても家族としても友人としても。

 

 まぁそんな調子で、バルサンと呼ばれてなんの不思議もなくお返事出来るくらい調教された結果、なにかよく解らないセールスの電話だとしても、名前で呼ばれたら感激の余り、どんな顔して断ればいいのか解らないとこまで来ちゃいましたよおかげさまで。というか今更ですけど僕の友達相手だとはいえ、手紙の内容を触れ回らないでくださいよ! 僕のプライバシー、水素より軽い扱いな気がするんですけど! 個人情報の保護って法律で決まってるんですよ!


 

 さて聖夜祭前日もそうだったんだけど、秋頃から部屋に来る子らに毎月二万円でご飯を作るようになってたり。


 備え付けの社員食堂があるとはいえ、ご飯食べる時間がまちまちになってきてて外食が増えたからね。

 

 というのはもちろん建前で、本音はというと僕の個人的な問題。秋の夜長、ちょっとした暇つぶしのつもりで行った肝試しから始まった悲しいすれ違いの課程で、各地の名塩を大量にダブつかせたからお料理を頑張ろうと思ってたのね。ストレス解消を兼ねて調味料購入が趣味になり、お高い砂糖、ポン酢、味噌、醤油、バターにジャムと用途の多いものを買い揃えてたのよ。


 そしてやった料理がゆで卵に振りかけるだけ。


 かつおぶしにかけるだけ。

 

 コンビニサラダにかけるだけ。

 

 パンにぬるだけ。


 紅茶にいれるだけ。

 

 という、調味料の能力に任せきってしまい料理をしなくなる典型。に陥ってしまったのね。自分の新たな側面に気付けるってのはいいことだと思ってたんだけど、出来れば永遠に知りたくなかったよ。素材や調味料に頼るのは料理に対する冒涜だとまで思ってたのにねぇ。

 

 これはイカンと考えた打開策が上記の外食分の料理作り。

 

 相手はそれなりにいい条件でご飯が食べれるし、僕も包丁とまな板を腐らせずに済むので一石二鳥だと思ってたんだけど……。


 甘かった、週三回程度で二食ずつだからと、多めに集金したつもりの二万円なのに、受け付けてから途端に毎日朝晩、休日は三食ウチに来るようになったというね、しかも量がすごいよく食べる。


 なんなの? お腹一杯になったら動きにくいし頭の働き鈍くなるから普通腹八分目で満足するもんじゃないの? ていうかブラックホールにでも直結してるんですかその胃袋、同じ程度しか動いていないはずなのに、なにこのカロリー摂取量の違い。君らアメ車なみに燃費悪いの?


 グチはこの辺にして。今日は豆腐屋さんからいい木綿が買えたので、久しぶりに試作料理に挑戦するんだ。アボガドと豆腐の炒り卵。まぁ偉そうに書いたけど、要はゴーヤチャンプルのアボガド版なんですけどね。


 炒り卵を軽く火を通した段階で一旦引き上げ、水切りして短冊切りのアボガドと水切りして四角く切った豆腐をしなっとするまで炒めてから炒り卵を再投入。仕上げにみりんとわさび醤油で香り付けしつつ、かつおぶしをまぶして完成。


 うん、上出来上出来。卵で足し算、豆腐で引き算、アボガドで足し算、わさび醤油で引き算。かつおの風味がいいアクセント、見た目の彩りも白緑黄色に茶色といい感じ。ビールに合いそうな味だわこりゃ。自己採点で七十五点あげてもいいね。


 アボガドも森のバターの二つ名に恥じない自己主張、思い切って豚肉を抜いたのは正解だったかしら。結構コクがあってもわさび醤油のおかげでスッキリ食べられる。ただし、旬としても内容としても夏のお料理かねぇ。


 どうでもいいけど、アボガドに醤油をかけてマグロ味ってのは信じて食べるとガッカリするよね。プリンに醤油でうに味ってのと同じくらいガッカリする嘘の味なんだけど、なんであんな訂正もされずに広まってんのかなぁ。


 美容整形失敗してマスクしてる成人女性が、何故か小学生の登下校時間に合わせて出没して、四大文明の公共工事から生まれた建築物の守護者よりタチの悪い質問する伝説と同じ類なのかな。


 そして守護者、建築物の護衛役に対してそこまでの知性は必要だったのかしら。見敵必殺の精神さえ叩き込んであれば番犬役は充分だったと思うんだけど。


 獅子と鷲を合わせる優れた体、支配者に対し忠実な精神、人間を越える知性、そして悠久の寿命。


 なんていうのは最早完全なオーバースペックでしょどう考えたって。というかそんな生命体は他国の侵略兵器に活用するか、蛮族との辺境における拠点防衛用特殊兵器として運用しましょうよ。そんな能力を持ったまま砂漠に伏せして六千年ってどんな罰ゲームですか、僕なら確実に気が狂うんですけど!


