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Episode23 あの時のキモチ

「じゃあ本題に入ります」


  言葉から推測するに、鈴音は一昨年会った時には既に私のことを知っていたということだろうか。でも、私にはそれより前に鈴音と出会ったという記憶はない。

 私は唾を飲んで次の言葉を待つことしか出来ない。


 しかしその時、電子音が言葉を遮るように部屋の中に響いた。発信源は鈴音だ。「何ですかこの重要な時に……」と不機嫌そうに呟きながら、羽織っていたパーカーのポケットから携帯電話を取り出す。

 開いて、暫く黙ったままそれを見つめる。ふぅ、と息を吐くとポケットに再び戻してしまう。

「……誰から?」

 気になって尋ねてみる。鈴音は「いえ、なんでもないです」と誤魔化すように視線を逸らした。

 一瞬の期待が過る。もしかして、明美たちが私を探しているんじゃないかと。鈴音にメールを送る人はそう多くないはずだ。それにこの少し動揺した様子を見るに、その線はあり得るかもしれない。

 なんて、ね。

 明美と楓はもう私のことなんて、探そうとは思っていないかもしれない。

 これ以上鈴音に追求してもきっと答えようとはしないだろう。私は諦めて、床に視線を落とした。



「さて、じゃあ私と先輩が初めて会った時の話をしましょうか」

 明るい声で、鈴音が話を再開する。さっきまでのどこか不安そうな表情とは一転して、いつも部室で話している時のような表情だ。それにホッとするのと同時に、見透かせない影に恐怖が湧き上がる。

「あれは私が中学三年生の時です……詳細は省きますけど、私は街で同級生の女子たちに暴言を吐かれていました」

「ちょ、ちょっと待って」

 何の前置きもなく告げられたその状況に思考が追いつかない。街で同級生の女子に暴言を吐かれてたって、どういう状況なんだろう。いじめ、という文字が一瞬で頭の中に浮かぶ。詳細は省くって、そこが一番聞きたいところだ。鈴音にとっては一番言いたくないところだろうけど。

 鈴音は質問を受け付けてくれる様子はない。再び私の正面にしゃがみ込んで、顔を近づけてくる。お菓子のような甘い匂いがした。

 耳元で聞こえる鈴音の声に鳥肌が立つ。

「その時助けてくれたのがあなたですよ、佳子先輩」

 



 鈴音の言葉が頭の奥に響いて、私は思考を過去に向けて走らせる。

 二年半ほど前、私はそんなことをしただろうか。正直その頃の思い出にはいつも明美の姿がチラついていて、それ以外のことはあまり印象に残っていない、と言ったら言い過ぎか。その頃の私は純粋に明美に恋をしていた。まだ明美の気持ちにも楓の気持ちにも気づいてなくて、ただ明美と一緒にいるだけで幸せな気持ちになれた。楓も一緒にいると楽しい大切な親友だった。いつも三人で一緒にいて、放課後も映画を観に行ったりして、

 そこでふと、思考がある時点で立ち止まる。

 私たちの言う街とは、ここから電車で二駅の場所にある市の中心街のことだ。クリスマスのあの日、鈴音と二人で行ったあの場所だ。

 その風景が頭の中に少しずつ思い浮かび始める。記憶の糸を手繰り寄せるように、少しずつ、はっきりとその形を帯びてくる。やがてそれは一つの記憶として蘇る。


 

