皆を鼓舞するので。⑤
◇◇◇
「遅いっ!」
「くそ、まだまだぁっ!」
バフで底上げされた俺たちに、治安部隊はなかなかの根性で食らい付いてきた。
思ったよりずっと鍛え上げられているらしい。
もう少しバフを重ねれば付いてくることはできなくなるだろうけど、さすがにそれだとやり過ぎな気がして、俺たちは二重を保ったまま、青い制服たちと殴る蹴るの大乱闘を繰り広げていた。
……少し感じたのは、彼らが対人専門ってのは本当なんだってこと。
俺がバフをかけてから、彼らはお互いに口笛のようなもので合図を送り始め、連携をみせたのだ。
しかも、敵の気を引くのが上手い。
俺が誰かと殴り合っていたとしても、視界の端には、常に別の『青い制服』がちらつく。
かと思えば、前後左右から縦横無尽に攻撃が繰り出され、気を休める暇がなかった。
彼らも俺たちも素手だからいいけど、武器があったら袋叩きにされたかもしれない。
……そうやって、どれくらい馬鹿をやっていただろうか。
不意に、俺は首筋がちりりとするような、得体の知れない感覚――なんだろう、殺気とはちょっと違う――に、その場から飛び離れた。
瞬間。
ビシィッ
「げっ」
空気が、凍った。
いや、比喩とかそんなんじゃなくて。
俺がいままで立っていた場所を通り、白く輝く霜が直線を画くようにかかり、その上にいた青い制服たちが「冷てぇ!」と叫んだ。
眼をこらせば、空気中にはきらきらと氷の粒が瞬いているのがわかる。
息をすると鼻が痛くなり、体の中がキンキンに冷える。
……氷を入れられた酒に感情があるとしたら、こんな気持ちなのかもしれない。
俺は、ゆっくりとその『発生源』へと視線を移す。
「……頭は冷えたかしら?」
陽の光が形になったような美しい金髪。
深い海のような濃い蒼の眼。
光炎のファルーアが、龍眼結晶の嵌まった杖をこちらに向けていた。
その冷ややかな声音に、俺は思わず、やりすぎた……と、首をすくめるのだった。
******
「いったいなにをしているのだ、お前たちは」
ロムンが鬼のような形相で、青い制服たちに怒鳴っている。
決して筋骨隆々というわけではないのに、その迫力ときたら。彫の深い顔立ちのロムンが、ぎゅっと眉を寄せて目を吊り上げているのは確かに恐かった。
広場に膝を折って座らされた治安部隊の面々は、参謀であるロムンには文字通り頭が上がらないらしい。
俺たちは……というと。
「逆鱗のハルト。聞いていますか?」
「うっ。聞いてる、聞いてるよ、ディティア」
――同じように、座らされていたわけで……。
目の前にいるのは、氷のような眼で俺たちを射抜く、ふたりの女性。
その足元には、銀色の毛並を美しく煌めかせたフェンリルの姿。
神々しいまでに畏れ多さを感じさせるふたりは、声まで冷たかった。
「いまは喧嘩をしている場合じゃありませんよね?」
「……いや、これは」
「グラン。消し炭になりたいの?」
「……すんませんっした」
グランですらたじたじ。ディティアに弁解しようとした結果、ファルーアにぴしゃりと言われると、体を縮こませた。
ボーザックは額に変な汗を滲ませて、恐る恐る右手を上げる。
瞬時に女性ふたりの視線が彼に向けられ、『言ってみなさい?』という空気が漂う。
「ええと、でもねティア……俺たち単純だから、これでよかったかなぁ、なんて」
「不屈のボーザック。話し合う、ということができなかったということですね?」
「うぐ……」
恐い。ディティアが恐い。
完全に疾風のディティアの空気を纏い、しかも、かなりご立腹な様子だ。
あまり見たことがない迫力に、俺たちは大人しく頭を垂れた。
これは……覚悟が必要だ。
◇◇◇
……数分のあいだ黙って怒られていると、彼女たちはようやく肩の力を抜いた。
「もう……本当に心配したんですよ! 顔だって腫れあがって!」
「そうね、今回はちょっとやりすぎよ? 暑苦しいのもかまわないけれど、見ている私たちの身にもなりなさい」
――さすがに、心配させすぎてしまったらしい。
俺とグラン、ボーザック、そして治安部隊の体は、すでにマルレイユによってヒールを施されていた。
だから見た目に傷や腫れが残っているわけではないけど、確かに、全員ひどい顔だった……と思う。
ヒールをたくさん使ったマルレイユは、俺たちを眺めながら木陰で休んでいるところだ。
その顔には慈愛に満ちた笑みが浮かんでいるけど、あれ、面白がっているんじゃないかな。
ロムンのほうの雷もようやく止んだようで、俺たちはさっきまで殴り合っていたもの同士、そっと目配せをする。
『お前たちも、大変だったな』と、心の声が聞こえて、俺は小さく頷いた。
――お互いの心が通じた瞬間である。
「……悪かった。ディティア、ファルーア。……まあ、なんつーんだ……けどな、あいつらも戦うつもりだってことはよくわかったぞ」
グランが顎鬚を擦りながらぼやく。
ボーザックがうんうんと二回頷き、俺は肩をすくめた。
うん、確かに、なんていうか……わかった。
あれだけ食らい付いてくるんだもんな、あいつらも本気ってことだ。
見れば、青い制服たちは深々と頷き合っていた。
「……うー。本当にこれが鼓舞になるんだから、私は不思議です、グランさん……」
ディティアががっくりと項垂れると、ボーザックが首を傾げた。
「鼓舞……?」
「あー。そういえばそんな話だったな……」
すっかり忘れていた俺は、思わずぼやくのだった。
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