海は広いです。⑧
ヒュロロロロロロロ……。
月明かりと船上で揺らめく灯りの中、柔らかい音で空気を震わせて、巻き貝の笛は鳴り響いた。
俺とディティアは顔を見合わせて……。
「えっ、そこは野太い音じゃないのかよ!?」
「う、うん……予想外の音色だね」
思わず、突っ込む。
「結構いい音だよねー」
「ええ。悪くないわ」
ボーザックとファルーアも頷く。
怒鳴り合っていた船長も、笛の音にはっとして口を噤み、巻き込まれていたグランは漸く抑えていた船長を放した。
笛吹きのカタールが奏でる音色は、強弱を付けながら軽やかに流れていき、やがて空気に溶ける。
それを、蒼いヒレをゆらゆらさせて海龍は眺めていた。
そして。
ずおおぉっざぱあぁんっ!
「うわあ!?」
「きゃああ!」
突然、海龍がぐるりと長い首を巡らせ、船が大きく揺れた。
咄嗟に構えた冒険者達もいたけど……違う。
これは攻撃じゃなくて。
「おお、戻っていくぞ」
誰かが、歓声を上げる。
そう。
大きな飛沫を上げながら、海龍が海へと帰っていくところだった。
******
「頭痛いっす……」
船医のお婆さんから商人や冒険者達にちゃんとした説明が行われて、混乱は収まった。
魔物と聞いて嫌悪感を示す人も少なくはなかったけど、文句を言ったところで船を降りることも出来ないしな。
俺達白薔薇と船長、笛吹きのカタール、船医のばあちゃ…お婆さんは、船員だけが使う食堂に移動していた。
「あんた、何で薬なんか飲んだんだい。まさか、笛吹きがあんたの仕事だとは知らなかったさね」
船医に言われて、頭を抱えていた大男は、ゆっくり顔を上げた。
どうやら、無理矢理叩き起こされて、まだ薬が残っているようだ。
「呼び出されたっすよ。そこにいる現船長から聞きたいことがあるって。海龍のことだと思って……だから、ちょーっと寝たふりでもしようかと思ったっす」
「いやいや、お前、がっつり眠りすぎだろうが」
グランが突っ込む。
笛吹きのカタールは面目ないっす、と苦笑した。
「……つまり、あの海龍は本来の船長が使役する魔物ということですかな」
落ち着いたらしい現船長が、静かに言う。
大きな反りのある剣は傍らに立て掛けられている。
船医のお婆さんは頷いた。
「そう思って構わないさね。あれは、本来の船長が助けた海龍で、恩を感じてるのさ」
「へえ、そりゃまた壮大だな」
俺がテーブルに頬杖を突きながらぼやくと、ボーザックが笑った。
「あははっ、龍と仲良くなるとかすごいねー」
やっぱり、海は広い。
何が起こるかわからないんだろう。
あんなでかい海龍が何匹もいるんだと思うと、ぞっとするけど。
フェンみたいに頭の良い魔物も多いはずだから、案外こういうことは他にも起きているのかもしれない。
ちらと見ると、フェンはふんとそっぽを向いた。
……相変わらずかわいくない。
「本当は、船長から言われてたんす。現船長に何か聞かれたら、ちゃんと答えて構わないって」
「…………ふん、当然ですぞ」
船長はぶすっとした顔で、鼻を鳴らした。
「はっはぁ!この親にしてあの息子有りさね!あのこはちゃんと育ってるんさ」
船員のお婆さんが豪快に笑う。
……けど、うん?
「あら、もしかして船長、療養中の本来の船長のお父様なのかしら」
ファルーアが眼をぱちぱちする。
船長はため息をこぼして、頷いた。
「そうですな。……私は別の船の船長でしてな。息子が病気で倒れたと聞いて、今回この船の船長を請けたのです」
「海龍についても知らされず、いきなり任されたのか」
グランが髭を擦りながら笑った。
「もしかしたら、海龍のことに気付いてもらえる確信があったのかもね」
ボーザックもつられたように笑う。
それを見て、船医のお婆さんが続けた。
「そういうことさね。だから、他の船員の反対が無かったんだよ。本来は副船長のカタールが船長のはずだからね」
「ぶふっ!か、カタール、副船長だったの!?」
噴き出したボーザックに、こめかみをぐりぐりしていたカタールが力無く頷いた。
「そうっすよ。こう見えて、船長とはジャンバックに乗り始めた時から一緒っす」
いや、本当……想像の斜め上を常に行くなあ。
「とりあえず今日はもう遅いので、休みましょうぞ。客人、色々と申し訳ないですな。恩に着ますぞ」
船長に締め括られて、俺達は立ち上がった。
何だか、どっと疲れた1日だったなぁ……。
******
「では……行きます」
「よし、こ……いぃっ!?」
カッ、キィンッ!!
飛び出してきた疾風のディティアの双剣に、自分の双剣を打ち合わせる。
たまらず踏鞴を踏んだところに、追撃。
「はっは、逆鱗~頑張れー」
「疾風!今日も叩きのめせ-!」
俺に失礼な応援も聞こえてきて、何だよ!と思った瞬間、一気に裏を取られた。
「よそ見したね?ハルト君?」
ぴたり、と。
喉元に当てられた、双剣。
「ご、ごめんなさい……」
笑いが、巻き起こる。
……海龍騒ぎが収まってから、2日に1度、甲板で模擬戦をすることにした俺は、良い見世物になっていた。
賭事をする冒険者達に、露店を広げてつまみと酒を売る商人達。
そこに交ざって、やいのやいのと野次を飛ばして笑う船員達。
時には勝負だ!と言って割り込んでくるので、中々色んな模擬戦が出来る。
俺達が白薔薇だと知っている人達が2つ名で呼び始めて、それが浸透した頃には、もうトールシャは目前。
広い広い海を越えて、漸く、新大陸の冒険が始まろうとしていた。
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