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Last Episode 知らないキモチ

「よじごぜんばあああい!!」

 私の胸に顔を埋めて号泣するアキ。思い切り抱き締められていて少し苦しい。

「いやですううう!! 卒業じないでぐださいいい!!」

「そ、それはちょっと」

 今から留年するのは厳しいものがある。どうすればいいのか分からず、彼女の後ろで呆れたように立つ理恵に、視線で助けを求める。

「諦めてください。こうなったアキは止められません」

「ちょっと理恵!? なんか冷たくない!?」

 このままだと制服がぐちゃぐちゃになってしまいそうなので、いったん引き剥がした。仕方なくアキの顔をハンカチで拭いてあげる。ごしごしと擦ってあげると、ようやく綺麗になった。

 

「ひっく……なんで卒業しちゃうんですかああ」

「そんなこと言われたって……どうせ近くに住んでるんだから簡単に会えるよ?」

「毎日は会えなくなっちゃうじゃないですかー!!」

 もともと少し幼い顔立ちのアキだけど、こうして泣いていると子どもにしか見えなくて、つい笑ってしまう。「なんで笑ってるんですかー!」とポカポカと叩かれるけど止まらない。

 

 一年生は二人しかいないこともあって、三年生との繋がりは深い。入部した頃から今まで、色んな面倒を見てきた。特にアキは勉強をよく教えてあげていたので、かなり懐かれていたようだ。まさか卒業式でギャン泣きされるとは思っていなかったけど。

 アキの幼馴染でもある理恵は、なぜか羨ましそうにこっちを見ている。

 理由はまあ……予想はつくけど、今は置いておこう。



 卒業式も終わり、最後のHRも終えた卒業生たちは、それぞれ思い思いの場所で別れを惜しんでいた。

 私は送別会が行われることになっている部室で、一年生と話している。明美と楓はクラスや委員会の友達とお別れをしているようだ。

 

 ようやくアキが離れると理恵は姿勢を正し、改まって頭を下げた。

「改めまして、ご卒業おめでとうございます。一年間ありがとうございました」

「あはは、特に何をしてあげられたかは分かんないけどね」

 特に理恵は真面目で利口で、私たち三年生の方が助けられていたくらいだ。

 鈴音と理恵がいれば、この文芸部は大丈夫だろう。卒業しても安心だ。

「いえ。私たち、佳子先輩には本当にお世話になりました。いつも優しく見守ってくれて、励ましてくれて。落ち込んでた時には慰めてくれて」

「そ、そんなことしてたっけなー」


 どちらかというと、そういうのは明美の方がしていたはずだ。

 私はむしろ自分のことで精一杯だったというか。いま思うと、もっと周囲に目を向けられていればと後悔しているくらいだし。

 しかし目を赤くしたアキが声を張り上げる。

 

「してますよ! 何度宿題で助けてもらったことか!!」

「……アキは佳子先輩がいなくなって大丈夫なの?」

 不安げに呟く理恵。まあ、勉強は理恵だって十分に教えられるだろうし大丈夫だろう。


 それにしても一年生からこんなことを言われるとは意外だった。

 以前の私は明美のことばかりを考えていて、周囲に対して何もできていないのだと思い込んでいた。でも彼女たちから見る私は、ちょっとだけ違うらしい。

 素直に面白いなと思った。そして今まで気づかなかった自分に呆れてしまう。


「……良かった」

 そう唐突に呟いた理恵に、思わず聞き返す。

「え? なにが?」

「最近の佳子先輩、何だか悩んでるみたいだったから。アキと心配してたんですけど、もう大丈夫みたいですね」


 そう言われて驚いた。

 気づかれてないと思っていたのに。当然だけど一年生は今回の件を知らない。二人と会う時はなるべく普通に振舞うようにしていたはずなのに。

 結局のところ、私は何も見えていなかったのだ。

 今までどれだけ狭い世界で生きていたのか思い知らされるようで、つい苦笑が口元に浮かぶ。


「どうしたんですか?」

「いや、何でもないよ。二人とも、ほんとにありがとね」

 アキと理恵を同時に抱き締める。アキはまた声を上げて泣き始め、理恵は顔を真っ赤にして動揺していた。


 私が今まで見落としてきたことが、あとどれだけあるだろう。

 そして、どれだけ見つけ出すことができるだろう。

 明美がいないと価値がないと思っていたこの人生に、どれだけの価値を見出すことができるのだろう。




「と、ところで鈴音先輩の姿が見えませんね?」

 私から離れた理恵は、何かを誤魔化すように髪先を弄りながら言った。アキも涙を拭きながら「そういえば」と部室内を見回す。

「私、探しに行きます!」

「あ、いいよ。私が行くから」

 今にも駆け出そうとしたアキを引き止める。

「え、でも……」

「いいからいいから。ここは私に任せなさい」

 

