いじめ
「すみません、先生! アタシも腹痛なんで先に失礼します!」
「っ…月輪さん、わかりました。お大事に。」
メイサはそう宣言して急いで教室を抜け出した。担任は能力者であるメイサへの対応を決めかねているので、近頃は腫れ物に触るようにメイサを扱う。それは少なからずメイサへショックを与えたが、今はそれどころではなかった。
メイサはすぐさま階段を駆け上がり、最上階・五階にある空き教室へと向かう。目的地へ到着し、教室の後方の扉を思い切り開ける。そこには、二人の女子によって両手を掴まれ身動きを取れぬようにし、又、言葉を発せぬように口をガムテープで覆われたた真矢の姿があった。
「ちょっと何のつもりなのよ! 真矢は何も関係ないじゃない!」
メイサは真矢をそんな状態にした数人の女子らに向けて叫ぶ。彼女らは紛れもない、メイサを未来予知の中でいじめていた、元々そこそこ仲の良かった同級生たちだ。
「そうね。確かに真矢は関係ないわ。彼女にこんなことして本当に申し訳ないと思ってる。けどそれも全部、いじめられてるのがわかった上で逃げ続けたあんたのせいでしょ。ほんとムカつくんだけど。偶然にしちゃ、当たらなすぎだと思ったのよね。そうしたらなるほどね、能力行使のインチキか。どうりで。ねぇ、能力者が私たちと同等の存在なんておかしいと思わない? ねぇ知ってる? 私たちってね、元から能力者に怯えて暮らしてきたのよ。それなのに、差別がどうとかって、あんたたちが被害者ぶってんじゃないわよ。平等なんて言われて、能力者は法に触れない範疇で能力を行使しても誰にも咎められない。何されるか分かったもんじゃないわ。突然そんな法律ができて、みんな怖がってんのよ。ストレス溜まってるところにさ、丁度いい身近な的がいる。それなのに避け続けてるんじゃないわよ。」
数人の女子生徒らのうち、代表してロングヘアの女子が、溜まり溜まったストレスを吐き出すかのように、滔々と能力者への憎しみを、いち能力者のメイサにぶつけた。
「何よ、能力者だからっていじめを正当化するなんておかしいわ。先生に言いつけてやるんだから。ほら、真矢に証言してもらえるしね。」
メイサは一瞬彼女の憎しみに怖気付くも、負けじと正論を返す。すると、ロングヘアの彼女はふっとメイサの言葉に鼻で笑い、
「それは困るわね。それなら口封じするわ。」
と、あくまでも優位にあるのはこちらであるというふうにニヤついた。メイサはその意図が図れず、眉根を寄せて首を傾げる。
「ものわかりが悪いわね。こういうことよ。」
ロングヘアの彼女がそういうと、背後にいた数人の女子らが真矢の座っていた椅子ごと持ち上げ、窓際に持っていった。メイサはその行為の全貌が分かった気がして焦りが生じるも、まさかそんなことはするまい、と言い聞かせて冷静を保つ。
「…先生に注意受けるだけじゃ済まされないわよ。」
メイサが低い声で冷静を保って忠告すると、ロングヘアの彼女はまたしても鼻で笑った。
「何よ、脅しちゃって怖い怖い。大丈夫よ、ここには能力者がいるんだからね。親友の真矢の危機となったら、あんた絶対に能力使って防ぐでしょ。あんたがここにいる限り、真矢は守られてるんだから、いい条件すぎるわよ。」
その発言に、微かな焦りは確かな焦燥、いや、恐怖へと形を変えた。つまり、彼女らは能力者に対して勘違いをしているということだ。メイサに未来予知の能力しかないとはつゆ知らず、真矢の危機には何らかの能力を行使して守ることができると思い込んでいる。これは大変危険な状況だった。大袈裟でもなんでもなく、真矢の命の危機に関わる。とりあえず、真矢を安全な場所へ渡してもらわなければならない。それが今すべき一番だ。
「…とりあえず、真矢をこちらへ渡して。」
「やあね。ただ渡せと言われても、真矢は初めから安全圏にいるんだから、そんな甘いことできるわけないでしょ。私たちは能力者が怖いのよ! けど一応真矢っていう人質がいるんだから、どうしても能力を使わないといけない時以外はいい交換条件でしょ。いくら能力といったって、真矢がそこにいる状態で使ったら、真矢にまで危害が及ぶ可能性だって高いわけじゃない。だからあなたは今能力を使えない。…そうね、真矢の代わりにメイサがこっち来なさいよ。」
ロングヘアの彼女に謎の理屈を語られ、メイサは能力を拳銃か何かだと勘違いしているのかな、と思いつつ、慎重な足取りで彼女らの元へと向かう。
