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地球の果ての島の物語  作者: 亜滝紅羽
志賀夏椎編
1/29

プロローグ0

(ある老婆の独白)


 あぁ、私はなんて愚かだったのかしら。

 

 ひとり山岳を歩きながら、私は星の煌めく美しい夜空に包まれる。

 行く宛もない。家族だった者達には先程別れを告げられた。

 最後のドライブは重い沈黙に包まれていた。その思い出がより一層山の静けさを際立たせる。

 草木がさざめいて、どこからか獣の呻き声が聴こえる。

 フクロウが呼んでいる。死へと誘う道無き道を歩きながら、私はゆっくりと膝から崩れ落ちた。


 思えば始めから家族には疎まれていた。


 7人兄弟の4番目に生まれ、充分な食べ物も与えられずずっと痩せっぽっちだった身体。

 女としての魅力もなく、兄弟のように世の中へ食らいつくだけの学もなく。

 それでも自分ひとり生きていくには充分な稼ぎは得られていた。それを、末の妹に必ず返すからと根こそぎ奪われたのが事の発端だった。

 妹はその金を持って、男と共にどこかの国へ旅立ったと言う。

 私には器量も度量もなかった。騙されたと気付いたのが、甥や姪に散々責め立てられた後だったのもきっと悪かったんだわ。

 そうして、資産代わりに多額の保険がかけられた私は山へ打ち捨てられた。

 最後の言葉は「骨さえ残ればいい」と、たったそれだけ。

 

 誰からも愛されず、誰にも必要とされず、私の人生は一体なんの意味があったのかしら。


 湿った土の上へ膝を着いた私の頭上へ、水滴が落ちる。

 

 あぁ、獣が来た。食べられて死ぬなんて、そんなおぞましい罰を与えられるだけの何かを私はしたのでしょうか。


 私は瞳を閉じた。

 せめてひと思いに命を奪って欲しい。

 固く縮こまった私の身体を、誰かの手が包み込んだ。



 ★★★★★


 

(柚木)


愛敬(あいけい)!」

「合点!」


 滑り込むように白髪のばあちゃんの身体を抱き上げ、一旦空中で回転したあと石壁へ着地する。

 ばあちゃんが座り込んでいた地点で、ドン、と重い音が響く。俺が地面へ着地したと同時に、愛敬は銀色に煌めく身の丈近い剣身をそれの胴体へ突き立てていた。

 

 それは、異形の形をしていた。

 

 四つ足のピューマのような外観に、ぎょろりとした一つ目と裂けたような口を開いている。

 青黒い身体は毛の一本すら生えていない。異形は艶やかな四つ足を細かく動かし、胴体に乗り上げた愛敬へと腕を振りかぶった。

 愛敬は剣身を抜くと同時に跳躍する。くるりと鮮やかに身体を捩ると、異形の後ろ手に回り込んだ。


「ありゃ、消えないですね」


 のんびりとした口調で愛敬が首を傾げる。

 異形は唸りながら愛敬の方へ体を向けた。なんか怒ってそうな感じがする。痛覚あんのか分からないけど、刺されたのは嫌だったらしい。

 

