10.王女の決断
隣の部屋に逃げ込んだファルミアは、窓辺に立って外の通りをぼんやりと眺めていた。
朝日の白い光の中に佇む王女はの姿は清らかで、こよなく美しく、厳かですらあった。
マクシマムは静かに王女に近寄っていく。
「マクシマム」
彼に背を向けたまま、王女は彼の名を呼んだ。
「はい」
騎士は静かに応えをかえす。
「ミア様がさきほどおっしゃったこと、あれは」
「王女殿下」
聡い王女は、急いて、敢えてその呼び方をする騎士の思いを正しく汲み取り、騎士に告げる。
「気にしないでください」
「――はい?」
想定外の言葉だったのだろう、一瞬騎士は固まって、それからすぐに我に返って跪いた。
「はっ、心得ております」
ふふ。小さな笑い声が部屋に響く。
喜びなど微塵も含んでいない、むなしい響きが騎士の胸を刺す。
彼は低頭したまま顔が上げられなかった。
床についた手をぎゅっと握りしめる。
騎士にも感情はあるのだ。
だがそれを完璧に律することができなければ、王女に仕えることはできない。
自分のうちで相克する思いをなんとか御そうとしている間に、王女のドレスの裾が床に落とした彼の視界に入ってきた。
「顔を――上げて」
命じられるままに頭を上げる。
と同時に王女が彼の前に屈んだ。
お互いの顔が、まつ毛の本数が数えられそうなくらい近くなって、とっさにマクシマムは体をのけぞらせる。
「ふぁっファルミア様!」
「ねえ、マクシマム。私を立たせてくださいな」
王女が何をしたいのか、マクシマムには分からなかった。
けれど、叶えられる望みならば、王女の望みは全て叶えてあげたいと思う。
立たせるなどお安い御用だ。
「仰せのままに」
エスコートするようにファルミアの手をとり、腰に手を当て、立たせてやる。
「では、私を抱きしめて」
「…それは…」
できない。してはならない。拳を握りしめ、マクシマムは顔をそむける。
「……できません」
「私はちゃんと王女の役目を果たすわ。ミア様の言ったことを気にしなくていいと言ったけど、でも当たっているところもあるの」
王女は白い手で、固く握りしめたマクシマムの拳にそっと触れた。
「お願い。一度だけでいいから、抱きしめて。その幸せを胸に、私は笑って嫁ぎます。お願い――」
王女が言い終わらないうちに騎士がその手を強く引いた。
あっと思ったときにはもう、ファルミアはマクシマムの腕の中に閉じ込められていた。
マクシマムは上着を脱いだ軽装だった。
薄手の白いシャツ越しに、彼の鼓動とぬくもりがファルミアの体に伝わってくる。
彼女は彼の胸に頬を擦り付け、手をそのたくましい背中に回して、ぎゅっと縋りついた。
「マクシマム」
騎士の腕に力がこもる。
声に出せない思いをぶつけるかのように、強く。
どれくらいそうしていたかわからない。
ほとんど同時に、騎士は腕をほどいて王女の肩に手を置き、王女は騎士の背に回した手を離した。
お互いの体の間に隙間ができる。
その寂しさを紛らすように、ファルミアは微笑んで顔を上げた。
「礼をいいます、マクシマム」
そして息をのんだ。
騎士が愛し気に王女を見下ろし、肩に置いた手を彼女の頬に添わせたのだ。
「いつ何時も、いつまでも、私はあなたの側にいて、あなたをお守りします」
だから、どうぞ幸せになってください。
つぶやきとともに、マクシマムの唇が、ファルミアの額に押し当てられた。
それはたぶんほんの一瞬で。
しかしファルミアにとっては、永遠に近いように思われた。
次の瞬間には、もう騎士の体は遠くに離れ、彼は臣下の礼をとっていた。
片膝をつき、深々と頭を下げる。
ファルミアも姿勢を正した。
彼が己の責務を果たすように、彼の覚悟が果たせるように、自分も自分の責務を果たそう。
背筋を伸ばし、顎を引いて、王女が騎士に命じる。
「プリンセス・ガード隊長マクシマム・ロイド・キャンバー。王宮までわたくしの護衛を頼みます」
「はっ。謹んで承ります」
マクシマムは深く低頭した。




