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大魔王女、婚活の旅に出る!  作者: 小鳥遊
プロローグ
1/23

1.プロローグ


設定紹介を含むため長めです。

 王宮もかくあらんという、贅を尽くした広間だった。


 豪奢な彫刻の施された巨大な円柱が、なだらかな曲線を描いて立ち並ぶ。

 煌びやかなシャンデリア。

 敷き詰められたベルベットの絨毯。

 壁際に並べられた大理石の卓には豪勢な料理が所狭しと並べられている。

 三十人編成の楽団も控えさせた。

 準備は万端。


 自分が直接手がけたわけではないが、それでも采配を振るったことに違いはない。完璧な広間の様子に、ミト・ダグズワードは手を腰に当ててふんすと鼻から息を吐いた。


 舞踏会の主催者でもある彼女は、この国〈グレゴリ〉の王女である。つややかな黒髪を背に垂らし、真珠をあしらった瀟洒な銀のティアラを戴く、絶世と言って過言ではない美少女だ。

 趣向を凝らした複雑なカットの宝石をちりばめたドレスは、たぶんその一着で小国の一年分の国家予算を超えるだろう。


 未だに人影一つない広間を見渡し、ミトは尊大に腕を組んだ。


 大陸にある諸国の王侯貴族をすべて網羅して招待した。返事を望まなかったのでどれだけの数が応じるかはわからないが、それでも全く来ないなんてことはないはずだ。


 客の姿がまだないのは開始時刻までまだ少し間があるからだろう。


 いずれ来始めるに違いない。どんと構えて待てばいい。


 さて、来るのはどんな人間か。

 そもそも、人間とはどんな生き物なのか。


 魔族の国グレゴリに生まれ育った彼女は、まだ人間を見たことがなかった。

 逸る気持ちを抑えてドレスの裾を翻し、ミトはバルコニーに出て庭を眺めた。

 整えられた美しい庭園を貫く石畳はかなたの正門まで続いている。

 門の外も中も馬車の影はない。

 玄関前に設けられた円形の広場にも一台も並んでいない。蹄の音も車輪のきしみも聞こえてこない。


 いやいや。まだ予定時間にはなっていないだけだ。自分に言い聞かせ、ミトは広間の台座に戻って椅子に腰を下ろした。

 焦ることはない。ゆったり構えて待てばいい。

 うん、待ってればいいんだ。

 待ってれば。

 待ってれば。

 待って…。

 …。


「だああああああ!なんで誰も来ないの!?なんで!?大陸じゅうよ?いったいどれだけの貴族に招待状を配ったと思う?」

 およそ姫君らしからぬ叫び声をあげて勢いよく立ち上がると、ミトは目を吊り上げて後ろに控えた従者を振り返った。

「スケディ、お前まさか招待状出し忘れたんじゃないでしょうね!?」

 睨みつけられた長身痩躯の従者は心外だという顔で手を掲げる。

「スケディライダスです。とんでもない。間違いなく大陸の隅々までお出ししましたとも」


 こちらも白皙の美青年である。秀でた額にかかる銀髪。前髪の隙間から覗く切れ長の目。血のように赤い光彩、薄く形の良い唇。冴え冴えとした美貌は怜悧で酷薄な印象を与えるが、おどけた仕草がそれをうまい具合に緩和させている。


「ならなんでこうなの!?なんで誰も来ないの!?」

「私に突っかかれましてもねえ」

 のらりくらりと躱す従者に怒りはさらにヒートアップして、ミトは自分より頭一つ分高い従者の胸ぐらをひっつかんだ。

 そのとき。

 ぶわんっ、と、突然青年従者の背後に黒煙がたった。

 中から一人の少年――年のころは十代半ばか――が姿を現す。


 灰色の巻き毛があちこち自由に跳ね回る丸い頭。くりくりとした大きな目は真っ黒で、強い光を湛えている。


 彼はてててと美姫に近づくと、ちょんちょんと彼女の肩をつついた。

「お嬢、災厄の森の結界、解きました?」

「へ?」


 災厄の森とは、大陸の北の果てにあるこの〈グレゴリ〉と大陸諸国を隔てる広大な森林のことだ。濃い魔の力が満ちる〈グレゴリ〉の影響で、強力な魔物が数多く出没する。そのため普段は〈グレゴリ〉の王が結界を張り、魔物の流出と人間の進入を防いでいた。

