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第1章 無能の花嫁

夫となる貴方に初めて言われたのは、この婚姻に愛はないということ。


だから互いに必要としないこと。


政略結婚の私たちにとって愛はない、そんなことわかっていた。

でもたった一度でいい──私は貴方に必要とされたかった。


今日も私こと神堂真白(しんどうましろ)は屋敷の離れの自室で縫物をしている。


主に縫うのは結婚してから一度しか会ったことのない旦那様の着物とシャツだ。


「……いつ着て頂けるかもわからないけど」


でも“無能モノ”である私にとってできることは縫物や炊事、屋敷内を掃除することくらいだ。


「痛……っ」


また考えても仕方ないことを考えていたからかもしれない。わずかな痛みに目をやれば人差し指の腹から真っ赤な血が滲んでいた。

そっと口に含み止血をしながら顔を上に向ける。


空は雲一つなく晴れ渡っており、目の前には枯山水が広がっていて桜が美しく咲き乱れている。

しかし、こんなに美しい景色を観ても心は微塵も動かない。


(……間もなく半年ね)


私が旦那様である神堂千隼(ちはや)と過ごしたのはたった一日だけ。

言葉を交わしたのも一度だけ。



彼は我が倭帝國(やまとていこく)において誰もが知る最強の鬼狩り師であり、帝都の最高軍事機関『極楽隊(ごくらくたい)』の若き隊長だ。


代々神堂家に伝わる炎の力を宿す宝刀を操り、彼が赤い瞳を持つことから人々は“烈火の神”と呼ぶ。


私たちが結婚したのは半年前のこと。

婚姻の儀の翌日に帝都に鬼の襲撃があり、彼は皇帝からの命を受け鬼の討伐に向かった。


「……千隼様はご無事かしら……」


ぽつりと呟いた言葉はすぐに春風に攫われていき、静かな空間に身を任せれば、あの日の夜を嫌でも思い出してしまう。


──『この結婚に愛はない。よって互いに必要とすることもない』


初夜の夜、妻となって彼に初めてかけられた言葉はそれだった。


彼が寝所に入ってきたときは緊張から身を縮こませていた私だったが、彼から突きつけられた言葉にすぐに心臓がひやりとした。

どこにいっても誰にも必要とされない。

夫に身体すら必要とされない自分がみじめで仕方なかった。


ここでも私は誰にも、なにひとつ必要とされない“無能モノ”、そう思った。




私の生家である一之宮(いちのみや)家はこの國で由緒ある家門であり、古来より“浄化”の力を操ることができる。

“浄化”の力を操れる家門は決まっており、その中でもトップに君臨するのが一之宮家だった。 


鬼狩り討伐の際に鬼狩り師が受けた瘴気(しょうき)を癒すことができるのは“浄化師(じょうかし)”のみ。

また鬼討伐の際、鬼の残骸によって汚れた土地を浄化することができるのも“浄化師”であることから、古より特別な存在として扱われ、家門は繁栄の一途をたどってきた。


そんな一之宮家に翳を落とした存在が“無能モノ”と呼ばれる私だ。

一之宮家の一人娘として期待されて育ち、毎日五時間に及ぶ座禅で集中力を養い、どこに出しても恥ずかしくないよう高い教養を身に着けることも義務付けられ自由な時間など皆無だった。


