Episode5 伝わってしまったキモチ
明美を好きになったのはいつからだろうか、なんて考える。
私達二人は小学生の時からずっと一緒だった。友達になったきっかけとかは、正直な所よく覚えていない。でも気が付いたら私達は一緒にいた。
家は特別近いわけじゃ無かったけど、二人の家の間にある公園でいつも一緒に遊んでいた。
その頃は当然だけど、まだ恋愛感情なんて抱いていない。ただ、仲の良い友達というだけだ。
私達も思春期を迎える。周りの子たちが恋バナなんてしてるのを横目に、私は人を好きになる事なんて、全く分かっていなかった。
そんな中学一年生の夏休み明け、クラスに楓が転校生としてやって来た。
楓は男の兄弟に囲まれて育っていて、言葉遣いも乱暴だし周りの女の子達に合わせようともしなかったから正直、転校してきて一週間経った頃にはもう少しクラスから浮いていた。
でもそんなある日、私は休み時間に楓がクラスの端っこで私の好きな作家さんの本を読んでいるのを見つけた。思わず話し掛けると話が盛り上がって、すぐに私達は仲良くなった。自然と同じく本好きな明美とも仲良くなって、私達は三人一緒に行動するようになった。
思えば、その頃からなのかもしれない。
私達三人の仲が深まっていくにつれて、私は明美と楓が二人で話している時にもやもやと胸にかかるものがある事を感じていた。そのもやもやが何なのかは分からなかったけど、今度は明美と私が二人で話す時には胸の鼓動が高鳴り、胸が苦しくなり、頬が紅潮しているのに気が付いて、確信した。
私は明美に恋をしていると。
形はどうであれ初恋だった。ただ長い事一緒にいすぎた為に、私の明美に対する思いは知らない内に愛情へと変わってしまっていたのだ。
同性を愛する事がおかしい事だなんて分かっている。恋なんかじゃないと自分に必死に言い聞かせた。
それでも、明美と目が合った時、話す時、触れ合った時に感じる胸の苦しさと動悸は消えてはくれなかった。
ああ、私は変になってしまったんだ。
この気持ちは誰にも言えないまま、必死に悟られないように隠し続けていた。
しかし、私は気付いてしまった。
明美の楓を見つめる目と、楓が明美を見つめる目が、明らかな普通でない感情を秘めている事に。
「かんぱーい!」
カチンッと音を立てて硝子のコップが軽くぶつかり合った。炭酸飲料が中で波を立てて、それぞれがそれを口に運ぶ。
楓がコップを口から離し、テーブルに置く。そして笑いながら声をあげる。
「いやー、めでたい!」
お前はお正月の親戚のおじさんかと思いつつ、私もコーラを飲み込みながらコップをテーブルに置く。炭酸は飲めない訳じゃないけど、やっぱり少し苦手だ。ピリピリとする舌と喉を不快に感じてしまう。
そんな私を明美が見て、苦笑する。
「無理して飲む事無かったんじゃない?」
「いや、全然飲めるから」
少し強がってみる。確かに私だけ烏龍茶か何かを飲むという選択肢もあったけど、それはそれで仲間はずれになっているみたいで嫌だ。
––––日曜日がやって来た。
今日は、この世に明美が誕生してから十八年目の記念すべき日だ。そんな喜ぶべき日なのに、私の気持ちは決して喜ばしいものでは無かった。
この二人の間にいる事に、強い申し訳なさと疎外感を感じてしまう。
明美の部屋はいかにも女の子らしい部屋で、全体的にピンクと白で統一されている。窓際に机があり、その隣にベッド。部屋の中央には小さな丸いテーブルが置かれていて、私達はその周りを囲んでいる。
テーブルの上には私達三人のコーラが入ったコップと、2Lのペットボトル。そしてお菓子の入った袋が置かれていた。
例年通りの誕生会、といった感じだ。毎回誰かの誕生日の時にはこうして飲み物とお菓子を持ってその人の部屋に押し掛けるのだ。
「もう明美も十八歳かー」
楓が嬉しそうに笑って、明美との距離を少し詰めた。明美も恥ずかしそうに笑う。その顔の赤みが、どこか増したように見えた。
「十八歳っていうと、なんだか特別な感じするよな」
「……そう?」
