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 ベッドに座って考え込んでいた俺は、病室の侵入者に気づかなかった。突然、肩を誰かに叩かれる。

 「うわあ!」

 振り返ると、そこにはあの医者と看護師が立っていた。相変わらずニヤニヤと気持ちの悪い笑顔を顔に貼り付けている。

 「森下さん。お客さんですよお。」

 「客?」

 医者たちの後ろから、二人の人物が病室に入ってきた。その姿には、見覚えがあった。いや、見覚えなんてものじゃない。おそらく人生で最も多く顔を合わせた二人だった。

 「研二。」

 それは、俺の両親だった。背が高く、濃いヒゲが特徴の父さんと、対照的に小柄でやや太り気味の母さん。いつも通りの見慣れた姿がそこにあった。

 二人とも、優しげな笑顔を浮かべている。医者のものとは違い、本気で気遣っている笑顔だ。そしてそれは、もちろん俺に向けられていた。

 「父さん、母さん。」

 俺はこの時、起きてから初めて本物の安堵を体感した。これまでのそれとは全く異なる、心の底からの安堵。よかった。両親が迎えに来てくれたのだ。これで帰ることができる。もう、無理に脱出することを考える必要はないのだ。

 「大丈夫? 研二。」

 母の声には心配の響きが混じっていた。息子が怪しい病院にいるのだ。無理もない。

 「喋れる? 体は? 痛いところはない?」

 「うん、大丈夫。」

 俺は両手を広げて上下させた。母さんはそれを見て、ほっと息を吐き出した。

 「よかった。本当に良かったわ。母さん、本気で心配したんだから。」

 「まったく、お前は心配しすぎなんだ。」

 「あら、あなただってさっきまであたふたしていたくせに。研二、この人ったら私よりも気が気じゃなくて、家から出るときなんて足の小指を思いっきりタンスにぶつけちゃったんだから。」

 「こ、こら、やめなさい。父親には威厳というものがだなあ。」

 「息子の目の前でそんなことを言っている時点で、威厳も何もありゃしないわよ。」

 俺は、両親のやり取りに苦笑いを浮かべていた。ああ、これこそが我が両親だ。見栄を張ろうとする父さんと、それをあっさりぶち壊しにする母さん。毎日のように見ている光景だ。

 「そうだわ先生。息子はいつ頃退院できますか?」

 ブツブツ文句を言っている父さんを尻目に、母さんが医者に問いかけた。

 「ええ、ええ。ある程度経過を観察しないといけませんが、そんなに長くはかかりませんよお。検査に数日、それで問題がなければ退院です。」

 検査? そんなものがなぜ必要なのだろうか。そもそも、俺はどうしてここにいるのだ。それだけが未だに解決していない。

 「父さん、母さん。一つ聞いてもいいかな。」

 「ええ、どうしたの?」

 「俺はどうして……、ここにいるんだ?」

 こんな怪しい病院、と言いたかったが、医者の手前言葉を濁さざるを得なかった。

 途端に両親の顔が曇った。そして顔を見合わせると、頷きあった。

 「そうよね、覚えていないわよね。『手術』を受けたんですもの。」

 「……は?」

 俺の口から間の抜けた音が漏れた。寒気が全身を走り抜ける。『手術』? 何を言っているんだ。『手術』の跡なんて体のどこにもなかった。それに、『手術』の記憶なんて俺にはない。これまでのことから考えれば、『手術』がなかったことは明らかではないか。

 「……やめてよ、母さん。変なことを言うの。」

 「研二?」

 「『手術』なんて受けていない。もし受けていたとすれば、覚えていないはずがない!」

 「それは『手術』が。」

 「もうやめろ!」

 俺は母さんを怒鳴りつけた。その途端、父が気色ばんだ。

 「おい、母さんに——。」

 「『手術』はなかったんだ! このヤブ医者が嘘をついているんだ!」

 俺は医者を指差した。しかし医者はどこ吹く風だと言わんばかりで呑気に突っ立っている。

 「いやいや、『手術』は行われましたあ。私が施したんですよお。間違いありませんからあ。」

 「だったら、体のどこかに跡が残っているはずだろう! 俺は全身を確認したんだぞ! そんなものはなかった!」

 「この病院は最新の機材を使用しておりますからあ。今回の『手術』は本当に細い針を使うので、一見してわかるような跡はできないんですよお。血も出ませんし、痛みもない。名目上『手術』と呼ばざるを得ませんが、実際には治療と言った方がいいぐらいのものでしてえ。」

 「いい加減なことを言いやがって! だったら言ってみろ、その『手術』は一体何を治療するためのものだったんだ?」

 「それを、言ってもよろしいのですかあ?」

 医者は表情一つ変えず、俺に一歩詰め寄った。

 「本当にい?」

 「な、なんなんだ。」

 俺は対照的に体を後ろへ引いた。この医者、なんでこんなに余裕なんだ?  その目には哀れみの感情すら感じられる。

 「いいに決まっているだろう! 早く言え!」

 「仕方ありませんねえ。それでは。」

 「やめて!」

 医者の話を遮ったのは、母だった。

 「それを言っちゃダメ。言ってしまったら、また研二が。」

 「また? 一体何なんだよ、母さん。」

 「いい? 研二、これはあなたのためなの。いつかは伝えないといけないけど、少なくとも今はダメ。もっと落ち着いてからじゃないと。」

 「……何なんだよ。」

 もはや我慢はできなかった。これまで辛うじて押さえ込まれていた感情まで、口元に昇ってくる。

 「何なんだよ! 意味がわかんねえよ! クソ! ふざけやがって!」

 どいつもこいつも適当なことを言いやがって! 

 「俺はどこもおかしくない! 『手術』なんか受けてないし、こんなところにいる必要もない! クソ! クソ! クソがあ!」

 「落ち着いてくださあい。まだ安静にしてないといけません。」

 「触るなあ!」

 医者の手を右腕で弾く。両親も俺を抑えようとしたが、これも振り払った。

 「仕方がありませんねえ。『手術』自体は成功したのですが、これは『調整』が必要ですねえ。」

 調整? 何だそれは。これ以上何をしようと言うのだ。

 医者は振り向くと、看護師に言った。

 「キミ、手術室の準備を。」

 「はい、先生。」

 看護師はひらりと振り向くと、足早に去っていった。

 「待てよ。手術室って。」

 「はい、そうですよお。あなたにはもう一度『手術』を受けてもらいます。そうすれば、あなたの混乱もなくなるでしょう。」

 「ふ、ふざけるな!」

 俺はそう言いながら両親を見た。二人なら、きっとこの医者を止めてくれるはずだ。

 「先生、仕方ないのですか?」

 「ここまで興奮しているとなると、ねえ。」

 「……わかりました。お願いします。」

 どうして、どうしてなんだ。なんで二人とも、こんな奴に頭を下げているんだ。

 「う、うわああ!」

 両手に力を込めて、俺はベッドから飛び出した。もうダメだ。とにかく、ここから離れなければ。俺は全力で駆け出した。


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