 招待された人間がこの国に来ようとしても、結界を解除しなければ入国できない。


「あっ」

 思い当ってミトは蒼白になる。

「お父様にお願いするの忘れてた…」


 結界を解除できるのは、〈グレゴリ〉を「管理」する王だけだ。

 灰色巻き毛の少年は、はあ、と聞こえよがしに大きなため息をついた。

「結界解かれてなきゃ、誰も入って来られませんよ。あの森抜けてここまで来るのだって、結構難関なのに…」

「勇者レベルの騎士でもいれば可能でしょうが、なかなか、ねえ」

 銀髪長身の従者が少年の横で頷きながら尻馬に乗る。


「スッ、スケディ、お前が言う?今更!?なんでもっと早く」

「スケディライダスですって。だって俺が姫さんに頼まれたのって、招待状とこの会場準備だけでしたもん」

「信じらんない!頼まれたことしかやらないとか、どんだけヘボ従者なのよ!お父様に言いつけてやるんだから!」

「えー、まあ、イイっすけど。姫さんがらみに関しては、王様絶対俺に味方してくれますからねえ」

 美青年の口元には皮肉な笑みが浮かび、光の揺らめく深紅の瞳が面白そうにミトを見下ろす。

「あ、あんたって」

 ミトの顔は憤怒で真っ赤だ。胸元で握りしめた拳がぶるぶる震えている。


「ストップ!そこまでにしてください二人とも」

 盛大な溜息をもう一回ついて、灰色頭の少年が二人の間に割って入った。


「姫さん、とにかくもう諦めて、この広間きれいにしちゃってください。で、スケディライダスは俺と一緒に災厄の森まで偵察に行こう。もし招待に応じてやってきてる人間がいたらまずいでしょ。丁重にお引き取りいただいて、王様に報告しなきゃ」