「胴体に心臓ないんじゃねぇの?」

「そりゃあ、面白い相手ですねぇ!」


 異形が地面を踏んで跳んだのと、愛敬が剣身を振りかぶったのはほとんど同じだった。

 愛敬が異形の相手をしている間に、周囲へ気を配る。

 ここは住宅街のど真ん中だ。確かまだ夜の7時を回ったところで、人通りがないわけではない。

 コンクリートの地面が愛敬と異形の応戦で切り刻まれていく。人の家壊さないでくれよと願いながら、降ろすことが出来ないばあちゃんを抱えて俺は声を上げる。


「この辺に人が来ないよう見張っておいて!」


 空へ向かって放った声は、バサ、と無数の羽の音が応えてくれた。


「《ブライト・アロー》」


 愛敬は聞き慣れない言語を呪文のように唱えながら、聖剣と呼ばれる剣を眼前へ構える。

 聖剣の柄、中央に飾られた赤い宝石が鮮烈に光り、無数の光の矢が愛敬の背に浮き上がった。

 光の矢は一気に異形へ飛び交った。残滓すら残さず、黒い塵が空へ溶けていく。


「さすが元勇者」

「この程度おちゃのこさいさいですよ!それで、寄ってきた人喰いはアレ一体ですかね」

「追撃がないからそうだろうな。ばあちゃん、大丈夫だったか?」


 ばあちゃんをコンクリートの上へ下ろすと、少しふらつきながらもしっかりと両足で立ってくれた。

 怪我もなさそうだ。良かった。ちらりと石壁を見ると、傷跡はあるけど瓦礫にはなっていない。これも良かった。

 ばあちゃんはぽかんとしたまま固まっている。視線を俺で固定したまま動かないので、愛敬がばあちゃんの前で手をひらひらさせて注意を引こうとしている。


「香流くん、何かしました?」

「えっ、俺なんもしてないけど」

「どうでしょうねぇ。『老人堕としのC地区長』の名を欲しいままにしてる香流くんのことですからね。きっとなんかやらかしたんでしょ」

「だから、なんもしてねぇって」


 なんだその不名誉な通り名は。老人を落としたことなんかない。怪我させちゃうだろ。

 愛敬と言い合いしていると、ようやく視界の焦点が合ったようにばあちゃんは深いため息をついた。そのまま、ぺたんと地面に座り込んでしまう。


『ここはどこ⋯⋯?』


 珍しい。英語だ。

 か細い声で呟くばあちゃんの言葉は、ここに来る人間が良く発するものだ。

 俺はばあちゃんの前にしゃがみこんだ。その隣で、愛敬も同じようにしゃがみこむ。


「おばあちゃん、運が良かったですね。もう少しで香流くんが寝ちゃうところでしたよ」

「さすがにまだ起きてたよ」

「襲われたのは不運でしたけど、私達が来たからにはもう安心!ですよ!」


 どんと胸を叩いて愛敬がふふんと鼻を鳴らす。

 ばあちゃんは俺と愛敬を見比べて、ぽろりと涙を零した。

 俺はぎょっとする。どうすればいいのか分からず愛敬に助けを求めるけど、愛敬はすっと立ち上がって俺達に背を向けて歩き始めた。


「私日本語以外話せないので。ちゃんと慰めてあげてくださいね」

「お前、俺がそういうの苦手なの知ってるだろ!」

「知りませんよ。頑張ってください、お巡りさん」


 愛敬はひらひらと手を振って振り返りもせず歩いて行く。

 俺は何も言えず、黙って泣き続けるばあちゃんの手を引いて愛敬の後ろをついて行った。

 


 ★★★★★


 

(テナ・アレン)


 山の中にいたはずなのに、気が付けばコンクリートの上で女の子に抱えられていた。

 夜空のような短い黒髪の女の子と、若草色のボブカットの小さな女の子。ふたりの話す言語は、私の国では聞き慣れない言語だったの。

 水色の制服のような服を着て、時々ふたりで話して笑いあっている。仲がとても良いのね。私には終ぞ友達が出来なかったから、羨ましい限りだわ。

 

 黒髪の女の子に手を引かれて私が連れてこられたのは、建ち並ぶ建物の中でも一際大きな建物だった。

 自動ドアが開いて、中へ入ると役所の受付のような造りになっていたわ。もう既に薄暗くて、人は誰もいない。女の子達は受付の前を通り過ぎて、エレベーターの前で立ち止まった。

 上へ向かうボタンを押すと、エレベーターのドアが開く。


『もう危ないことはないから、安心していいぞ』


 黒髪の女の子が英語を話してくれた。

 私は少しほっとして、鈍色のエレベーターを見回す。


『こんな夜更けにごめんなさいね』

『夜更け?⋯⋯あぁそうか、時差があるからか』


 黒髪の女の子は何かを呟いた後、隣の若草色の女の子へ話しかけた。

 ふたりで何か話している間に、ポン、と電子音が鳴る。エレベーターのドアが開いて、ふたりが降りていくので私も後ろに続いたの。

 

