Episode11 嬉しいキモチ
『この後、どこかへ一緒に遊びに行きませんか?』
漸く期末テストのテスト返しが終わり、それぞれ安堵の声や落胆の声を上げながら解散するクラスメイト達の中で私は椅子に座ったまま、携帯を手にそのメールと向き合っていた。
差出人は鈴音。内容は見ての通りだ。
––––テスト期間中、私は明美と楓と共に憂鬱な登校を続けた。流石にあそこまで頼まれると拒否する事が出来なかったのだ。テストは午前だけで終了して下校だから昼休みは無いし、放課後は教室に残って勉強すると言い訳をする事が出来たけど。
よって、この何日間かは鈴音と顔を合わせていない。だから突然こんな誘いが来た事に驚いた。
考えてみると今まで部員みんなで遊ぶという事はあっても、鈴音と二人だけで遊ぶという事は無かったかもしれない……いつも私の隣には楓と明美がいたから。
「一緒に、ねぇ」
今回は、私を楓や明美から遠ざける為に協力してくれているというわけでは無いだろう。多分、普通に誘ってくれているのだ。
なら別に断る理由も無い。
『分かった。昇降口で待ってて』
メールを返すと携帯を閉じ、鞄を持って教室を後にした。
「先輩!」
昇降口に着くと既に鈴音が柱に寄り掛かって立っていて、私を見つけるとこちらに向かって来た。同時に、近くにいた二年生の二人組がこちらに不思議そうな目線を向けて来る。やっぱり、鈴音が学年で少し浮いているという噂は本当なのかもしれない。
しかし、そんな視線に気が付いていない鈴音は私の前までやって来て微笑む。
「ありがとうございます」
「いや、別に予定無かったからいいよ。で、どこ行くの?」
「はい、ショッピングモールに行こうかなと」
ショッピングモールは、この学校から徒歩十五分程の場所にある。だからこの学校の生徒にとって寄り道するのには定番の場所だった。
––––そういえば、今朝楓と明美もショッピングモールに行きたいなどと言っていた気がする。
「……だめ、ですか?」
「あっいやそういうわけじゃないよ。行こっか!」
何も言わない私に鈴音があまりに不安そうな顔を見せたのでつい言ってしまった。すると鈴音はパアッと笑顔を輝かせる。
「嬉しいです! 行きましょう!」
二人と会ったら気まずいなぁとは思いつつ、下駄箱の方に歩き出した鈴音に慌ててついて行った。
十二月に入ったということもあり、ショッピングモールにはちらほらとクリスマスの装飾が施されていてその雰囲気を作り出していた。植木鉢に植えられた木はモールや星で飾りつけられ、天井からはクリスマスセールの宣伝がぶら下がっている。
私はこのクリスマス前の雰囲気が好きだ。いつもと変わらない場所のはずなのに、少しクリスマスソングが流れて煌びやかに飾り付けられるだけで、小さな子供のように胸が弾んでしまう。
「で、何か見たいものあるの?」
「えっと、本屋を見ようかなと」
そんなショッピングモールの通路を並んで歩きながら、鈴音は入口でもらっていたフロアガイドを広げ、指差し確認しながら本屋を探している。
鈴音は、あまりここへ来た事が無いのだろうか。私は三年を通してかなりの回数訪れているので本屋の場所はおろか大体の場所は把握している。同じ高校に通っている人なら同じような人は多いはずだ。
「本屋は二階の一番奥だよ」
「あ、そうでしたか。ごめんなさいあまり来たことが無いので」
私が教えてあげると鈴音は地図をくしゃりとしまって、恥ずかしそうな笑みを浮かべた。俯きがちに前に向いて、小さく口元を動かす。
「今日は私がリードしようと思ったのに……」
「……ん?」
「あ、いえ何でもないです!」
何やら慌てて撤回する鈴音。
……今、リードとかって言ってたよね。デートでも無いのにそんなこと気にする必要は無いと思うけど。
歩みを早めた鈴音に置いて行かれないよう、私も慌てて彼女に並んだ。
「んー、何か本屋久しぶりな気がするなー」
ここらでは比較的大きな面積を誇る本屋に入り、大きく空気を吸い込む。やっぱり本の匂いをかぐと落ち着くというか何というか。血が騒ぐ? 違うか。
部活で現役だった時にはしょっちゅう訪れていたけど、引退してからは駅前の最近改装した本屋で済ませてしまう事が多かった。あっちの方がポイントの還元率が高いのだ。だからたまにショッピングモールを訪れても、入口から一番遠いこともあって本屋に足を運ぶことは最近あまりしていなかったというわけだ。
「何か買いたいものあるの?」
「はい。……あ、その、ごめんなさい。何か私の買い物に付き合わちゃって……」
「いいよいいよ。私もそろそろ来たかったし」
こちらの本屋は駅前の本屋と比べて品数が多い。だからたまに来ると気になる本が見つかったりして面白いのだ。鈴音はまだ申し訳なさそうにしながらも、新刊のコーナーへと足を運んだ。
「あ、ありました」
その中の隅に埋もれるようにして陳列されていた一冊を手に取って、嬉しそうに顔をほころばせる鈴音。私も隣に寄って、その表紙を確認する。
え、この本って。
「鈴音も山瀬さんの本好きだったの?」
「え、先輩もですか?」
