③
夏休みということもあり、遊園地はこれでもかというほど賑わっていた。俺たちと同じくデート中のカップル、小さな子供を連れた家族、女子高生の群れ、といった具合に、考えられうる客層は全て揃っているようだ。
彼らから見て、俺たちもちゃんとカップルに見えているだろうか。
「人が多いね。」
そう言いながら、俺は理衣の手を掴んだ。理衣もゆっくりと握り返してくれた。
「それじゃあ、どこから回ろうか。お化け屋敷から行く?」
理衣は小さく首を振った。
「楽しみは取っておきたいな。せっかく遊園地に来たんだし、それっぽいものに乗りたい。」
「遊園地っぽいものねえ。それじゃやっぱり。」
俺は理衣の手を引いて歩き始めた。遊園地っぽいもの、いくつか候補はあるだろうが、俺としてはこれが一番それっぽい。
立ち止まった俺たちの目の前を、猛スピードでライドが過ぎ去っていった。
「ジェットコースターでしょ。」
「うん、いいね。」
理衣も満足げに頷いている。理衣はおとなしそうに見えて、実際はスリルを好む性格であることを、俺はこの数カ月で学んでいた。
「じゃあ、並ぼうか。」
そう言って理衣はジェットコースターの行列に並ぼうとした。最後尾には看板を持った係員がおり、その看板には二十分と書いてあった。
「意外に短いと思うべきか。」
「何というか、微妙な時間だね。」
「だけど、これくらいなら待ってもいいと思う。」
「うん、私もそう思う。」
俺たちは列の最後尾に並んだ。前には女子高生と思わしき集団が並んでいた。
「これ、ケッコー怖そうじゃない?」
「こんなのヨユーだわ。」
「ヤバい。アタシかなり怖いんだけど。」
そう言いながらも、彼女らは笑顔できゃっきゃきゃっきゃと楽しそうにはしゃいでいる。
「そんなに怖いかな。このジェットコースター。」
「そうでもないと思う。」
少なくともお化け屋敷に比べれば大したことはない。もちろん、恐怖のベクトルが違うので単純な比較はできないが。
理衣はクスクスと笑い始めた。
「強がり。」
「え?」
「前に来た時も一緒に乗ったけど、研二くん、最初は乗り気じゃなかった。」
「……そんなことはない、はず。」
「そんなこと、あったよ。私がジェットコースターに乗りたいって言ったら、青い顔をして『他にもアトラクションはあるよ』って誤魔化そうとしたじゃない。」
確かに、本当のことを言うと俺は絶叫系のアトラクションは得意じゃない。今日だって、正直に言えばちょっと怖い。
「それなのに、一緒に乗ってくれようとしているんだね。」
「……。」
「ありがとう。」
俺は理衣の方を振り返った。理衣の顔には、逆光で影が差していた。
「ほら、もうすぐだよ。」
気づけば列は大分短くなっていた。もうライドの乗り場が見えている。そこでは、お客たちが次々とライドに乗り込んでいた。おなじみの、係員による注意喚起が行われ、ライドは出発した。
「次が、私たちの番かな?」
列が動き出し、乗り場に到着した。少し待っていると、後ろからライドがゆっくり入ってきた。乗っているお客の反応は様々で、ケタケタ笑っているものからぐったりしているものまで様々だった。特に、子供を連れて来たのだろう、隣に男の子を乗せたおじさんは悲惨なものだった。真っ青な顔で、足元もおぼつかない。何やら息子が話しかけているが、呻くばかりで返事になっていない。
「苦手な人は、本当に苦手だよね。絶叫系のアトラクション。」
「そうだね。」
「それなのに、あのお父さんは息子さんのために乗ってあげたんだね。優しいな。」
理衣の方を見ると、慈愛に満ちた目をしていた。あのような家庭に憧れがあるのかもしれない。
「理衣の家ではそういうことはなかったの?」
「うちは、お父さんは仕事で滅多に会えないし、お母さんはああいう人だから、誰かに寄り添ってもらった経験ってあんまりないんだ。」
少し寂しげに、理衣は言った。しかし、慌てて両手を振ってみせる。
「もちろん、家庭に不満があるとかそういうことじゃないんだよ。お父さんもお母さんも私のことを本当に大事にしてくれていると思う。ただ——。」
「——もっと自分を見て欲しい?」
理衣は小さく頷いた。
「そういう気持ちもあった。だから、今までだったらあの親子のような姿を見たら、少し嫉妬してしまっていたかもしれないな。」
おや?