確かに大人になった、という実感はするけどまだ飲酒や喫煙が出来るわけでは無いし選挙権も無い。まぁ、十八歳になったら許される事もあるにはあるけど。
「……後輩達は遅いね」
二人だけの空間になってしまいそうだったので、携帯で時間を確認しつつ呟いてみる。
私達三人程の距離では無いけど、私達の所属していた文芸部はそれなりに仲が良かった。と言っても幽霊部員ばかりで実際に活動していたのは一年生二人と二年生一人、そして私達三人の六人だけって状況だったけど。
今回はそんな後輩達三人も呼んである。これは楓が言い出した事だ。この間二人でプレゼントを選んだ時に、鈴音が明美の誕生会について気にしてたと楓に話したら、「ならみんなも呼ぼう」という流れになったのだ。
––––実際、それに少しほっとした自分がいる。これで、二人の間に一人でいる気まずさが少しは解消されるというものだ。
その時、黒電話の音が私の携帯から鳴った。何事かと思って画面を確認してみると、電話をかけてきた相手は一年生の理恵だった。ある種の悪い予感を抱きながら、通話ボタンを押す。
「……もしもし?」
『佳子先輩ですか?』
すぐにいつもの落ち着いた声が聞こえてきた。
「そうだよー。どうした?」
「いや……それが」
ゴホゴホという咳き込む声が理恵の声の後ろで聞こえてきた。暫く間が空き、理恵が溜息を吐いて言う。
『アキがひどい熱を出してて……。親御さんが出掛けている間私が看病しているのでごめんなさい、今日は行けそうにありません』
悪い予感は的中してしまったようだ。
一年生の理恵とアキは私達以上に一緒にいる時間が長く仲良しだ。加えて家も近い。だから片方が熱を出すともう片方が看病をするというのは自然な流れなのだろう。
「……そっかー。なら仕方ないね」
理恵はもう一度謝罪してから、電話を切った。
私が携帯を閉じると、明美と楓は二人とも私をじっと見つめていた。
「理恵とアキ、来れないの?」
楓が残念そうに訊いてくる。音が漏れていたから分かったのだろう。明美も残念そうに微笑む。
「熱が出てるのは心配だね」
確かに、この時期はインフルエンザなども流行し始める時期だ。高い熱を出しているというのは少々不安に感じる。
––––それ以上に、私は二人のこの空間に一人でいて耐えられるかが不安になっていた。
頼みの綱は二年生の鈴音しかいなくなった。
「まぁまぁ飲めや」
そう言って楓は私と明美のコップにコーラを注ぐ。次は烏龍茶を飲もうと思っていたのだけど、まぁいいかと好意を頂戴する。飲み込むとその刺激に咳き込みそうになる。
「ポテチ開けるね」
今度は明美がポテチの袋をバンと開いて、テーブルの上に広げる。嬉しそうに楓がそれに手を伸ばして口に運ぶ。
コーラにポテチとは、女子が三人もいるのにお洒落さのカケラも無いなと思って笑いそうになる。まぁこれが三人の間柄には丁度良いのかもしれない。
たわいない話をして、携帯で写真を撮りあってふざけたりして、三人だけの誕生会は滞りなく進んだ。会も何も遊んでいるだけのような気がするけど。
––––その間、私は二人がお互いにポテチを食べさせ合って赤面したり、妙に距離を近付かせているのをぼんやりと見つめていた。
やっぱり二人は好きあっているんだなぁと再確認させられているようで、ふつふつと胸に湧き上がるものがあった。
私の気持ち––––明美を好きだという気持ち、楓に対する憎悪の念は押し殺そうと決めたけど、やはりそう簡単に捨てられるものでは無い。ただ必死に忘れようと、得意でもないコーラを何杯も飲んだ。大人が酒を飲む気持ちは、こんな気持ちなんだろうなと思う。コーラでは酔えないのが残念に思えてきてしまう。
「明美ー! ちょっと来てー」
一時間程経った時、下の階から明美の母親の声が聞こえてきた。明美は「行ってくるね」と立ち上がると、扉を開いて階段を駆け下りて行った。
部屋に私と楓の二人だけが残される。因みに、鈴音からは家でトラブルがあって少し遅れると先程メールが来た。よって、もう少しの間私はこの居心地の悪さに耐えなくてはならないようだ。