それでも母のように立派な“浄化師”となるべく一生懸命に稽古を続けた。


しかし力が目覚めるはずの六歳を過ぎても、私に“浄化”の力が目覚めることはなかった。


私に愛想をつかした父は、母の死をキッカケに姪を養子に迎えると、その子ばかり可愛がった。


周りの人々は能力のない私を腫物のようにを扱うようになり、やがて“無能モノ”と陰口をたたき冷遇するようになった。



──『大丈夫。必ず真白を必要としてくれる人が現れるから。それまで前を向いて生きるのよ』


そう言って私をいつも気にかけてくれたのは母だったが、そんな母は私が七つになって間も無く病気で亡くなった。


「お母様……、私はやっぱり誰にも必要とされないようです」


一度でいい。それもたった一度でいいから誰かに必要にされたい。


生まれた意味が欲しい。


それはそんなに欲張った思いなのだろうか。

私が“無能モノ”と知った上で千隼様との縁談が決まったと聞いたとき、ほんの少し期待した。


力がなくとも子供に恵まれ、その子に力が宿れば、こんな私でもこの世に生まれてきた意味になる、そう思った。


けれどそんな小さな期待は初夜の夜に打ち砕かれてしまった。

千隼様は私に触れることもなく、冷たい言葉を残して部屋を出て行ってしまったから。


「……占者に決められた政略結婚だったのに、何を期待していたのかしら…。“無能モノ”の私じゃ千隼様から見向きもされなくて当然よ」


神堂家に嫁いでから下女たちが話しているのを聞いて知ったのだが、私たちの結婚はただの政略結婚ではなく、占者によって決められたものだったのだ。


神堂家の前当主であり今は亡き神堂利親(としちか)は有能な鬼狩り師だったが、一年前に病に倒れた。


余命幾ばくないことを悟った利親は次期当主の千隼様の後ろ盾となりまた家門のさらなる繁栄のため、國で有数の占者に息子の結婚相手を占わせたのだ。


偶然にもそれが私だった。

そう“無能モノ”の私に本来縁談など来るはずもなく、神堂家からしてもまさか“無能モノ”の嫁を娶ることになるなど予想外だっただろう。


どこにいても私は一生“無能モノ”。


誰にも必要とされることもなく、まして愛されることもない。ただ命が終わるのをこの離れで終えるのを待つだけだ。


「……寂しい、人生ね」


もう泣かないと何度心に誓っても、弱い私はすぐに涙が溢れそうになる。


ぐっと喉に押し込めば、渡り廊下の方から足音が聞こえてくる。


(あの足音は……)


私はすぐに襖の方に向かって正座をした。

──バンッ!


乱暴に襖が開けられると赤地に牡丹模様の着物を纏った女性が入ってくる。


「ごきげんよう、“無能モノ”の真白さん」


栗色のウェーブかかった髪に鼻筋は通り、長いまつげと大きな目元が印象的で誰もが振り返る美人。


彼女の名前は光小路彩芽(ひかりこうじあやめ)。古来より一之宮家に匹敵する浄化の力を操る、浄化師の名門、光小路家の長女で千隼様の幼馴染だ。


彼女の浄化の能力は帝國随一と言われており、人々からは“癒しの光姫(ひかりひめ)”と呼ばれ尊ばれている。


「彩芽様、おはようございます」


「はぁ、相変わらず瘴気並みに陰気臭い空気が漂う部屋ね」


彼女はそのまま私の椅子に断りもなく座ると、いつものように人差し指で催促する。


「お茶淹れて。この離れ遠くって喉乾いたわ」


「はい、少々お待ちください」


私はすぐに立ち上がり急須にお湯を注ぎ入れる。彩芽様は髪を指先でくるくると弄りながら、欠伸をする。


「ふぁあ。疲れた。すぐそこでまた鬼が出たのよ」


「そう、なんですね……」


下女からも冷遇されている私に外の情報は全く入ってこない。


「あとで肩も揉んで頂戴、それから足湯もしたいわ」


「承知致しました」


鬼が出れば鬼狩りが狩り、狩れば必ず瘴気が発生する。“浄化師”である彩芽様はその都度、鬼狩りを終えた鬼狩り師たちが浴びた瘴気を浄化し、また鬼の血で汚れた地面を浄化している。


「誰かさんが無能モノのせいでこのあたしが朝から晩まで浄化しなきゃならないなんて、ほんと最悪~」


「申し訳ございません……」


「ほんとにそう思ってるの?」


「はい……」


「じゃあいつもの言ってよ」


私はぐっと奥歯を噛み締めてから、その言葉を口にする。


「“無能モノ”の私がこうして今日も暮らせているのは彩芽様のお陰です」


「あはは。いいわね、その通り」


いつも彩芽様の私への風当たりは強い。でも仕方ない。彩芽様の仰ることは最もだからだ。無能な私のせいで彩芽様は毎日、浄化のために身を粉にして勤めを果たされているというのに、私は一日中屋敷で掃除や縫い物をしているだけ。


千隼様は帝都へ向かわれる際、自身が長を務める鬼狩り部隊“極楽隊”の隊員の半分を街の防衛にと残していかれた。また彩芽様に隊員たちの瘴気の浄化と土地の浄化を直々に頼んでから帝都に向かわれたそうだ。


