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3 恋女房お手製のランチを奪われる恨みは深い

「なあおにーさん、結構疲れてるようじゃない。ドコの都市から来たの?」


 後部座席に陣取り、ナガサキという名の男は、馴れ馴れしく話しかける。

 正直言って、私は運転中に話しかけられるのは嫌だった。運転など慣れていない。東府へ向かうと決めてから、列島管理局から車の手配と運転を習ったのだ。

 無論対向車が来る訳ではないし、道も入り組んでいる訳ではない。

 だが所々でアスファルトが盛り上がっている所もある。そんなたびに私はぼこんぼこんと跳ね上がるこの車体に恐怖を覚えるのだ。事故でも起こしたらどうしてくれると言うんだ。機会はたった一度しかないというのに。


「黙ってる気い?」


 べし、と男は私の後頭部をはたく。私は黙って車を止めた。そしてゆっくりと振り向く。


「悪いけど、黙っててくれないか?」


 ナガサキは目を大きく広げた。


「私は運転が苦手なんだ! 後ろでごちゃごちゃ言われると、いつ事故を起こすかもしれないんだ!」


 すると彼はふーん、と両の眉と肩を上げた。


「慣れてないんだとさ」

「へー」


 ミルという名の女もまた、呆れた様に目を見張った。私はそれ以上弁解するのも嫌だったので、再び前を向いた。

 がたん、と車体が一瞬揺れる。エンジンの音が止まる。あ、と私は声を上げた。どうも妙な感じになっている。


「何だよぉ、エンストかよ?」


 ナガサキは座席の間から体をのぞかせる。私は何となくその口調に苛立つ自分を感じていた。


「頼むから、黙っててくれよ!」

「そんなこと言っていいの?」


 がちゃん、と金属の音が頭の横で聞こえる。だがどうも、苛立ちは私を好戦的にさせていたらしい。突きつけられた銃口に私は指を突っ込んだ。


「撃ってみればどうなんだ?」


 ひゅう、と男は口笛を吹く。


「本当に悪いけど、私は今すごく、苛立ってるんだ。事故起こしたくなかったら、黙っててくれないか!」

「ふーん… なかなか元気あるじゃん」


 そう言って、ナガサキは銃を引っ込めた。


「オレはさぁ、そうゆうとこで、黙ってるよぉな奴ってだいっきらいなの」


 初耳、とミルは呆れたように言葉を放った。


 二時間程走りの後、休憩を取ることにした。

 道のりは長い。この車は昔のもの程にはスピードが出ない。時速四十キロ。よく出て六十キロと言うところだ。

 でざいあの干渉が利かない旧時代の車と言ったら、そんな程度にしか走らない。もっとも、私自身それ以上のスピードで走れと言われても、怖くて仕方が無いだろう。

 車を止めて、私は大きく扉を開けた。二人は相変わらず私に銃を突きつけている。


「逃げんなよ」

「逃げないよ。私だって、時間は無いんだ」

「あ、お弁当だあ」


 ミルは後部座席に置かれた私のバスケットに手を伸ばす。あ、と言った時にはもう遅かった。白い手が、そのフタを開ける。


「おっきなバスケットだと思ったら、すごいよこれ」

「おおっ!」


 やめてくれ、という間も無く、二人の手が伸びた。中から一つのパッケージを取り出すと、添えてあったフォークにもハシにも目もくれずに、チキンの唐揚げをつまみ出し、口へと放り込む。