「思い出しましたか?」

「待って……もしかして……」

 目を見開いて、まじまじと鈴音の顔を凝視する。

 昔の記憶と鈴音の顔が、重なった。



 どうして今まで気付かなかったのだろう。この大きな瞳も澄んだ声も、あの時と同じであるというのに。

 洞察力に優れているなどと自負していた過去の自分が恥ずかしくてたまらない。

 結局私は、肝心なことは何一つとして見えていなかったのだから




 あれは夏休みを目前にした七月頃だったか、私と明美と楓は前期期末試験が終わった記念に三人で映画を観に行こうと学校が終わった後に電車に乗って街を訪れた。

 そこで私は映画館の前まで来た時、携帯か何かをファミレスに忘れたことに気が付いて、一人走って取りに戻った。その途中、私は見たのだ。

 数人の中学生と思われる女子たちが集まって、中心にいる小柄な子に暴言を浴びせているのを。

 でも周りにいる大人たちは皆見て見ぬふりをして立ち去るばかり。誰も彼女たちに注意しようとはしなかった。

 私も最初は急いでいたし、中学生同士の揉め事に首を突っ込みたくはなかったから知らんぷりして立ち去ろうとした。でも彼女たちの言葉があまりに汚く、一度睨みつけてやろうと思って振り返った。

 そこで、目が合ってしまったのだ。

 中心にいた小柄な女の子の、涙に濡れた恐怖に満ちた目が、私の視線に先にあった。それは必死に助けを求めているように見えて、気がついたら足がその集団に向いていた。



「どうですか?」

 鈴音の尋ねる声が私を過去から現実に引き戻す。



 あまりに衝撃的な事実に頭が追いつかない。どうして今まで私は気付かなかった? どうして鈴音は言おうとしなかった? 分からないことだらけで、パニック状態だ。

 あの女の子は確か黒縁の眼鏡をかけて、髪も今よりずっと短かった。

 あの後は確か私はその女子たちと激しい口論になって、内容は覚えてないけど最終的には女子たちは退散して事態は解決した。

 私はこれ以上首を突っ込むのもお節介だろうと慌てて逃げるようにその場を去ってファミレスで忘れ物を受け取り、すぐに映画館に戻ってしまった。

 これで全ては終わりのはずだ。あの後鈴音とは話したような気もするけど、正直私もかなり急いでいたからか記憶にはうっすらとしか残っていない。




「あの時の佳子先輩は本当に格好よかったです。今まで暗闇の中にいた私に初めて手を差し伸べてくれた、ヒーローのようにも見えました。家に帰ってからもずっと佳子先輩のことが頭から離れなくて、離れなくて、夜も眠れませんでした。そして気づいたんです。これが一目惚れだって」

「そんな……変だって……」

 私は別に感謝されようと思って集団に割って入ったわけではない。ただ泣いている子がいるのに放っておくのが嫌だっただけだ。一目惚れされるほどカッコよく助けてはいないし、そもそも鈴音も私も同じ女の子だ。女の子に一目惚れするなんて、変だよ。私が言えたことじゃないけど。

 鈴音は立ち上がって、言葉を続ける。

「そうですね、先輩は変に思うかもしれません。ただ一度助けられただけで人を好きになるなんて」

 でも、と鈴音の表情から笑みが消える。本当に辛そうな、苦しみにみちた表情で目を伏せた。

「あの頃の私は生きる希望を何一つ持っていませんでした。それをくれたのがあなたなんですよ、佳子先輩」

 悲しげな声。それにぎゅっと胸が締め付けられる。今の鈴音は真実と嘘が曖昧すぎてどこまで信じて良いのか分からない。でも今の言葉は、鈴音の心からの気持ちのように思えた。

 鈴音の過去を、私は何も知らない。

 でもそれは、想像もつかないほど暗闇に閉ざされたものであることは理解する。



「そして私は記憶の中の佳子先輩の制服を頼りに学校を探し出し、同じ高校に通い始めました。必死に探して佳子先輩の名前を知り、部活を突き止め、やっと再会することが出来たんです」

「……でも私は覚えてなかった」

 鈴音に初めて……いや二回目に会った時のことははっきりと覚えている。いつものように部室にいたら信じられないくらい可愛い女の子が入って来て、私は別の部室に入っちゃったのかと慌てて周囲を見渡してしまった。

