01.恋人が必要になった理由
恋人がいないことを、説明しなければならなくなったのは、二十歳を過ぎてからだった。
高校までは、勉強が忙しいからとか、今はそういう気分じゃないからとか、適当に笑っていれば済んだ。大学生になっても、最初のうちはそれで通った。けれど、ある時から母は、電話のたびに同じ質問をするようになった。
「最近、いい人はいないの?」
その言い方は柔らかい。でも、柔らかい分だけ逃げ道がない。
母は心配しているだけなのだと思う。私が一人でいることを。父と別れてから、家の中にずっと残っている空気を、私がそのまま引き継いでしまうんじゃないかと、不安なのだと思う。
だから私は、正直に答えられなかった。
「そのうちね」
と曖昧に笑って、話題を変える。その繰り返し。
そんなある日、親戚が集まるから帰ってきなさい、と言われた。断れない用事だった。しかも今回は、母が少しだけ声を弾ませて言った。
「宏ちゃんも、来るって」
再婚相手の名前だった。
私は、その瞬間に悟ってしまった。
――ああ、これはもう、逃げられないやつだ。
恋人がいない娘。
ひとりで生きていくつもりなのかと、心配される存在。
別に、恋人が欲しくないわけじゃない。
ただ、誰かと本気で関わることが、少しだけ怖いだけだ。
その日の夕方、大学の構内で、彼に会った。
「久しぶり」
同じゼミだった。特別に親しいわけでもない。でも、顔と名前と、声くらいは知っている。ちょうどいい距離感の人。
「久しぶりだね」
何気ない挨拶のあと、なぜか足が止まった。
言うつもりはなかったはずなのに、気づいたら口が動いていた。
「ねえ、一つだけ、変なお願いしてもいい?」
彼は驚いた顔をしたけれど、すぐに頷いた。
「内容によるけど」
私は少しだけ息を吸って、言った。
「期間限定でいいから……恋人のふりをしてほしいの」
沈黙が落ちた。
風の音と、遠くの話し声だけが聞こえる。
私は続けた。
「本気は禁止。人前だけでいい。終わりも、ちゃんと決める」
自分でも驚くくらい、冷静な声だった。
彼はしばらく私を見てから、苦笑した。
「……ずいぶん、きちんとしてるね」
「そうしないと、続かないから」
何が、とは言わなかった。でも、たぶん彼は察したのだと思う。
「いいよ」
短く、そう言われた。
その瞬間、胸の奥が少しだけ軽くなって、同時に取り返しのつかないことを始めてしまった気もした。
この契約が、いつか終わることを。
その日が、きっと穏やかじゃないことを。
私は、まだ知らないふりをしていた。




