第7話 ネバルグラスの保水力
「だが、乾燥は別問題だな。このあたりは雨が降らないのか?」
そう言われて、俺は隣のミュリさんを見る。
「降らないですわね……」
「では、クロノとミュリはどうやって水を得ている?」
「それなら、わたくしの家の裏に井戸がありまして! 毎日そこから水を汲んでいるのです!」
「……妙だな。山の地表は干上がっているのに、井戸水だけは枯れていないとは」
「言われてみれば……」
「もしかしたら地下深くに水脈が眠っているのかもしれないが、分からないな。まあいい。雨が降らないとなると……厳しいか。人工的に雨を降らす方法などありはしない。それに、水の魔法もコストが大きすぎる」
「そういうもんなんですか。何か、強制的に雨を降らせる方法って思いつきませんか?」
俺の言葉に、アサさんは少し顎に手を当てて考え込み、やがてぽつりと呟いた。
「思い浮かぶのは──周囲に雨を降らせるというジエロドラゴン、そして水の精霊か。あとは……悲涙石、人間の言い方で言うとアマルマイトか」
「なんなんですか、それは?」
「水が染み出てくる鉱石だ。だから我々は悲涙石と呼んでいる。実際は周囲の魔力を水に変換しているらしいが。魔法には決してできないような高効率でな」
「ジエロドラゴンに精霊、悲涙石……」
俺はウツセミの山の書を取り出して、ページをパラパラとめくる。
しかし、該当するようなものは出てこなかった。
「それはなんだ?」
「これは、ウツセミの山の書といって、ここに載っている魔物や植物であれば召喚することができるんですよ。ほら──」
俺は何気なく、バジリスクのページを開いてスッと指を滑らせる。
「――こんな感じで」
目の前に現れたバジリスクが、ぐるる……と小さく鳴いた。
「なんと……」
アサさんは、口を半開きにして完全に固まっていた。
「このウツセミの山の書を使って、クロノ様にはこの山を救ってもらうのですわ!」
何故かミュリさんが誇らしげに胸を張って言う。
「……であれば、ジエロドラゴンや水の精霊は召喚できないのか?」
「うーん、残念ながら載ってなさそうですね……。もっと山ポイントを貯めれば出てくるのかもしれませんが」
「山ポイント?」
俺はアサさんに山ポイントの仕組みを説明する。
アサさんはしばらく黙ってから、ぼそっと呟いた。
「……つまり私は、雑草を抜いて得られたポイントで召喚されたわけか。何というか、感慨深いような、複雑なような……」
「すみません、どうしても実を食べたくて……」
俺が平謝りしていると、アサさんがふと樹のほうを見ながらつぶやいた。
「――そこなんだが、シルマリルの樹を召喚した時、苗木ではなくすでに育ちきった状態で現れたな」
「……まあ、確かに」
アサさんに言われて、今さらながら気づく。
たしかに召喚された木は立派に育っていた。
魔物もそうだ。バジリスクだって最初から大人サイズで出てきたし、そういう仕様なのか?
「そのあたりの仕組みはわかっていないわけか。だが、使えるかもしれない。――クロノ、その本の中にネバルグラスは載っていないか?」
「ネバルグラス……どっかで見たような」
記憶をたどる。たしか、雑草抜きに必死だったあの初日──
そうだ、雑草を毟って、やっとの思いで溜めた山ポイントでグリーンスライムを召喚した際、ネバルグラスという記述を見たな。
確か――これだ。
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【植物名】 ネバルグラス
【分 類】 深根性保水草
【コスト】 50
【解 説】
ネバルグラスは地中深くまで根を張る多年性植物で、極めて高い保水力を持つ。
地上部は細くしなやかな草体だが、地下には水分を蓄える貯水嚢を備えており、1株で最大1リットル相当の水分を保持できるとされる。
根は一般的な草の5~10倍もの深さまで到達し、さらに横方向にも広がって根を張るため、斜面や岩場でも安定して定着する。これにより、土壌の流出や地表の浸食を防ぐ効果が高く、山の地盤を整える基礎植物として重宝されている。
その性質から、長期の乾季や極度の乾燥環境にも耐性があり、1年近く雨が降らなくとも枯れずに生存するという報告もある。
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”1株で最大1リットル相当の水分を保持” ――
「そうか! ネバルグラスもシルマリルの樹みたいに、水を蓄えて召喚される可能性が!」
「――ああ。ネバルグラスは周囲から水を吸い上げて保持するが、自ら水を生み出すわけではない。だが、シルマリルの樹だって本来は肥沃な土と豊富な水がなければ育たないはずだ。にもかかわらず、実がなった状態で召喚できた。ならばネバルグラスも、水を蓄えた状態で現れる可能性は高いと思ったわけだ」
さ、さすがエルフ、自然にお詳しい……
実を取ってもらうために召喚したのに、めちゃくちゃ知識面で役に立ってくれているな。
「よし、早速やってみます!」
ネバルグラスの召喚に必要な山ポイントは50──これなら気兼ねなく召喚できる。
俺は迷わず人差し指をスッと上へ滑らせた。
すると目の前に、ぽんっと一本の草が現れた。
見た目はどこにでもありそうな、細くてしなやかな草だな。
アサさんがそっとしゃがみこみ、指先で茎に軽く触れる。
「――見てみろ、草がしっとりと湿っている。ちゃんと水を蓄えてるな」
「ほんとだ……ってことは、シルマリルの樹の周りにこれを召喚しておけば……」
「ああ。多少はグリーンスライムに食べられるだろうが、それでも構わない。土に潤いを与えるのが役目だからな」
俺はアサさんの言葉に頷くと、シルマリルの樹の周囲に適当にネバルグラスを召喚しまくる。
ボンッ、ボンッ、ボンッ……。
――よし、これで少しはマシになるはずだ。
「……最初は雑草でぼーぼーだったこの広場が、なんだかステキな広場になりましたわね」
ミュリが嬉しそうに目を細める。
たしかに、最初はぼうぼうに生い茂っただけの荒れ地だったが――
今は小さな草が整然と広がり、中央には立派な果実を実らせたシルマリルの樹。
ミュリさんの言う通り、ピクニックでもしたいような環境に変わったな。
グリーンスライムとバジリスクが玉に瑕だが。
「――シルマリルの樹も、少しはマシになったと喜んでいる。これなら、すぐに枯れることは無さそうだな」
アサさんがふと笑みを見せた。
俺も深く頷く。
ネバルグラスを定期的に追加で植えて行けば、この乾燥した土にも少しは潤いが戻ってくるだろう。
その後、アサさんにシルマリルの実を2つほどもいでもらった。
まだ8つくらいは枝にぶら下がっているが、一気に収穫しても食べきれないからな。
「アサさん、これからシルマリルの実の試食会を兼ねた昼食を取ろうと思うので、一緒にミュリさんの家に行きませんか?」
「ミュリの家、か。先ほど話していた井戸も気になるところだ。行っても良いか?」
そう言ってアサさんは視線をミュリに向ける。
「もちろん! 大歓迎ですわ!」
ミュリがパッと笑顔で手を挙げる。
こうして俺たちは、初めてのシルマリルの実を手に携え、ミュリの家へと戻っていった。