序
【序】
大陸の西、名のなき村が一ツあり、イトの実を紡ぎ暮らしている。
イトの実は或いはイト玉という。ただイトということが多い。イトは、海が沖から贈られてくるものである。この村は海沿いに、小湾を取り囲むようにつくられた。むろんイトで生計を立てる村はだいたいがそのようである。
イト玉、あるいはイトの実については、見た目には爪ほどにも満たぬ珠である。せいぜい大人の親指の爪ほどである。触れると軟く、色はさまざまで、緑青であったり、萌葱であったり、薄紅であったり、ごくごく稀には深い青であったりする。
そのイトの実を真水を煮立てた鍋でしばらく泳がすと、実はいっけん湯に溶けたようになり、ほぐれ、細い細いイトとなる。その際ぼうと燐光を放つときもある。そこからイトを精製する過程にはたいへんな熟練が必要とされる。スギか若ヒバから削り出した細長い箸をつかって、湯から一気に引き上げる。
はじめにこの玉からイトが採れることを発見したのは、大昔にいた粗忽者の漁師であったという話がある。不漁の折、幾晩も空の魚籠を抱いて戻ったある夜に、その男は海が沖からゆらゆらと何か光るものの浮き上がってくるのを見た。手にとるとコロコロとした珠のようなものであった。よく月光に透かしてみるとえもいわれぬ美しい色をもっていた。これは珍しい、色のついた珠を採ったと思い、うちへ大事に持って帰ったが、なにしろ粗忽者のことなので、手を広げたひょうしに夕飯時のぐらぐら煮えた湯の中にうっかりとみな落としてしまった。それを見ていた妻女はたまたまそのとき手にしていた細長いスギの小枝をつかって、そうっと鍋から引き揚げてみた。すると玉は見る間にほぐれ、長い長いイトになり、つやつやと輝くばかりの繊維となった。翌日妻女はそのイトを布に織り込んだ。布は、かつてないほど美しくなり、なんともいえぬ風合いを持った。男がそれを都に売りに出るとたちまち評判をとった。それがイトの起源である。
以来その海では時たま奇妙な珠が採れた。イトが採れるからイト玉と誰かが何の気なしに呼び、それがそのまま名となった。その後、イトのあがる海はこの国の浜にいくつか見つかった。その海辺にはかならずイトの村ができた。なにかの決まりごとのように、イトの海にはイトの村がうまれ、そして必ず、何人かにひとり、あるいは何十かにひとり、イト採りが生まれた。イト採りについては後述される。
イトのとれるものであるから、その様はイト虫、いわゆる蚕と似ているが、海からくるイトの実の中はからっぽである。最後まで解き切ると中心にはなにもない。ではこのイトがなんなのか、誰も知らぬ。ただのイトである。紡げば立派なイトになり、織りあげれば布となり、人々の服を仕立てるに役立つ。イトである。
さて一つの村にヒバという少年がいる。十四になる。母と父と、生まれたばかりの弟と暮らしている。心根は真直ぐとして闊達で、まっ黒い髪を頭上で縛り、大声で笑い、嘘が下手で、よく飯を食う。眼はドングリのようにまん丸である。そんな少年である。何をするにも細長い手足をいつももてあますように投げ出している。駆けるのが速く、夜はぐうぐうと実によくねむる。
夜に、ヒバはひとり舟で漕ぎ出してイトの実をとってくる。イトのあがる天気を読むことは、よいイト採りの必ず備えねばならぬ条件とされる。ヒバはそれに長けていた。少年はまだ年若いがイト採りである。
イトの実は、むろん夜の海に舟を出せば採れるということはない。暗がりの海で光るイトの実を見つけるには特捌の眼が要るという。それがイト採りの眼というものである。世に才とよばれるものと似ているが、イト採りの眼はことさらに特捌なものである。それはイト採りのさだめを持つ者にしか顕れぬ。汝それをせよと、生まれついたときから命じられている者にのみ発現するきわめて特殊な形質である。イトの眼、あるいはイト採りの眼、またはその眼をもつ者を総じて沖サグリということもある。呼び名は村によってさまざまであるが、みなおなじである。イト採りの眼という考えを持たぬ村はない。それをもって生まれてくる者だけが、イト採りとなることが許される。たとえばヒバの父タカはたいへん腕のよいイト採りである。彼の齎すイト玉からはきわめて上質なイトが採れた。それで仕立てた布は美しく、必ず僅かな混色があり、独特の風合いをもった。
