56.塔の魔術師
この公園は、公爵公邸の庭園が市民に開放された形で始まったらしい。
公邸周辺では、色とりどりの花咲き乱れる花壇や、幾何学的な模様に整えられた植栽のほか、食べ物を提供する屋台、土産物屋、絵描き屋などの店が軒を連ねていた。
「すごい!」
単独行動をそれとなく誘導されて拗ねていたミトだったが、高台に到着するや、そそり立つ崖の鉄柵に駆け寄って感嘆の声を上げた。
「壮大な眺めね!ベネスの街並みが全部見渡せるのね」
目を輝かせて付き添いのレミュを振り返る。
外見は似もつかないが、このお嬢様は時折アンネローゼと重なって見える。それはこういうところのせいなのだろう。
油断なく辺りに気を配りながらも、レミュはそんなことを考えていた。
育ちがいいくせに気さくで、感激屋で感情豊か。
ただ、アンネローゼは一見素直で温厚で優しくても、腹の底は読めない。
対してこのお嬢様は、単純明快で、表裏がない。さっきまでつまらなそうにしていたのに、絶景を見た途端この調子なのだ。
実に分かりやすい。
「レミュ、わたしちょっとそこの売店で、何か買ってくるわ。あなたはこの場所に座って待ってて」
ベンチの場所取りを頼むお嬢様!
あまりにレミュの常識とかけ離れていて、一瞬戸惑ってしまう。
「私が買いに行ってまいります。お嬢様がこちらでお待ちください」
だが瞬時に冷静さを取り戻して、レミュは小さく咳払いした。
「え?いいの?じゃあこれ」
ミトは小銭をレミュの手に握らせて、
「わたしは甘いものがいいわ。えっとね、ロマノ産の果物を使った包み焼きみたいなのがあったら、それを買ってきて頂戴。飲み物もあると嬉しい」
興奮気味にまくしたてる。
レミュはさっと周囲に目を配った。
見晴らしのいい展望所はもうすぐ昼食時ということもあって人影はまばらだ。家族連れが数組、男女のカップルが数組、あとは近くに住んでいるのだろう子供が何人か棒切れを持って追いかけっこをしているくらい。
これなら持ち場を少し離れても問題ないだろう、そう判断して、レミュはミトに向き直る。
「――わかりました。ではお嬢様、ここに座って、動かないでくださいね。すぐに戻ってまいります」
「うん!あ、レミュの分も買ってね。二人で食べながらこの絶景を楽しみましょ」
満面の笑みである。
それが空元気であることに、従者たちであればすぐに気づいただろう。
だが顔を合わせて間もないレミュには、それは見抜けなかった。
屋台の並ぶ通りを一往復して、ミトが喜びそうな甘味と飲み物を見繕って帰る。
だが、指定されたベンチに、ミトの姿はなかった。
鉄柵に沿って並んでいるベンチをくまなく見て回っても、彼女は見当たらない。
平静を装ったけれど、レミュは自分の頭から血の気の退く音を初めて聞いた気がした。
一刻も早く探し出さねば。
買ってきた物をそこらに放り出し、レミュは公邸の影になった窪地に身を潜り込ませて烏に姿を変えた。
人型で走り回るより、こちらで空から偵察した方が早いし効率的だ。
高度を上げ、上空からそれらしき人影を探す。
しかし幾度旋回しても、彼女の姿を見つけることはできなかった。
すでにどこかの建物の中に引きずり込まれているのかもしれない。もしそうなら、もはやレミュに打つ手はなかった。
最後に高台の上を一回り滑空して、烏は城壁の側にまだとどまっているアンネローゼとミトの従者のもとへ向かった。
アンネローゼとスケディライダスが天井道から降りようとした頃だ。
見たことのある烏にいち早く気づいたのは、道から少し離れた尖塔の屋根に座っていた男だった。
「スケディ」
名前を呼ばれて従者が振り返る。
いつの間にか通路にカークが現れていた。その目線は空に投げられている。
「カーク?突然――何があった」
彼が姿を見せた、ということは不測の事態発生ということだ。
スケディライダスはカークの目線の先を追い、こちらに飛んでくる一羽の烏に気づく。
その鳥は通路に滑り込むとくるんと一回転して人の姿になった。
「レミュ」
スケディライダスの背後からアンネローゼが声を上げる。
「ご報告を」
急き込んでレミュが膝をついた。
「許します」
「ミト様を――見失いました」
居合わせた一同が一斉に息をのむ。
「あなたが見失う?そんなことって」
アンネローゼの言葉は尤もだった。
レミュは卓抜した護衛のプロだ。対象を見逃すことなど普通なら考えられない。
「行動を共にすべきでした。つい、油断して離れた隙に」
「謝罪も弁明も後で聞きます。どこでいなくなったのか、他に分かる情報があれば、すべてお二人に話して」
