変わらない真矢の友情と悠の愛情
翌日、メイサが登校し、教室のドアを開こうとすると、悪い予感が頭を掠めた。メイサはその未来予知を脳裏に浮かべると、ドアを開けた途端、上から黒板消しが落ちてくる典型的な悪戯が見えた。メイサは嘆息をつくと、教室の前の扉から教室の中へと入った。
「おはよう、真矢。」
「メイサ! おはよ!」
メイサは昨日より悪戯がエスカレートしていることに思いの外ショックを受けて、口調が暗くなってしまった。重々しい雰囲気を察知した真矢が、不安げな顔つきでメイサの元までやってくる。
「…どうしたの? なんか嫌なことでもあった?」
真矢の気遣いに、メイサは目頭が熱くなり、彼女にはいじめのことを話しても良いのではないかと頭を掠めた。だが、まだ起きてもいないことを話して、真矢に無駄に心配してもらうのは申し訳ない。
「…ううん。なんでもないわ。ありがとう。」
「そう? …まぁ、能力者だってバレた時点で、周囲の目とかきついよね。私も精一杯カバーするけど、至らなかったらごめん。」
「真矢あぁ。あなた本当にいい人ね。」
メイサは真矢に倒れ込むようにぎゅっと強く抱きついた。真矢からすれば、メイサの大袈裟な反応に瞠目しただろうが、彼女は何も言わず、メイサを優しく抱き返してくれた。メイサがチラと教室の後方を見ると、メイサを睥睨しながら、後方のドアに仕込んでいた黒板消しをとっている数人の女子らの姿があった。能力者だとバレる前は、メイサは彼女らとも普通におしゃべりをしていたというのに。気づくと真矢の服を掴む力がこもっていた。メイサは慌てて真矢のブレザーから手を離す。すると、真矢が瞳を細め、口角を上げた。
「メイサ、もし何かあったんなら、私に相談してよね。」
「…うん。ありがと。」
真矢の心からの親切な言葉に、隠し事をしているメイサは少し心苦しくなる。しかし、現実ではまだ何も起きていないのだ。今のままでは、未来予知はメイサにしか分からないので、メイサの妄想と同一になってしまう。まだ隠しておくべきだ。
真矢と一旦別れ、メイサが自席へつく時にも、いじめを仕掛ける女子の一人に足を引っ掛けられそうになったが、事前に察知して避けた。すると、あからさまな舌打ちが聞こえてきて、メイサの心がキュッと縮まるようだった。その後も、メイサの移動のたびに足が仕掛けられて避け、消しゴムやペンなどを隠されそうになってその前に鞄の奥底に隠したり…と、細々とした悪質で陰湿ないじめが続いた。まぁ、その全てが行われる前にメイサによって防がれているのだが。彼女らは一体どう考えているのだろう。メイサの能力が未来予知だということは知っているのだろうか。それならば対策を考えるだろう。防げない場所や時に大勢でやってくるとか、登校前に机の上に花を置いておくとか…。
(今はアタシの能力に気づいていないだろうけど、そのうち気づくでしょうね…。そうなれば絶対に防げないいじめになるわ…。防げないいじめなんていくらでもあるもの…。)
メイサは深く嘆息をついた。もしその時がくればその時で、メイサ側にも悠という切り札があるし、他人――真矢、そして光姫や杏哉にも相談できるようになる。メイサは気を落とさぬように一人でガッツポーズをした。その時、昼休みを告げるチャイムが鳴り響き、号令がかかった。気づけばもう四限も経っていた。いじめを察知しては防ぐという、気が滅入るようなサイクルを繰り返していたため、時間の感覚が狂っていた。
「メ〜イサっ、お昼食べよ? もしかして、今日も光姫様達と食べる日?」
その時、明らかに元気のないメイサを元気づけるように、真矢がにかっとお天道様のような笑顔を浮かべてやってくる。
