13.期限
それを聞いたのは、何気ない会話の流れだった。
また「必要な用事」で会った帰り道。
夕暮れの空が、少し赤くなり始めていた。
「そういえば」
彼が、思い出したように言った。
「来月の終わりで、一区切りだね」
その言葉が、すぐに理解できなかった。
「……なにが?」
聞き返すと、彼は少し驚いた顔をした。
「契約」
あまりにもあっさりした言い方だった。
胸の奥が、ひやりと冷える。
「両親に顔見せる用事も、たぶんそれで終わるし」
「……ああ」
やっと、言葉の意味が追いつく。
期限。
最初に決めた終わりの日。
存在はずっと頭の片隅にあったのに、具体的な日付として口に出されると、急に現実味を帯びた。
「来月、か」
「うん。思ったより早いね」
彼は、どこか軽い調子だった。
その軽さが痛い。
「終わったら……どうするの?」
気づけば、そんなことを聞いていた。
「どうって?」
「元に戻るって、言ってたでしょ」
契約の条項をなぞるみたいに。
「戻れるのかな」
小さな声だった。
彼は、少し考えてから言った。
「戻るしかないんじゃない?」
正論だった。
「このまま続ける理由、ないし」
その言葉が、胸に刺さる。
私の中には、もう理由がある。
でも、それは口に出せない。
「……そうだね」
私は、そう答えるしかなかった。
沈黙が落ちる。
歩道橋の上で、立ち止まる。
下を走る車の音が、やけに遠く聞こえた。
「でも」
彼が、少しだけ声を落とした。
「終わるって決めてたから、ここまで来れたんだと思う」
その言葉に、私は顔を上げる。
「どういう意味?」
「期限がなかったら、たぶん最初から断ってた」
彼は、私を見ずに続けた。
「期待させるのも、期待するのも、面倒だから」
家庭の話を思い出す。
期待されるのが、苦手だと言っていた。
「だから、終わりがある関係は、ちょうどよかった」
ちょうどいい。
私も、最初はそう思っていた。
「……今も?」
聞いてはいけない質問だった。
でも、口から出てしまった。
彼は、少しだけ黙った。
ほんの数秒。
それが、異様に長く感じられた。
「今は」
やっと、答えが落ちる。
「ちょうどいいかどうか、わからない」
その言葉に心臓が強く打つ。
「でも、決めたことは守る」
彼は、はっきりと言った。
「期限も、条件も」
契約。
それが、二人を守るものでもあり、縛るものでもある。
「……うん」
私は、うなずく。
それしか、できなかった。
別れ際、駅のホームで並んで立つ。
いつもと同じ距離。
いつもと同じ沈黙。
でも、今日は違った。
あと何回、こうして並べるのか。
数えてしまいそうになる。
電車が来て、彼が乗り込む。
「じゃあ、また」
「……また」
ドアが閉まる直前、彼が一瞬だけこちらを見た。
何か言いたそうな顔だった。
でも、何も言わなかった。
電車が走り去る。
ホームに残された私は、やっと息を吐いた。
終わりの日が、見えてしまった。
それは、思っていたよりも近くて、思っていたよりも、重かった。
本気は禁止。
期限厳守。
それが守られる限り、この恋は始まらないまま終わる。
そのはずだった。