 大変建設的かつもっともな提案に、さすがにミトも冷静さを取り戻す。


 ふうっと深呼吸をひとつして気持ちを鎮め、

「…わかった。そうよね、先走ってしまったわ…。スケディ、出ていく前に広間のこれ全部片づけてちょうだい」

 若干の躊躇いを含みつつ、従者に命じた。


「スケ……もういいや。へいへい」


 しょうがねえな、という面持ちで生返事を返し、スケディライダスは美しい指先で空を切った。

 優美な指先からきらきらと光の粒が生まれ、あっという間に、きらびやかに広間を彩っていた絨毯も、大理石の卓も、料理も楽団も、すべてのものが消え失せる。跡形もなく。


 あとに残されたのは高い天井と大理石の白い床だけだ。


「これでいいっすか、姫…」


 言いかけた言葉が途切れたのは、不意にブラウスの袖口を引っ張られたからだ。

 彼の袖口をつまんだお姫様は俯いて何やらもごもごと呟いていて、よく聞こえなかったから、身を屈めて耳を寄せる。


「えっと、あの――…ごめん。せっかくお前ががんばって準備してくれたのに」


 銀髪の美青年は一瞬視線を上に漂わせ、それからこほんと小さく咳ばらいをした。

「問題なしですよ、姫さん」




 玉座に足を組んで座る王は、声を立てて笑った。

 見た目は若い。年頃の娘がいるとはとても思えぬ若々しさだ。

「さすがに直情径行が過ぎるぞ、ミト」


 野性味のある端正な顔立ちは、あまりミトに似ていない。が、ミトの黒々とした豊かな髪と透き通った碧い瞳は、間違いなくこの父親譲りだ。


 せっかちな王女は、早速件の顛末を報告するため、王宮の奥深くにある王の間に赴いていた。


 王の私室であり執務室でもあるその部屋は、それほど広くはない。

 正面に壇が作られ、王の座が設えてあるだけの簡素なつくりだ。ただし天井は吹き抜けといっていい高さがあり、垂れ下げられた紗に、大陸の映像が映し出されている。

 王はここで全土を掌握しているのだ。


「だって、お父様が言ったんでしょう、そろそろ婿取り考えろって!」

「だからってお前、自分で見合いの舞踏会を開こうなんて、短絡的にもほどがあるだろ」


 くつくつと肩を揺らす王。かなりツボに入ったようだ。

「スケディライダス。お前も言うなりになってないでちゃんと助言してやれ」


 ミトの後ろに、灰色髪の少年――名はカークという――と並んで控えていた銀髪の従者は、答える代わりに軽く肩を竦めた。


「まあ…ミトのことだからな。お前の諫言など聞く耳もたぬか」

「です。走り出したら私では止めるのは無理ですよ、陛下」


 まるで自分を猪みたいに言う従者の背中を、ミトはこっそり拳で殴る。

 でもスケディライダスの体は微動だにしないし、表情も動かさず全くの無反応だ。

 むかついて頬を膨らませていると、王の矛先が自分に戻ってきた。


「ミト。むくれてないで、始末をつけろ。招待客のほとんどは慇懃に辞退の意を伝えてきているが、参加の意向を示した王侯貴族もいないではなかったからな」

「え、そうなの!?」

 自分に興味を持ってもらえたのか。ミトの顔がぱっと明るくなる。


 が、すかさずカークが、

「来てたのってほとんど東部から南部にかけての諸侯でしたからねえ。魔の力にも魔物にも疎そうだったんで、グレゴリを偵察したかったんでしょうねえ」

 と、容赦なくミトの夢を叩き潰す。そして彼は賢し気な口ぶりで続けた。

「でも陛下、結界が解かれて意気揚々と森に入ってきた彼ら、すぐさましっぽ巻いて帰っていきましたよ。俺、わざわざ出迎えに行ってあげたんですけどね」



 魔の力はこの大陸全土から噴き出しているが、グレゴリの王がその大部分を〈吸い取って〉いる。だから大陸では、深い森や湖沼以外の場所に瘴気が満ちることはない。そのおかげで人は生活を営めているのだ。


 それでもすべてを吸い取るのは不可能で、そのせいで各地に魔物が生じることもある。

 魔の力が集積されているグレゴリに近い国ほど魔物の出現率は高い。「災厄の森」など魔物の巣窟みたいなものだ。

 逆にグレゴリから遠ければ遠いほど、魔の力は薄まる傾向にある。


 魔物は、人や動物などの生き物のうち、魔の力に反応する個体が魔に毒されて変質したものだ。動物なら魔獣になり、人ならば魔人になる。(魔の力はその者から思考を奪い取るが、ごく稀に、その力に飲み込まれない者が現れる。魔人の中でも知性と理性を残すそれを、人は「魔法使い」あるいは「勇者」と呼んだ)


 出現地域は限られるとはいえ、暴走する彼らが引き起こす人的被害も流通への影響も無視できるものではなく、魔物討伐は諸国の急務だった。しかし魔物に傷をつけられるのは魔を帯びたものだけだ。魔具を使うなり、あるいは魔の力を有するなりしなければ干渉できない。


 魔法使いにしても勇者にしても絶対数が少なく、戦力とするには限界があった。いきおい、魔具の生成や討伐部隊の編成に関してグレゴリの力を借りることが多くなる。


 必然的にグレゴリの近隣諸国はグレゴリへの依存を強めることになった。

 一方で海沿いに建国された国々や南部の王国は、魔物に遭うことがほとんどないがゆえにグレゴリに対する関心は薄い。


 とはいうものの、グレゴリの王、魔の力を統べるクラハルト・ダグズワードの「力」を大陸のすべての国が畏怖し、警戒しているのは間違いなかった。

 彼が膨大な魔の力を貯留し、それを魔法として放出できるからである。


 大陸各地に残る伝説よれば、かつて大陸中央にあった古王国がグレゴリの王によって一瞬にして壊滅させられたという。


 それほどの魔力を誇り、かつ、大地から放出される魔の力が途切れない限り半永久的にその力が供給され続けるという、この世の理を外れた如き存在が、〈グレゴリの王〉なのだ。