 もっとも、彼の行うタチの悪い質問から察するに、人類種の六十年程度が彼にとっての一晩のようだから……、現在職について百日目か。三ヶ月ちょい不眠不休でしかもお給料、お食事なし。


 能力値だけみれば人類種より遙かに優等種であるというのにこの悲しきプロレタリア具合ったらないね。持てる知性を素直に活用してれば、とっくに人類のいないとこでバカンス真っ盛りだったろうに、奴隷は考えないを地で行く有様じゃないですか。なのに通りがかる旅人に嫌がらせしたくなるってどういうことなの。


 いや、もしかすると彼からすればただ、おはよう。とか挨拶の延長でからかってるだけなのかもしれないな。君らの事なんだからすぐ解るだろ? みたいな。


 まさか自分の飼い主が自分にとって一日でこの世を去る、僕らから見てのウスバカゲロウのような存在だと思っていまい。日替わりご主人様。なんてのは人類数万年の歴史を持ってしても、公共工事における支配者と守護者の関係か、メイド喫茶における客と店員の関係にしか存在しない希有な主従関係ですよ! 


 これほど素晴らしい能力を持ちながらそれより遙かに劣る種に、作られたからという理由で、餌も休みもなしに働かされて不平不満を一切言わない、あるいは言えない。


 聖夜祭における聖者と従者の話を思い出したよ、なんてことなんだろう。この世のどこにも逃げ場なんてないみたい。王は生まれついての王で、兵士は生まれついての兵士であるというのは世界共通だっていうんですか神様。


 ただ生きているだけでも目一杯大変だっていうのに、自らの生きる道を切り拓くのは更に大変みたい。


 ねぇ神様、もうあんまり贅沢は言わないから、生きてる資格と勇気と希望をネット通販出来るようにしてください。絶望はその辺に投げ売りされてるんでもう結構です。


 そういえばマスクしている女性、もう結構いい年ですよね。質問の前に、正直で残酷な小学生諸氏による、おばさん。コールに心がへし折れなきゃいいんだけど。


 ていうか、バカには見えない服を着てパレードをした、つけるクスリのない支配者さんの話から少しは学ぼうよ、貴方が問いかけている対象は恐ろしく素直で残酷だということをさぁ。


 お望みの答えが欲しいなら、季節のフルーツ盛り合わせが何故か数万円という不思議な空間に存在する、雰囲気もトークも素敵なお兄さんに聞いてみればいいじゃない。お値段が確かなとこにいけば本物のプロ根性を見せてくれると思いますよ。


 銭のある奴はアットホーム! 銭のない奴はゴーホーム! な悲しいくらいのプロレタリア排除空間ですけどね!


 そうそう、バカには見えない服を錬成して、更に支配者の前で呪文を唱えることにより金に換えてのけた、後世に残るべき希代の錬金術師が全く無名のままというのは子供の頃から不思議でした。


 クーリングオフなんて無かった時代に、一度成立した正式な契約を勝手に遡及して不履行扱いにする特例を行った、服どころか自分の立場すら見えていない支配者さまがいたわけですけど。、当時は標準裁判道具だったと思われる、信仰心さえあれば無傷でいられる不思議な炎とか、聖なるものであれば傷一つ付かない不思議な刃物といった、いわゆるバカには見えない服、の類によって暗黒時代の肥やしにされたのかなとか考えると、世の中支配者以外は恐ろしい程に因果応報なんだなという驚愕の事実に気付かされますよね。


 そんじょそこらのホラーなんぞより余程質の高い、現実的なホラーを体験させてくれるものが多い気がする、絵本って。

 

 しかし……、あの組み合わせで特定の味を再現出来ます伝説。あれはなんだろう、騙されたと思って食べてみて。と言われて出されたのがゲテモノ系だったときのガッカリ感に通じるものがあると思うの。カレーライスにマヨネーズとか、イチゴにマヨネーズとか、むしろ誰が騙されるのか知りたいくらいなんだけどね。