 時計を見る。送別会開始まではまだ余裕があった。

 ついでに明美と楓を見かけたら声をかけておこう。そう決めて部室を後にする。


 

 鈴音が自殺を図ろうとしたあの日。

 あの日から、鈴音は少しずつ変わり始めた。

 何というか前よりも明るくなった気がする。それに自分の意見をはっきりと口にするようになった。その変化には私たちも驚くばかりだ。

 鈴音も鈴音なりに考えた結果なのだろう。前は何を考えているのかわかりづらい部分もあったけど、今は本音で向き合えている感覚がある。


 あの日以来、彼女に恋慕の視線を向けられることもなくなったけど。きっと私の気持ちが揺るがないことを察して諦めたのだろう。



 校舎の中は卒業生で溢れている。あちこちで高校生活最後の瞬間を仲間と共有しようとしている。

 その中を縫うように歩きながら、彼女の後ろ姿を探した。


「おーい佳子ー」

 中庭の方から声をかけられて、顔を向けると楓がこっちに向かってきていた。


「部室に行ったんじゃないのか?」

「鈴音が見当たらないらしくて探してる」

「鈴音が? まさかまた何か企んでるんじゃ……」

 眉を潜めて難しい顔をする楓。

 確かに警戒する気持ちは分かるけど、今の鈴音が何かを企んでいるとは考えにくい。


 楓とは無事に仲直りして、またこうして話せるようになった。

 以前と全く同じ関係とは言えないけど、こうして言葉を交わせるだけで、今は素直に嬉しいと思える。


「……なあ、佳子」

「なに?」


 唐突に真面目なトーンになる楓に、背筋が自然と伸びる。


「えっと、その……なんか、ごめん」

「前のことならもう気にしてないから、謝らなくていいって言ったでしょ」

「そうじゃなくて、えっと……」

 いつもハッキリとした物言いをする楓らしくない。何かを言い淀んで、目線をうろうろさせる。そして周囲に聞こえないように、小声で言った。

「……明美のこと、取っちゃってごめん」

「楓。私怒るよ」

 わざと低いトーンで言うと、楓はひっと身を縮こまらせた。

「明美が選んだのは楓なの。それだけの話だよ。だから、そんなことで謝らないで」

 以前の私ならこんな風にハッキリと言うことはできなかっただろう。

「明美に選ばれた自分に自信を持って。じゃないと私、怒るからね」

「……私が間違ってた」

 しゅんと肩を落として、楓は呟く。

 私に気を遣ったまま明美と付き合うなんて、絶対に許されない。楓には責任を持って明美と付き合ってもらわなくちゃならないのだ。じゃないと私だって、いつまで経っても諦めきれないから。


 そっと楓の頭に手を乗せて、微笑みかける。

「明美のこと、よろしくね。これは明美の幼馴染としてのお願い」

「う、うん!!」




 楓と別れた私は、屋上に続く階段を上っていた。

 何となく鈴音はそこにいる気がしたのだ。

 生徒たちの喧騒が遠くから聞こえる。階段を叩くコツコツという音が、辺りには響いていた。

 そしてドアの前に辿り着く。普通なら施錠されているけれど、ここの鍵が壊れていることは一部の生徒しか知らない。

 そして私はドアノブを捻って、外に出た。



 その瞬間、強い風が吹き込んできた。

 思わず目を覆い、顔を背ける。

 

「先輩」


 そして、その声が聞こえてきた。


 少し離れた場所に、一人の女子生徒が立っている。

 眼鏡をかけた、ショートヘアの女の子。風に髪が靡いて、それを片手で軽く押さえている。

 私には一瞬、それが誰か分からなかった。もう一度まじまじと見て、ようやく確信に至る。


「す、鈴音!?」

「そうですよ、佳子先輩」


 ニッコリと微笑む顔は間違いなく鈴音だった。

 

「ど、どどどうしたのその髪!? というか眼鏡? え? なんで?」

「落ち着いてくださいよ」

 これが落ち着いていられるか。

 せっかく長くて綺麗な黒髪だったのに。髪は女の子の命。それをこれほどバッサリ切ってしまうだなんて、何かがあったとしか。


「…………あ」


 そうだ。失恋か。

 振った本人が何を言ってるんだ。


「これ、見覚えありませんか?」

 鈴音はそう言って髪先を摘む。

「見覚え…………あ」

 確か初めて会った時の鈴音も同じような髪の長さで、同じような眼鏡をかけていたはずだ。

 ということは、あの頃の自分を再現してる?