 ゆえに大陸の人々は彼をこう呼んだ。


 大魔王、と。


「まあそうだろうな。魔を帯びぬ人間では魔物に太刀打ちできん。逃げて正解だ」

 クラハルトは肘掛に寄りかかり頬杖をついた。


「なあミト、俺はお前にこう命じた。婿を見つけろ、と」

「ええ、お父様。だから私、諸侯を招いて――」

「人の世の身分なぞ我らには不要だろうが」

 ミトの言葉を切って捨てるように、父王が断じる。

「われらグレゴリの民が子をなすためには、魔の力を持たぬ伴侶を持たねばならない、という話もしたはずだ」

「はい。わかっておりますわ、人を呼んでその中から見繕おうとしたのはそのためです。だってここでは人に巡り合うことなどないのですもの!」


 ミトだってミトなりに考えた末の計画だったのだ。まったくもってお粗末で、こんな体たらくになってしまったが。


「お前はここより他の世界を知らん。そのお前がここに鎮座したまま相手を選ぼうなんざ、百年早いということだ」

 頬杖をついたまま、大魔王クラハルトはにやりと笑った。


「お前、旅に出よ」


「…………へ?」

「大陸諸国を漫遊して、相手を見つけてこい」

「……はい?なんですと?」


「魔力を受け付けん人間は掃いて捨てるほどいるんだ。何もお高く留まった貴族から選ぶこともない。もっと磨かれた、度量の大きい男を探してこい」


「ドリョウノオオキイオトコトハ」


「姫さん、カタコトになってるぞー。戻ってこーい」

 目が点状態のミトにスケディライダスが耳打ちするが、飽和状態のミトの頭には届かないようだ。父王の言葉が理解できないらしく、石像のように固まったまま動かない。


 グレゴリの王は容赦なかった。

「世界を見てこい。人間を知れ。そのうえで相手を選べ」


 言いたいことは全て言ったとでもいうように、クラハルトは膝をパンと手で打って立ち上がる。


「路銀も関所も気にすることはない。手を回しておいてやる。スケディライダス・グレイス、カーク・ニコラス、両名は護衛兼従者としてミトの供をするように。ああそれから」

 立ち去りかけて、振り返り、王は付け加えた。


「人間に不審を抱かれぬよう、お前たちの魔法は封じておく。人間に擬態していけ。だが不測の事態もあるだろう。封印を解く呪も教えておいてやろう」




「展開早くない?昨日の今日でもう出立?私まだ準備が整ってないんだけど。主に心の」


 王女に充てられた小さな離宮の一室。長テーブルに頬杖をついて、ミトは足をぷらぷら遊ばせていた。その横で、従者たちは荷造りに余念がない。


「お前たち、旅の支度なんて魔法なら一瞬でしょ。なんでわざわざ手作業?」


 着ていく服だって着替えだって、魔法さえ使えれば持参する必要はない。指を鳴らすだけで着替えられるのだから。


「姫さん、森を抜けたら王様に力封印されて、俺ら魔法使えなくなるんですよ。ある程度きちんと荷をまとめとかないと、あとで泣きをみますよ」

 カークが革製のトランクをあけて、説教しながらあれこれ物を詰めていく。実に手際がいい。


「だからって別に魔法で出したものが消えるわけじゃないし。私の準備はスケディがやってくれてるわよ。そうよね、スケディ」

「ス・ケ・ディ・ラ・イ・ダ・ス!その端折り方やめてください――って、これで100万回目だぞ」

 秀麗な従者は眉間に深いしわを寄せて、こちらも荷造りに追われていた。


「長ったらしい名前で呼びにくいんだもの。なんならスーって呼ぶ?」

「やめろ」

 長い手が姫君のこめかみをぐりぐりと押す。

「痛いってば!もう。ほら、手が止まってる!さっさと終わらせなさいよ」

 ミトはスケディライダスの手を払いのけると、立ち上がってドレスの裾を整えた。


