Episode8 親友のキモチ
「おっはよー!!」
いつもの電柱の前で立っていた「彼女」を後ろから勢い良く抱き締める。
「ひゃあ!」
明美は可愛い悲鳴をあげ、慌てて私に振り向く。抱きついてきた相手が私である事を確認すると、その顔の赤みが増して、恥ずかしそうに微笑んだ。
「もう、楓ったら」
明美の誕生日から一夜明けた翌日の朝。私と明美が「恋人」になってから初めての朝だ。いつもならひたすら憂鬱な筈の月曜日の朝の筈なのに、今日は全てが輝いて見える。
今でも夢を見ているような気分だった。明美が私の事を好きだなんて、今でも信じられない。
「……夢じゃないよな?」
思わず呟くと、明美は私の頬に手を当てた。冷たくて、慌てて身を引く。明美は悪戯に笑う。
「夢じゃないでしょ?」
明美は私が散々迷ったあげく買った、誕生日プレゼントのマフラーを巻いていた。ワンポイントで音符の刺繍が施してある。
昨日、佳子が気を利かせて帰ってくれた後で、泣きながらプレゼントを渡したのだ。明美も泣いて喜んでくれた。
––––なんか私達泣いてばっかだな。
と、そこで気が付いた。
「ところで、佳子は?」
昨日気を利かせてくれたから謝っておきたかったんだけど、今日はその姿が無い。いつもならとっくに来ていて遅刻なんかしない筈なのに、珍しい。すると明美は思い出したように携帯を取り出した。
「あ、今日は用事があるから早く行くってメール来たよ」
はい、と画面を見せてくる。確かにそう書かれていた。
「んー、じゃあ行くか」
少々引っかかるものを感じながらも、いないんじゃ仕方ないので行くことに決める。
「そうだね」
自然に明美が私の右手を握る。慌てて明美の顔を見ると、にっこりと笑っていた。
これはあれか、手を繋いで学校まで行こうってことか。
「……仕方ないなぁ」
「楓、顔真っ赤だよ?」
指摘されてしまい、恥ずかしくて更に頬の熱さが増した。それを言ったら明美だって真っ赤じゃないか。
まさに付き合いたてのカップルって感じだ。まぁ、お互いに奥手だから仕方ないかな。
冬の北風が顔に吹き付けてくる。明美の黒髪が靡いた。思わずその横顔に目を向けてしまう。
やっぱり美人だなぁ、と思う。長くて綺麗な髪も、大人っぽく整った顔立ちも私には無いもので、羨ましく思ってしまう。こんな可愛い子が私の彼女だなんて。
私の視線に気がついたのか、明美も私に顔を向けた。そして幸せそうに微笑み、手を握り直す。私もしっかりと離れないように力を込めた。
胸の高鳴りが治まらない。やっぱり、どうしようも無いくらい恋してるんだなぁと思った。
階段のところで明美と分かれて、廊下を歩いて教室へと向かう。うっかり手を繋いだまま学校まで来てしまい変な目で見られたけど––––まぁ、いいか。
クラスがばらばらだから、いつも会えるわけじゃ無いというのが辛いところだ。
ふと、そこで廊下の先に見慣れた姿を見つけた。
「おーい、佳子ー」
手を上げて、呼びかけてみる。佳子はこちらを向く。と、同時にもう一人こちらを向く顔があった。そこで初めて、佳子が誰かと話していた事を知った。
その相手は二年生の後輩である鈴音。目が合うと私に会釈をして、佳子に微笑むとポニーテールを揺らして向こう側に走って行ってしまった。
なんか話してたなら悪い事したかな。
佳子も手を上げて私に挨拶すると、さっさと教室に入って行ってしまった。
その動きにまた少し違和感を覚える。考え過ぎかもしれないけど、まるで私が来たから二人とも会話を終わらせて逃げたように見えた。
––––やっぱり最近、佳子が何かを隠している気がする。佳子は委員会をやっている訳でも無いし、朝から学校に用事があったというのも少し変だ。
昨日の事も含めて昼休みに佳子と話そうと決めて、私も自分の教室に入った。
「かえでー」
四時限目が終わり、机の上の教科書を片付けていると教室の入口から私を呼ぶ声があった。目を向けてみると、明美が笑顔で立っている。数人の男子が明美を見て何か下品な笑いを浮かべて下品な事を話したりしている。それに苛立ちを覚えながらも、弁当類を持って明美のところまで行く。
明美は聞くところによると男子にけっこう人気が高いらしい。まぁ、それは分かる気がする。だって可愛いし。清楚って言葉をそのまま人間にした様に清らかなオーラを放ってるし。そして何より誰に対しても、これでもかって位に優しい。
今まで男子に告白されたっていうのは何回か聞いている。でも全部断っていたとも。その時は理由が分かっていなかったけど、今なら分かる。
ふふ、男子諸君。明美は既に私の彼女なんだぞ。……なんてね。口に出しては絶対に誇らないけど。
「何だか楽しそうだね」
思わず口元が緩んでいてしまったらしく、明美に笑われてしまった。
「まぁね。じゃ、行くか」
流石に手を繋ぐ事は出来ないので私達は少し離れて並んで歩く。そしてすぐ隣の佳子の教室を覗き込んだ。確か佳子の席は窓際の一番後ろの筈、
「……あれ?」
しかしそこに佳子の姿は無かった。一通り見渡してみたけど、やはり姿は無い。
「んー、変だな」
いつもなら居ないなんて事は無いのに。鞄があるのを見る限り早退とかそういう事では無さそうだけど。
「あ、佳子どこ行ったか知らない?」
その時、教室に友達が居るのを見つけたのでそう尋ねてみる。
「あ、佳子ならさっき誰かに呼ばれて付いてったよ」
「誰か?」
「うん、後輩みたいだったけど。ほら、あのお嬢様って噂の」
「もしかして、鈴音ちゃん?」
お嬢様という言葉に明美が反応する。
確かに佳子と交友があって、後輩でお嬢様といえば鈴音以外には考えられない。本人はお嬢様と呼ばれるのが嫌いみたいだけど。
そういえば今朝も一緒にいたし、鈴音と佳子が二人でどっかに行ったのは確かだろう。
……でもあの二人、そこまで仲良かったっけ?