「本来、浄化はアンタの仕事なんだからね」


「申し訳ございません」


俯かないようにしようと思っても、視線は勝手に下を向いてしまう。


「それにしても本当に千隼様がお気の毒だわ。ボンクラの占者のせいであたしとの婚姻が破談になったんだもの」


そう、彩芽様は千隼様と幼馴染であり気心知れた仲。また二人の優れた能力から婚姻を後押しする声は内外共に多かったと言う。


「……申し訳ございません」


「はぁ? あんた馬鹿なの? そればっか聞き飽きたんだけど。謝るくらいなら千隼様が帰ってくる前にさっさと出て行きなさいよっ」


向けられている激しい嫌悪を秘めた目に身体が硬直する。


「出ていく、とは……?」

「鈍いわね。世間体もあるし、なんせあのお優しい千隼様が離縁なんてできるわけないじゃない。だからあんたが離縁状を置いて今のうちに出ていくの!」


「そんな、こと……」


ぎゅっと唇をかみしめる。


「“無能モノ”が初夜もなく放置されて、それでも千隼様の妻の座にしがみついて恥ずかしくないの?! さっさと実家に帰りなさいよ!」


(実家……)


父には嫁ぐ前に言われている。離縁されたとしても帰ってくるなと。確かに“無能モノ”の上、離縁され、表面上は傷物となって戻ってくるなど恥の上塗りしかない。


しかしここを出て実家に帰ることもできない私にはどこにも行く場所なんてない。


「あ、いいこと思いついちゃった。離縁しなくていいわ」


「……え?」


彩芽様が私の耳元に真っ赤な紅をひいた唇で耳打ちする。


「いっそ死んでよ。生きる価値のない“無能モノ”」


「──っ」


正直、死んだ方がラクなのかもしれない。


けれど私はまだ千隼様に何もしてさしあげれていない。


こんな“無能モノ”と知ってもこの結婚を破談にしなかったお慈悲に報いたい。せめて何か一つでいいからお役に立ってから死にたい。


私は震えそうになる身体を両腕で押さえつけると、まつ毛を上に向けた。



「……私は確かに“無能モノ”でございます。千隼様にして差し上げられることがあるのかわかりません。ですがまだやり残したことがございます。それを終えれば出ていきますので……どうか待っていただけないでしょうか?」

「はぁあ?! やり残したことって何よ!」


「……たった一度でいいんです。千隼様の妻として……お役に立ちたいのです」


妻と言った言葉が気に障ったのかもしれない。彩芽様の美しい顔は夜叉のように恐ろしくなり紅を塗った唇はわなわなと震えだす。


「厚かましいにもほどがあるわ! この無能モノ!!」


「……きゃっ」


ぶたれる──咄嗟にぎゅっと目を瞑って身を屈めた。しかし痛みはやってこない。


「──なにしてる」


(!!)


低くそれでいて凛としたその声色は確かに聞き覚えがあった。

目を開ければ、軍服に身を包んだ千隼様が彩芽様の手首を掴み上げていた。


「千隼、様……?」


(千隼様が……どうしてお屋敷に)


突然現れた千隼様に私同様、彩芽様も大きな目を見開いている。


「あら……ち、千隼様、どうしてこちらに?」


「任務が早めに終わったんだ。真白に用があったため裏口からきたが、一体何をやっているんだ?」


「そ、そそれは、あの」


「真白に何をしようとしてた?」


千隼様は彩芽様の手首にさらにぐっと力を込めると、鋭い視線を向ける。


「そんな怖い顔なさらないでくださぁい」


「早く言うんだ。真白になにしようとした?」


「それは、ま、真白さんの髪にハエがいたので払ってさしあげようと」


「ハエだと?」


「ねぇ、そうよね? 真白さん」


ぶたれそうになったと答えたところで、誰が無能モノの私を信じるだろうか。

千隼様の切れ長の赤い瞳が確認するように彩芽様から私に移される。私は拳で着物をぎゅっと握りしめた。


「……はい、そうでございます」


「そうか」


ようやく手首を離した千隼様に、今度は彩芽様が媚びるように上目遣いで見つめる。


「千隼様の気迫でハエも恐れをなして逃げちゃったようですね~」


「……」


「あ、そういえば帝都の鬼は大丈夫でしたの?」


「ああ、問題ない」


「さすが“烈火の神”ですわ。でも瘴気は大丈夫ですの? いまから私が浄化を……」


「その必要はない。戻る前に帝都で浄化してもらった」


「さ、左様ですか。では留守の間、浄化を頑張ったご褒美に、彩芽をお食事に連れてってくださいませ~」


彩芽様が甘えた口調で背の高い千隼様を見上げる。

するりと白い綺麗な指先が千隼様の腕に触れようとして、その指先は千隼様の大きな手で払いのけられる。

「俺は結婚してるんだぞ。妻でもないお前が気安く触れるな」


「な……っ」


「それと浄化の件はご苦労だった。では悪いが早く真白と二人きりにしてくれ」


(え?)


