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いつの間にか異世界に来ていた私の話

いつのまにか異世界に来ていた私の話

初投稿につき、流行りもののよくある話でテスト投稿させていただきます。誤字脱字報告、矛盾点の指摘や感想等は不要です。

 今流行のVRMMORPGなんてものを友人に誘われてプレイすることになった私は、ゲーム内の始まりの町にある中央噴水広場で待ち合わせの約束をして、先にログインをした私は友人を三時間待った。けれど、一向に現れない友人は一体いつになったら来るのだろうか?

 この中央噴水広場は町の北側にある召喚の門から伸びる通りを、南側にある町の出口に向かう途中にある。新規プレイヤーはまず召喚の門からスタートし、チュートリアルを経て旅立っていくのだが、私は友人の見た目を覚えたりフレンド登録をする為にチュートリアルを済ませた後旅立たず、ひたすら待ち合わせの場所で待ちぼうけをくっていた。

 が、ただ立っていてもあれなので、ステータスやヘルプを見たりしている。

 このゲームの世界アルカナは、その名の通りタロットやカバラ等を元にして作られたゲームだ。大アルカナの二十二のカードそれぞれの名や意味を色濃く表した国。小アルカナの五十六の意味をそれぞれ持つジョブがある。ちなみに小アルカナの各十四のうち五つが初級、五つが中級、四つが上級ジョブとなっている。

 そして、創造主アイン神とサラマンダー、ウンディーネ、シルフ、ノームの四大精霊。その下に十の精霊がいて、それらから派生していった十二の種族がこの世界を彩っている。その種族の中から私はリアルではなりえない女性のみの種族、アクアピープルを選んだ。そしてジョブはカップギーメルを。カップは水=ウンディーネのことであり、水属性であるアクアピープルとは抜群の相性だろう。

 カップギーメルはこの世界で豊か、幸福、成就、治癒を意味するジョブだ。味方へのバフや簡易回復の魔法を得意としたエンチャンターの役割で後衛で援護し、武器は杯である。これの中級ジョブはカップヘットといい、初級ジョブ魔法に加えて敵へのデバフも使えるようになる。上級になるとカップクイーンとなり、初級と中級の更に上のバフ、デバフ、簡易回復より上の回復魔法が使える補助のエキスパートといえる存在になるのだ。

 今まで私はコンシューマーゲームしかプレイした事がないので、意識ダイブしてプレイするVRMMORPGで、近接戦闘をする前衛ジョブを選択するなどという無謀なことはしたくなかった。そもそも、攻撃的なことも苦手なので、味方を援護するようなジョブは私の性格からしてとても相性が良いのだった。

 アクアピープルとは人魚のことで、種族効果として水属性エリアでのステータスが一・五倍になり、逆に火属性のエリアではステータスが〇・七五倍になる。装備などの付加効果で更に飛躍したり、とんとんにもっていくこともできるらしいので、火属性エリアではほどほどの活躍といったところだろうか。

 ちなみに、下半身は完璧に泳ぐ深さの場所では文字通り人魚になるそうだ。そして、陸ではリアル一時間ごとに水分補給しないと体力が減っていく。私は中央噴水広場で友人を三時間待っている。もちろん体力が減るのは体験済みだった。幸いここに水はたくさんあるので、二時間前からは噴水から綺麗な水をドローして水分補給している。あ、それと耳だが、アクアピープルはエラになっていた。魚っぽさをだすためだろう。泳げる場所では十二の種族中一番素早く泳げると説明にあったので、早く泳いでみたいものだ。ちなみに私の髪は水色が入った銀色で腰までありゆるい三つ編みになっている。泳いでる時にほぐせば水の流れに乗った髪はきっと綺麗だろうな。

 ところで、こうして頭の中で誰にともなく説明している私だが、ステータスにあるリアル時間を見るとあれから更に一時間増えて四時間経っているのは気のせいだろうか? このゲームはリアル三時間で二十四時間経つように設定されているので、私はもう丸一日以上ここに居る。

 下校途中友人と帰ったら、夕飯後十九時にログインして待ち合わせと話していたのは確かだ。友人に色々案内もしてもらうつもりだった私は、手伝いやら夕飯を速攻で終わらせて十八時一〇分にはキャラを作り終わりチュートリアルを開始していた。そして今見たリアル時間は二十三時五分なので、もしかしたら友人はもう今日はログインしてこないかもしれない。明日も学校なのだ。私も今日は諦めて明日友人に理由を聞くことにしようとログアウトすることにする。

 ログアウトはステータスの設定を選択すれば出来るとあったので、私はさっそく設定を脳内で選択した。だが、どういうことだろうか? 設定を選択してもログアウトの文字はどこにも見当たらない。ステータスを閉じて、また開いてを何度か焦りつつ繰り返すが、やはりないのだ。ログアウトの文字が。

 瞬間どっと冷や汗が出る。もしかして、もしかしてこれは下校途中に話題に出ていたログアウトが出来なくなって始まるデスゲームか、もしくは世界アルカナに酷似した異世界にトリップしてしまったとか、そういった都市伝説の類の現象に陥ってしまったということだろうか?