イトからつくる布は、イト虫の吐くイトでつくる絹であったり、実をつむいで採る綿などとはまるで違うものである。絹はたいへん美しく染まる性質をもつが、イトの布はそれよりもよく色を留める。またそのあとに淡い輝きを放つ。暗がりにあれば、ぼうと燐光をあげることがある。さらにはよく香を閉じ込める。こういったさまざま珍しい性質を持つ布はイト布のほかにはつくられない。イトはイトのあがる海のほとりでしか採れず、布に加手したものでなければ長旅にも耐えぬので、イトの村の近くにはイトを織り上げる者の村ができるのが常である。イトの実は、海から離れ過ぎると水気すらのこさずに消失する。そのためにイトからつくる布は、猶更めずらしもの好きの都びとから珍重された。イト採りはイトを採り、イトの村の女たちはイトを紡ぐが、彼らの手はイトを織ることには向かぬ。イト織りのためにはイトの眼を持たぬものの無垢な手が要る。それだからイト織りの村ができる。
ヒバは幼い時分からイト採りにあこがれ、早くにその才の片鱗をのぞかせた。イト採りは夜のものであるが、ヒバは暗い海もまるで怖がることがなかった。三つや四つのもみじ手で、ものおじせずに海に入り、それと見たイトを引き上げた。その見切りの速さは確かにイト採りの眼のなせるわざである。そうしてヒバが陸にあげたイトは、萌黄であったり、薄紅であることが多かった。
イト採りは成熟にしたがい、それぞれに得意とする色を持つようになる。イト採りが神職と考えられるゆえんのひとつである。ヒバの父タカは緑のイトを特によく採った。緑のイトをあげる者は総じて寛容なたちである。緑のイト採りは慈悲深いことの証とされる。緑のイトを採る者は、それ自体が誉である。
イト採りの心根はイトにあらわれる。それだからイト採りは海には嘘がつけぬという。また仲間うちには、いい歳をして血気盛んな赤いイトばかり採る者もおり、かとみれば貴重な白イトばかりあげる者もいた。のち、その男はシロと名乗った。白いイトはみなを率いる格の者、村ら長になるべき者がよくあげる。
ヒバのイトが萌黄や薄紅や、淡色ばかりであることを、タカは幼いためだといった。淡いイトを採るのはまだ幼いイト採りに多い。父のいわく、イト採りは母でなく海に育てらるるという。イト採りは二度生まれる。イト採りを志したそのときに、もういちど赤子に戻るという。おれも大人になれば父ちゃんのようなイトをとるのかと訊くと、父は大口あけて笑うたものである。内心ヒバは父のような穏やかな緑イトにはさほど憧れを持たなかった。年若らしく色鮮やかな猩々緋や深い渋みのうぐいすや、梔子や杜若に憧れた。早う誉れのイトを採りたかった。おまえもそのうちな、とタカは言うばかりだった。そんならおれにもいつか群青がとれるかと訊くと、父はさらに豪気に笑うた。それでこそおれの息子だと上機嫌になる父の手はヒバのちいさな頭をなでた。
群青のイト、いわゆる竜王の群青は、すべてのイト玉のうちで頂点に君臨する色である。これまでに数えるほどしかあがった記録のない神の色、イト採りがこの世でもっとも美しいと信じる色のことである。焦がれ焦がれて切望しながらも、目にすることすらかなわずに死ぬイト採りは多い。殆どそうであると言う者もある。イトに染まらぬ色はなしといわれるが、深い海の色をそのまま移し込めたかのような艶やかな群青のイトだけは、容易にあがることがない。群青をとったイト採りは途方もない誉れ者となる。それは竜王の賜り物をもろうたのとおなじである。
いつかおれが群青を採るのだと、ヒバは幼い頃から心にうち決めていた。ヒバにはそのような負けん気がすでにそなわっていた。
さてそろそろ物語をはじめねばならぬ。話は天主の暦、春の頃に始まることとする。これは言うまでもなく、この綴物の主役となるふたり、つまりヒバとタキとが出会った日を始まりとしたいためである。
彼らが出会ったのは夜であった。只静謐な夜であった。