 オリジナルブレンドマヨネーズとか、利きマヨネーズ百発百中とか、心底どうでもいい部分で味覚を発揮出来るのに、何故この世の至高の食べ物がマヨネーズになるのか理解出来ない。真珠でも作っててくださいよ……。 


 そんな他愛もない事を考えながらお料理を作っている訳です。案外あっという間に時間が経って便利。


 もう一品は旬の素材を活かしてぶり大根なんぞを。下拵えが面倒だから、魚屋さんに頼んでさばいてもらったぶりと、青果店さんから大根一本購入して調理へ。大根半分は降ろし用に回しておく、お鍋に調味料に大活躍の一品です。煮込みに加えるしょうがに、薄切りしょうがを加えてしょうがをはっきり主張させるのと、大根にからしと味噌を添えるのがバルサン家流。なんかおでんみたいだけど意外と合うんですよこれがね……。


 あとは降ろし用の大根をちょっと銀杏切りにして大根とわかめのみそ汁、それからご飯。試作がうまくいってご機嫌なのでちょっと贅沢にプレミアムなビール、そしてペーパードリップのコーヒー。今日は五人前を用意して、あっというまにいただきますのお時間でしたと。


 こういう一日の献立を考えるのがなかなか面白い。金銭面は一人当たり月二万計上出来るから、スーパーの特売で献立左右ってこともないしね。商店街の人たちに顔覚えられるくらいにはマメに通うようになったし。店主さんおすすめのいいとこ、を買ってから献立を組立出すのがマイブーム。


 自力で思いつかない場合はネットの料理パッドからレシピを拝借、たまに想像もつかなかったファンタスティックなレシピがあって感動する。僕もいつか、作ってみました。というコメントと写真が百を越えるような名料理レシピを作成してみたいなぁ。


 そうそう、食べれないものに関しては考慮するけど、献立に関しては独裁で行ってたり。栄養バランスを考えながらリクエストに応えているとまともな料理なんて出来っこないもん。


 後は月末慰労祭とか適当に名付けた、余剰金を使い尽くしての贅沢メニュー会。今月は仕事締めが二十八日だったのでそれに合わせて開催したのね。


 いや要するに返金が面倒臭いんですよ、二万円から一人一人材料費さっ引いて、余った金額返金するのが結構細かくて嫌になったので、返金額総合計を月末に使いきるというもの。


 普段は間違ってもやらない、テンダーロインステーキとかが出るので思った以上にウケがよかったり。


 乱暴で不遜な物言いしていいなら、これお国による国民の三大義務の一つと変わらない行為なんだよね。


 で、そのお国様が、年に一度年末調整という形で取りすぎた分を還付してくれるというイベント。


 大ざっぱに取り立てた尻拭いを申請者だけに格別の慈悲を以て行うという態度が、上が間違ってるわけないんだから、間違ってるのは下に大決定! という水と責任は低きに流れるを地で行く東洋の神秘っぷりに涙していたんだけど、いざ実際自分が高い方の立ち位置になってみると、途端面倒で投げ出してしまったというね。


 どうやら僕ってば権力を持ってはいけない手合いみたい。調味料からの料理の件といい、ちょっと遡って言えば百六十七センチからのバルサン投下行為といい、寮での共同生活を始めてから新たな自分の側面って奴を発見しっぱなしみたいだ。


 そしてそのいずれも、出来れば死ぬまで知りたくなかった一面。というね、なんだか我が事ながら泣けてくるんですけど……。


 なんだろう、当たり前の事いって悪いんだけど、寮生活で学ぶべきは、共同生活による他人との連携の素晴らしさを再認識すること。だよね? 一人の方が気楽に回る。なんて寂しい事を再認識するためのもんじゃないよね?


