第八章~重み~
家の外で俺はミドと稽古をしていたのだが、どうも身が入らない。それもその筈か、家の中では今、ソーマは出産の真っ最中だ。女性の神聖な場所には入ることも出来ないので、アルマと二人でやっている。
何も出来ない俺はこうやって時間を潰すことしか出来ないのだが───
ガギィン!!
手元から剣が離れ、地面に突き刺さる。
「‥‥‥あ」
ミド自身も驚いていた。俺から一本を取ることを想定外だったからだ。
右手が未だに痺れながら俺は突き刺さる剣を引き抜いて鞘に納める。
「スーリヤさん、やっぱり気になりますか?」
俺はミドの言葉に頷く事しか出来なかった。恥ずかしい話だが、気になってしょうがない。壁一枚を隔てた先で、なにが起きているのか、ソーマは無事なのか、赤ん坊は産まれたのか等がずっと頭の中でぐるぐると回っていて稽古が疎かになっている。
「ごめんな、こんな腑抜けの相手で」
「いえいえ、俺も自分の子供が産まれる前の時も、スーリヤさんと同じ感じだったので、人の事言えないです」
俺達はお互いに笑い合う。
「そっか、どうも気になって仕方がなくてな。もどかしさだけが募ってさ」
俺は玄関前の階段に座り、ミドは俺の前に立っている。
「そういえば、おまえんとこの子供は何て言う名前なんだ?」
「ミリです。顔は嫁に似て可愛いんだなぁこれが!」
にへらとミドは顔を破顔させる。何て言うか、物凄く気持ち悪い。もしかしたら俺も子供が出来ればこんなふうになるのだろうか?それだけは遠慮したい。
「んっ?男の子か?」
「はい、男の子です。大きくなったら竜騎士に入れさせますよ?」
「‥‥‥大丈夫なのか?」
「それまでには王宮は終わると、俺は思いますね。‥‥‥ただ」
「‥‥‥ただ?」
ミドは言いにくそうに俺の顔と森を交互に見る。
「王宮は近々この森を燃やしに掛かるかもしれません」
「なんだと!?」
俺は立ち上がり、ミドの胸倉を掴む。
「スーリヤさん、俺に突っ掛かれても困りますよ」
「・・・・・ああ、そうだな。すまない」
俺はミドから手を離して解放する。
「俺はこの作戦は当たり前ですけど乗りませんよ、自ら死にに行くようなものなんですからね」
ミドが言いたいことはなんとなくわかる。ここには俺もいるし、ソーマも竜もいる。例え、ソーマを捉えようとしてここに王宮の総力をつぎ込んだとしても、得るものは皆無に等しい。だから現総長である、誰かがこの森に火をはなとうと考えたのか。
もともとここは人外魔境で人は入ることもできない場所なのだから、禁止されただけのはずだったのだが。
「まさか、王がここを焼き払えと?」
「いいえ、うちの総長ですね。王都の目と鼻の先にあるこの森は、危険なのだから燃やしてしまおうという算段になってますが、なんか俺には臭かったので辞退しました。ここに人が住んでいるのに、なんで簡単に燃やしてしまおうということになったのかがよくわかりませんでしたね。ただでさえ、環境が人の手によって害されているのに自然を壊すというのかねぇ・・・」
「だが、お前一人が辞退したところで、事の行いは止まるわけでもないだろう?」
ミドは頭を掻きながら痛いところを疲れたと言わん張りに顔をしかめる。
「そうなんですよね、結局のところ・・・この森は燃やされる運命なのですよ」
俺は再び階段に座る。
どうしたものか・・・なにかいい案はないのだろうか?せっかく、ソーマ達と平和に暮らしているというのに、なぜこのようなことばかりが起きてしまうのか・・・
暗い気分に落ち込んでいた時、ミドは俺の進行を察しながら、話題を変えてくれた。
「そういえば、いまここでスーリヤさんの子供が生まれれば、俺の子供と同い年ですね?」