鈴音が持っていたのは山瀬ヤマヲという作家さんの新刊、『山に生きるということ』だった。元サラリーマンの男性が山に籠もって修行をするうちに出会う様々な人との交流を描いたヒューマンドラマだ。あらすじだけを聞くと意味が分からないが本当にこの人らしく飾り気の無い感動作なのだ。
因みに私はつい、テスト期間の真っ最中である二、三日前に購入して読了してしまった。
「先輩が山瀬さんの本が好きだったなんて知らなかったです」
「いや私もびっくり」
あまり有名な作家だとは言えないのに、これは驚きだ。今まで文芸部で活動していた時も、鈴音からそんな話は聞いたことが無かった。
いや鈴音は部活の時にはすごく集中しているか、虚空を見つめてぼうっとしているかのどっちかだから、あまり雑談が多かったとは言えないのだけど。
「なんか嬉しいな。もっと早く言ってくれれば良かったのに」
以前明美に山瀬さんの本を薦めた時は、あまり楽しんでもらえなかったようだった。明美はどちらかといえば昔の文学作品を好む傾向にあるからきっと肌に合わなかったのだろう。
だからこうして、山瀬さんを好きな人と出会えたことは素直に嬉しい。
「私も、嬉しいです」
鈴音は何故か少し頬を赤らめて、ぎゅっと本を胸に抱きしめながら恥ずかしそうに言った。
「あれ読んだ? 猪男」
「読みました! あれは名作ですよね!」
「おっ、あの良さが分かるかー」
数十分後、私と鈴音の姿は以前楓と訪れたドーナツ屋にあった。店内は私達と同じ制服を着た高校生達で賑わいを見せている。
私達はそんな店内の窓際の席に座って、山瀬さん談義を続けていた。窓はショッピングモールの通路に向いていて、通路を行く人が見える。
本当に楽しい時間だった。好きなことに夢中になれるのは、本当に良いことだと思う。ここ最近、そんなことは考えたことも無かった。ずっと、胸の奥は痛み続けているから。
それに鈴音と話すのも、最近は明美と楓のことばかり。鈴音が相談に乗ってくれようとしているのは分かるけど、これで良いのかなという気持ちもあった。いわばこれは一方通行の会話。私のことだけを話していて、鈴音はそれに答えてくれるだけ。
明美と楓との会話も、何だかお互いにぎこちなくて。
だからこんな「普通の」会話は久し振りで、なんだか、すごく。
「……嬉しいな」
思わずそうこぼしてしまい、鈴音は首を傾げた。
「何が……ですか?」
「あ、いやその……」
私はきっと寂しかったのだ。一人じゃないのに、一人のような気分で。多分こんな普通の会話を心の中では熱望していた。
今やっと、それに気がついた。
「……私、もっと鈴音と話したいな」
「えっ、な、なんでですか?」
困ったように口元をあわあわと動かしながら、手を振る鈴音。その顔がみるみるうちに赤みを増していく。少し見ていて面白かった。
「いや何かさ、最近相談に乗ってばかりでさ……普通に話してなかったなって」
「た、確かにそうですけど私は先輩の相談に乗りたくて……」
「ううん。別に無理しなくてもいいよ」
この間の昼休みもそうだけど、鈴音は自分のことを話さずに私の話だけを聞こうとしている。でもそういうんじゃなくて、ただこうして会話をしているだけで、少しの間だけでもこの胸の痛みを忘れられる。ただそれだけでいいのだ。
それに、もっと訊きたいこともある。流石に口には出せないけど。
「……だめ?」
「先輩がそう言うなら……」
まだ引っかかるものがあるようだったけど、鈴音は取り敢えず一度頷いた。私も満足して皿に乗ったままのドーナツを手に持つ。
明美と楓のいない寂しさを、鈴音で紛らわそうとしてるんじゃないか。
そんな言葉が、一瞬頭の中に浮かんだ。
それから私は鈴音と洋服を見たり、CDを見たり、雑貨屋を見たりと楽しい時を過ごした。本当に、楽しい時間だった。この暗い現実の中で漸く光を見つける事が出来たようだった。
「今日は、ありがとうございました」
私がゲームセンターで取った兎のぬいぐるみを胸に抱いて、鈴音はぺこりと頭を下げた。私はいいよいいよと笑う。
駅の改札口、外はもうすっかり日が落ちていて、私達はここで分かれてお互いの家へ向かうことになる。
何人かの二年生と思われる生徒達が、ぬいぐるみを抱いている鈴音を見て目を丸くしていた。
それに気がついたのか、鈴音は慌てて恥ずかしそうに兎を鞄に詰める。
苦笑して私に向き直る。
「また遊びましょうね」
「うん、そうだね。あ、今日もメールしていい?」
「はい!」
とびきり嬉しそうに笑って、鈴音はまた頭を下げた。
すると時計を見て、一瞬改札の奥にある電光掲示板を確認する。点滅していて、時間が迫っていることを示していた。
「あの……私そろそろ」
「うん。しばらく学校無いけど……また遊ぼっか。じゃあね」
「はい! また!」
慌てて改札を通って階段を駆け下りて行く鈴音を見ながら、私は漸く一息をついた。
寂しさを鈴音で紛らわせている。確かにそうなのかもしれない。
でも私は、鈴音はきっとそれ以上に今まで寂しい思いをしてきただろうと思う。
それは、今まで気付くことが出来なかった私にも責任はある。
気付くのが遅すぎたかもしれないけど、ね。
私が鈴音との会話の中で訊きたかったこと。それは、
鈴音も寂しいんじゃないの? だ。




