メイサの家訪問
黒塗りリムジンの後ろの扉が自動で開き、メイサと悠はわざわざ車を出してくれた島光さんに深々とお辞儀をして、優雅な足取りで降車した。しかしそんな仕草とは対照的に、地面に降り立った二人の表情は剣呑としていた。
ゴクリ
悠が重い足取りで歩を進め、立ち止まって唾を飲む。そして深く息を吸い込み、大きく吐き出すと、キリッと覚悟を決めた表情で前を見据えた。眼前には、特筆すべきもののない住宅街の中の一軒家。間口は広めの二階建てで、クリーム色の外壁に黒いスレート瓦。一回は半分が車のガレージになっていた。特別広くは見えないが、庭の芝生や植木がよく整備されており、二つ連なった花壇には可愛らしい色とりどりの花々が咲いていた。何を隠そう、悠の最愛の人・メイサの実家である。
メイサは不安や恐怖等の感情を隠しきれない悠を不安げに隣で見つめ、同様に深呼吸して、悠の背中に優しく手を回す。
「大丈夫よ、いざとなったらアタシが庇うわ。」
「いやっ、庇わなくちゃいけない状況って…余計に怖いから!」
恐怖からくる悠の渾身のツッコミに、メイサは哀れみの視線を向ける。
「まぁなんとかなるわ…多分。」
「多分って…。」
「くよくよしてても仕方ないじゃない。ここまで来たんだから。さ、行くわよ。」
遡ること数時間。翌日、いつも通り四人で朝食を取った後、いつもとは異なって光姫と杏哉を屋敷で見送ったメイサと悠。二人はその後、屋敷から一時間ほどの距離にあるメイサの家に向けて、九時に屋敷を出発したのだった。
メイサの実家の正面で、話を聞く限り相当のモンスターペアレントであろうメイサの父親に怖気付いて足を踏み出せない悠の手を引いて、メイサはズカズカと進んでいく。悠は半ば引きずられるようにして歩み、メイサが玄関のチャイムを鳴らす様子を眺めていた。
『はーい。あら、メイサちゃん! お帰りなさい! 今開けるわね!』
彼女の応答の出たのはメイサの母親だった。彼女の温かみに溢れる穏やかな声色に、悠は知らず知らずのうちに上がっていた肩が元の状態に戻っていた。そうして待つこと数秒。ガチャ、と開閉の音がして、黒色の玄関の扉が開く。
「メイサちゃん! おかえり。そちらの方は悠くんね? 初めまして。メイサの母親の、月輪ルナです。いつもメイサちゃんを助けてくれてありがとう。」
扉から顔を出したルナは、吊り目気味で気の強そうな印象を与える顔つきのメイサとは打って変わり、垂れ目の究極体とでもいえそうな双眸を持った柔和な顔つきで、にこやかに微笑んでいた。見つめられると思わず釣られて微笑んでしまうような、そんな安心する顔。けれど夜の底のような漆黒色のサラサラな、肩より少し上で短く切り揃えた髪や、高い鼻、また、形の良い桜色の唇は共通していて、どことなく親子であることを感じさせた。タイプの違う美人親子だった。
「はいっ。水氣悠です。こちらこそ、メイサ…さんには、いつもお世話になっております。」
名前を呼ばれて感謝の年を告げられ、悠は我に返って深々と頭を下げた。
「もう、そんなに硬くならなくていいわよ。メイサちゃんから何を聞いたか知らないけれど、体がガチガチよ。パパはどうだかわからないけれど、私は貴方達の交際に反対していないわ。」
ルナはくすくすと微笑みながら上品に笑った。
「あっ、ありがとうございます。」
「こんなとこで立ち話もあれだし、さ、中へどうぞ。」
ルナに促され、悠とメイサは顔を見合わせて微笑みあってから門をくぐった。家の中に入り、廊下を抜けて奥にある洗面所で手を洗った後、そこから見て左手に位置するリビングルームへと通された。広々とした造りで、左手に部屋全体を見渡せるキッチンがあり、中央にダイニングテーブル。そして右手にソファとテレビ等が置かれ、リラックスできる配置になっていた。見渡す限り、メイサの父親の姿は見られない。
「パパはね、今日はせっかく愛娘が帰って来るのに、偶然会社に呼ばれちゃって。どうしても行かなくちゃいけないってことで、泣く泣く出かけていったわ。でもそうね、お昼には帰って来るらしいから、あと二時間ね。」
悠の思考を読み取ったかのようなタイミングで、ルナがそう説明する。穏やかで鈍感そうに見えて、実は彼女は相当勘の鋭い人なのかもしれない、と悠は薄々気づく。
「そうだわ、メイサちゃん。せっかくだし、メイサちゃんの部屋にも悠くんを連れていってあげたら? 彼女の母親がそばにいるのって、彼氏からしたら気まずいでしょう。」
「それもそうね。悠、お菓子とジュース持って行くから、先に二階に上がってアタシの部屋に入っておいてくれない? 階段を上がって正面の扉にローマ字で〝メイサ〟ってプレートが下がってる部屋だから。」
ルナの悠への気遣いに乗り、メイサが悠にそう指示する。悠は言われた通り二階へ上がり、メイサの部屋の正面まで来て大きく息を吐いた。
(いやいやいやっ! こんな易々彼氏を部屋に入れるもんじゃないだろ! まぁでも、僕らの場合は同じ家で生活してるから、今更彼女の家だとか部屋だとかも何もないけどさ…。)
悠はどこか釈然としない気持ちを抱きながら、覚悟を決めてメイサの部屋を開けた。
その頃一階では、クッキーとミルクティーを用意するメイサに向けて、
「それにしても、悠くんって本当に可愛らしい顔立ちをしてるのね。体格もまだ幼いところがあるし、声を聞かなかったらどちらかわからないわね。それにしても私、悠くんの声好きだわぁ。」
と、言葉をかけるルナの姿があった。彼女の言葉にはメイサも大変共感する。初めて悠と出会った時、見た目に対して低い声を聞いて衝撃を受けたものだ。悠は出会った頃はお世辞にも高身長とは言えなかったが、声は一人前に男性らしく変化していた。
「わかるっ。あのちょっと高めで柔らかいテノール声がたまんないのよね〜。」
メイサがうっとりして手を頬に当ててそう言うと、ルナは口元をにやつかせた。
「まぁ、メイサちゃんの場合は、悠くんだから、っていう理由が強いだろうけれど。」
「そっ、それはそうかも…。」
メイサがうっと言葉に詰まると、ルナはふふふ、と口に手を当てた。
「ほんと、若いっていいわねぇ。メイサちゃん、そろそろ行ってあげなさい。きっと居心地悪くして待ってるわ。」
ルナはそう言ってくすくすと笑った。悠をメイサの部屋で待たせるように誘導したのは他でもない彼女自身だ。なんと確信犯であった。メイサは素直にそうね、と首肯し、お盆をもって階段を上がった。お盆を床に置いて自室のドアを開けると、悠がメイサの本棚を真剣な表情で眺めていた。




