02.契約という名の距離
翌日になっても、昨日の会話は夢みたいに頭の中に残っていた。
恋人のふりをする。
本気は禁止。
期間限定。
言葉にすると簡単なのに、実感はまるでなかった。
彼から「一応、ちゃんと話そう」とメッセージが来たのは、昼過ぎだった。学食の隅でスマホを見下ろしながら、私は小さく息を吐いた。
逃げなかった。
その事実だけで、少しだけ安心してしまう自分がいた。
待ち合わせは図書館前。人通りが多すぎず、少なすぎもしない場所。彼は先に来ていて、私に気づくと軽く手を上げた。
「改めて、昨日の話なんだけど」
歩きながら、彼は言った。
「条件、もう一回確認しよう。勘違いしたまま始めるのは嫌だから」
その言い方が、ひどく真面目で。
私は思わず笑ってしまった。
「私も、その方がいい」
ベンチに座って、スマホのメモを開く。
「まず、期間は三か月。夏休みが終わるまで」
「人前では恋人。二人きりのときは……普通でいい?」
「普通って?」
「友達より少し近い、くらい」
曖昧だけど、これ以上具体的にしたら、きっと何かが壊れる気がした。
「それから、一番大事なこと」
私は画面を見たまま言った。
「本気は禁止。どっちかがそうなったら、終わり」
彼は一瞬だけ黙って、それから頷いた。
「了解。じゃあ、告白もなし?」
「うん」
「手をつなぐのは?」
「……人前なら、必要なときだけ」
必要なとき、という言い方に、彼は少しだけ眉を上げたけれど、何も言わなかった。
「終了のときは?」
「連絡先を消す」
「徹底してるね」
責めるような言い方じゃなかった。
むしろ感心しているみたいだった。
「中途半端に残る方が嫌だから」
本音だった。
私は、終わりが曖昧な関係が苦手だ。どこまでが嘘で、どこからが本当なのか、わからなくなる。家庭でそれを見すぎた。
彼は少し考えてから言った。
「じゃあ、俺から一つ条件」
「なに?」
「途中で理由を聞かない。どうして俺を選んだのか、とか」
「……うん」
それは、ありがたい条件だった。
私は彼を選んだというより、彼なら壊れにくそうだと思っただけだから。
「じゃあ、成立だね」
そう言って彼は、手を差し出した。
握手だった。
恋人同士にしては、あまりにも健全で、事務的で。
それなのに、指先が触れた瞬間、心臓が一拍だけ遅れた。
「よろしく、恋人」
冗談めかした声。
「……よろしく」
私も同じように返したつもりだったけれど、うまく言えていたかはわからない。
その帰り道、ふと思った。
これで、母は安心する。
親戚も、もう何も言わない。
全部うまくいくはずだ。
なのに――
手を離したあとも、彼の体温だけが妙に残っていた。
契約は、もう始まっている。
それなのに私は、どこまでが演技で、どこからが本当なのか、早くもわからなくなりかけていた。