 そんな感じで自分と人生について考えながら、お高級なステーキ肉ををひたすら叩いて柔らかくしたものに塩をまぶして水気を切っておき、煙が出るまで熱したフライパンにガーリックを入れて香りが出たら一旦取り出しておいて、肉に胡椒をかけて強火で焼き上げ、あっさり完成。


 残った肉汁の上にご飯を投入して切るように炒めつつ、先程のガーリックを混ぜあわせ、醤油で香りづけしつつ、胡椒、塩を適量いれて味を整えたらパセリで彩りを加えガーリックライス完成。あくまでもステーキの引き算役なので味付けは薄めにするのがポイント。


 付け合わせに冷蔵庫の余り野菜である玉ねぎ、キャベツ、人参を刻んで、八百くらいの水と野菜ブイヨン二個と一緒に一煮立ち。合間にトマトの皮をむいておいて、スープに浮かんだ野菜の灰汁抜きをしてからトマトを投入して、醤油で味を調節しつつ少量の砂糖で味にふくらみを。マメにあくをとりつつ軽く煮込み、最後に塩で味を引き締めて完成。


 やはりシンプルなステーキにはシンプルなガーリックライスと野菜コンソメが最高に合うと思うわけですよ。ステーキのソースには余った玉ねぎを刻んで炒めたものにポン酢を合わせたものと、幽霊にもよしな気がする伝統塩の二種用意。


 いやね、初めて知ったんだけど、高い肉に高い塩を合わせるともうなにも言うことがないくらいおいしい。うっかり微笑みっぱなしになっちゃうくらいにはね。


 歴史に残る聖人君子様の、全てを赦し受け入れるあのビッグな器、それが宿った気がするくらいなんでも笑って許せる気がするのね。


 まぁ目の前でもう一度百六十七センチ飛ばされたら、やっぱりもう一度バルサンを準備しちゃうと思うんだけど。


 本来ならイケないお薬でもキめなきゃ味わえないようなイニシエーション的なナニカ、そんなものが輸入雑貨品店で普通に市販されてるという驚愕の事実。楽園は案外身近なところにあったんだ! 黄色いハンカチーフを大量に買い付ける金で幸せになれる方法があったんだ! と感動しきりでしたと。


 肉にはポン酢だった僕も途端に塩派に転向ですよ。高いもんがいいもんかは解らないけど、高いだけあるもんは確実にあると知ったこの頃でした。



 二十九日からは久しぶりに大学時代の友人たちと忘年会。結婚した子がいたり、社会の首輪を外して野良になった子がいたりで様々。僅か十ヶ月離れていただけで色々あるもんなんだねぇ、まぁ僕だって名前をそのまま呼ばれる身分から、バルサン呼ばわりされるようになってたんだから決して他人事じゃないんだけど。


 三十日は引き続き飲み明かして終了。どうでもいいんだけど、この時期に年を忘れる回数が固まりすぎな気がする。


 ほら、あれですよ、五月病。あの超大型連休明けにでも一度やって、それから夏の終わりにもやって、それから聖者が上から目線で大活躍する月と、年三回くらいバランスよく忘れていけばいいと思うわけですよ。


 そうすればほら、初夏の精神的貴族と民草的に考えての隣人トラブルや、秋の生物種的に考えての隣人トラブルとか、そういうね、なんだかみんな幸せになれなかった話を綺麗に忘れられるじゃない。忘れていけるじゃないですか!


 そんな素敵にメリットまみれなお話があるというのに現実には年末に固まって一斉に忘れろコールが来るわけですよ、そら先生も走り回るさ。なんですかあれですか、あのほら、それまでガラッガラだったコンビニに、一人入った途端急に四~五人が入店するあの現象。


 あれホントなんなんだろうね、遺伝子レベルでは殆ど差異のない僕たちだから、たき火にすい寄せられる蛾の如く、深夜のフランチャイズ小売にすい寄せられる事は決まっているのかな。こんなたかだか一世紀に満たない文化を本能に刻んでる暇があるなら、世界第一公用語を本能に刻み散らして欲しいんだけど、仕事で凄く役立ちますので。


 それともあれですか、天は人の上に人を作ってないから、上に登りつめる努力は自前で頑張れよと言った先生が印刷されているあれ。


 あれはもの凄い寒がり屋さんで、寂しい所からはすぐに出ていってみんなと一緒にいたがるらしいけど、それと同じ現象ですか。


 でも、おしくらまんじゅうでもやろうもんなら凄惨な事になるであろう数が集まっても、死んだり燃えたりしない所にあの寒がり屋さんの業が集約されていると思う。


 結局の所、人間があれの万能の力と永遠の命を信じている間は無敵が続くんだろうね。言ってしまえば紙やデータの一種だってのにさ。そんな狂気の信仰を中心に、理性と効率だけを追い求めた主義が人類を回しているのに、信仰を積み上げる人間が効率化によってどんどん置いてけぼりになってるヒドイ二律背反主義なのが気になる。


