プロローグ~ソーマ~
セトとは、地球って思ってください。
彼は強かった。
彼は偉大だった。
彼は誰にでも好かれ、その逆もしかり、皆を好いていた。
彼は優しかった。
だが、彼は、一人だった。
彼は弱かった。
彼は人一倍努力する。
彼はよく泣き、よく笑う。
彼は、愛されていた。
そして彼は、愛してくれた。人ではない私を愛してくれた。
誰にでも優しかった彼だから、この愛も優しさからくるものだと思った。
でも違う。
彼は之までの人間と違い、私たちを愛してくれていた。
世界の変革を起こしたのも彼だ。
どことなく彼は、この世の全て、万物に愛され、愛していた。
たった一人、竜との共同をした彼は、やはり他の人からも奇異な目で見られていたが、器の大きい彼には、誰も憎もうとしなかった。
彼には特別な力はない。
ただ、人よりずっと真っすぐに前を向いて、子供の様に純粋だっただけ。
人も竜も助けようと、英雄になろうとした男性だった。
でも、彼は殺された。
我が子を一度だけ抱いただけで、戦争に巻き込まれて死んだ。
私が近づいたから彼は殺された。
竜人と共にあろうとしたから殺された。
自分の子供が、何処まで成長できたのかも分からないままに殺された。
好きになってきていた人間が、この事件で嫌いになった。
幸せになれるのだと、あの忌ま忌ましい言葉から解放される筈だったのに、結局、私たちは幸せになれないのだと絶望をぶら下げられただけ。
ああ、私たちはまるで・・・滑稽に踊る人形のようだ。
時は千。
竜と人は争わなくなってきた時代だが、変わりに、私たちの存在が表に出始めてきた年でもある。
火蓋を切ったのはミーナを初め、私たちも人の俗世に紛れ込んでいた。
何故人と同じ様に紛れたのか、人の観察を一つの目的とし、私たち竜人が入れ込む隙は有るのかと見たかったからだ。
元々私は人が嫌いだが、ミーナから聞いた恋心を味わいたかったのも少しだけ理由の一つにある。
だが、見る事が出来たのは汚い部分だけ。
未だに竜と敵対している人間が多い中では私のやりたい事など心の奥に消えてしまっていた。
だってそうだろう?
何処を見たって目に留まるのは人の欲望しかない醜悪な部分だ。
観察するのにも飽き飽きしていた所。
私は唯一心が安らげる場所に来ていた。
周りを見渡す限りは埋めつくされる程の森林、動物達の憩いの場である泉。
天を仰げば太陽の光が差し込まれ、光のカーテンがゆらゆらと波打ちながら、水面と反射して綺麗だ。
王宮の近くにあるこの森は絶好の穴場でありながら、人は近づかない。
なぜなら、ここには野生の竜が出入りするからだ。
流石に人達も危険だと思ったのか、立入禁止エリアに規定され、外界との遮断をされている。
王宮の判断は良好と言えよう。
他の村々の様に虱潰しに竜を狩猟するには人手と、多くの犠牲が伴う。
更には、地を熔かす程の高熱の炎を浴びれば、たちまち作物は燃え上がり、その村は飢饉に陥り、やはりのことながらに人は死んでしまう。
作物が育つまでに回復するには約百年は待たないと育たない。
そもそも竜は人を襲うような生物ではない。
竜こそが、人と共存をしようと努力をしている生物だと分かって欲しい。
でもまぁ、私達竜人は人からも、竜からも敬遠されているのだが・・・
しかし、私は他の竜人達と違い、余り嫌われる体質ではなかった。
父さんに言わせると、私は母さんに似て、セト側に近いらしい。
まぁ、実感が無いと言えることもない。
私は万物の声を聴くことができただけ。
この耳も父さん譲りで、あらゆる生命の声を聴く事が出来た。
ただし、良いことばかりではない。
生命の声を聴くことが出来るのならば、善に釣り合い、悪の声が聴けてしまう。
