進む先に見えるもの。④
……その奇妙な音は、鳴き声のようでもあり、関節と関節が擦れているようなものでもあり……だんだんと激しくなる。
煙が掠れてその影が見え始めたとき、俺は思わずごくり、と息を呑んだ。
さながら、羽化。
球状だった苔玉がゆっくりと開いていく。
脚のようなものが、いくつもいくつも波打つようにうねる。
……激しくなっていくギチギチとした音は、丸めた体を伸ばすときに発せられるものだった。
『――――!』
その咆哮は、音ではないなにか。
耳の奥にキン、と響く、もはや聞き取れているのかわからない空気の震えである。
立ち込めた煙が晴れ、そいつはゆっくりと舌舐めずりをしながら、こっちを振り返った。
「……災厄の、破壊獣」
確かめるように声にして、唇を噛んだ。
銀色の毛並みに、爛々と光る蒼い眼。
……あれは、あの頭部は、巨大ではあるがフェンリルのものに見える。
口の中に並ぶ乳白色の牙は獰猛な魔物のそれ。
それなのに、体は異形の……おぞましいもので。
背中に向かうほど山なりに弧を描き、光る苔で覆われて、脚のようなものが地面と接する部分に何本も生えていた。
なるほど、説明書きにあったように、ネズミの尾に似た……赤黒い肌にうぶ毛が生えたような脚……だった。
『――――!』
「ッ! 来ます!」
再びの咆哮に、ディティアが声を上げる。
災厄の破壊獣ナディルアーダは俺たち目掛けて弾かれたように突進を開始。
いくつもの脚が突き刺さるたびに地面を揺るがし、大地が低い唸り声を上げた。
「行くぞ!」
『ピュルルルルッ!』
俺の号令に、輸送龍が示し合わせたように左右へと展開。
俺たちは災厄の誘導を開始した。
待機させていた四頭も、少し離れた場所を並走している。
遥か頭上ではヤールウインドが朝日をいっぱいに受けながら羽ばたいて、俺たちを先導してくれていた。
――災厄は、まだ爆弾を生み出さないようだ。
あれが全速力かはわからないけど、このままなら輸送龍の速さで対処できる。
いざってときは輸送龍に肉体硬化のバフを食わせることも視野に入れたかったから、速度アップを使わないでいいのは幸先はいい。
『――!』
災厄が、獲物を捕らえようと走り、咆える。
ちらと窺うと……そいつは嬉々とした顔をしているように見えた。
いつもフェンを見ているから、はっきりわかる。
あれは間違いなく、この状況に歓び、楽しんでいる顔で。
獲物を見付けた喜びか。
破壊を楽しむための余興と捉えているのか。
なんにしても、俺の胸に不安が満ちるのには十分だった。
――でも。
俺は、並走するディティアが前を向いて髪を靡かせるのを見る。
――俺たちは、走らなければならない。
唐突に、目が合った。
ディティアは、こんな状況で、おそらく顔を強張らせている俺に……微笑んでくれる。
瞬間。気持ちが奮い立った。
胸のなか、熱いものが満ちていく。
――グランが、ボーザックが、ファルーアが、フェンが……俺に託した。応えなくてどうする! ディティアを守るのは……俺なんだ……!
彼女に頷きを返し、俺はぎゅっと手綱を握り締めた。
******
休憩はない。
俺はディティアと自分に持久力アップと肉体強化、念のための肉体硬化を重ね、切らさないようにしながら、輸送龍を走らせ続けていた。
すでに昼は回っているはずで、太陽は少し傾いている。
もう少し走れば皆と合流できるはずだ……!
しかし、『それ』は唐突に起きた。
ドンッ……
腹の底に響く重低音。
ひゅ、と喉が鳴る。
爆弾を飛ばしてきたのだと気付いた瞬間には、すでに遅かった。
ズドドオオォォンッ!
「ッ! うぉわあぁっ!」
目の前で熱が弾け、俺の乗っていた輸送龍が前脚を浮かせて仰け反った。
しかし、輸送龍は間髪入れずに体を捻り、俺が落ちる前に体勢を立て直して、土煙のなか、熱源すれすれを駆け抜けてくれる。
(ハルト君!)
――耳がキーンとして、全ての音が遠ざかっていた。
ディティアの声がまるで囁き声のようだ。
くそ、少しやられたかも。
(大丈夫! 走れ!)
とにかく、ありったけの声で告げる。
走りながらも前方にいる俺に爆弾を飛ばせるのは、完全に予想外だ。
……落とし穴は、俺が見ても縄梯子がないと抜け出せないほどの十分な深さになっていたけど、それすら越えて爆弾を飛ばすかもしれない。
なんとか、それは阻止しないと。
必死に考えを巡らせる間、またもや腹の底に響く重低音。
……耳がキーンとしているせいか、音よりもズンッ、と衝撃を感じた。
ズドオォッ!
今度は、俺とディティアの間に落ちて弾ける。
熱を感じ、バラバラと土が飛んできたけど、あっという間に爆発地点が後方へと遠ざかる。
このままじゃ直撃するかもしれない。
俺は輸送龍に声をかけた。
「まだ走れるな?」
『ピュイッ』
音が戻ってきているようで、まるで小鳥のような……いや、頼もしい返事が、はっきりと聞き取れる。
「ディティア! 少し距離を開けよう!」
「わかった!」
俺たちの会話に応えるように、輸送龍が、ぐん、と加速する。
災厄との距離が開くのが、背中越しに感じられた。
そこに、ひらりと濃い緑の影が舞い降りてくる。
「もうすぐやから気を付けるンやでェ! 先に行くからなァ!」
カムイだ。
彼はそのまま低い位置を滑るようにヤールウインドを操り、俺たちの前を真っ直ぐ飛んでいく。
『――――!』
災厄の咆哮が、後ろから俺たちを駆り立てる。
走れ、走れ、走れ。
もうすぐ皆と合流できる。そこで、こいつは終わりだ!
けれど。
拭いきれない不安は、いまも胸の奥で燻っていた。
『――!』
聞こえる咆哮が、なぜか歓喜の声にしか聞こえない。
ばくばくと心臓が脈打つ。
そのとき。
「見えたよ! ハルト君!」
ディティアが、カムイが飛び去った前方を指差した。
――進む先、落とし穴の目印である赤い旗が、ぽつぽつと見えてきていた。
金曜分……というかもう今日分ですね!
いつもありがとうございます。
よろしくお願いします!