「・・・たしかに、そうだな。本当だな!?」
「スーリヤさん、まるで俺の子供なんて眼中になかったっていう反応はやめてくださいよ。なんか傷つきます・・・」
目を細めながらミドは睨むように見てくる。その視線になんだか敵意が込められていたのには目をつむろう。俺の言動も少々悪かったことは認める。
「スーリヤさんは、子供にはなにをしてあげるんですか?」
「・・・・・・・・う~ん。なにをさせるか?わからんな。女の子でも男の子でも、俺は多分アルマと同じことをしてあげるつもりだよ。あとは皆で、世界中を見て回ることが夢かなぁ」
うん、これは俺の本音だ。世界中を見せてあげたい。ソーマと一緒に家族の皆で世界をまわって行きたい。うん、今決めた。
「スーリヤさん、夢っていっても、もう子供が出来るんですから、すぐに実行できますよ?」
はははと笑いながら、ミドはニヤけていると、家の外からでも聞こえてくる鳴き声が耳に入った。俺たちは家の玄関のドアを見ると、奥の方からドタドタと聞こえてくる足音から連動するように、アルマが勢い良く扉から出てきた。
「お兄ちゃん!!産まれたよ!!」
「ほんとうか!!?」
俺はアルマを見ていると、アルマはニコリと笑い。
「行ってきてお兄ちゃん。私は疲れたから後でいく」
と言って、俺を室内に通してくれた。彼女なりの気遣いだろう。よく見ればアルマの手のひらは血で真っ赤に濡れていた。
「これは父の役目なんで、俺はことが終われば行きますよ」
ちらりと俺が流し見をした時にミドは気づき、そう言った。
たった数歩で部屋の奥に行ける家の広さなのに今はすごく長く感じた。普通に歩いているはずが、緊張という波が胸の内から全身を伝わり、足を動かすのがゆっくりとなっているのかもしれなかった。
奥の部屋からは声高らかに泣き叫ぶ産声。
ゆっくりと、俺はソーマが横たわる部屋を覗くと胸の中に収まって赤子を抱いているソーマがいた。その時の表情は見たこともないけれど、聖母のような優しく包み込んでくれるような暖かさを感じる。
赤子を見つめているソーマは、どこか幻想的で、儚く脆い存在に見えてしまう。
「・・・ずっと、生み出すことができないと思ってた」
ソーマは愛おしげに赤子を見ている。俺の気配を感じ取って語りかけるのか、それとも、赤子に話しかけるように喋っているのだろうか。多分、二人に聞かせているのだと思う。
「命なんて、簡単に壊して、奪ってきた・・・・」
顔を上げ、ソーマは俺を見つめる。
「あなたも・・・わたしも・・・命を軽くしてしまう・・・」
「・・・あぁ」
空返事しかできなかった。彼女の言葉は尊いものだと、そう認識してしまっている。彼女が俺に反応を促そうとも、俺は神の声を聞くように静かでいたいのかもしれない。
「でも・・・・この子のように、命は決して軽くないって。今更わかっちゃたよ・・・・おかしな話だよね?生きている年月だけ、私は軽視してきた事柄が、こんなにも重いものなんだって・・・」
ソーマは淡々と話しながら、俺に赤子を差し出した。
「・・・抱き方とか、わからないよ」
俺は赤子を抱くのを拒否したが、ソーマは頭を振り、絶対に抱いて欲しいと願うように赤子を差し出す。
「頭を支えて、そう・・・そうやって抱いて・・・」
ずっしりと赤子の体重が両腕に掛かる。剣と盾の方が重い筈なのに、違う重さが伸し掛ってきている。無機的な重さではない、有機的な重さが見えない何かとしてかかっているのだ。
「・・・・重いな」
「うん、重いのよ・・・」
俺は赤子をソーマに返して隣にある座椅子に座る。
両手にのしかかったのは命の重さだ。たったの三キロ程度なのに、掛かった重みは数十倍にも感じ取れたのだ。それは多分俺がこれまで軽くしてきた命の代価か・・・