「心の準備に時間がいるのかそれとも早く出かけたいのか、どっちなんだよ、ったく」

 ぶつぶつ文句を言いながら、スケディライダスも荷を背負い立ち上がる。


「できたの?それ私の荷物よね?」

「まさか。自分の支度くらいできるようにならないと、これから先やってけませんよ。てか姫さん、下着とか俺に用意させたいんすか」

 従者の真顔の発言に、ミトは一気に顔を赤く染めた。

「えあ!?そっ、そんなわけ!」

「だったら、早くしてください。ぐずぐずしてっと王様から蹴りだされますよ」

「お父様はそんなことしないもん!」

「こうやって追い出されてんじゃないですか」

「追いだっ…ちがうもん!かわいい子には旅をさせろだもん!」

「かわいい?おやどこにかわいい子が?」

「このー!もう怒ったー!」

 ぽかぽかと従者を殴るミト。されるがままの従者のほうも、してやったりと満足げだ。


「だーかーら!」


 二人の不毛な争いに、青筋を立てながらカークが割り入る。


「いい加減にしろよあんたら!行くぞ!」



 〈災厄の森〉に巣食う魔物は、人間の国の冒険者ギルドによる等級によればかなりの高レベルだ。だがグレゴリの魔族にとってはたいした脅威ではなかった。


 スケディライダスの指が優雅に舞う。と同時に目の前に迫っていた巨大な熊の魔獣が霧散した。背後ではカークが獣化した爪で魔物を切り裂く。


「相変わらず腕だけは確かよね、二人とも」

 従者二人に守られて、ミトはちょっとしたピクニック気分だ。


「だけは、だけ余計ですよ」

 カークの大きな目がじとっとミトをねめつけ、

「姫さんも戦ってくれていいんですよ。魔力だけなら俺ら二人よりずっと上でしょうが」

 スケディライダスも皮肉ってみせたが、あいにく姫君には通じなかった。


 普通にテンション高く、楽しそうに二人を振り返って彼女は微笑む。

「私の出る幕なんてないじゃない。ねえ、向こう側ちょっと明るくない?もうすぐ出口なのかな」


 この森は迷路でもある。しかし今は〈グレゴリ王〉の力で迷路も解かれ、道はひたすらまっすぐだ。

 一刻もたたぬうちに、三人は森の出口にたどり着いた。


 うっそうと茂る巨木に寄生したツタが分厚く道の上を覆い、わずかに人が一人通れるほどの隙間から、真っ白な光が差し込んでいる。


「とりあえず、王様からの指示、確認しとこうよ。この隙間を抜ければ人間たちの世界だ。俺ら全員の設定、ちゃんと覚えとかないと面倒くさいことになりかねないからね」


 灰色髪のカークは、道の脇にある曲がりくねった木の根に腰をおろした。銀髪の従者と姫君にも座るように促す。愛らしい少年の風貌ながら、実はこの男がいちばんの苦労人であり知恵者なのである。


 そのメモは出立間際に渡された。「王様の考えた偽装プロフィール」。不服があっても申し立てできない、狙いすましたタイミングである。


「姫さん、いや、お嬢様、ご自分の設定は覚えてらっしゃいますね?」


 カークに問われて、町娘の旅装に身を包んだミトは目を眇めて顎を突き出す。ナメてんじゃないわよ、それくらいあたりまえでしょ、というポーズである。


「ドレスティアーノ鉱山領の鉱山主の娘、ミア、十八歳、両親は健在、兄が一人。手芸が得意な恋人いない歴十八年の美少女よ!」


 ドレスティアーノは北西の離れ小島である。表向きグレゴリ統治下にあるとされているが自治権が認められ、代官は置かれているものの、行政は地元の名士たちが担っていた。


 鉱物資源が豊富でその採掘と加工で莫大な利益を得ているこの領を、近隣の諸国は喉から手が出るほど欲しがっていたが、グレゴリの傘下にあっては手出しができない。と同時に、ほとんど鎖国状態に等しいこの領の内情を知る国家も人間も、極めて数が限られていた。


