4.王女の騎士(1)
宿を飛び出してにぎやかな通りに出たはいいが、行く宛てはない。
道もわからない。
でも、そんなことより自分のさっきの言動が――勘違いが恥ずかしくてたまらなくて、ミトはやみくもに歩いていた。
夕暮れ時。
通りに並ぶ店の明かりが通りを照らす。
ファルブラムの一番端にある宿場町だからなのか、旅装姿の旅人でどの店も賑わっているようだった。酔っ払いの一群が、酒場からジョッキを片手に道出てきてくだを巻き、煽情的な恰好の女性が薄暗がりで男を誘っている。
そんな通りを、ミトはひたすら俯いて歩く。
頭を冷やさなくちゃ。
自分でもよくわかっているのだ。
このところ、やたらスケディライダスに怒ってばかりいること。
今までだって口喧嘩はよくしていたけれど、最近それがミトの難癖じみてきていること。
もっとも銀髪の従者にそう言ったら、「このところ?今まで?最近?」って皮肉で返されるのだろうけど。
そんな風に軽口で返してくれるのだって、従者の心配りなのだということも、わかっている。
頭を冷やして、もう少しちゃんと――大人にならなきゃ。
「きゃっ」
俯いたまま小走りになっていたせいで道を塞いでいたものに気づかず、ミトは思いっきり何かにぶつかって弾き飛ばされた。
乾いた道に砂ぼこりがたつ。
「大丈夫ですか」
耳に心地よい温かみのあるテノールが降ってきて、尻もちをついたミトの目の前に、手甲をはめた手がすっと差し出された。
「すみません。前をよく見てなくて」
目を上げると、声の主と視線がぶつかる。
黒髪にはしばみ色の瞳が印象的な、端正な顔立ちの青年だった。
白く染めたもみ革のバフコートの上に濃紺のマントを羽織っている。
腰に帯剣しているところを見ると、庶民ではなさそうだった。
冒険者か、兵士、といったところだろうか。
彼はミトを立ち上がらせると、改めて胸に手を当て、頭を下げた。
「こちらこそ――人探しをしていて、前方不注意でした。申し訳ない」
青年の物腰は柔らかく、どことなく品がいい。
「いえ、どうぞお気になさらず」
ミトは微笑んでかぶりを振った。
ぶつかったのが柄の悪いごろつきみたいな質の悪い連中じゃなくてよかったと思う。
後先考えずに宿を飛び出した挙句面倒ごとに巻き込まれでもしたら、従者たちに何を言われるかわかったものではない。
とっとと切り上げて、気持ちを切り替えて、宿に戻ろう。
「では、失礼いたします」
軽く頭を下げてミトはその場を立ち去ろうとした。
「あの、ちょっとお待ちいただけますか」
だが青年がミトの腕を掴んで引き留める。
「え?なんですの?」
「先ほども申し上げたが、私は人探しをしている。」
「――ええ」
「貴女と同じくらいの年の女性だ。ピンクブロンドの髪、紫の瞳、背格好もあなたと似ている。…見かけませんでしたか」
うん、見かけた。
まんま、あの子だ。
一瞬、ミトの顔が固まる。
「えーと、記憶に…ないですねえ」
笑顔を作るが、ぎこちなくなっているのが自分でも分かる。
「ほんとうに?目撃した者によるとその女性は一人ではなかったそうなのですが。連れがいたと。黒髪の女性と――」
「おい、その手を離せ」
ミトの腕を掴んでいた青年の手が、不意にねじりあげられた。
いつの間にか姿を現した背の高い銀髪の従者が、剣呑な表情で青年の手を握っていた。
ぎりりと腕を捩じりあげられた青年は、しかし無表情のまま、言葉を続ける。
「――銀髪長身の男だったとか」
言い終わると同時にスケディライダスの手を振り払い、青年は腰に佩いたバスタードソードを引き抜いた。
目にもとまらぬ剣技だった。
ソードの剣先がスケディライダスの喉元につきつけられている。
「スケディ!」
ミトが叫ぶ。
「お嬢、何やってんですか」
少しでも動けば喉に突き刺さりそうな状況にも関わらず、従者は青年をにらみつけたまま呑気にそう言って、ミトを引き寄せ自分の背に庇う。
「ごめんて、でもこれ不可抗力」
目の前にある広い背中。言い訳しながら、ミトはその上着をぎゅっと握った。
「往来で物騒な真似はよしたほうがいいのではありませんかね」
スケディライダスの声が背中越しに響く。
魔法さえ使えたなら、スケディライダスにかかればただの人間なぞ赤子の手をひねるようなものだ。どんな剣豪だろうと相手にもならない。だが、今魔法は封じられている。
そのうえ青年の手にするバスタードソードは魔力を帯びた魔具だった。
対して、剣を宿に置いてきたらしく、スケディライダスは丸腰である。
このまま荒事になってしまったら、圧倒的に分が悪い。
「黙れ。ファルミア様をどこにやった」
青年はじりじりとにじり寄る。
剣先がスケディライダスの喉に浅く刺さった。
血が一筋流れ落ちても、スケディライダスは平然として動かなかった。
「ファルミア?――さあ、名も今初めて聞きましたし、彼女の行く先も知りませんよ。砂漠で倒れていたところを介抱しただけですから」
「本当よ、嘘じゃない。倒れてたの助けてあげたんだから!」
従者の背中から顔だけぴょこんと出して、ミトが言う。
「では、どこで別れた」
耳に心地よかったテノールが、低く地を這う。
そろそろ野次馬が集まり始めた。
娯楽といえば酒場と賭場、女郎宿くらいしかない辺境の宿場町だ。喧嘩は格好の見世物だった。
青年は変わらず無表情を貫いていたものの、そこに走るほんのわずかな焦りをスケディライダスは見逃さなかった。
「宿場の南口――アレシア街道への出口で。我々はここに宿泊して、西に向かいますので」
さらりと。
青年から目を離さず、スケディライダスが嘘をつく。
次第に大きくなっていく人だかりと騒めきの中、青年にその言葉の真偽を量る余裕はなかっただろう。そしてまた、ファルミアを見つけるためには真偽を問う寸刻も惜しかったのだろう。
彼はすっと剣を引き、冷たい一瞥をくれてそのまま踵を返すと、人の群れをかき分けて姿を消した。