③
「さむっ。」
固い石畳の床の冷たさでイオリは目覚める。はて?なぜ自分がこんなところに?と一瞬の逡巡の後に完全に目が覚めた。夢じゃなかったことに落胆しながらも、早速行動を開始する。
どうやら少なくとも自分の見える範囲の人間はまだ起きていないようだ。脱獄しようとしていることがバレるのはあまりよくないだろうとイオリは考えた。それこそ他の囚人からの告げ口によって身動きしにくくなる可能性や、最悪即殺されることもあるのではないかと考えたからだ。
時間は分からないが早くに目覚めたので今のうちにこの牢屋の中を調べて、他の囚人が目覚め次第、思惑がバレないように慎重に情報収集をしようと軽く予定を決める。
イオリはまずつけっぱなしの手枷を確認する。可動域はかなり狭く、満足に動かすことができない。鍵穴があるが、仮にカギを持っていたとしても自分一人で手早く開けるのは難しいのではないかとイオリは感じた。
(協力者が必要になりそうだ。)
イオリは眉を寄せる。この監獄から脱獄するための協力者。果たしてそんな相手がいるのだろうか。前途多難に眩暈がした。
次に牢屋の鉄格子を見る。イオリは一般的な男子高校生なので鉄を折り曲げたりはできない。つまりカギを開けてから出るしかないが、手錠と同じく鍵の場所は不明だ。ピッキングなんて技術を一般的な高校生に求められてももちろんできないのでやはり鍵は必要だろう。
床を見る。先ほどまで転がっていた布団もどきの他には申し訳程度のカーテンもどきで区切られた便所のようなものしかない。確かボットン便所というのだろうか。イオリは初めて見るタイプの不便な便器に驚いていた。
(衛生的にも長居はしたくないが、どこかに続いていたりするのだろうか。)
最悪、脱出経路の一つになり得るのではないかと下を覗いてみる。その中には何かうねうねと動いているものがいた。その正体にイオリは異世界ならではだなと関心する。
そこにいたのは推定スライムだ。多分、このスライムが出たものを掃除しているのだろう。そういえば嫌な臭いもしていないなと遅れながら気づく。スライムがずっと留まっているのならどこにも続いていない可能性が高いのではないかと推測した。
ぐるりと壁を見渡す。牢屋の形状からして壁は隣の牢屋につながっているのだろう。イオリは手で壁をなでる。
「もし、そこの御方よ。」
壁の向こう側から低い声が囁いてきた。イオリは思わず叫びそうになった口を手で抑える。
声がした場所をよく見るとほんの数ミリ程度だが隙間があるようだ。そこから黒い目が覗いていた。
(ホラゲーの演出みたいなことしてんじゃねぇよ!マジでビビる!)
イオリは内心で悪態をつきながら考える。態々接触してきたのだ。何かしらの思惑があると考えるべきだろう。黙り込むイオリのことをまるで気にしないように、その男は話をつづける。
「脱獄…したいのであろう?拙者に手伝わせてはいただけないだろうか?」
いきなり核心を突く発言。そして畳みかけるように告げられた提案に困惑を隠しきることができない。
しかし、どうせ聞くしかないのだと、イオリは一度大きく息を吐きだし気持ちを入れ替えて話に臨む。
「拙者、所謂義賊というものでござる。傭兵をしながらこの国の膿を取り除くために日夜東奔西走の日々を送っておりました。」
会話の流れを取り戻そうとイオリが言葉を発した瞬間、かぶせるように自己紹介が始まった。出鼻をくじかれたイオリは口をつぐむ。
「この腐った国が拙者を捕らえ早十五年、お主のような凡人が謂れのない罪でここにいることなど拙者には断じて許せぬ。お主とともにこの監獄を脱獄しーーそして…拙者がこの国の体制を壊して見せる。」
正義に燃えた熱い男のような発言から一転し、いや一転はしていないかもしれないが反体制派をうたう男にイオリは開いた口が塞がらない。
「この国はいかれてるでござる!ノブレスオブリージュを忘れた貴族!中途半端にそいつらに権力を与えて制御できなくなった愚王!!そもそもおかしいでござる!なぜ王都に三つも危険な組織が潜む!!!衛兵は何をやっておるでござるか!!!もう拙者が全部つぶして王になった方がよっぽどましでござろぉ!?」
間髪入れずにこの国への不満を小声で叫ぶ似非忍者語の男にイオリは全然これっぽっちもついていけていなかった。
「はぁ…はぁ…。失礼した。改めてシライ・イオリ殿、拙者とともにこの地の底から抜け出し、この国を変えぬか?」
言葉を信じるならば間違いなく善意でイオリを助けようとしている。が、まさしく生きている世界が違う人間の言葉にイオリはまだ脳が追い付いていない。それでも何かわかることがあるとすればそれはーー
(こいつ絶対出しちゃいけないタイプのやつだ!?)
イオリは返事をしようとーー
「どうしたんよお前さんら、朝から喧嘩とは?てかお前さん新入りにしては元気ありすぎじゃねぇの?若さってのは羨ましいねぇ?」
間が悪いことにどうやら今の似非忍者の叫びで目の前の牢屋の老人、アラネウスが目を覚ましたらしい。朝は弱いようで機嫌の悪そうな声を発している。
「あー…ごめんなさいアラネウスさん。」
恐らく、詳しく聞かれていたわけではないようだ。もしくは興味もないのか。イオリは何も聞いてこないアラネウスの姿からそう判断することにした。
(後でどうにかさっきのに返事をしなきゃか…正直考える時間は欲しかったからちょっと助かったかも。)
逆に冷静になってきた脳で次にすべきことを考える。隣の忍者もどきはまた静かになったので無視。なのでアラネウスに話を聞くかと思うが寝起きがよくないのか機嫌が悪そうで少し怖いので無視。つまりできることは特に無い。ならば時間が経って他の人が目覚めたら話しかけてみるかとイオリは『待つ』ことを選んだ。
十数分ほど経っただろうか。時計が無いので正確な時間はイオリには分からないが、そのくらい経つと他の囚人たちも目覚めてちらほら話声が聞こえるようになってきた。
さて、誰に話しかけるべきかとイオリはまず自分から見える範囲の囚人を横目で確認する。
目の前は機嫌の悪いアラネウス、イオリから見てその左側には全身に入れ墨を彫った巨漢、右側も同じような見た目の男。
厳つい人間しかいない。小心者のイオリにはこれに話しかける勇気はなかった。もうちょっとしたら話しかけてみようとイオリの弱い部分が心を占める。だがイオリはこんな体たらくでは脱獄なんて不可能だと自分の心を鞭打ってお友達作りの決心をした。
決心して意識を現実へと戻した瞬間に気づく。先程までの喧騒が嘘のように消えていることに。
ーー静かな空間に足音が響く。規則的なその音は厳格な性格の持ち主であることを想像させた。イオリの方へ音が近づき、目の前で止まる。
「立て、シライ・イオリ。」
睨みつけるような鋭い視線をイオリへと向ける看守の男がいた。