 その時にどうして鈴音はあの時の子だって言ってくれなかったのだろう。それからずっと一緒に部活をしていたのに、一度も話そうともせず。

 鈴音は私の心を透かし見たかのように寂しげに笑って、

「ええ、でも良いんです。あの時虐められてた可哀想な子だって印象を、佳子先輩に持って欲しく無かったので」

 でも、と言葉が途切れる。

 沈黙。換気扇の回る音だけが部屋の中で嫌に大きく聞こえた。


 そして再び鈴音は口を開く。溜めに溜めた言葉をゆっくり吐き出すように、

「あなたの隣にはあの二人がいたんですよ……」

 

 ぞくり、と恐怖に背筋が凍った。


「私が佳子先輩と話したくても、いつもあの二人が隣にいるんです。あの二人はあまりに邪魔すぎました。私がずっと憧れていた佳子先輩とずっとベタベタベタベタ……」

「す、鈴音……?」

 目から光が失せているように見えてしまう。抑揚の無い声に憎悪の念が詰まっている。

 私が声をかけても、流れ出る鈴音の言葉は止まらない。

「特に明美先輩です……私が佳子先輩の気持ちに気がつくのにそう時間はかかりませんでした。あれで隠していたつもりなんですか?」

「そ、それは…っ!」

 明美の名前を出された瞬間、気持ちがざわついて動揺してしまう。

 鈴音が私の気持ちになんとなく気が付いていたのは知っていたけど、一体いつから知っていたのだろう。それに、完全に隠していると確信していた気持ちが、いとも簡単なことのように見破られてしまっていたことに焦りを抑えられない。

 大きく息を吐いて、私を見下ろす鈴音。優しげな笑みが口元に作られる。

「さて、これ以上話すと嫌われてしまいますね」

 ここまでにしましょう、と締めるようにパンと手を叩く。

 私に背を向けて、鈴音はドアまで歩いて行く。ドアノブに手をかけて、「そうそう」と思い出したように振り返った。

「先輩がもう一生他の女……男の人とも関わらないと誓うならここから出しても良いですよ」

「そ、それって……」

 鈴音は意味深に笑って、ドアの向こうに行ってしまった。

 重い扉が締まり、再び部屋に私だけが取り残される。


 

 鈴音が出した私がこの場所から解放される条件。他の人と関わらず鈴音とずっと一緒に過ごすということ。

 私をここに連れ込んだ理由はそれではっきりした。彼女は最初からこの条件を出すことを目的としていたに違いない。

 他の女と関われないということは明美とも関わることが出来ないということ。もし誓いを破ってしまったら、どうなるのだろうか。またここに連れ込まれるのだろうか。頭の良い鈴音のことだ。きっと何か考えているに違いない。

 この明美への恋心がある限り、もう明美と楓とは前の関係には戻れない。でも、謝ることだけなら出来る。そう思っていたのに、鈴音はその道すら断とうとしている。

「……無茶だって」

 いくら自分が招いた事態とはいえ、ここまでくると理不尽さを感じずにはいられない。

 鈴音のしていることはただの脅迫だ。無理やり私が断れない状況に持ち込んで、自分の願望を押し付けている。

 

 私の中にある選択肢は三つ。

 一つ目は鈴音の要求を飲んでこの部屋から解放してもらい、一生鈴音と共に過ごすこと。しかしその解放は本当の自由ではない。鈴音の願望に縛られた偽物の自由だ。もう明美や楓には謝ることも出来ないまま、過ごしていくことしかできない。

 二つ目は要求を拒んでこの部屋に監禁され続けること。そのうち助けが来ることを願い続けることしかできない。

 そして三つ目は一度要求を飲むフリをして解放してもらった後、鈴音を正気に戻らせること。正直、どうすれば鈴音が正気に戻るのかは分からない。

 どれを選んでもその先に何が待っているのかは分からない。


「一体……どうすれば……」

 言葉は虚しく無機質な壁に吸い込まれて消えていく。

 鈴音と親友、私はどっちを選べば良いのだろう。

「明美……」

 顔を伏せて、彼女の名前を呼んだ。


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