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Episode19 見失ったキモチ

「えへへ」

「……嬉しそうだね」

 壁を背もたれにして、二人並んでベッドに腰を下ろして足を伸ばしている。鈴音は頭を私の肩に乗せて、先ほどから目を閉じて嬉しそうに口元を緩めていた。


 大晦日と正月を控えた日。例のごとく鈴音は私の部屋を訪れて、のんびりした時を過ごしていた。


 別に二人で何をしようと決めたわけでは無い。私は本棚から取り出した適当な本を捲ってはいるけど、焦点は合わせずにぼうっと眺めているだけだった。

 私の肩に頭を乗せている鈴音の温もりが気になって仕方ない。横目にその姿を確認する。

 今日は髪を後ろで縛って下ろしている。頬は僅かに紅潮していて、突いたら柔らかそうだ。そして唇は、

「……っ」

 そこでつい昨日の事を思い出してしまい、反射的に自分の唇を人差し指で押さえてしまう。



 私は先日、鈴音を受け入れてしまった。直接的に「付き合おう」と決めたわけでは無い。でも「明美の代わりになりたい」と言った鈴音を拒否する事が出来なかった。その時点できっと私達の関係は、変わってしまった。

 私達はもう、ただの先輩と後輩じゃない。

「……先輩?」

 視線を感じたのか、鈴音が目を開いて不思議そうに私を見つめる。慌てて目を逸らしたけど、くすりと悪戯に鈴音は笑った。色っぽく、自分の唇に指を当てる。首を傾げて小声で訊いて来る。

「したいんですか?」

「ちがっ、そんなんじゃ……」

「……私はしたいですよ?」

 その言葉にどきり、と心臓が痛いほどに高鳴る。胸が苦しくなり、息が詰まった。


 鈴音と一緒にいれば、私はこの孤独と悲しみから救われる。私の気持ちを最も知っているのは鈴音だ。そして私が鈴音と一緒にいる事で、鈴音自身も孤独から救われている。

 そんな鈴音が求めるなら、私は何だってしよう。

 そして私に明美の事を忘れさせて。

 


 鈴音の顔が近付いて来る。

 私は突き放す事が出来ない。そしてまた私は、



 ふと、それを遮るように聞こえて来る足音。唇と唇が触れる直前、その足音に混じった話し声が私達の動きを停止させる。

「本……に……と思う?」

「……話……るしか……」

 聞き違う筈のない、その声。

 反射的に立ち上がった私は、自分の顔から血の気が引いていくのがハッキリと分かった。鈴音もゆっくりと立ち上がり、表情のない顔で部屋の扉を見つめる。

 一体、なんで。



 つかつかとドアまで歩き、迷いのない動きで鍵を閉める鈴音。

 私は混乱していて、状況が把握出来ない。

 どうして二人は来たの? 

 二人に会う資格なんて私にはもう無いのに。

 鈴音は私の隣に再び腰を下ろし、人差し指を指を口元に当てて静かにするように指示をする。だから私は口を手で塞いで息を殺す。



「……佳子?」

 ドア越しに明美から呼びかけられ、背筋が凍る。

 誤魔化す術は無い。ただ何も言えないままにじっと黙っているしか無かった。


「……佳子、ごめん。もう遅いかもしれないけど、私がどうかしてたんだ! あんなこと言うなんて……」

 楓の震える声が聞こえて来る。

 この間まで私の事を目の敵にして頬まで叩いたのに、一体どういう風の吹き回しだろう。

 楓は邪魔者の私がいなくなって喜んでるんじゃないの?

 隣の鈴音に助けを求めるように目を向ける。すると、思わず息を飲んでしまった。鈴音が今まで見たことがない程冷たく、怖い顔をしていたからだ。

 楓が私を叩いたことを怒っているのかな。確かに鈴音は私の事を思ってくれている。でも私はその淀んだ瞳に、恐怖にも似た焦りを感じてしまった。あんなに優しい子がこんな顔をしている事に、戸惑った。


「私もごめんね……佳子に迷惑ばっかりかけて、うんざりしてたよね……ごめんね……」

「……っ!」

 今度は明美の弱々しく、すすり泣くような声が私の心臓を締め上げて追い討ちをかける。

 どうして明美は泣いてるの? 私がいなくなって楓と仲直り出来たんだからそれでいいじゃん。

 あれ、でも明美は私と一緒にいたいって言ってたから楓と喧嘩したんだっけ。

「……」

 鈴音が黙ったまま心配そうに、私の顔を覗き込んでくる。でも私に彼女を見つめ返す余裕は無い。何か大切な事を見落としている気がするけど、それが何か分からない。

 私は明美から離れて良かったの?

 いいんだよね、だって二人はこれで仲直り出来て……でも、明美は私と一緒にいたいって、

「……あ」


 私は自分の誤ちを目の前に突き付けられた。

 視界が真っ白になった。


 二人が喧嘩しないで済むなら自分がいくらでも犠牲になろう。私はそう思って、二人の前から姿を消した。

 でもその時、私は当たり前の事を失念していたのだ。

 それは、誰でも分かりうる当たり前過ぎる事。

 今まで私は二人とずっと一緒にいた。それは二人にとっても同じだ。二人の時間には、私がいつも一緒にいた。

 そんな私が突然、二人を親友だなんて思ってないと言ったら?