二人の傍で下女のように一歩後ろに下がって、顔を畳に向けていた私ははっと顔を上げた。

話の流れから彩芽様とおでかけになられるかと思っていた私はその言葉に内心戸惑う。


「無能……じゃなくて真白さんと? 一体なんのお話ですの?」


彩芽様の手が再び千隼様の肩に触れた時だった。その手を雑に振り払うと、千隼様は冷たい眼差しを彼女に向けた。


「夫婦の話だ。彩芽には関係ない」


「……っ」


「早く出て行ってくれ」


彩芽様は顔を真っ赤にするとすぐに部屋から出ていった。二人きりになった私はすぐに千隼様の足元に膝をついた。


「旦那様、お勤めご苦労様でした。無事のご帰還、心から嬉しく思います」


「……顔を上げろ。堅苦しいことをしなくていい」


「でも……」


「それより、言っただろう。真白に話がある」


千隼様は制帽をとると脇に抱え、私の目の前に腰を下ろした。


「真白、あと三か月でお前を自由にする」


「え……? それは、どういう意味でしょうか?

心臓が嫌な音を立てる。千隼様の綺麗な赤色の瞳が私をその双眸に移したまま、静かに唇を開いた。


「俺たち離縁しよう」


「──え?」


思っても見ない言葉に、全身が凍り付いて息ができない。まだたった一日しか一緒に過ごしていないにも関わらず離縁を突き付けられるほどなにか粗相をしてしまったのだろうか。それとも政略結婚で一度は受け入れたがやはり“無能モノ”の妻など恥だと感じさせてしまったのだろうか。


