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Episode33 理解できないキモチ

 目が覚めた時、最初に見えたのはどこまでも澄んだ青空でした。


 その空があまりに綺麗で、しばらく眺めていたら、頬を温かいものが伝うのが分かりました。なぜ流れたのかは分からなかったけれど、不思議と嫌な気持ちではありません。

 どうやら私は生きているようです。

 身を投げ出した記憶があるのに、心臓の鼓動を、確かな息遣いを感じます。

 そして右手に感じる誰かの温もりも。


「……先輩?」

 顔を横に向けると、佳子先輩が私の手を握っていました。目は真っ赤に腫れていて、肩は小刻みに震えています。反対側には明美先輩と楓先輩も座っていて、私を見下ろしていました。

 コンクリートの地面は固く冷たくて、意識までゆっくりと冷えていくようでした。


「私……どうなって……」

 尋ねようとした瞬間、優しい温もりが私を包みます。佳子先輩に抱き締められていると気づくまでに、しばらくの時間を要しました。

「自分が何したか分かってるの!?」

 私を怒鳴りつけながら、先輩の身体は震えています。そっと先輩の背中に手を当てて尋ねます。

「先輩が……助けてくれたんですか……?」


 あの時、確実に落ちた感覚がありました。

 それでも私はまだ生きている。

 

「あんなに……酷いことをしたのに……?」

「そんなことは関係ない!!」

 先輩は叫びながら、更に強く私を抱き締めます。痛いほどに。苦しいほどに。

 ……あなたは本当に優しいですね。危険を冒してまでこんな私を助けてくれるだなんて。


 空中に踏み出したとき。

 消えゆく意識の中で私は、底知れぬ恐怖を感じました。

 冷たい闇の中へ落ちていくような感覚。自分という存在が消えてなくなる恐怖。

 死ぬのが怖くてたまらなかった。覚悟は決めていたはずなのに。この世に生きる理由なんて、無くしたはずだったのに。全部諦めたはずだったのに。

 

 私は、誰かに助けてもらいたかったのかもしれません。

 佳子先輩と初めて出会ったあのときから、弱い自分とは決別したはずでした。でも本当はちっとも変わっていなかった。私は今もあの時の弱い私のまま。誰かに助けてもらいたくて、足掻いて、でも声は上げることはできずに黙り込む、そんな私のまま。



「ごめん……なさい」

 喉奥から絞り出したのは、そんな言葉でした。

 先輩たちは何も言わずに私を見つめています。今更謝ったところで許されないのは分かっています。それでも謝らずにはいられませんでした。


 私が間違っていることなんて最初から分かっていました。先輩たちの関係を掻き乱して、壊してしまうことも分かっていました。分かった上で佳子先輩を手に入れる選択をしたのですから。

 

「……私こそ、ごめん」

 佳子先輩も私を抱き締めながら、謝罪の言葉を口にします。

「鈴音の気持ち、全然考えてなかった。こんなになるまで追い込んで、本当にごめん」


 それから私はしばらく泣き続けていました。

 恐怖や安堵、それと先輩たちへの申し訳なさが入り交じって、心の中がぐちゃぐちゃです。涙は止めどなく溢れてきます。佳子先輩はその間ずっと、黙って抱き締めていてくれました。



「……あのさ」

 ようやく私が泣き止んだ頃。楓先輩がこれまで閉ざしていた口を開きました。

「私は鈴音のことは許してないし、信用もできない」

「…………はい」

 当然です。私だって簡単に許してもらえるなんて思いません。特に楓先輩は何度も騙して利用しましたから、今更信用を取り戻すことなんて不可能でしょう。

 

 楓先輩が明美先輩を好きだということを知って、佳子先輩に相談するように誘導したのは私です。

 佳子先輩が明美先輩を奪おうとしていると吹き込んだのも私です。利用しやすそうだったから、利用しました。自分の狡猾さが自分で嫌になります。

 殴られる覚悟はできていました。

 奥歯を噛んでその時を待ちます。

 

「でも、ここで鈴音を殴っても何も変わらない」

「……え?」

「地下室で佳子に止められて気づいたんだ。私は何も成長していなかった。感情に任せて手を出しても、ただ傷つけるだけなのに」


 告げられる予想外の言葉。私はただ楓先輩を見上げるばかりで。 

 いっそのこと、思い切り殴ってくれた方が楽なのに。

 どうして楓先輩がそんなに辛そうな顔をしているのか理解できません。


「鈴音の様子がおかしかったことに、私は気づけなかった。だから私にも責任がある」

「……どうしてですか」

 頭に血が上っていくのが分かりました。

 本当に理解できません。佳子先輩も楓先輩も、どうしてこんなに優しいのか。


 悪いのは全て私です。

 私が全部悪いんです。

 たったそれだけのはずなのに、どうして。




「私たちは、あなたの先輩だから」

 まるで答えを教えるかのように、明美先輩が呟きました。

「後輩を支えるのは先輩の役目だよ」 

 目の前にしゃがんだ明美先輩は、私の頬に触れます。

 そして音もなく伝う涙を親指で拭って、微笑みを浮かべました。

 

 たったそれだけの理由で。たったそれだけの理由で、優しくしてくれるというんですか。

 全然合理的じゃありません。理解なんてできません。

 

「私、鈴音ちゃんのこともっと知りたい。もっと鈴音ちゃんの本音を聞かせて欲しい」

「……え?」

「二年間同じ部活にいたはずなのに、あなたの気持ち全然知らなかったの。もう遅いのかもしれないけど、私……」


 理解なんてできないけれど、目に涙を浮かべて言葉を紡ぐ明美先輩を見た瞬間、佳子先輩がこの人を好きな理由は分かった気がしました。

 同時に、私はこの人には一生勝てないのだな、と。思い知らされた気がして。


 明美先輩はそのまま、私と佳子先輩を包み込むように抱き締めました。

 私は二つの温もりに挟まれたまま、何も言うことができません。

 

 負けました。

 私の負けです。最初から勝てるはずなんてなかったんです。

 どうしようもなく情けなくて、止めどなく涙が溢れてきます。明美先輩は服が汚れるのも気にせずに、私をぎゅうっと抱き締めて、頭を撫でてくれました。

 ああ、私の負けです。先輩。

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