8.再会
翌朝、騎士は目覚めた。
目を開いた瞬間跳ね起きて、すぐさま場所を視認しようとし、軽いめまいを覚えて頭を振った。
「ここは――」
「私たちが宿泊している宿屋です。よかった、意識が戻ったんですね」
カークが水と薬を盆にのせて、騎士に差し出す。
もっと警戒するかと思ったが、意外にも素直に受け取って、騎士は怪訝な顔で薬の包みをつまみあげ、目に近づけた。
「君は誰だ?この薬はなんだ?」
「私はカクベルと申します。あそこに座っているお嬢様の小間使いです。うちのお嬢様とはもうお会いになってますよね」
カークは顎をしゃくって部屋の中央の食卓からこちらを見ている黒髪の少女を示した。
ミトを目にした途端、騎士の顔つきが変わる。
覚えがある。夕方街であったばかりだ。
「姫は――王女殿下はどこにおられる」
立ち上がらんばかりの彼を、カークが抑えた。
「大丈夫、隣の部屋で休んでおられます。一晩中あなたを看病してたんですよ。騒がないで寝かせておいてあげたらどうです」
「一晩中…」
「ええ、だって、私たちの言うこときかないんですもの」
ベッドのそばに寄ってきたミトが、腕組みして騎士を見下ろす。
「四つしかないベッドを一つ占有されたんで、一人は寝られなかったんですけどね。それにしたって、数刻ごとに交代しましょって言っても、自分が看病するんだ、ずっと側にいたいんだーって」
「明け方、あなたの容態が安定したのを見届けて、今しがたお休みになられました。それ、熱さましなんで飲んでください。傷口は塞いでますが、その分身体に負担がかかってる」
カークが促す。
「殿下が…看病…熱さまし…」
情報量の多さに当惑し、ぐるぐると考えを巡らしていたマクシマムは、はっとして自分の腹に目をやった。
「傷が…痛みがない?内臓が傷ついてたはずだ。こんなに簡単に治るわけがない――何をした」
水と薬をカークに押し戻してマクシマムがカートを詰問する。
「ああ、あなたにはまだ自己紹介してませんでしたね」
ミトが自分の出番とばかりに組んでいた腕をほどく。カーテシーでもするかと思いきや、その腕を腰に当ててミトはふんぞり返った。
「わたくし、ミア・エバーズと申します。ドレスティアーノ領鉱山主の娘ですわ。こちらが小間使いのカクベル、もう一人あなたもご存じの銀髪の男性が家庭教師で護衛のスケディ。三人で旅をしていますのよ」
完璧に覚えてるのよすごいでしょ、と言わんばかりのどや顔が輝いている。
「ドレスティアーノ…」
マクシマムが呟く。
「ええ、私たちも魔具を多数持参しています。特に傷病に対処するための回復用魔具を」
カークの説明に、騎士も納得したようだった。
「あなた方の貴重な品を使わせてしまったわけか」
「お気になさらず。まだたくさんありますので」
あっけらかんとミトが言う。
「――かたじけない」
騎士は深々と頭を下げた。
魔具の希少性は言わずもがなだ。自分の不手際のせいで多大な借りを作ってしまった。己のふがいなさに内心で歯噛みする。
「この御恩は必ずやお返しすると誓う」
「このお嬢様相手にうっかりそんな殊勝なこと口走ったら、痛い目にあいますよ」
スケディライダスが、そう言いながら乱入してきた。
手にした盆に、5人分の朝食が載っている。
「そんな構えなくて大丈夫ですよ。私は基本、極めて穏やかで平和主義な男なんです」
咄嗟に臨戦態勢をとった騎士を一瞥して、スケディライダスは皿を並べ始めた。
ミトが何か言いたそうにこちらを見ているが面倒くさいのでとりあえずスルーを決め込む。
「とりあえず飯にしましょう。そのあと、あなた方お二人で今後のことをお話しされるといい。この部屋を貸して差し上げますよ。ねえお嬢様」
「え、ええ、もちろん」
突っ込みどころを奪われてちょっとだけぶーたれていたミトは、慌てて取り繕うように笑顔で肯いた。
肩の力の抜けた主従のやりとりに、騎士も緊張を緩める。
「かたじけない。何から何まで」
「あなたのためっていうか、王女様のため?だから」
ミトが右代表で騎士の謝辞を受け入れ、明るく笑った。
「騎士様がそんなに畏まらないでくださいませ。私、ファルミア様を見てくるわね。起きられそうだったら呼んでくる」
ミトが部屋を出ていき、後には男三人(内一人は女装)が残される。
「で、」
食膳を整えていたスケディライダスはやたらと気になる視線に気づき、そちらに顔を向けた。
「何かいいたいことでも?」
じとっと思念を飛ばしてきていたのはベッドの上の男だ。
「貴殿には一杯食わされたのでな」
恨みがましい目つきでガンを飛ばす。
「そっちだってうちのお嬢を捕まえて怖い思いをさせたんだ、お互い様でしょ」
その視線を余裕で受け止めて、スケディライダスは肩を竦めた。
「まあ…王女殿下を助けてもらった上に、こうして世話にまでなったからな。貴殿には何の恩もないが、煮え湯を飲まされた恨みは不問に付そう」
どこまでが本気でどこまでが軽口なのか判別がつきにくいが、騎士の表情を見る限りこちらに信頼を示そうとしていることは見てとれる。
「そりゃありがたいことで。――テーブルまで来られますか」
「造作ない。あなたがたのおかげで、もう完全に回復している」
騎士はやおら立ち上がった。
そこにちょうどミトが戻ってきた。
後について部屋に入ったファルミアは、マクシマムを見るなりドレスを揺らして駆け寄った。
「マクシマム!もう大丈夫ですの?」
騎士は自然に跪き、王女の前に首を垂れる。
「王女殿下。ご無事で何よりでした」
「――心配をかけました。ごめんなさい、マクシマム…あなたに大怪我をさせるなんてわたくし」
ファルミアが自分の目の前で床に座り込んでしまったので、マクシマムは驚いて彼女を支えて立ち上がらせる。
「おやめください、私の怪我はただただ自分の不徳の致すところで、殿下とは関係ございません」
「でも、あなた一人で探しに来させてしまったのがそもそもの発端ですもの」
「それも自分の独断でとった行動です。ただ――お転婆はほどほどになさってくださるとありがたく思います。もぬけの殻のお部屋を見たときは、心臓が止まるかと思いました」
それは王女である自分の身を案じてのことなのか、それとも職務に支障をきたすからなのか。
ファルミアが本当に知りたいのはそれだ。
「本当に、ごめんなさいマクシマム」
しかし、王女を守るという強い信念以外は微塵も交えるつもりのなさそうな騎士に、それを問い質すことはできなかった。