「今はしないの?」
「うん。だって——。」
理衣は俺の顔じーっと見つめている。まるでレーザービームを喰らい続けているかのようだ。このままでは俺の顔は真っ赤になって焼き切れてしまう。俺はさりげなく目線を外し、空を見上げた。
「暑いなあ。」
「あれに乗れば、涼しくなるよ。きっと。」
ライドに乗っていたお客は全員降り終わったようだ。そのライドに、今度は俺たちが乗り込む。
昔聞いた話によると、ジェットコースターの席は前よりも後ろの方が怖いらしい。高いところから坂を下る時、一番前の席だと加速前に坂に顔を出すことができる。つまり、少しだけ低いところから加速が始まるので怖くないということのようだ。逆に、一番後ろの席だと最も高いところで加速が始まるので、そのぶん怖くなるそうだ。
「ほら、研二くん。乗ろう?」
俺たちの目の前にある席は、ライドの一番後ろだった。理衣は笑顔ですでに乗り込んでいる。この笑顔が見られるのならば、俺はどんな苦難だって乗り越える覚悟がある。南無三!
「ベルトを締めて、安全バーを下ろしてっと。」
俺も理衣に習って安全装置を取り付ける。そこに係員がやってきて、席ごとにベルトとバーを確認して回った。どうやら、どこにも問題はなかったらしい。
「それではみなさま、いってらっしゃいませ。」
係員の言葉とともに、ライドが動き始めた。始めはゆっくりと前へ進む。
「理衣。」
「うん?」
俺は理衣の手を掴んだ。怖かったからではない(いや、怖かったのも事実だが)。そんなことよりも、彼女の手を掴んでいなければいけないような気がしたのだ。離してはいけないような気がしたのだ。
理衣は外の景色を眺めている。しかし、今度も手はぎゅっと握り返してくれた。
ライドは進み、大きな坂に差し掛かる。そろそろと、恐怖へ誘う箱は登っていく。機械的な動きなのに、まるで人間が登っているかのように思えるのはなぜだろう。恐る恐るという言葉がぴったりハマる、そんな動きだ。それとも、俺自身がビビっているからそう思えるのだろうか。
そんなことを考える余裕があるのもこれまでだった。坂を半分超えたあたりから、俺の頭は緊張に支配された。高い。とにかく高い。何十メートルあるのか知らないが。下から見上げた時よりも遥かに高く感じられる。下にいる人たちが豆粒のように小さい。観覧車の天辺と同じくらいか。俺たちは、今からこの高さを真っ逆さまに下らないといけないのだ。足が小刻みに震え出す。
理衣の方を見ると、快活な笑顔がそこにあった。これが見えただけでもジェットコースターを選んだのは間違いじゃなかった。俺はある種の安心を胸に、前へと向き直った。あとは何が起きても構わない。さあ、怖い思いをさせるがいい!
坂を登りきったライドが、その場に停止した。そのまま数秒、俺たちにこの高さを改めて印象付けようとしているのだ。俺の胸に再び緊張が走る。やっぱり怖いものは怖い。だから、やるなら早くしてくれ!
俺の思いに呼応したのか、ライドはゆっくりと動き出した。ライドの前方部分が、坂の下へと降り始める。加速が始まる。車輪の音が大きくなる。目の前にいたはずの全てが、視界の下に消えていく。そして……。
俺たちの視界が、九十度傾いた。
猛スピードで落ちていくライド。顔にぶつかる空気の塊。俺の体は為す術もなく、ライドに振り回されていた。坂を降りきったかと思えば、今度は横向きに数回回転。スピードを落とすことなく、今度はライド自体が回転しながら左右にうねる。
目の前の女子高生たちは、両手を上にあげて何やら叫んでいるようだ。それに対し、俺は歯を食いしばりながら理衣の手を掴んでいた。理衣に方を向くと、相変わらずニコニコと微笑んでいる。よくもまあ余裕でいられるものだ。こっちは限界を迎えようとしているのに。
ライドは小さな坂に差し掛かり、それを越えて再加速した。少しでも傾けば地面を掠りそうな、それほどまでに低い位置を疾走している。そしてトドメにもう一度大きく横回転。ようやくライドの速度が落ちてきた。
やっと、終わったか。
乗り場に到着したライドは、ゆっくりと停止した。
「……ふう。」
「ああ、楽しかった! ね!」
理衣がこっちを向いた。
「大丈夫? 研二くん。やっぱり顔が青いよ?」
「ああ、大丈夫。これくらい。」
ベルトと安全バーが外され、俺は立ち上がった。足はまだ震えている。これではさっきのおじさんと大して変わらない。
「少し休もうか?」
「平気だよ。それに、時間が勿体無い。」
「時間……。そうだね。」
ライドから降りた俺たちは、すぐに乗り場を出た。
「さて、どこに行こうか。」
「次は、研二くんも楽しめるアトラクションがいいな。絶叫系以外がいいよね。」
「別に、ジェットコースターが楽しめなかったわけじゃないけどな。」
俺の精一杯の強がりは、やはり見抜かれているようだった。
「無理しちゃって。」
理衣の眉が八の字になる。心配しつつも、少し呆れているようだ。だが、俺はこのスタンスを崩すつもりはない。理衣の前で、泣き言を言うような男にだけはなりたくなかった。