私の恋心なんてモノは、何処か遠い、夢物語だったのかもしれない。
泉の中へと肌を浸け、一番深い畔へと泳ぎ、潜水をする。
なにもない不純物の水は、透明で綺麗だ。
世界中がこの泉の様に綺麗ならば良いのに・・・
胎盤を思わせるような抱擁力。ただの水なのに、こんなあほらしい事を言っているけれど、私にはそう思うほどなのだと理解してほしい。
水浴びも終え、岸にあがると森がざわついている事に気がつく。
もののけの類か、いや、ざわつき加減からするともっと大きな存在だ。
「グルルルル・・・」
重低音で唸りながら、地を踏み締める生命体。
「竜・・・?」
だが、その身体には槍や弓矢の跡、刀剣で切り刻まれた跡が痛々しさを物語っていた。
ノシノシと泉まで歩いているがその足取りは覚束ない。
両目共に潰されながらもこの地まで歩いてきたのだろう。
「イ・・・タイ」
不意に、私の耳に言葉が入ってくる。
言葉が痛々しげに、苦痛を訴えてくる。
痛い、死にたくない、まだ生きていたいと彼女は語りかけてくる。
だが、その傷は誰が見ても助からない傷だ。頭角を中心に傷は酷く、脳へのダメージが重かった。
力が抜けたのか、泉の岸辺で彼女は身体を横たえ、息を整えているが、ひゅーひゅーと抜けるような音では、もう駄目だ。
私は彼女の頬に触れる。
瞬間、ビクリと彼女の身体は痙攣した。
多分、私の手が人の形だからだろう。
追っ手と勘違いしたのか、彼女は口を大きく開くと、地獄の釜の様な熱風が立ち込めるのと同時に、灼熱の炎を吐き出した。
本来、竜の前方に立つのは危険極まりない。
今はこの子の翼はもぎ取られ、飛べない鳥の様だが、炎を出せる飛竜種だ。
初めに話したように、竜の炎を正面から受けようものなら、絶対的な死が待っている。
そんな大それた事を言っているが、私には効かない。
というか、私たちにはほとんど効かないようなのだが、私にはあらゆる攻撃手段が効かない。
物理で攻撃しようが、魔法で加護されたもので攻撃しようが、彼女みたいに炎で攻撃しようが、私には傷一つ付けられない。
唯一つけられる攻撃と言えば心だろうか?
「大丈夫・・・怖くないよ」
私は彼女の頭を撫で、宥めながら頭を抱えるように抱きしめる。
彼女の呼吸が普通になったことで冷静さを取り戻したのだと感じる。彼女の血が私の服を汚そうがそんなことはどうでもいい。
お母さんだってこれくらいはする。
「カエッテ・・・コレタの?」
弱々しい言葉に、私はもうすぐ彼女は死ぬと予感した。
「うん、貴女は此処まで来たんだ。痛かったろう?苦しかっただろう?」
弱々しく頷く彼女に、私はいっそう強く抱きしめる。
「おかえりなさい。さぁ、もう眠りなさい・・・」
彼女の額にキスをすると、彼女は安心したように絶命し、彼女は目尻に涙を浮かべながら最後に、タダイマと言って死んでいった。
もう、どれだけの数を数えただろうか。
何度も生命の灯が消えていくのを見てきたが、慣れないものだ。
「大丈夫、貴女は私の中で生き続けるから・・・」
私は身体を変化させる。
竜人は皆、こうして人から竜になったり、竜から人に変わることが出来る。
部分的に返ることも出来るが、これからやろうとしていることには不向きだ。
竜になった私は彼女の首筋に口を宛がいながら牙を立てる。
血液が喉を通る。残った彼女の全てを飲み干し、干からびた身体を咀嚼した。
また、森がざわつきはじめる。
軽快に駆ける音が三つ。多分彼女を苦しめた人間が追い掛けてきたのだろう。
馬で乗ってきた人間達は泉の辺まで来ると顔をしかめた。
「あれぇ?血の跡を辿ってきたのに此処で切れてらぁ」
「せっかく仕留めたのにな?」
二人の男はニヤニヤと笑いながら辺りを見渡す。
