第9話『上空監視』
オレの名は神崎悟。どこにでもいる社会人だ。
毎月末午前零時に異世界の「モノ」に転移する旅行者でもある。
いつものように準備し、寝る。
起きた。
ここはどこだ?オレは何だ?
机が見える。事務机がいっぱいあるところだ。
整理整頓の行き届いた机、乱雑な机、様々なものを溢したであろう汚い机、まちまちだ。飲料水や食品のおまけを飾っているような机もあった。
うん。オレは天井になったのかもしれない。ちょっと遠くまで見に行ってみよう。
だが動けぬ。固定されているような感覚だ。
もしかしたら、天井のパネル1枚かもしれない。資料検索するために出社したとき見上げた天井にはタイルのような筋があったから。ロッカーの上の段ボール箱に何故かしまってあって難儀したっけなあ。使い終わったら所定の位置に戻してくれないと後が困るんだよな。
あ、違う違う、仕事のことは別にどうでもいいのだ。旅行を楽しまねば。
いつものように意識を身体に集中させて………、と。
端は平面で角が丸い?半円かな?それでいて四角く細長いような?Yシャツのボタンのようなものが一列に並んでいる?ああ、ネジでなにかに固定されているのか。ということは、天井そのものという訳ではないな。
なんだ?天井にあるもので四角いものと言ったら……、蛍光灯?
いや、蛍光灯は断面が円形になるはずだ。だが、半円状になっている。
となると……、LED蛍光灯かな?
多分そうだ。オレはLED蛍光灯になったんだ。
うん。自分探しはこれにて終了。
環境観察に戻るとしよう。
ここもテレワークだからなのか部屋は薄暗いままだ。窓を見るとブラインドの隙間から光が差し込んでいる。明るいのはそのせいだ。
壁にかかった時計を見ると出社しても良い時間だが、誰も来ない。今日は休日なのかもしれない。
平日で、オレの真下に女性がいれば胸の谷間が見えて良かっただろう。
胸の谷間ってそそるんだよな。男の性ってやつだな。しかし、巨乳は好きじゃないんだな、これが。
何と言うか肩がこりそうなイメージがあるんだ。しかも、足元が物理的に見えないから物を拾い上げられない感じもするんだ。
巨乳な人が屈んで何かを拾い上げようとしたら周囲の男どもは釘付けになると思うんだ。それが、自分の妻や妹、恋人だったら嫌な思いをするハメになるんだろうな。だから、巨乳というのはオレ個人にとって願い下げな部類なんだ。
誰も来ないから悶々と考えていた。やることが何もないから。
これが天井だったら、フロアの端から端までウロウロすることは出来るんだけど、蛍光灯ひとつでは何もやることがない。
ん?何やら廊下から人の声がする。誰か来るようだ。
んん?見知った顔の女性がいる?いや、他人の空似というやつだな、ここ異世界だし。
席に着くと何やら机の上に文房具類を広げ始めたぞ?
そして、席を移動するのか。ん?他所の引き出しを開けて引き出しごと持ってきたぞ?
何を始める気だ?
え……、ちょっと待て、文房具類を自分のと入れ替え始めた?何をやっているんだ、この女性は!
「んー、ちょっと違うかな。でも、あの人無頓着だし、気にしない気にしない」
「私の愛を受け止めて。愛しているわ」
詰め替え終わった引き出しを元の場所に戻しに行くこの女性、まさかこれがメンヘラというものだろうか。
そう言えば、出張後に出社すると妙に整理整頓された引き出しになっていたっけ。まさかこれがその理由だったのか?異動したらこの状況が起きなくなったので変な感じはしていたんだよな。
この娘よく見ると、オレに気があるかもしれないって同僚が言ってた娘に似ている。
あの時は同僚と好きな胸のサイズの話をしていて、巨乳は好きじゃないって話したんだ。その話を聞いていたのかどうかは分からないが、会話に乱入してきて巨乳のどこがいけないのか食って掛かってきたことがあった。
肩がこりそうとか、物理的に足元不注意になるとか、屈んだら周囲の男どもに晒されるから可愛そうとか理由を話したのだが、あれが原因なのか?
まさか、ここはオレが異動する前の世界なのか?
確かに異世界と言えば異世界だが、まさかな。
オレの名は神崎悟。手軽に異世界を楽しむ旅行者だ。