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 頭をひねっていると、病室に誰かが入ってきた。俺と同じ薄緑色のガウンを着ている。男だ。体格は、中肉中背という言葉がぴったりと合う。この奇妙な状況にそぐわない。いかにも普通な男であった。

 「ああ、目が覚めたんですね。」

 男は何の躊躇いもなく話しかけてきた。柔和な笑みを浮かべ、こちらに近寄ってくる。

 「思っていたよりも時間がかかりましたね。『手術』明けの復帰には個人差があるらしいですし。」

 また『手術』だ。どいつもこいつも意味のわからないことを言いやがって。俺をからかっているに違いない。怒りの感情が沸々と湧き上がってくる。よし、一つ文句でも言ってやろう。他人を不安にさせる悪趣味ないたずらはやめろ、と。

 「あんなに受けたがっていた『手術』です。気分はどうですか?」

 何だと?

 俺は開きかけていた口を閉じることができなくなった。受けたがっていた?  俺が? 『手術』を?

 そんなこと、あるはずがない。だって俺はそもそも『手術』のことなんて知らないのだから。知らないものを受けたがるなんて芸当は、未来でも知らない限り不可能だ。

 「本当に、俺が『手術』を……?」

 「……ああ、そうですよね。『手術』を受けたんだから、こうなりますよね。」

 男は適当に頷いている。何だ? 何を一人で納得しているんだ?

 「いいなあ。羨ましいなあ。あなたはあちら側に行ったんですね。ああ、私も早く『手術』を受けたい!」

 「あんたも、『手術』を……?」

 「そうです。もちろんです。当然です。そのためにこんな田舎のボロ病院にまでやってきたんですから。『手術』を受ければ、人生をやり直せるんです。こんな素晴らしい話、他に聞いたことがありますか?私はありません。ここしかないんです。この辺鄙な山奥でしか、ないんです。人生の狂いを取り除けるのは。『手術』を受ければ、これまでみたいに、過去に怯える必要がなくなる。全てを忘れて、一からスタートできるんです。素晴らしいじゃないですか。受けたくなるに決まっているじゃないですか。私は変わる。変われるんだ! そうして次は成功を掴み取るんだ。アレさえなくなれば、失敗する確率なんて万に一つもない。いける。いけるんだ!」

 男は口から唾を飛ばし、聞き取れないほどの早口で先を続ける。

 「見てろよクソ野郎ども俺が上に登っていくところをお前たちは為す術もなく眺めているんだあいつも俺のところに戻ってくるはずそうしたら結婚しよう引っ越しも考えないとな今の家で二人は狭いし手に職が戻ってくるんだ前よりも頑張って働こうああ夢じゃないんだ全部本当のことなんだあと数日で俺の番だ俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺はオレハオレハオレハオレハオレハオレハオレハオレハオレハオレハオレハオレハオレハオレハオレハオレハオレハオレハオレハオレハ……。」

 男は壊れたスピーカーのように、延々としゃべり続けている。目は血走り、右目と左目が別々の方を向いている。その目に俺は映っていないのだろう。前言撤回だ。こいつは普通なんかじゃない!

 「おい……。」

 腰の引けた俺が声をかけると、男は突然下を向いて固まった。

 「大丈夫か?」

 「……ウオオオオオオオオオオヲヲヲヲヲヲヲヲヲヲヲヲヲヲヲヲヲヲヲヲヲヲヲヲヲヲヲヲヲヲヲヲアアアアアアアアアアアア!」

 およそ人間の口から発せられたとは思えない音だった。地底から響き渡るような音。まるで、悪魔の断末魔ではないか。

 気圧された俺は、全く身動きが取れなくなった。背筋に冷たい汗が一滴。こんな奴と関わってはいけない。逃げなくては。しかし、足がうまく動かない。地面に吸い付いてしまったかのようだ。右足を後ろに下げたい、それだけなのに……。

 男は徐に顔を上げた。目は閉じ、体は小刻みに震えている。まるで再起動しているコンピュータのようだ。

 数秒後、男の震えが止まった。そしてパチパチと目を瞬いた。

 「あれ、どうかしたんですか?」

 その顔は、初めて見たときの顔と同じだった。まるで先ほどの暴走はなかったかのように、俺の方を興味深げに見つめている。

 「何かに怯えているような。」

 どうやら、本人には暴走したという意識がないらしい。

 「それよりも森下さん。頭の調子はどうですか?」

 「頭?」

 素っ頓狂な声で返事をしたは良いが、俺は完全に質問の意味を受け損なっていた。さっきの出来事のせいで頭が真っ白になっている。

 「そうです。頭です。ヘッド。」

 「ああ、頭ね。頭……。」

 ようやく質問の意味を掴んだ俺は、回答を考え始めた。起きた直後に比べれば、回転はかなり良くなった。変なアクシデントさえなければ、何かを考える余裕も生まれてきている。調子としては良い、と答えるのが正解だろうか。だが、それが一体なんだと言うのだ。

 「そりゃあねえ。頭の『手術』を受けたんだから、気にかけて当然でしょう。」

 「頭の……?」

 そのとき俺はようやく気付いた。まだ『手術』の痕跡を確認出来ていない部位のあることに。もしもその『手術』というものが頭部の『手術』だった場合、俺の目でその跡を確認することは不可能だ。そこに、『手術』の跡があったとしたら? 弄られたのが自分の頭だったとしたら?

 俺は慌てて両手で頭を撫で回す。触った限り特に違和感はない。しかし、そんなことでは安心できない。もしも頭の『手術』が行われていたとしたら、何が起きてもおかしくはない。昔観た『猿の惑星』という映画では、人間がロボトミー手術によっておかしくなってしまう様が描かれていた。そして、このロボトミー手術は現実に行われていたものらしい。前頭葉だか何だかを切り取ることで精神障害を治療しようとし、重大な障害を残すこともあったようだ。もしかしたら、俺も……? 致命的な何かが、俺の知らないうちに行われたのではないか。俺は思わず口を押さえた。あまりのことに、吐き気を催していた。

 「おやおや、大丈夫ですか?」

 頭を弄られたということは、もはや人間としての本質を弄られたに等しい。俺は、本当に俺なのか? 『手術』を受ける前の森下研二とは変わってしまっているのではないか? いや、それどころか、俺が本当に森下研二なのかすら、危うくならないか?

 心臓が早鐘を打ち出す。それにも関わらず、手足が氷のように冷たくなる。血は、俺の血は一体どこに行ってしまったんだ?

 「顔色が悪いですね。誰か呼んできましょうか?」

 「触るな!」

 男が俺の方に手をかけようとした。俺はその手を全力で払った。こんな訳のわからない場所で、訳のわからない男に触れられてたまるか。

 「おっと、ずいぶん気が立っていますね。」

 どうしたらいい。俺はまずどうするべきなんだ。まずは……そう!目で見て確認しなくては、頭に『手術』痕があるかどうか、確認しなければならない。

 男は何かしゃべり続けていたが、それを聞いている余裕はもはやなかった。俺は震える足をなんとか動かして歩き始めた。鏡だ。鏡のあるところに行かなければ。


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