(まぁ確かに、緑の能力者とかだったら、もし樹木が倒れてきたりしたら、被害及ぶか…。あながち間違ってもないのかな…。てか、アタシそもそも物理的な能力ないんだけどね。)
メイサは妙に冷静になり、真矢が数人の女子らによって教室の廊下側へ連れてこられたのを見て一安心しながら足を進める。そうしてロングヘアの彼女とその横に控えていた二人の女子の目の前にまでやってきたと思ったら、グイッと体を押され、窓のふちにお腹が押しつけられ、体の上半身が屋外へと飛び出していた。下に視線を向ければ、ここから落ちたら無事では済まないと確信できる高さ。五階から落ちるのだから当たり前だ。硬そうなコンクリートが今か今かと待ち構えているように思えた。思わず身震いする。
「なっ、何するのよ⁉︎」
「もう、そんなに焦んなくても。どうせ落ちても能力でなんとかなるんでしょ。でもさぁ、それでも形が重要だと思うのよ。スカッとすると思うの。実際怪我したら責任問われるし嫌だけど、能力者だったら皮肉にも安心できるしね。」
メイサの額に冷や汗が伝う。これはまずい。非常にまずい状況だ。目の前が真っ暗になる。いや、赤のようにも緑のようにも見える。それに視界が定まらない。体温がおかしい。暑いのか寒いのかさえわからない。喉もカラカラに乾き、頭も働かない。ふらふらするし吐き気がするようなしないような。心臓も激しくなっている。焦りで思うように息ができない。まるで熱中症になったかのような。下を見れば硬そうなコンクリート。彼女たちは本気だ。誤解ゆえにメイサをここから突き落としても生還できると本気で信じ込んでいる。確かに多くの能力者はなんとかしていきながらせるかもしれない。しかし闇の能力者の派生には不可能だ。そもそも闇の能力者は攻撃的な能力のレパートリーが少ないというのに。
「ちょっとあんたたち、いい加減にし…っ!」
メイサが最後まで言い切る前に、最悪の事態は起きてしまった。屁理屈になってしまうが、〝最悪〟という漢字は〝最も悪〟なので、よほどのことが起こらない限り日常で軽々しく用いる〝最悪〟は最悪ではない。だがこれは誰の目から見ても明らかな〝最悪〟だ。彼女らはなんて頭のネジが狂っていることだろう。メイサが命の危機を回避できる能力を持ち合わせている証拠なんて、どこにもありゃしないのに。ましてはそれを彼女らが知る由もないのに。勝手に決めつけ、勝手に楽しんで。なんとあっけない人生だったろう。
言葉だけのものではあるが、形の上では能力者と無能力者は平等になったのに。怯えて暮らしてきたのは確かに無能力者の方かもしれないが、だからといってむやみやたらに能力を振るうわけがない。そう決めつけた無能力者により、自由を奪われた能力者だって紛れもない被害者だ。今後は生まれ持って得た能力を使っても咎められない。隠すことだってしなくていい。そんな平和を望んでいたが、何をするまでもなく、ここで終わってしまうのか。
メイサが頭の整理が追いつかぬまま、未来を予知するまでもない未来に向けて、全てを諦めたかのような柔和な笑みを浮かべ、目を瞑って天と地が逆さまな世界からおさらばした。
(悠…。)
目を瞑り、目の裏に映ったのは最愛の人の顔だった。せっかく運命だと思える人に出会えたのに、こんなことになるなんて。今すぐ彼の元に駆け寄ってその胸に埋もれたい。
もうそろそろだろう。たった五階だ。すぐに地に着く。それに、たった五階なので打ちどころが悪くなければ生還できる。そんなことを冷静に考えてその瞬間を待っていると、どこかで大声でメイサの名を呼ぶ声と共に、硬いコンクリートではなく、バシャン、と大きな水飛沫が上がり、気がつくと水中に浮かんでいた。しかし呼吸はこれっぽっちも苦しくなく、水の中でも息ができた。ぷかぷかと漂っていると、この水がメイサを囲う一帯にのみ生じていることがわかった。巨大な水の円柱の中にメイサはいた。体を軽くしていると、だんだんと水面へと浮き上がってくる。円柱の水面は一階と二階のちょうど境目くらいだ。こんな事ができるのはあの人しかいない。メイサの双眸から溢れんばかりの涙がこぼれ出した。大粒の涙が、水でできた円柱に落ちて幾つもの波紋を作り、一体化する。
「メイサぁぁぁあ‼︎」
その時、耳をつんざくような悲鳴に近い男の声が聞こえてきた。メイサは声がした方に顔を向けると、双眸に涙をため、全速力でこちらへ走ってくる悠の姿があった。
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