「…ええ、食べましょ。ううん、今日はお姉様達と食べる約束はしてないの。」
真矢がメイサの一つ前の席の椅子をこちらに向けて、メイサの机に二人でお弁当箱を広げる。ちなみにメイサのお弁当は光姫の屋敷に住み始めてから、元三星シェフの菊乃さんに作ってもらっているので、毎日が楽しみである。それでも、そんなワクワクした気持ちを上書きする半日の出来事で、メイサが嘆息を吐きながらお箸を持った時、
「メイサ。」
と、思わず自分の声だったろうか、と錯覚するくらいに聞き慣れた声が耳に響いた。それはいつだって、どこでだって、隣にいてその声でメロディーを奏でて欲しい、最愛の人の愛しい声。雑音がどれほど煩くても、きっと彼の声だけはこの耳に一直線に届く。
「悠!」
メイサは途端に愛しい気持ちが溢れ出し、持っていたお箸をぞんざいにナフキンの上に置き、ガバッと立ち上がって後方のドアに向かって駆け出した。そして悠の姿を目の前にして、メイサは両手を広げ、彼にガバッと抱きついた。いじめの内容は少しだけエスカレートしているとはいえ、ほとんど昨日と同じだ。だが、二日目は想像よりも一層精神が狂う。無性に彼に慰めて欲しかった。頭を撫でて、今日の話をとことん聞いて欲しかった。メイサがぎゅっと強く抱きつくと、悠も思い切り抱きしめ返してくれた。突然始まった熱い抱擁に、周囲が色めき立つ。
暫時そうしていて、段々と気持ちが落ち着いてきたメイサは、徐に背中に回していた腕を下ろした。
「…メイサ、大丈夫?」
悠がメイサを気遣って、俯いた顔を覗き込む。その表情からは、憂慮だけでなく、焦燥や憤怒等の複雑に混じり合った感情が垣間見えた。おそらくメイサが心配で、わざわざ教室に訪れてくれたであろう悠。そしてそんな状態の彼女が、悠を目にした途端抱きついてきた。悠からしてみれば、メイサを傷つける何か深刻な出来事が起こったと考えられるのが普通だ。怒りの感情は、メイサを傷つけた相手に対する激情。メイサは慌てて手を振った。
「ちっ、違うの! 別に、昨日と変わりは何もないのよっ。だから大丈夫! 何も起きてないわ。ただ…悠の顔を見たら、無性に抱きつきたくなって…っ。」
「昨日と変わらないんだったら、普通に深刻じゃないか。全然大丈夫じゃないよ。」
悠はきっと目を鋭くさせ、一刹那、教室中を睥睨した。だけどそれはほんの一瞬のことで、すぐにいつもの柔和な表情に戻り、メイサの頭を自身の胸に引き寄せて優しく撫でた。
「…ありがとう。」
メイサは悠の腕の中にいるだけで、半日の出来事によって生み出された負の感情が、炭酸が抜けていくようにしゅわしゅわと浄化されていくのを感じた。愛しい彼の胸の中は、メイサを想う温かみに満ちていて、ひだまりのように心地が良かった。
「…あ、お弁当食べてる途中だった? ごめん、邪魔して。」
悠はそこでメイサの席に、置いてきぼりにされた親友の姿と、手を一つもつけずに残されたお弁当に気がついた。ちなみに真矢の顔はのぼせたのかと錯覚するくらい紅潮している。
「ううん、いいのよ。来てくれてありがとう。すごく気分が良くなった。あの子、アタシの親友で真矢っていうの。今のアタシにも前と変わらない態度で接してくれる、滅茶苦茶いい人よ。そういや悠のファンって言ってたわ。紹介する。ついてきて。」
「えっ。」
メイサに腕を引かれ、悠は一つ先輩の教室へ足を踏み入れる。ただでさえ能力者のメイサがクラス内にいることで不穏なのに、更にもう一人増えたら余計に気分を害するだろう。悠は幸運なことに、クラスでは愛之助をはじめとしたクラスメートに親しくしてもらっている。しかしここではただの邪魔者だ。悠は木目の床を見ながらトコトコと歩いた。