 開幕二百年くらいでトップの五%とそれ以外の差がそら恐ろしいものになったというのに、未だ衰え知らずで、批判から始まった革命主義の方が早くもカビが生えてる事が一番の狂気沙汰なのかもしれない……。


 時間泥棒がこの世の覇権を握っている間は、悲しきプロレタリアが絶える事もないかと思うと生きてるってなんだろうって考えちゃうよね。宇宙ステーションとか、第二の地球とかやっちゃう時代が来ても今と同じ主義のままなのか、それとも新たな変化があるのかって考えてるとワクワクする。


 そんな感じの年忘れでしたと。どうでもいいけど、毎年少しずつ開催日が早まっていってる気がするよね。物心ついた頃は聖夜祭の後くらいから開催だった気がするのに、今や師走入った途端に行われている気がしてならない。フランチャイズな二十四時間小売の中華まんが、霜月くらいからの販売だったのに、いつの間にか長月から販売されてるのと同じ匂いがする。


 うるう年、日、秒を見習って都度調整しようよ本当に。意図と意味が置き去りのまま会のための会になってる気がする。効率化を重視しすぎると全ての意味を見失いかねないし、結果的に商業化を損なっていくだけだと思うんだけどねぇ……。



 大晦日は予定通り実家に帰省。久方ぶりの自室の机にはなぜか大量のバルサンが!


 仕事の合間を縫って帰省している家族に対して、部屋の机に業務用バルサン六個セットとか置いておくのが我が家の家族愛なの? お望み通りみんなの部屋とか居間に寝静まってから投げ込んで差し上げましょうか!

 

 あと弟くん、僕がバルサン持ってそんな事考えてるとこを写メするのは禁止です。同じ大学入ったからって僕の後輩達に配布して回るのも禁止です。先輩命令だとしても禁止です。僕の方が先輩ですよ! 


 ほら、バルサン先輩そんなことしないって信じてたのにー。とか早速バルサン呼ばわりしてる上に顔文字と絵文字一杯のメールがきちゃいましたよ。返信に困って思わず悪ノリしちゃったじゃないですか。


 貴方の心にすまうダニを退治するため生まれてきたものです、いつでもお気軽にお呼び立てください。


 という文面と、失敗したビジュアルバンドみたいなお化粧と服装とポーズでバルサンを持ち、オプションとして口にバラをくわえた画像を添付して返信したら、ごく一部でバルサン王子とかいうもういっそ殺して欲しくなるあだ名がついたんですからね。


 二十四時間貴方の細やかなサポートのため、王子業務は弟くんに引継ました。引き続きバルサン王子二世の変わらぬご愛顧をよろしくお願い致します。


 という文面と共に、昔エアコン壊れた日に撮影した半裸写真を、フォトショップで危ないビジュアル系になるよう修正しまくってから添付しつつ、一斉送信してバルサン星人の仲間入りさせてもいいんですよ!


 さて大晦日の一大イベントたる年越しそばを妹さんが作ってくれたんだけど……。


 これは一体なんだろう、そばの上にクリームシチューが乗っかってる気がするんですけど。


 どうしよう、どうしたらいいのかな。出会ってしまった二人、みたいな感じのこの衝撃感。家や金で引き離された二人とか、一万千七百八十一キロを旅して身内に会う話みたいに、運命によって別れ、自らの意思で一つになろうとする話なら感動出来るのにこれはどうだろう。


 塩素系漂白剤と酸性薬剤の出会いほどじゃないけど、恐るべき破壊的な出会いだよこれは……。そばとつゆは普通の市販品で、シチューも多分名作劇場してたとこのレトルトだ。なんかその上から中華だしの素の味がするのが問題。和洋中でバランスとったつもりなんだろうけど、これがトドメになった破滅的なバランスの悪さ、そばに対してエグイ味わいなんて感想抱く羽目になるなんて想像すらつかなかった。人生って不思議なものですね。


 なにより一番怖いのは、これほどの劇物を作っておきながら、ちょっと失敗したかも。というコメントだった妹さんですよ! 伊達にスイカ大福をおいしいと言ってのけただけはある。というかもうここまで来るとむしろ妹さんの、世紀の大失敗作。を食べてみたいという気持ちすら沸き上がってくるから困る。