「はぁー」
緊張が抜けたように、楓が溜息を吐く。コーラの入ったグラスを左手で振りながら、テーブルをぼんやりと見つめている。その頬は赤く染まっていて、ぎゅっと唇が閉じられる。長い睫毛の影が頬に落ちる。
こうして見ていると、やっぱり美人だなぁと思う。お洒落なんて興味無いと言っているのが勿体無い。明美の落ち着いた雰囲気とはまた違い、凛々しさを併せ持つ美しさを持った楓。肩にかからない程度のショートカットがよく似合っている。
正直、外見なら楓に勝てそうにない。前にその話をした時は何故か「んなわけないだろ」と恨めしそうに言われたけど。
「なぁ佳子」
楓がコーラを一口飲んで、口を開く。私も足をくずしながら「ん?」と反応する。雰囲気から言って、明美の話をしようとしているのは分かった。急に胸の苦しさが増す。でも、必死に平静を装った。
楓は躊躇うように顔を伏せていたけど、ふいに決心したように顔を上げた。
「……やっぱりさ、告白しようかな」
ドクン、と心臓が嫌な動きをする。
血の気が引いて、冷や汗が流れる。
「昨日佳子に告白したいかって訊かれてさ、色々私なりに考えてみたんだ」
そういえば、昨日のドーナツ屋でそんな事を訊いた気がする。
「やっぱり、明美とはこのまま友達でいる方が良いのかもしれない……でも、もし、もし仮により深い関係になれたら」
楓は顔を真っ赤にしながら、羞恥を隠すようにポテチをつまんで口に運ぶ。続けて残ったコーラを飲み干し、ドンとテーブルに置いた。中の氷がカラカラと音を立てる。ぐっと顔を私に向けて、早口に言い切る。
「多分さ、このままじゃ満足出来ないんだと思う。だから告白する」
その通りだ。楓の気持ちは嫌という程に分かる。このまま友達でいても、その距離はずっと友達のままだ。でももし告白出来たなら、その距離は一気に恋人となる。今以上の幸せを掴む事ができるのは間違いない。でも、
「……怖くないの?」
私は明美が女の子同士の恋愛に興味を示している、いや現に楓を好きだという事を知っている。でも楓はそれを知らない筈だ。明美が女の子同士の恋愛に興味がない、いやそれ以上に、嫌悪感を示すかもしれないという恐怖を、楓は抱かないのだろうか。
楓は暫く「うーん」と真剣な面持ちで考えて、口を開いた。
「確かに怖いよ。その、女同士がおかしいって事ぐらい分かってるし」
でも、と繋ぎ、
「たとえ駄目でも、明美ならずっと友達でいてくれるような気がするんだ。根拠は無いけどさ」
ああ、それも私と同じ気持ちだ。明美は超がつくくらいに他人に甘く、優しいという事を私は嫌という程に知っている。その優しさに何度も甘えてきて、その全てを包み込むような彼女の優しさに惹かれたのも確かだ。
恐らく、明美は私の告白を受けたとしても、私と縁を切るような事はしないだろう。でも、きっと前と「完全に」同じ関係には戻れない。
だから、私は告白する事が出来ない
でも楓は、躊躇いながらも明美を信じて伝えようとしている。
やっぱり、楓には勝てそうも無いのかもしれない。
「……楓は偉いねー」
笑って、手を伸ばして楓の頭を撫でてみる。さらさら指の間を髪が滑る。楓は驚いて体をビクリと震わせたけど、すぐに照れたような笑みを浮かべる。
『でも告白は止めた方がいいよ。女の子同士なんて、無理に決まってるじゃん。今の関係も無くなっちゃうかもよ』
「頑張って、応援してるから」
胸の中で沸き立った黒い感情を必死に押し込んで、建て前を口に出来たのは奇跡に近いものだった。
あぁ、私はまた背中を押してしまった。
二人の「親友」でいたい一心で、また背中を押してしまった。
「ありがとう、私頑張って明美に……」
その時だった。
バンと扉が開き、現れたのはクッキーの皿を手に持って、かつて見た事が無い程に顔を真っ赤にした明美だった。
私と楓は、呆然とそんな彼女を見上げていた。
まさか、と一瞬でその様子を見て確信してしまう。
私は、最大の過ちを犯してしまったのかもしれない。
さっきの会話は、明美に全て聞かれていたのだ。