取り乱すこともなく、アンネローゼは冷静に指示を出す。
「公園のベンチでお待ちいただいておりました。戻った時には姿がなく。ほんの数分のことです。それほど移動できているはずはないのですが、上空から探してもお姿は確認できませんでした。おそらく近隣の建物の中に連れ込まれているかと」
「或いは、転移を使って移動させられているか、ですね。周囲に人は多かった?」
カークが一点を凝視してレミュに確認する。考えを巡らせるときの彼の癖だ。
「それほど。それにベンチの間隔が空いているので、近くにいた人間が転移に気づくことは難しいかもしれません」
となれば、探し出すのはもっと困難になる。
「レミュ、アンネローゼ様を連れて屋敷に帰って。後はおれとスケディで引き受ける」
静止していたカークの視線が動いた。
対応の糸口を見つけ出したのかもしれない。
跪き、深々と頭を垂れるレミュを一瞥してそう言うと、彼はスケディライダスの腕を取り、すぐに行動に移った。
「どうする。お嬢が封印を解いてくれればすぐに解決するんだが」
「しないでしょう。今封印を解けば、我々も魔力が戻る。そうなればスケディ、あんたがロマノに見つかる。お嬢はその危険を冒さない」
すぐさま天井道から降り、入り組んだ下町の細い道を二人で走る。
カークの言葉にスケディライダスは黙り込んだ。それはすでにスケディライダス自身も思っていたことだ。ミトは封印を解かないだろう。なら、彼女は“普通の娘”のままだ。力もなく、護身術を身に着けているわけでもない、ただの町娘。
もし拘束されでもしていたら、自力で抜け出すことは不可能だ。
スケディライダスの胃がキリキリと痛む。
乱暴目的のならず者の仕業だとしたら。
「だけど、本当にお嬢が危機に見舞われれば、クラハルト様が動きますよ。たぶん。大陸の国家情勢に影響のない範囲でなら。だからゴロツキ辺りの仕業であれば心配する必要はないと思います」
スケディライダスの思考を読み取ったようにカークが言う。
なるほど、大魔王は確かに大陸全土をその〈目〉で覆い、常時情報を収集解析している。彼が他国に介入することはないが、愛娘が危険に晒されたときはその限りではない――かもしれない。
ただし、その場合自分たち従者へは厳罰が下されることになるだろうが。
「とりあえず二手に分かれて公園の周囲を探しましょう。不審な動きをしている人間を見つけたら片っ端から“穏やかに”話を聞くってことで」
カークが指示を出す。
「了解」
スケディライダスは即答し、二人は二方向に分かれた。
カークは公園の正面に続く南口。スケディライダスはロマノ大聖教会領側に続く東口へ。
スケディライダスが担当した東側の登り口は、ロマノ聖教大教会に続く巡礼路だ。通りの両側には信者のための宿泊施設や祈祷所、書店や魔具販売店などが立ち並び、巡礼でにぎわっていた。人をかどわかして連れ込める場所など見当たらない。
忸怩たる思いでスケディライダスは一つ内側の筋に入り込んだ。
路地には表通りとはがらりと雰囲気の違う、暗く、淫靡な空気が漂っていた。あなたのために聖なる祈りを格安で、などと書かれた看板が半分外れかかって戸口にぶら下がる店。
修道女の服を着崩して、通りを行き交う客に色目をくれる女。怪しげな薬屋、金貸しに、ガラの悪い客引き。
ようやく真昼になったところだというのに、たいそうな崩れ具合だ。
両脇の壁をつなぐように雨除けの簡易屋根が取り付けられているせいで、太陽光が届かないせいもあるかもしれない。
だが人通りも多くはなく、人を隠すにはもってこいの場所、ではあった。
似たような筋が何本か、高台の真下に延びている。
スケディライダスは“なんとなく引っかかる”自分の勘を信じて、その辺りを念入りに探ってみることにした。
***
裏通りの顔役は、この十年変わっていない。
昔は抗争も多くて入れ替わりが激しかったみたいだが、リッキが生まれてこの方、親方はずっとダヴィドだ。
そのダヴィドから仕事を言いつけられた。何でもドレスティアーノから商人の娘がロマノに来ているらしい。販路拡大というわりには商工会にも顔を出さず、町はずれのマルクト副大使邸に厄介になっているそうだ。
その娘をダヴィドの店まで連れてこい、というのが用件で、報酬は金貨一枚。
破格の金額だ。
リッキは今年十一になる。まだ子供だったが下町の子らしく世間ずれしていて、立ち回りがうまい。まだ背も伸び切っておらず、癖のない薄い金髪に真っ青な瞳という、お貴族様によくみられる外見のせいもあって、女性には高確率で気に入られる。