 黒髪の女の子は、Cのアルファベットが入った部屋のドアを開く。中は長机とパソコンが備えられたオフィステーブル、本棚と壁際にパイプ椅子が立て掛けられていたわ。

 若草色の女の子がパイプ椅子を長机へつけて、私に向かって手招きしてくれる。

 私が椅子に座ると、黒髪の女の子が良く分からない飲み物をテーブルへ置いてくれる。緑色をした不思議な飲み物だけど、少し苦い風味が今の私には心地良かった。

 黒髪の女の子が、パイプ椅子を出して私の前に座った。若草色の女の子は手を振ってドアへ向かって歩いて行く。

 パタンとドアが閉まる音を聞いて、私は早鐘を打ち付ける心臓に促されるように口を開いた。


『あの、ここは⋯⋯?』

『警察庁だよ』


 警察。


 あぁ、なんてこと。最後に見た甥と姪の疎むような視線が胸に突き刺さるよう。

 

『私、保護されてしまったのね⋯⋯』


 私はこんな時だけ発揮されてしまった運の良さに、心底落胆した。

 生き残ってしまっては保険金は下りないだろう。甥や姪になんと詫びればいいのか。

 ふたりに責め立てられた怒号がまだ耳に残っている。

 

 簡単に騙されて。騙される方が悪いんだ。誰がお前の面倒なんか見るか。遺産があるから会いに来てやっていたのに。

 

 子どものように縮こまっていた自分は、何の反論も言えずに彼らの提案を受け入れることしか出来なかった。


『保護されたくなかったの?』

『⋯⋯本当はね、助かってはいけなかったのよ』


 私の呟いた声をかき消すように、背中で扉が開かれた。

 音のした方へ目線を向けると、若草色の女の子が誰かを連れて帰ってきたところだった。スーツを着た、金色の瞳を持つとても整った顔立ちの若い男の人は、私を見ると「ありゃあー」と小さく呟いた。

 その後、若草色の女の子と何かを話して、私の顔をまじまじと観察するように見下ろす。


『お姉さん、日本人じゃない?』


 日本人。そう言われて私は目を見開いた。


『私はカナダの出身よ』

『カナダ!えらく遠いとこから来たねぇ』

「⋯⋯かなぁだ?」

「愛敬さん、学校で習ったんじゃないの?」


 呆れたような顔も見蕩れるくらい精悍な顔立ちの彼は、私の前へ立膝を着く。

 まるで王子様みたい。こんな時なのに心臓が高鳴ってしまうのは、私が男の人に慣れていないせいかしら。

 

『そんなとこからここへ来るなんて、よっぽど理不尽な目に遭ったんだね』


 優しい声で言われて、またじわりと私の瞳に涙が浮かび上がる。


『この場所は現世と死後の世界の狭間の島だ。現世に弾かれた魂が稀に迷い込んでくるんだよ』

『死後の世界⋯。と言うことは私は死んだの?』

『いや、あくまで狭間だ。ちゃんと生きてる』


 金色の瞳の彼は、私の手を優しく握った。

 温かい。大きな手が優しかった父親を思い出させて、私の頬を涙が伝った。


『私は、死ななきゃならなかったの⋯⋯』


 私は震える声で言葉を紡ぐ。

 妹に騙されて借金をこさえたこと。家も売り払い帰る場所もないこと。多額の保険金をかけられて死んで来いと言われたこと。

 全て自分が悪いのだ。要領の悪い自分が悪かったのだ。

 だから、帰らなければ。帰って死ななければ。

 こんなところで保護されて、のうのうと温かいお茶を飲んでいる資格なんて、自分には―――


『死ななきゃならない人なんていないだろ』


 静かな声が私の耳に届いた。

 声のした方は、黒髪の女の子がいる場所からだった。涙も拭えず私が黒髪の女の子へ目を向けると、彼女は袖で私の涙を拭って、真っ直ぐに私を見つめる。


 なんて綺麗な瞳なのかしら。


 澄んだ青と、柔らかな緑と、お日様のような橙が入り交じった美しい宝石のような瞳。


 まるで吸い込まれるような危うさを含んだその瞳が、柔らかに細められる。私は、ドキリと胸が疼くのを感じた。


『頑張ってここまで生きてきたんだから、ばあちゃんはそれだけですごいんだよ』


 優しく抱かれるように、言葉が紡がれる。

 胸がじんわりと溶けていくよう。温かくて、苦しくて、胸の奥の澱みが少しずつ澄み渡っていく。

 