 でも、どうして?


「これが私の本当の姿ですよ、先輩。今までは先輩の好みに合わせてたんです」

「そ、そうなんだ」

 今さら驚きはない。前々から明美と鈴音の姿が被って見えることはあったけれど、つまりはそういうことだったのだろう。

「どうですか? こんな私は嫌ですか?」

 鈴音は距離を詰めて尋ねてくる。甘いけれど、前とは違う甘い匂い。どこか安心するような。

 上目遣いに見つめられて、思わず鼓動が早まる。

「う、ううん。よく似合ってるよ」

 最初こそ驚いたけれど、ショートヘアも実によく似合っている。流石は美少女。それに眼鏡も普段とのギャップがあって、正直ドキッとしてしまった。って、だめだめ。なに考えてるの私。

 

「それで、鈴音はどうしてここに? そろそろ送別会始まるみたいだよ?」

 誤魔化すように話題を変える。鈴音は口元に指を当て、小悪魔のような笑みを浮かべながら。

「ここにいれば、佳子先輩が来てくれるかもと思って」

「……そうなんだ」

 この子、こんな表情もできたんだ。

 もしかすると、これが素の鈴音に近いのかもしれない。明るい鈴音にはまだ慣れていないけど、以前にも増して魅力的だった。

 なによりも、素直に本音を口にしてくれる。


 あの日、明美が鈴音に言っていた。

 もっと本音を聞かせて欲しいと。

 鈴音はその思いを受け取った。そして変わろうとしている。今はまだ拙くても、きっと変われる。だって鈴音は誰よりも賢くて、自分の気持ちに素直な子だから。

 その方向さえ間違えなければ、きっと幸せになれる。


「ところで佳子先輩。明美先輩と何かありましたか?」

「え?」

 唐突に尋ねられる。鈴音は更に近づいて、まじまじと顔を覗き込んできた。

「今朝から少しぎこちないですよ?」

「ほ、ほんと? ……というか、どこから見てたの」

 今朝は確かに明美と楓と登校したけど、鈴音とは会っていない。

 まさかストーカー? あ、あり得る。前々から怪しいとは思ってたけど、やっぱりそうだったのか。

「何だか失礼なことを思われている気がします。違いますよ。たまたま見かけただけです」

「そ、そうなんだ。たまたまね」

「信じてませんよね?」

 ジトッとした目で見られてしまう。


 流石は鈴音、といったところか。まさか気づかれてしまうなんて。

 普通に振舞えてると思ってたんだけどな。明美も今まで通りに話してくれるし、表面上は何の問題もなかったはずだ。

 それでもやっぱり、少しの気まずさはある。何となくぎこちなくて、お互いに普通に振舞おうと努力している空気は、どうしても流れてしまう。でもそれは仕方のないことなのだ。

 最初から分かっていた、避けようのない未来だから。


 ここで嘘を言っても、鈴音にはすぐにバレるだろう。

 だから正直に事実を口にした。


「昨日、明美に告白した」

「やっぱりそうですか」

「分かってたの?」

「何となく、そうなんじゃないかと」


 鈴音は曖昧に笑った。やっぱり、この子に隠し事はできそうにない。


「……ごめんなさい。私が先に話しちゃって」

「そのことはもういいって」

 鈴音からはもう十分に謝られたし、元はと言えば明美に告白できなかった私が引き起こした事態だ。

 それに鈴音が話していなくても、結果は変わらなかったと思う。

 

「でも、良かったんですか? あのまま曖昧にすることだって、できたはずなのに」

「……それだと、結局は何も変わらないんだよ」


 あのまま曖昧にしていても、いつかは必ず破綻していた。

 だから明美への思いを終わらせるために、告白は必要な過程だった。たとえどんな結果を招いたとしても。いつの日かまた、胸を張って二人を親友と呼ぶために。

 

