3.少女の正体
「失礼ですが、貴族令嬢とお見受けします。なぜあんな場所におられたか、事情は存じませんが、お屋敷まで送らせていただいても?」
召使姿のカークの背後から、とりあえず身なりはそれなりに整えてあるスケディライダスが慇懃に申し出る。
王女は彼を見上げ、ほんの少し目元を赤く染めた。
「お心遣い、お礼を申しますわ。ですがわたくし、逃亡中ですの」
恥ずかし気にうつむいて、消え入るような声で少女は物騒なことを口にする。
「逃亡?」
「ええ。あの、こうして助けていただいているのに、失礼なのですけれど、あなたがたは?」
見知らぬ三人組とあって、少女が警戒を見せるのは当然のことだ。
「これは失礼いたしました。私はスケディ・レオノールと申します。こちらのお嬢様に家庭教師としてお仕えしているものです」
深々とお辞儀をし、スケディライダスはミトを引っ張り出して自分の前に立たせた。どこの誰であるか、主人たるあなたが説明せよ、ということだ。
心得た、とばかりに力強くうなずいて、ミトは優雅に膝を折った。
「申し遅れました、私、ドレスティアーノ鉱山領の鉱山主の娘、ミアと申します。ロマノ公国にある聖教会大本山に巡礼中でございます」
こうして挨拶を受けることに手慣れた様子で、令嬢は「まあそうですの」と小さく相槌を打つ。
「ドレスティアーノは確か北西の島でしたわね。聞いたことがありますわ。鉱山領からとれる鉱石は、魔の力を付与しやすくて、わが国でもなんとかして輸入の伝手を探っているところだと――」
言いかけて彼女ははっとしたように口元を手で覆った。
「ああ、余計なことを申しましたわ。小耳に挟んだだけのことをこうして口にしてしまうのは、はしたのうございますわね。失礼いたしました」
慌てて取り繕う少女を見て、スケディライダスは目をほそめる。
今の発言で、彼女の素性についてだいたいのあたりはつけられる。
領主の娘レベル以上――ひょっとすれば、国王の息女という可能性もある。
少なくとも、ただの貴族令嬢ではない。
それが、逃亡?
なかなかにきな臭い。
「わたくしどもの素性はお話いたしました。レディ、お名前を伺っても?」
床に片膝をつき、胸に手を当てて銀髪の従者が恭しく尋ねると、少女は薄く微笑んで鷹揚に頷いた。
「ええ、かまいませんわ。わたくし、ファルミアと申します。この国の――とある貴族の娘ですが、ゆえあって国外逃亡を企てておりますの。旅のお方、命を助けてくださって感謝します」
そして傷一つないなめらかな白い手を従者に差しだす。
手慣れた、流れるような動作。
スケディライダスはその手をとって、指に礼儀正しく口づけ――ようとしたが突然襟首をつかまれてぐいっと後ろに引っ張られた
「何やってんのよ!」
当然のことながら犯人はミトである。またまたご立腹のご様子だ。
「苦しい、襟、襟しまってますって!苦しいですって!」
貴族令嬢から従者を十分に引きはがしたところで、やっと彼女は彼を解放した。
「やめてくださいよ突然」
ごほごほとせき込みながら抗議すると、
「お前が悪いんでしょう、女性の手に口っ口づけるなんて、破廉恥よ!」
顔を真っ赤にしてくいつかれた。
「お嬢、あれは一応淑女に対する紳士の礼儀なんですが」
「うそばっかり!デレデレした顔してたくせに」
スケディライダスにミトが腹を立てるのは毎度のことだが、今日はなぜだかいつもと違う。
これどうにかして。
視線でスケディライダスがカークに訴える。
仕方なく、カークは助け舟をだした。
「お嬢様、こればっかりはスケディのほうが正しいです。確かにそいつがやると女性を誑し込んでるみたいに見えますが、淑女の手に敬愛のキスを送るのは貴族としては普通の振る舞いですよ」
「嘘…」小さく開いたままのミトの口があわあわと震える。「だって…」
きょとん、としたままのベッドの上の少女を見、
眉を寄せて諦め半分の顔で頷くカークに目を落とし、
それからわなわなと震える手でスカートの裾をぎゅっと握りしめる。
さっきまで赤いのは顔だけだったのに、今や見えている肌が全部真っ赤かだ。
「…だってあたし、スケディにあんなのしてもらったことないもん!」
渾身の力を込めて叫ぶと、ミトは脱兎のごとくその場を逃げ出した。
「あー、あはは、お見苦しいところをお見せしてすみません。うちのお嬢、世間知らずで困ってしまいます。あはは」
襟元を直しながらスケディライダスは苦笑を浮かべる。
今はこの令嬢への対処を一刻も早く考えるべきだ。
この少女が高位の貴族であるならもうすでに捜索の手がのびているはずだ。
対応を間違えれば誘拐犯にされかねない。
事情は分からないが、速やかに説得して城だか屋敷だかにお戻しする必要がある。
頭の中に様々な考えが巡る。
なのに。
「ご無礼お許しください、レディ。ちょっと失礼して、主を連れ戻してまいります」
だがやはり、自分の優先順位はこちらなのだ。
スケディライダスは、軽く礼をして、すぐさま部屋から飛び出していった。
「…すみません。うち、いつもあんな感じで」
残されたカートはファルミアと顔を見合わせて、ぺこりと頭を下げた。
灰色の巻き毛がふわふわと揺れる。
「楽しそうですわ。使用人の方と、仲良しですのね、お嬢様。よいご主人なのね」
嫋やかに微笑むファルミア。
「ありがとうございます。ファルミア様も、人を身分で分け隔てなさらないように思います」
「ふふ、そうありたいと思っていますの。できるなら――身分なんてものから解放されたらどんなにいいか」
「ファルミア様?」
「あ、ごめんなさい。また変なことを口走ってしまいましたね、わたくし。そろそろ行かなくては。いつまでもここにいては、あなた方に迷惑をかけてしまいますわ」
「まだ無理をなさらないほうが」
立ち上がろうとしてふらついたファルミアの体をとっさにカートが支える。
「まあ、ありがとう。力が強くてらっしゃるのね。助かりましたわ」
カートに手を預けて体勢を整えてから、彼女は数歩歩いて振り返る。
そしてカートに向かい――優雅なカーテシーを見せた。
「わたくし、ファルミア・デル・ファルブラムは、旅の御方のご厚情を決して忘れませんわ」
デル・ファルブラム―――王族じゃねえか!
カートは蒼白になって彼女のドレスの裾を掴んだ。
「まっ待ってください!せめて主人と家庭教師が帰ってくるまで!あなた様がいなくなってたら、わたしが叱られますっ」
これは厄介なことになった。
厄介なんてもんじゃねえ。
カートはごくりと生唾を飲む。
対処法を間違えると、ややこしいことになるのは間違いなかった。