「……理由を聞いても宜しいしょうか?」


情けないほどに震えかすれた声だった。


「……悪いが言えない」


「私が浄化師ではないからでしょうか」


「違う。真白のせいじゃない」


「ならばどうして……?」


赤い瞳を一瞬視線を揺らしたように見えたが、そのまま黙って部屋から出ていった。


※※


千隼様に離縁を告げられ、食事はもちろん喉を通らなかった。そこで私は自分用に作った夕餉をタイミングよくやってきた野良狐のマルにあげたのだ。


「きゅーん」


「マル、お前はいい子ね。良くお食べ」


マルとの出会いはこの嫁いできてすぐのことだった。ひどく衰弱して縁側の下で蹲っているところを見つけた私は放っておけず、自分の部屋の押入れにかくまって看病したのだ。


一か月ほどで元気になったマルは山に戻ったようなのだが、その後も時折私に会いにくるようになった。

ちなみにマルと言う名は真っ黒の毛並みに額に丸いお月様のような模様があることからそう名付けた。


「おいしい?」


「きゅ」


「無駄にならなくてよかったわ」


屋敷には千隼様の方針で下女は数人しかいない。その下女たちも旦那様に見向きもされていない“無能モノ”の私を蔑んでいるため、食事は自分で作っている。


マルは気分屋で、毎食来ることもあれば三日にふらりとやってくることもあるのだが今日は本当にタイミングが良かった。

とてもじゃないが離縁を突きつけられて食事ができるほど、太い神経は持ち合わせていない。


「今日はお魚じゃないけど、これはこれでたまにはいいでしょう」


「きゅぅ~」


マルが食べやすいようにみそ汁に浸した白米を差し出すと、マルは小さな口を上下させながらあっという間に平らげていく。

「ねぇマル……私、三か月経ったらここを出ていかなくてはいけないの」


マルは小さな手で毛づくろいをしながら、私の言葉に耳を傾けるかのように三角の耳をピンと伸ばす。


「だから三か月経ったら、もうここには来てはだめよ」


この屋敷を出入りしている彩芽様は大の狐嫌いなのだ。

彩芽様だけではない。この世界で狐は鬼の使いとされており、忌み嫌われている。


初めてマルを見た時、その存在が自分と重なった。生まれながらにその存在を否定される私とマル。


「もし、誰かに見つかれば……きっとひどい目にあわされるから」


今までは誰かに見られる前にマルを隠したり逃がしたりしていたが、今後私がいなくなれば食事を求めてここにやってきて見つかるのは時間の問題だ。


ぴょんと私の膝にのり、愛らしい眼差しを向けるマルの小さな額を撫でてやる。


「わかった? マル?」


「きゅううん」


マルは甘えるように額を手に摺り寄せてくる。


「私が狐の言葉を話せたらいいのだけど」


その言葉にマルが顔を上げると私をじっと見つめた。


「……きゅ……わかってる、きゅ」


「え?」

驚いた私を見ながら、膝の上のマルは大きな目を三日月のように細める。


「えっと……私ったら、離縁されることに動揺して空耳まで……」


「真白、違うきゅ」


「い、いま……真白って……」


マルは膝から降りると、私の横にちょこんと座り、得意げに鼻を鳴らした。


(われ)が、人間の言葉を話せるようになったのは、真白のお陰きゅう」


「嘘……、マルしゃべれるの?!」


「やっと……我は言葉を取り戻したきゅう」


「そ、れはどういう……」


「今はゆっくりはなせないきゅ。我は、行くとこがあるきゅう」


マルは身軽に弧を描いて縁側に降り立つと、長いしっぽを一振りする。


「真白、助けになるきゅう。アイツが……千隼が死んでしまうまえに」


「え……?! そ、それはどういう意味なの……?」


その時、夜風がびゅうっと強く吹き抜けていく。


目を開けるとすでにマルの姿はなく、夜空には満月が煌々と静かに輝いていた。




※※


「……う……っ、予想以上に早いな……」


今宵は満月、満月の夜は特に体中が痛む。


「く……っ、この身体がわずかというのは本当らしいな」


俺は痛みから無意識に握っていた着物の合わせから手を離すと、針を刺すように痛む胸元を姿見に移す。そこには黒いまだら模様が肌に浮かび上がっている。


「首元に鬼紋(きもん)が出るのも時間の問題だな」


鬼紋とはわが神堂家にかけられた古からの呪いの象徴だ。


もう何千年も前の大戦で、初代神堂家当主は鬼の頭である“鬼童子(おにどうじ)”の封印に成功した。

しかし強力な力をもつ鬼童子を永久に封じることは難しく、初代当主がかけた封印は永久的な効力をもつものではなかった。


それに気づいた鬼童子は封印される際、神堂家に呪いをかけた。その呪いは、封印が解ける代に生まれた神堂家の男子は短命であるというもの。


いつか封印が綻び解け、鬼童子が復活する際、もう二度と封印されないように我が一族にかけられた呪い。


俺は生まれてしばらくしてから、この鬼紋に冒されていることを知った。


生前、父が血眼になって國中の薬師に俺を診せたが、どの医者も首を横に振り治療の術はなかった。

父が藁にもすがる思いで、有名な占者に俺の未来を占ってもらったところ、一之宮家の娘が俺の救いになると言われたことから、表向きは政略結婚として妻に娶ることになった。


正直、初めはこの結婚を断ろうと思った。鬼紋に冒され短い寿命である俺に嫁がされる女が気の毒だと思ったのと、愛のない結婚に興味もなかったから。


ただ結納で初めて真白に会ったとき、その考えは変わった。生まれてはじめて欲がでた。

ほんの少しの間でもいい。

彼女を俺の妻にしたかった。


それは結納の際、真白を見た時すぐに気付いたからだ。


彼女は俺の──。


「うっ! くぅ……っ!!」


ヤケドのように熱く身体中の鬼紋に激痛が走る。立っていることもままならず、刀を手繰り寄せると畳に突き立て膝を着いた。


呼吸が浅く、苦しい。その時だった。


「──千隼様、真白でございます」


(!)