「……なぁ?」
「んっ?どうした?」
「此処見ろよ」
笑っていた二人がもう一人の男が指摘した場所へと馬を進める。
「多分だけどよ、此処で死んだんじゃないか?」
男は馬から降りて草むらを調べる。
「確かに、妙に此処だけが血に濡れているのと、草が曲がっているもんな……」
にちゃりと、男の手の平に、まだ温かい血が着く。
「おかしすぎる、死んだのなら此処で死んでいる筈じゃないか」
「そういえば、俺達ってさ。侵入禁止の場所に入っているんじゃないか?」
辺りを見渡して危険がないか確かめている男に、一番位が高い男が恐怖でビクビクとしている仲間に叱咤をする。
「ばぁか、確かに俺達は禁止区域に入ってるが、こうして何にも起きない以上は大丈夫って事だよ」
「で、でもよぉ。もし、さっきの竜よりも更に巨大な竜が出て来たらどうするんだよ!?」
「…………」
途端に静かになる頭首。そこまで頭に行っていなかったか、急に顔が青ざめる。
七面相みたいな奴だ。
「に……逃げるぞ!」
「「言われるまでも───」」
ん、逃がすわけがないでしょうに。
木々がざわつく。
空気が張り詰める。
仲間を殺されたのだ。家族が殺されたのだ。
犯人がそこにいるのに、この森がお前達を逃がすと思っていたのか?
汚れ仕事は私の専売特許。
そうやって私はこの森を救う事を約束した仲だ。
何人の血が私の手にこびりついているだろう。
さて……捕食を開始する。
「───ひっ!?」
がさがさと草村が動いたことに過剰に反応する男の頭を頭首は殴る。
「ばかやろう、驚かせるな!」
「だって頭首ぅ、怖いじゃないですかぁ」
彼等はまだ知らない。
既に自分達の命は狙われていることに。
常に強者の狩りは始まっている。
弱肉強食とはよく言ったものだ。
絶対的な力の差で狩られる立場の者は、もう命を捧げるしかない。
茂みを揺らす。
勿論、誘惑だ。
それに気づかない男達はまんまと罠に引っ掛かる。
もう騙されるか、と強情っ張りに動いたことが運の尽きだ。
「………おっ」
「ん?どうした……うわぁぁぁ!?」
胸を貫通した手の平には、まだポンプの役目をしている心臓を握り潰し、手を引き抜く。
膝から崩れ落ちる様に倒れた男を抱えようと仲間は手を伸ばす。勿論、既に死んでしまっているので助かる筈はない。
そんな人情にわたしは触れたが、三人を殺すと決めた以上は、救おうとも思わない。
「おい、大丈───」
反応しない仲間の安否確認をしようとしたのだろう。
それよりも早く、首筋に手刀を入れた事により、会話は途切れた。
「うぉぉ!」
剣を振りかぶりながら男は私に攻撃を仕掛けたが、私の目の前で、剣は止まる。
「私の眼を見ろ……」
普段は前髪で隠れるようにしている右目を解き放つ。
次には、男の足からは奇怪な音を響かせた。
「な、なんじゃこりゃぁ!?」
既に口元まで石になってしまい、ものの数秒でただの石像となる。
驚愕の色で染まった石像に目配せをすると、石像に亀裂が走り、頭の先から風化していった。
これが私の竜人としての能力だ。
本来の竜人には邪眼、という、視認をするだけで相手に干渉出来る─簡単に言えば魔法が使える。
魅了し、相手を陥れる事が大部分だが、私の眼には片方に集約されているが基本的にはこの石化の魔法しか相手に使わない。
あとは千里眼として使う位だ。
「はぁ……」
ただの休息となるはずだったのに、何でこんな事になったのだろうか。
二つの骸に手を添えて。
「貴方達の魂が、ちゃんと浄められますように……」
祈りを込め、骸を燃やした。 殺気だった森も、今では普通になっている。
「それじゃぁ、また明日」
私はそれだけを森に言って、空へと飛び立った。