「いいか、リッキ。目当ては長い黒髪の、一七、八の娘だ。町娘のなりでも、金はかかってそうな恰好の娘を探せ。そしてこいつをその娘の体に――服の裾でも背中でもどこでもいい――貼りつければそれでお前の役目は終了だ」
ダヴィドはそう言って、一枚の紙きれをリッキに渡した。
リッキの掌に収まる程度の、小さな紙片だ。そこに、変な図形とも紋様ともつかぬものが描かれていた。
「たったそれだけ?」
「ああ。お前なら簡単だろう?」
「まかしとけ!」
お貴族様にしては日に焼けた顔をニカっと崩して、リッキはダヴィドの店から飛び出した。
金貨一枚あれば、母ちゃんを教会に連れて行って癒してもらうことができる。
リッキは紙きれを握りしめた。
胸の長患いで苦しむ母親は、それでも一人息子のリッキのために貴族の屋敷で下働きをしていた。だが母親一人の働きでは、日々の糧を得るにも足りなかった。
少しでも母親を楽にさせてやりたいと、リッキは数年間からダヴィドに仕事をもらうようになった。彼の店の客に届け物をしたり、逆に品物を受け取ってきたり。簡単な使いだったが、羽振りのいい客が多く、リッキを気に入ればチップをはずんでくれた。
だがそれにしたってせいぜいが銅貨一枚くらいで、その一千枚に当たる金貨を手にできるなんて考えたこともなかった。
スキップしたいのをこらえて、リッキは通りにたむろする仲間を引き連れて展望台に駆け上がった。
「棒鬼しようぜ!」
二組に分かれて、棒を取り合うゲームだ。
「いいぜ!」
二つ返事で乗ってきた仲間たちと、子どもらしく遊びまわる。
その傍ら、リッキはターゲットの“身ぎれいな黒髪の娘”を探す。
やがて、家族連れや観光客の中に紛れていた、二人連れの女性を見つけ出した。
町娘の格好はしているが、着ている服は上等だ。
二人とも黒髪で、一人は肩につかないくらいの短さ。もう一人は、長い髪を後ろでまとめていた。
見つけた。こいつだ。でも。
リッキは胸中で舌打ちする。
小さいとはいえ紙切れだ。それを服に貼れば、隣にいる連れはすぐに気づいてしまうだろう。剝がされては元も子もない。
だが幸運なことに、髪の短いほうが、その場を離れた。
リッキは棒切れを鬼から奪うと、「鬼いただき!」と叫んで仲間に顔を向けたまま、黒髪の娘のいるほうへ走り出した。
リッキの悪ガキ仲間は彼の思惑を承知している。
敵組がリッキの後を追い、味方組がそれを阻止しようと立ちはだかる。それが、周囲からターゲットを見えなくした。
「きゃっ」
黒髪の娘は、いきなりぶつかってきたリッキに驚いて小さく声を上げた。
「ごめんなさい、お姉さん」
無垢な子どもを装って、リッキはたたらを踏む娘の体を支える。
任務完了だ。
満足げににやりとしたリッキの姿は、娘の袖口に貼り付けた紙がぼうっと光ると同時に、その場から消え失せた。黒髪の娘の姿とともに。
*****
ふわり、とした薄い膜みたいなものに包まれて、一瞬ののちその膜は霧消した。
何があったのか、と周囲を見回せば、目に入るのは四面古びた木造の壁だけだ。
ついさっきまで高台の展望所にいたはずだった。
いったい何が起こったのか。
ミトは記憶を手繰り寄せる。
広場で遊んでいた子供たちが鬼ごっこをしながらこちらに走ってきていた。
そのうちの一人がミトにぶつかり、その子が慌てて手を差し伸べてミトの腕に触れた。その瞬間、あの膜がミトを包んだのだ。
ではあの少年の仕業なのだろうか。
そう考えたとき、足元から、うう、という苦し気な呻き声が聞こえた。
ミトはゆっくりと目を落とす。
そこに一人の少年が転がっていた。
薄い金髪。確か瞳は明るい青だったはずだが、今は固く閉じられている。
眉間に皺をよせ、歯を食いしばり、盛んに寝返りをうつ。
青白い顔。額には脂汗が浮いている。
ミトは屈みこんで少年の上半身を抱え起こした。
「どうしたの!?大丈夫?」
だが少年は、食いしばった歯の隙間からうめき声を漏らすばかりだった。
「声を掛けても無駄ですよ。もう聞こえてない。魔力に当てられたんですよ。その子の小さな回路は焼き切れる寸前でしょうから、まあ、長くはもちませんね」
不意に男の声がした。
いつのまにか、この狭い部屋の隅に、黒のローブを羽織った男が佇んでいた。
この大陸でこの手のローブを纏うのは二つの職種に限られている。白なら聖職者。
黒なら、ロマノの魔術師だ。
癖の強い茶色の撒き毛がフードの下から覗いている。
「塔の――魔術師」
ミトは目を上げ、男をねめつけた。肌にチリリとした刺激が走る。
相手の魔力がそれだけの強さを持っている証左だ。
「おや、見抜きましたか。さすが、ナヴァルの里を壊滅させた魔法の使い手ですね」