顔だけ振り返るが、激痛で声を発することができない。


「千隼様?」


「……あとに、しろ」


「あの、そのお声……どうかなさいましたか?」


「いいから下がれ!」


絞り出す様に言葉を発した俺は、痛みからついに身体から畳へと崩れ落ちた。


「千隼様っ」


倒れた音を聞き、襖が開いて真白が入ってくる。そして俺の前に膝を突くと息を呑むのがわかった。真白の双眸は俺の醜い鬼紋に向けられていた。


「……わかった、だろう……これは……毒のようなものだ、はやく出ていけ」


鬼紋は触れたものにも伝染すると言われている。

だからこそ亡き父も俺も、誰にも気付かれないようひた隠しにしてきた。屋敷に最低限の下女しかおかないのもそのせいだ。


表情をこわばらせ、小さく唇を震わせる真白に心臓が苦しくなる。


さぞかし俺が恐ろしく、気味悪いことだろう。

「ずっと……苦しまれていらっしゃったのですね」


「え?」


真白は白い華奢な手をこちらに伸ばす。


「な……にを」


真白はその手で俺の肩にそっと触れた。


(!)


彼女の予想外の行動に俺は目を見張ってから、慌てて突き放した。


「正気か?! 感染するぞ! 今すぐ手を洗え!」


「大丈夫です」


「何を言って……ぐっ……」


再び尋常ではない痛みが襲い、それを堪えるように俺は身を屈めた。


真白は再び手のひらで俺の肩にそっと触れる。


「大丈夫です。深呼吸をなさってください」


「……っ。やめろ……」


「離しません」


「ぐ……っ、真白、早く手を……っ」


「ずっと千隼様にお伝えしてないことがございます。私は生まれつき毒が効かない体質なのでございます」


「なんだ、と……?」


「毒が効かないなど、毒を操る鬼と同じで気味が悪いですよね。千隼様に……そう思われたくなくて……ひた隠しにしてまいりました……申し訳ございません」


真白の話に耳を傾け、彼女の手のひらの小さな熱を感じていれば、痛みは嘘のように和らいでいく。


俺は痛みが消えた身体をゆっくり起こすと、信じられない気持ちで真白を見つめた。

「……何をしたんだ?」


「え?」


「痛みが消えた。こんなこと初めてだ。いま俺の身体にその手でなにかしたのか?」


すぐに真白は俺から慌てて手を離すと、畳に頭を付ける。


「あの……私の体質は亡き母しか知らないのですが、その母から私は毒を和らげることができるかもしれないと聞いたことがあったので、苦しむ千隼様をみて、ついお身体に触れてしまいました。出過ぎた真似をして申し訳ございません」


真白は小さな体をカタカタを震わせている。


「すまない。責めたつもりはなかったんだ。顔を上げてくれ」


「いえ……ご無礼をどうか……」


「真白お願いだ、顔を上げてくれ」


真白はおずおずと顔を上げると、泣きそうな顔で俺を見つめている。


(にわかには信じられない)


(毒が効かない体質……毒を和らげる? それで鬼紋の痛みが和らいだのか? 本当にそんなことが……)