「そういえば、名前とかどうするんだ?俺は全部ソーマに任せようと思っていたんだけど・・・」
「・・・アイン」
静かにソーマはそう呟く。
「考えていたのか?」
俺の問いに頷いて応じる。
「私・・・いえ、私たちにとって、この子は人との架け橋の結晶なの・・・始まりだと思いたい。ううん、始まりなの」
「だからアインか・・・・・いい名前をお母さんから付けてもらったなアイン?」
俺の腕で収まりきる小さき命。ここに竜人と人との隠れた橋がつながったのが俺には見えた。指一本でアインの手が収まってしまう小さな手。
「ソーマ・・・・」
「うん、なに?」
「この子を産んでくれてありがとう・・・・」
そっと、ソーマの唇を密着させて離す。あまりにも突然だったからか、ソーマはぽかんと呆けていた。
「絶対にこの森を燃やさせないよ・・・」
「え・・どこいくの?」
「王宮だよ。なぁに、ちょっと話してくるだけさ。そうだなぁ、それじゃあ俺が帰ってきたら、皆でピクニックにでも行こう。俺のやりたいことの一つを達成するためにさ」
俺は王宮の総長だった頃のマントを羽織る。
「え・・・スーリヤ!待って・・・」
ソーマは嫌な予感が脳裏によぎった。この人は死んでしまうのかもしれないと、嫌なイメージを思い浮かべてしまう。止めようとベッドからもがくが、出産したばかりの体に、人一人を止めることができるほど体力は残っていなかった。
「あれ?お兄ちゃん、もういいの?」
「ああ。十分に味わえたからさ。そうだアルマ。お前にこれをあげるよ」
そうそう言ってスーリヤは、額に縛っていたハチマキを解いてアルマに手渡した。
「お兄ちゃん・・・」
「じゃあな、ちょっと遠出するよ」
そそくさと走り去るスーリヤの背中を見つめるアルマの目尻には涙が溜まっていた。まだ年端もいかぬ女子だが、アルマも分かってしまったのだろう。彼はもう、戻ってこないと。
「・・・行くんですか?」
家の玄関で既にスタンバイしていたミドが家から出てきたスーリヤを試すように睨みつける。
「ああ・・・」
「・・・本当に、行ってしまうんですか?」
二回も聞き返すほどにミドは焦りを覚えていた。尊敬する人が死んでしまうのではないのかと思えてしまうほどに、その姿には死相が見えるのだ。ミドは自分と話している時にふともらした言葉を思い出す。“俺はもうすぐ死ぬよ”と。
「うん」
「死んでしまうと分かっているのにですか?」
クスリと笑う俺に、ミドは解せないと言いたげな顔をする。それもそうか。誰が好き好んで死地に向かうというのか。今日が命日になると、予感があるのなら尚更だろう。
「決着かな・・・王宮の考えと、俺の考えに終わりをつけたいんだよ・・・それに、俺は後悔はしていないよミド?」
「・・・・・」
「赤子を抱いたらさ、なんか決心が湧いちゃったんだよね。この子のための明日を作ろうってさ。俺ができるくらいのことはしてやりたいって、思ってさ。子供のためにも、ソーマの為にもさ」
「・・・・・帰ってきて来れますか?」
ミドは顔を俯かせ、震える声で言う。
「帰ってくるさ・・・約束したんだよソーマと。家族の皆でピクニックしようって。あ、そうだ、お前もどうだ?この戦いが終わったらさ?」
「・・・・・是非」
俺は頷いてナーガを呼び寄せた。
「ドコかにイクノデスカ?」
「ああ、王宮に飛んでくれ」
ナーガはこくりと頷くのを確認した俺は背中に乗り込むと、ナーガは飛翔を開始する。一瞬の間で森を抜け出した俺はやるべきことを終わらせるために目前にある都市の奥、宮殿へと突撃を開始した。
――――さぁ、決着をつけようか!!