「冷めてるのに、美味いよぉ…」


 感動したような声で、ミルは両手を握りしめている。それホントか、とナガサキも手を伸ばす。口に手を当てて、一瞬顔がくしゃりとゆがむ。


「ちきしょお… どう思っても合成タンパクなチキンだって判ってるのにどぉしてこんなに美味いんだよぉ…」


 …だからって… それは私の弁当なのだが…

 ねおんが。私の最愛の妻が、心を込めて作った、この長い行程を元気で走り通せることを願って作った弁当なのだ。美味くない訳がない。

 唐揚げだけではない。冷えたら冷えたで味がこっくりとするような野菜の煮物、彩りを添える緑のブロッコリには、専用のソースが別の小さな入れ物に入っている。

 さすがに煮物を手づかみという訳にはいかないことに気づいたのか、二人組はハシとフォークをそれぞれ手にして、…奪い合う様にして口に放り込む。

 私はため息をつきながら、別のパッケージを取り出した。少し多めに入れてあるのよと彼女は言ったが、奇妙なところでそれは正解だったらしい。


「…食い終わったら、そっちの袋に入れておいてくれ…」


 私にはそれだけ言うのが精一杯だった。その声にようやく私の存在に気づいたのか、ナガサキはわりいわりい、とその顔全体に笑みを浮かべた。呆れるくらいにその笑顔が子供っぽかったので、何だか怒る気もしなくなってしまった。

 しかし、トクシマの話では、一応彼らも恋人同士と聞いているのだが… とてもその様には見えない食い方だ。


「…美味かったぁ…」

「ホント、すごい久しぶりだよ」

「おにーさん、何か飲み物無い?」

「モリヤだ。…そこのタンクに何本かある」


 私はあきらめ半分で言った。ミルは自分たちの分と一緒にもう一本、タンクの中から容器を取り出すと、私によこした。ありがとう、と私は言った。するとミルは奇妙な顔をする。


「あんた変わってるねえ」

「え?」

「あたし等にお礼は言うし」

「習慣なんだ」

「それにさあ、今だったら、食事中、あたし達銃離してたじゃん。頭ぶっ飛ばしてそこらに置いて逃げれゃ簡単なのにさあ」


 私は思わず顔をしかめた。  

 だがしかし、もともと一人分の食料を三人で食べれば、すぐに尽きるのは当然だ。

 命を弁当の一つや二つで救えるなら安いものではあるのだが、それでも妻の一生懸命の手作りを横取りされるのは決して喜ばしいものではない。

 彼らが乗り込んだ翌日の昼には、バスケットの中は空っぽになってしまった。

 もう何も無いの? と大まじめに訊ねる二人に、私はさすがに呆れた。


「仕方ねえなあ」


 ナガサキはするとそうつぶやき、地図くれねえ? と私に訊ねた。助手席に置いてある地図を渡すと、後部座席でがさがさと彼はそれを開く。目を細めながらナガサキはしばらくそれを眺めていたが、やがて口の端をぽりぽりと引っ掻きながら言った。


「あ~ …あんたさあ、次の大きな交差点で、左にちっと曲がってくんね?」

「へ?」

「すげえちょうどいい。『都市』じゃない街があるぜ」

「あ、いいねえ」


 買い物でもしていけ、ということなのだろうか? 燃料にも限りはあるので、あまり寄り道はして行きたくはない。だが下手に逆らうと後が怖そうだったので、私は言われる通りに次の大きな交差点で左に曲がった。基本的に私は事なかれ主義なのだ。


「ところでさあ、あんたのこのタマゴ、奥さんとの?」


 胸ポケットに入れた私の小さなケースを取り出すと、ナガサキは軽くそれを振る。


「当たり前だろう」


 運転中に話しかけるな、という私の言い分を、この男は結局ことごとく無視してくれる。仕方がないので私は少しだけスピードを落として、できる限りは彼らの言葉に答えていた。まあさすがに、運転に慣れてきたから、というのもある。


「あたり前ってこたぁないでしょ。別に誰との間でも、生きてるタマゴはできるワケだし。オレ達なんて別に恋人じゃねーしー。なー」

「ねえ」

「私は、そうなんだ。あいにく」


 思わず語調が強くなる。ミラーに映るナガサキの目が丸くなった。


「そう怒るなよ」

「怒ってはいない」


 そう、怒ってはいない。ただ、そんな風に私と妻の間の受精卵を振り回されていい気持ちはしないだろう。

 そう。私はこの自分と妻との受精卵を届けに、東府へ向かっているのだ。

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