 こう見えても僕は長男でありお兄ちゃんなわけでありまして、これまでの人生で弟くんや妹さんに対していいお兄ちゃんだった訳なんですよ。


 お兄ちゃんだから仕方ない。という役割が好きで好きで、大抵の事はそれだけで許容出来るんですよ。


 十歳の頃、組み上げブロックで公園を作って遊んでいた時も、僕としては町そのものの脳内設定を創り上げて、その町内の真ん中にある自然公園みたいな設定で、広さ重視の憩いの場を作ってたことがあったのね。すると途中で弟くんと妹さんも参加したがって、各自好きなものを作る事になったんですよ。予めここはこういう公園だから。みたいな説明はしたにも関わらず、弟くんが組んだものは戦闘機、妹さんはケーキ屋というもうねもうねな状況。


 聞いてたかな僕の話、自然公園ですよここは! 野球が出来ちゃうくらいのどかで広々したとこだって言ったじゃない。うなずいたじゃないですか! なんで? なんで真ん中に戦闘機が出来てるの? なんで入り口をケーキ屋さんが占拠してるの?


 先の大戦時に町を救った英雄機だよって言われても本気で困る。野球もサッカーも出来なくなるじゃん! そりゃ英雄に感謝はしなきゃいけないだろうけど、それは自主的にすべきものじゃん。これじゃ子供に不満が出るだけだよ、英雄だって嬉しくなかろうに! 誰が得するのさその設定!


 憩いの場っていうからやっぱりケーキがいるかなと思ってって言われてもダメだって。なんで現地調達する話になるの? 君が今まで参加した遠足やピクニックは現地調達なんてサバイバリングシステムを採用していましたか? しかもなんで入り口だよ! あれか、入場料代わりか! 安くても一個三百五十円はするケーキが入場料ってどんだけ子供の敵なのさその設定! 


 そんなカオスな自然公園にされても僕は怒らずに一緒に遊んでましたよ、戦闘機は親子連れで乗り込んで遊んだり記念撮影するものとして、父親が子供より熱心に乗ろうとして母親に怒られてる感じに。


 ケーキ屋はオープンカフェのようにして、少し疲れた親御さんたちの憩いの場に。


 そんな素晴らしいフォローアップスキルと大きな器を持つ僕でもこれはさすがに説教した。大学入学して、実家出る前日以来久しぶりに正座しながらの会話ですよ!


 昔から伝わる有名なアメリカンジョークの一つに数学者と統計学者と会計士の面接の奴があるんだけど。一足す一は幾つになるか? という質問に対して、数学者が間違いなく二になります。統計学者が九十九%の人が二と答えます。そして会計士が面接官の隣に座って、幾つにしたいんですか? と答えるもの。料理はこれの会計士のように行って欲しい、単純に足していけばおいしさが積もっていくような数学の足し算とは違うんですよ! おいしいものを作りたいなら最初と最後の明確なビジョンを持って、どうすればそうなるかを試行錯誤していくものなんだから、ただなんとなく作るんじゃなくてまずは先人の知恵から学んでいくべきなんだよ妹さん。


 どっちも好物だったから一緒にしちゃえと思って。

 

 なんだろう、言葉ってこんなに無力でしたっけ神様。大事なこと、言葉にして伝えてるのに受け取る意志が感じられない場合ってどうすればよかったんですっけ。話せば解るってよく言うけど、それは予め同程度の価値観と倫理観と常識があって、説得を行う、受け入れる、モチベーションを維持していられる場合のみですよね。


 それって軽く奇跡の領域に達した難易度の話だと思うんだけど、それを道徳の基本起点にするのは本当どうなんだろう。奇跡は起きないから本に載っちゃう難儀な事態になってるんじゃないんですか?


 そんな感じで僕の怒りだとか、妹さんのおいしくなると思った独自理論だとかは、お互いの価値観と倫理観と常識の乖離が酷すぎて解り合えませんでしたと。遺伝子レベルでこれ程近しい生物なのにここまで解り合えないんじゃ、この世から争いがなくならないのは当然の摂理だなと逃避するのが精一杯でした。


 両親を説得して料理教室に放り込む前に、まずは亜鉛サプリを食事に仕込むところから始めないとダメかな……。



 肌に突き刺さるような寒さと、それに呼応するかのように縮まり身を寄せあう生物の生き抜く力を感じる日の一ページでしたと。


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