 二人が傷つくのなんて、当たり前じゃないか。



「あ、ああ……」

 なんで私は、こんな事すらも今まで分からなかったんだろう。

 今までの自分が自分じゃないような気がしてきて、途端に恐怖心が湧き上がって来る。

 明美を楓に取られた悲しみと憎しみで、私は自分を見失っていた。

 必死に「二人のためだ」と自分に言い訳をしながら、現実から目を背けようとして来た。

 二人を避け始めたのも、鈴音と一緒にいたのも、二人を突き放したのも、結局は自分のためだったんだ。

 明美と楓は付き合っているという事実から、逃げていただけなんだ。


 でも私はもう、引き返せない。


「……ごめん」

 小さく呟く。

 ドアの向こうから楓と明美の息を飲む声が聞こえた気がした。鈴音も目を見開いて驚いている。

「佳子! ちゃんと話そう!」

 明美が泣きそうな声のまま半ば叫ぶように言う。更に言葉を続けようとしたけれど、私はそれを遮った。

「私には……二人に顔を合わせる資格なんて無い……」

 再び沈黙が落ちる。

 手が汗で濡れる。喉の奥が引きつって言葉がうまく出て来ない。でも無理やり絞り出すように、その先の言葉を繋ぐ。

「私は二人に言えないことがあるから……!」


 どんなに二人に謝って元の関係に戻りたくとも、この明美への恋心がある限り私は何度も同じ事を繰り返すだろう。きっと私はまた現実から目を背けて逃げ去ろうとする。こんな秘密を抱えたまま、昔の三人に戻る事なんて出来ないんだ。

 でもこの秘密を話してしまったら明美と楓の関係までがどうなってしまうか分からない。

 私はもう、どうすれば良いのか分からない。

 ただ目を閉じて、ここに閉じこもっている事しか出来ない。

 


「そうですよ」

 その時、沈黙を破ったのは鈴音だった。ドアの向こうから二人の戸惑う声が聞こえて来る。まさか私の部屋に鈴音がいるとは思っていなかっただろう。私も驚いて、鈴音を凝視する。その口元には小さな笑みが浮かんで見えた。

 ベッドから腰を上げて、ドアを前に鈴音が立つ。私も慌てて立ち上がる。

「す、鈴音……?」

「今、佳子先輩の味方になれるのは私しかいないんです。ここは私に全て任せて下さい」

 鈴音は私が困っているのを見て助けてくれているのだろう。

 でもなんで、そんなに嬉しそうな顔をしてるの?


「……鈴音!!」

 今度は楓の怒りに満ちた声が飛んできたので腰を抜かしそうになった。鈴音はそれを受けても冷たい笑みを崩そうとはしない。ただじっとドアの向こうを見透かすそうに見つめていた。慌てた明美が楓を宥める声がする。

 一体何が起こってるの?


 その時、鈴音は信じられない行動をとった。

 閉じていた鍵を開け、ドアを一気に開け放ったのだ。二人の呆然とする顔が見えたと思った瞬間、鈴音が私の肩を掴んで引き寄せる。直感的にまずいと思って抵抗しようと思ったが時既に遅く、

 私と鈴音の唇は重なってしまった。


 すぐに鈴音を押し返し、距離を置く。

「え、えっ!?」

「……っ!!」

 口を両手で覆って絶句する明美。怒りを露わにして歯をくいしばる楓。

「鈴音……なんで……」

 何故鈴音がこんな事をしたのか理解出来ない。

 人前で。よりによって明美と楓の前でキスするなんて。怒りよりも困惑と焦りで頭がいっぱいになる。

 鈴音は何も言わないまま火照った顔で、目を細めて私を見つめていた。


「どういう事なの!? 何が起こってるの!? もう……分からないよ!」

「明美!」

 訳が分からず駆け出す明美。楓は一度キッと鈴音を睨んだ後、すぐに追いかける。二人は階段を駆け下りて、足音が遠ざかっていく。

 鈴音はそっと扉を閉じて、部屋は再び外の世界と切り離された。


「……鈴音、なんで」

「先輩は二人といるのが辛いんですよね?」

 きっぱりと訊いてくる鈴音。私はなにも返す事が出来ない。

「そうですよね?」

「だからって、あんなこと……」

 確かに鈴音の言う通りだ。こうすればもう二人が私の元に来ることはないだろう。でも私は二人を傷つけている。本当なら二人に謝らなくちゃいけないのにこんな事、

 でも鈴音は笑みを浮かべ続ける。

「私が全てなんとかしますから」


 閉ざされた部屋の空気が正常な判断を奪っていく。

 このまま鈴音の言うことを聞いていればきっと私は明美への恋心も楓への黒い感情も忘れられる。でもそれは本当に正しい事だろうか。

 親友を裏切って、鈴音と他人には言えない関係を続けている事は。


 

「……駄目だよ」

「えっ?」

 鈴音の表情が固まる。

「私は間違ってる。二人に謝らないと」

 

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