ただ真白に触れられた部分は熱が引き痛みもない。

俺は無意識に真白の頬に手を伸ばした。

頬に触れれば、真白の身体が僅かに跳ねる。


「ありがとう」


「……え?」


「俺のことを気味悪がることなく、気遣ってくれて感謝する」


「……とんでも、とんでもございません」


「真白?」


雪の粒のように、はらはらと涙をこぼす彼女に心が騒がしくなる。

「なぜ泣く?」


「……嬉しかったのでございます。お礼を言われたことなどもうずっとなかったので……」


俺はそっと彼女の涙を指先で拭う。


「……千隼様。もしそのお身体のことで離縁を申し出られたのでしたら、お考えを改めていただけないでしょうか?」


「……それは難しい。俺はもうすぐ死ぬ」


「え? ……なにを……仰って……」


俺は腰元まで脱いでいた着物を羽織りなおすと、真白の前に正座をした。


「“鬼童子”を知っているか?」


「はい……存じております。神堂家の初代当主様が封印した鬼の大将ですね」


「ああ、だが封印は永久的なものではない。それに気づいていた“鬼童子”は初代当主に封印される前に、我が神堂家に呪いをかけたんだ」


「呪い……」


「その呪いとは鬼童子の封印が解ける代の神堂家当主が短命になる呪いだ。それが、俺だ。俺はその呪いのせいでこの黒いアザ“鬼紋”を持って生まれた」


「そ、んな……」


真白は信じられないと言った顔で口を手のひらで覆う。


「医者の見立てではほどなく俺は死ぬ。だからお前に離縁を申し出た」


俺が死ねば真白は未亡人となり、永遠にこの屋敷に留まるほかはない。國の決まりで夫を亡くした妻は生涯婚姻できない決まりがあるのだ。


それを知っている俺は自分が死ぬ前に離縁をし真白を自由にすれば、いつか彼女にまた新たな縁があるかもしれない、そう思ったのだ。


彼女には俺以外の誰かと幸せに笑って生きて欲しいから。


「何か……手立てはないのでしょうか……」


「残念ながらない。ちなみに俺が鬼紋を持って生まれたということは鬼童子の復活が近いということだが、その対策は帝都ですでに打ってきたから案ずるな」


俺は真白と婚姻の儀を交わした翌日、鬼の襲撃があり帝都に呼ばれたが、一週間ほどで全ての鬼を狩り終えた。

そのあとは俺がいなくなっても部隊が、もっといえば國が困らぬように鬼狩りの知識を俺が率いる極楽隊の隊員たちに伝授し、今後のことを事細かに指示を出してから戻ってきたのだ。  


「まぁ……そのせいで半年も家を空けることになったがな」


真白がぎゅっと唇を噛み締めてから、俺を見上げる。


「……何も知らなかったとはいえ、そのような事情があるとも知らず、妻として本当に……不甲斐ないです」


「真白が気にやむ必要などない。これは俺の問題だ」


すぐに真白が首を振る。


「なぜ二人の問題と仰ってはくださらないのですか? 私たちは夫婦ではないのですか……?」


「……」


涙を堪えながら、懸命に言葉を紡ぐ真白を見ていると、心が揺らぐ。気持ちが溢れてきてしまいそうだ。


「千隼様……」


もういっそ言ってしまおうか。真白が俺の大事な忘れられない人だから結婚したといえば、信じてくれるだろうか。


だから真白と夫婦になりたかったと言えば、どんな顔をするのだろうか。


(困らせるだけだな……)


「俺たちは政略結婚だ。夫婦とは名ばかりで愛はない。お互い親に従っただけだ。お前もそうだろう」


「そう、でございます……これは政略結婚。でも私は紛れもなく千隼様の妻でございます。生涯、千隼様をお支えしお側にいると心に誓って嫁ぎました。ですから、お願いです。どうか離縁を撤回してください」


思わず眉間に眉が寄る。真白がどうしてそこまで俺との離縁を拒むのかわからない。


「なぜ離縁に納得しない? 愛もなく余命僅かな俺と一緒にいるより別の誰かと新しい人生を歩んだ方がいいだろう」


だからこそ俺は初夜に真白を抱かなかった。離縁するのがわかっている癖に自分の身勝手な欲望で真白を傷物にしたくなかった。


「私は別の誰かとの人生など望んでおりません。私は“無能モノ”です。こんな私を妻に迎え入れてくださり、私に居場所を与えてくださった。私はそんな千隼様の恩に報いたいのです」


「……真白……」



俺の自分勝手なわがままで真白を妻としてそばに置いていることに、ずっと罪悪感を抱えていた。

これは俺が死ぬまでの期間限定の結婚であり、真白は無理やり俺に嫁がされて嫌悪感を感じているとばかり思っていた。


だからまさか真白が自分を“無能モノ”だと蔑み、俺に恩義を感じながらこの屋敷にいたなんて思っても見なかった。


「……どうかこの通りでございます。千隼様のお側においてください……」


真白は涙声で深く頭をこちらに下げる。俺は拳をぐっと握った。


ずっと運命に従うしかないと思い、自分の心に蓋をしてきた。


けれど残りの人生、自分の気持ちに一度くらい正直になっても良いのかもしれない。 

欲しいものに欲しいと手を伸ばし、死ぬまで離さなくてもいいのかもしれない。

のこり僅かな時間、夫として目の前の真白を真っすぐに愛してもバチは当たらないのかもしれない。


俺はそっと真白の手を握った。


「千隼……様?」


「本当にいいのか、俺がお前にしてやれることはないかもしれない」


「そんなこと望んでおりません……ただおそばにいたいのです」


「わかった。では俺のそばにいてくれ」


「はい、千隼様」


真白は目じりに涙を滲ませたまま、ようやく安堵したように笑った。


その花が咲いたような笑顔が、あの時の笑顔と重なった俺は真白を強く抱きしめた。





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