『ばあちゃんは優しいんだよ。自分を責める気持ちも分かるけど、他人に生死を決める権利なんてないんだから。生きたいか死にたいかはばあちゃんが決めていいんだよ』

『そうそう。それにね、騙す方が悪いんだよ。とんだ責任転嫁に巻き込まれたね』


 黒髪の女の子に続くように、金色の瞳の彼がぽんぽんと私の頭を優しく撫でた。

 

 私は、静かにその言葉を受け入れる。

 

 ただ、歳を重ねただけだと思っていた。

 良いことも悪いこともなかった。愛し愛されることもなかった。誰かの役に立てたかどうかすら怪しいそんな私の人生。


 それでも、生きてきた。


 逃げなかった。楽しんでいた。一生懸命働いて、週末に音楽を聴きながら刺繍をするのが何より幸せな時間だった。

 

 私の人生は意味があったのかしらなんて。


 そんなことを思うほど、価値のない人生だったのかもしれないけれど。


『私、まだ生きたかった⋯⋯』


 死の間際にすら諦めていた私の人生は、思い返せば確かに温かな時間もあった。

 

 あぁ、私、まだ死にたくなかったのね。


 そう思えた自分の人生に、老婆は安堵した。


『ばあちゃん、元気なんだからまだまだ生きられるだろ。死ななきゃならないなんてもう言うなよ』

『でも⋯私にはどこへも帰る場所がないわ』

『それならここに住めばいいよ。傷付いた魂を受け入れるのもこの島の役割のひとつだからね。―――ただし、度肝を抜かれるかもしれないけど』


 金色の瞳の彼が、惚れ惚れするような笑みを浮かべる。

 そう言えば金色の瞳の彼は私が日本人じゃないと驚いていた。彼の言うことを察するに、ここは日本に近しい場所なのかしら。

 カナダ人の自分からすれば、確かに日本については明るくはない。

 それでも、行く宛てのない自分を受け入れて、ここに住めばいいと言ってくれるなら。


『大丈夫、伊達に長生きしてないもの。多少のことには驚かないわ』


 ふふ、と笑いながら私は涙を拭った。

 金色の瞳の彼は、静かに頷くと(ひざまず)いたまま私の手を取った。


『もうあちらへは帰れなくなるかもしれないけど、いいかな?』

『ええ、構わないわ』

『なら歓迎しよう。現世で報われなかった魂が、この島で穏やかな死を迎えられますように』


 金色の瞳の彼は、私の手首に歯を突き立てた。

 瞬間、頭の上からつま先まで燃えるような熱が駆け巡る。その熱は噛み跡へと集約し、金色の奇妙な模様を描くと体内へと吸収されていった。


『あら⋯⋯なぁに?』

『ここで君が悪い男に喰われないための措置だよ、お嬢さん』

『まぁ』


 私は堪えきれず、声をあげて笑った。

 こんなに若くて格好いい男の人にお嬢さんと言ってもらえるなんて。長生きはするものね。


「愛敬、お嬢さんを空いている部屋へ案内してあげてくれ」

「はぁーい。香流くん、おばあちゃんに何か食べるものくらい用意してあげたらどうです?ついでに私にも!」

「はいはい。後で持ってけばいいんだろ」


 何か話しながら、若草色の女の子はニコニコと笑みを携えている。その笑顔のまま、私の前に立って小さな手を差し出してくれた。


「ようこそ、私達の島へ!あなたの人生まだまだこれからですよ!」


 何を言っているのかは分からないけれど、歓迎してくれていることは私にだって理解できる。

 私は若草色の女の子の手を取って、出来る限りの満面の笑みで応えた。

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