 そんな地域だ。素性を騙るにはもってこいなのである。


「スケディライダス、お前は」


 振られて銀髪の従者は非常に、ものすごく非常に、とてつもなく不服そうな表情を浮かべた。微笑を浮かべようものなら、周囲の婦人が卒倒してしまいそうなくらい整った口元は、今は見る影もなくへの字に曲がっている。


「――スケディ・レオノール、二十三歳。エルミアの零落した貴族の末孫。放浪先のドレスティアーノで鉱山主に出会い、剣の腕と博識を見込まれて雇われた。現在ミア嬢の家庭教師兼護衛」


 エルミアは大陸の北東にある山岳地帯の小国で、小規模の豪族の小競り合いがずっと続いている。貴族の入れ替わりも激しく、これもまた偽装しやすい地域だった。レオノール、というのも実在の子爵家で、今はもう断絶している。


 ぶすっとして唸る彼の隣で、ミトがあくどい笑みを満面に湛える。

「うふふふふ。スケディ」

「うぐっ」

「ねえスケディ♡――って、いたたたっ痛い痛いっ」

 調子に乗って偽名を連呼するミトのほっぺたを、スケディライダスが思いっきり引っ張り伸ばす。


「おふぁえ(お前)、おひょうははひほうなふはひほ(お嬢様にそんな無体を)っ」

「おや~私はお嬢様の家庭教師ですからね~。躾も任されてますんでね~。人に対するマナーを教えてさしあげてるんですよ~」


「…スケディライダス。抑えて」


 カークの声が冷気を纏う。あ、これ、まずいやつ。伊達に長く付き合ってはいない。スケディライダスはすぐに危機を察して、おとなしくミトのほっぺを解放した。


 カークは額に手を当てながら、自分のプロフィールを確認し始める。


「俺の設定はお嬢様の小間使いのカクベル。貧民の出で、お嬢様を最低限お守りできるように武術の心得を叩き込まれた、身の回りのお世話を仰せつかってる十四歳女子。…女子」


 大事なことだから二回繰り返したのか?

 ミトとスケディライダスが同じ表情でカークを見つめる。


 だがどうみても不機嫌そうだ。いや間違いなく不機嫌だ。無理もない。一見かわいらしいが、くりくりとした大きな目も灰色の巻き毛もバラ色の頬も実に愛くるしいが、背丈もそこまで高くなく、声もまだ少年らしく高めではあるが、それでもカークはれっきとした男子なのである。


 だが彼は意志の力で不満を抑制し、キッと顔を上げた。


「女子」


「いや、わかってるから。俺も頑張るから」

 スケディライダスは彼の両肩に手を置いて、うんうんと頷く。


 カークはそんな友をまっすぐに見つめ。

「スケディ」


 互いにこくんと頷きあい、ひしと抱き合う。

 男同士の固い紐帯が、今ここに結ばれたのだった。


 旅の表向きの目的は、金持ち令嬢の物見遊山。目あては南端ロマノ公国にある聖協会大本山(※有名な観光地)。しかして、真の目的は、婚活。


「ともかくこっから先は腕っぷし頼りだな」

 スケディライダスは上着のポケットから紐を取り出すと、肩まで伸びている銀髪を無造作に括る。それから腰に佩いたレイピアの柄に手を添えた。


「そんなすぐに危機的状況に陥るとは思えないけど、気を抜かないに越したことはないね」

 カークがエプロンの紐を改めてキュッと結ぶ。


「いざってときは力を解放できるから。大丈夫だよ」

 ミトはレースの日傘をぱっと開いた。


 では。

 いざ、出発。


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