確かに仲は良かったけど昼休みにはいつも私達と三人で食べてたわけだし、私達に何も言わずに二人きりでどこかへ行くというのは少し変だ。四人で食べるって選択もある筈なのに。
「どうする?」
明美が訊いてくる。佳子の事は気になるけど、きっと何か理由があるんだろう。無理やり干渉するのも良くない。
「仕方ないから、二人で食べるか」
「うーん、そうだね」
まだ納得できていなさそうだったけど明美も頷いて肯定する。
食堂の片隅にある四人掛けの四角いテーブルを挟んで、明美と向かい合うように座る。いつものように明美は弁当を取り出し、私は荷物を置いてから食券を買おうと立ち上がる。
「あ、まって!」
すると明美に呼び止められた。振り返ってみると、明美の前には三つも弁当箱が置かれていた。
「……大食いになったの?」
「……もう! 楓の分も作ってきたの」
––––これはまさか、彼女からの手作り弁当ってやつでは?
嬉しいやら恥ずかしいやらでまた顔が熱くなるのを感じる。再び椅子に座って、明美に向き直る。明美も恥ずかしそうに笑っていた。
「えへへ……」
「た、食べていいのか?」
「もちろん、その為に作ってきたんだもん」
バンダナに包まれているから中身は分からなかった。三つあるところを見ると、佳子にも作ってきたのだろう。ったく、佳子はどこで何をやっているんだか。
「……じゃ、いただきます」
「うむ」
深々と冗談混じりにお礼をしてからバンダナをほどく。すると中から透明な蓋の弁当箱が姿を現した。
半分程の面積を占める海苔のついたご飯に、赤いソーセージとプチトマト。あとほうれん草と、卵焼きと、メインの唐揚げが入っている。
「流石は明美」
思わず呟く。なんて家庭的で理想的なお弁当。顔を上げてみると、明美もお弁当を開いているところだった。私の視線に気がついて顔を上げ、微笑む。私は蓋を開けながら、
「すごい。すごい嬉しい」
「……実は卵焼き焼いて、他は詰めただけなんだけどね」
苦笑する明美。謙遜してるけど、私にはその卵焼きすら焼けないので明美はやっぱりすごい。女子力の塊って感じだ。
「いただきます」
二回目を言ってから、箸箱を開く。まずはその卵焼きからつまんで口に運ぶ。
「うん、美味しい」
「ほんと? 良かった」
ほっと安心したように息をつく明美。
「……『彼女』が作ったものなら何でも美味しいよ」
小声で呟いてみると、明美は彼女という言葉にボンと赤くなった。私も自分で言っておいて照れてしまう。
私達、付き合ってるんだなあ。
昨日までと変わらないように見えて、確かに変わっている私達の関係。私達はもうただの親友じゃなくて、恋人。それだけの筈なのに、どうしてこんなにいつもと同じ昼休みの光景が違って見えるのだろうか。
……いや、いつもと同じ昼休みの光景じゃないな。
今日は、佳子がいないんだった。
「佳子、どうしたのかな」
私の気持ちを読んだかのように、明美がぽつりと呟いた。私も唐揚げを口に運びながら「うーん」と考える。
「……気、遣ってくれてるのかね」
箸が自然と下りる。明美も同意見のようで、寂しそうな顔になった。
「だよね……昨日だって私の誕生会だったのに気遣わせちゃったし」
佳子は本当に良い人だ。明美とはまた違った意味で、すごく優しい。
でも、だからこそ心配なのだ。いつも一人でなんとかしなくちゃと頑張っているように見える。まるで自分が犠牲になろうとしているように。
いつも自分の事なんて二の次三の次。佳子はそういう人なのだ。
「私達は全然気にしない……というより佳子がいないとなんか落ち着かないよね」
「……そうだな」
私達は付き合っているけど、佳子との関係は壊したくない。そりゃまあ明美と二人の方が嬉しい事もあるけど、出来る限り三人でいたいと思ってる。
チラリと左の席に目を向ける。その前に置かれた、一つの弁当。
付き合い始めた私達に気を遣ってくれている事は分かる。でもやっぱり友達、いや親友として佳子にも居て欲しい。
唐揚げをつまんで、放課後は絶対に捕まえて話そうと決意した。