「私はもっと、広い世界を知らないといけないんだ」

「広い世界、ですか?」

「うん。今までの私の世界は、あまりに狭すぎたから」


 今までは明美が中心にいて、それから楓がいて。文芸部のみんながいて。家族がいて。

 私にはそれしかなかった。だから明美と楓が付き合い始めたとき、自分の中のほとんどが空っぽになってしまった気がした。だけど、それじゃダメなんだ。

 もっと色んなことを知って、経験して、それから……新しい恋をして。

 そうじゃないと、私はちゃんと胸を張って、二人を親友と呼ぶことができないから。


「私、大学に入ったら何か新しいことを始めようと思う。それからたくさん友達を作って、たくさん勉強して、きっと誰かと恋をする。そうやって新しい世界を見て、私は変わるよ」


 今度は二人と一緒じゃなく、自分だけで進む道だ。

 そうやってまたいつの日か、改めて二人と向き合おう。

 時間はかかるかもしれない。だけど、私たちならきっと大丈夫だ。


「……佳子先輩らしい答えですね」

 鈴音はそう言って、優しく微笑んだ。それはとても可憐な微笑みで、屋上の無機質な景色が一瞬にして華やいだ気がした。

「応援しますよ、先輩」

「……ありがとう」

 鈴音に応援されただけで、全部が上手くいくような気がする。

 ふと眼鏡の奥にある鈴音の瞳が、私を真剣に見つめ直した。




「……私もひとつ、先輩に言いたいことがあるんです」

「言いたいこと?」

 いつになく真剣な空気に、思わず緊張が高まる。

 鈴音は一歩下がって、手を後ろで組んだ。吹き抜けた冷たい風が彼女の髮とスカートを揺らす。

 寒さのせいか、彼女の頬はほんのりと赤く染まっていて。

「私、佳子先輩のことが好きです」


 告白された。

 いや、どうしてこのタイミングで? あの日からそんな素振りは見せなかったから、鈴音も自分の気持ちに整理をつけたものだと思っていた。だけど、彼女は今はっきりと好きだと言った。

 唐突に告げられた言葉に、脳の処理が追い付かない。


「今度は卑怯な手も小細工も使いません。正々堂々、ありのままの私で勝負します」

「しょ、勝負って……ちょっと待ってよ」

 まさか髮を切ったのも、眼鏡をかけているのもそのためだったのか。

 鈴音がゆっくりと近付いてくる。私は動くことができない。

「私はもう自分の気持ちに嘘はつきません」

 鈴音の顔が目の前に迫る。その距離数センチ。

 唇と唇が触れそうな距離。彼女の体温を間近に感じる。彼女の黒髮から漂うシャンプーの甘い香りに、頭がくらくらしそうになった。


 そのまま、鈴音は囁くように言う。

「私は今日、新しい佳子先輩に出会いました。そして佳子先輩は、新しい私に出会いました」

 やっぱり、最初の出会いを再現していたんだ。その言葉を聞いて確信する。

 だけど今の鈴音は、いじめられていた可哀想な女の子じゃない。正々堂々と現実に立ち向かおうとする、誰よりも強い女の子だ。

「誰の代わりにもなれないのなら、私が先輩の唯一の存在になってみせます」

「す、鈴音……」

 彼女はゆっくりと息を吸って、今までに聞いたことがないほど魅惑的な声で。

 

「好きです、佳子先輩。もう一度ここから、私と新しい恋……始めてみませんか?」


 その微笑みはまるで天使のようで。だけど、どこか小悪魔のようでもあって。

 そんな彼女に、私の心臓は痛いほどに高鳴っていて。

 

 この後輩は、私に新しい世界を見せてくれるのだろうか。

 ふとそんなことを思った。

最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。

これから先、二人がどうなるかは読者様のご想像にお任せします。


でも一応シリーズ作品なので他の作品にちらっと出てきたり、気が向いたら短編も書くかもしれません。あと短編「私とあの子と隣のアイツ」には佳子と、二年生になったアキと理恵が登場します。もしよろしければそちらも併せてお楽しみください。


書きたいことは色々とあるのですが、長くなりそうなので活動報告にでも書こうと思います。


2014年12月に書き始めたこの作品ですが、いつの間にか2019年1月です。まさか完結に4年以上かかるとは。見捨てずにいてくださった読者様にはありがたいやら申し訳ないやらで、何と言ったら良いのか。

改めて本当にありがとうございました。

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