 そうだ、たしかヘルプに設定にゲーム外に繋がっているサポートセンターへ、GMコールというので何らかの不具合やハラスメント等の対処にあたってくれるのがあると書いてあったはずだ。私は藁にも縋る思いで設定を再度開く。ログアウトの文字ばかり追っていたが、GMコールはどうだろうか……あった! すぐさま選択すると、ポーン、ポーンと高音のコール音が脳内に響く。良かった、GMコールはちゃんと機能しているようだ。

『はい、こちら冒険者ギルド本部内ギルドマスター室です。本日ギルドマスターは不在ですので、秘書である私、ユーリィ・アスコットがご用件を承ります。それでよろしければご用件をどうぞ』

 え? GMとはゲームマスターの略ではなかったのか? いや、合っているはずだ。もちろんギルドメンバーをGMと言ったりギルドマスターをGMと言うのも分かるが、ここはゲームマスターでなければいけないだろう。サポートセンターはゲームの中にはない。冒険者ギルドというのも存在するが、それはNPCであって生身の人間がいるわけではないのだ。ヘルプにも冒険者ギルドのことなどサポートについての項目では一切触れていなかったし。

 これは、本当にもしかしたらもしかするのか。

『あの、どういったご用件でしょうか……?』

 けれど私はそんなこと認めたくない。これはきっと何かの冗談や間違いに決まっている。だって、そうでなければ何故私はステータスを見ることが出来るのか。それはゲームだからだろう。きっとGMが茶目っ気をだして私をからかっているに違いない。そろそろ、こほんとか言ってサポートの対応にあたってくれるはずだ。

『ユリシアさん、ですよね。どうかしましたか?』

 今更だがユリシア、とは私のゲーム内でのキャラ名である。シアという名を主にコンシューマーゲームで主人公らに使っていたのだが、このゲームでは作成時に入力したら既に使われていると出ており使用出来なかったのだ。残念だったが、ならばと、庭に咲いていた百合の花が目に止まったので頭にユリを付けてみることにしたのだ。

 ユリシアは使えたからこうして呼ばれているわけだが、そういえば私は先程から脳内で考え事をしていて彼女の事をスルーしまくりだった。そろそろ返事をしないとコールを切られてしまうだろう。

「すみません、話す内容を頭でまとめていて気づきませんでした。あの、ゲームマスターですよね?」

『ゲームマスター? なにかの用語でしょうか。生憎私はそのような言葉は聞いたことがないので分かりかねますが』

 どういうことだ? 雰囲気が困惑しているのがありありと伝わってくる。まさか本当に知らないとでもいうのか。いや、最後の足掻き的ななにかでしらばっくれてからかっているのかもしれない。

「あの、冗談はもういいので、サポート業務に勤めて下さい。内容なんですが、ヘルプにステータスの設定からログアウトを選択するとリアルに戻れるとあったのですが、何度見直してもログアウトがないんです。不具合だと思うので、そちらでなんとかしてほしいんですが……」

『ステータス? ろ、ろぐ? あの、申し訳ございませんが何のことでしょうか。これも先程と同じ何かの用語なのですか?』

 ……アウト。まさかだろ。信じられるわけがない。

「いい加減にしてくれませんか。これGMコールですよね、不具合やハラスメント等に対応してくれるところでしょう? 無事にログアウト出来たら貴女のこと運営に報告しますよ」

『……ユリシアさん、最初に申しました通りこちらは冒険者ギルド本部内ギルドマスター室です。本来直通でコールすることは出来ないようになっていますが、ユリシアさんはギルドマスターのお嬢さんということで特例の措置をとっている、ということは承知していただけてますよね?』

「お嬢さん?」

 一体彼女は何のことを言っているのだ。わけが分からない。

『現在ギルドマスターは席を外しておりますので、戻られましたら後ほどこちらからユリシアさんにコールし直すようにお伝えしますので、このような言葉遊びはギルドマスターとなさって下さるようお願いします。私はギルドの仕事がありますので、これで失礼致しますね』

 プツと機械音が脳内に響くとそれっきり声が聞こえなくなった。え、これってありなの? 何故私がいたずらしていたような口ぶりになるのか。しかも、ギルドマスターのお嬢さんって言ったぞ。頭がこんがらがってきたかもしれない。

 試しに再度GMコールしてみたが今度は出てくれなかった。後ほどコールすると言っていたから、それまで待つしかないのか。しかしだ、ギルドマスターがいつ戻るかも聞けず不通になってしまっては、このままここで待っていても仕方ないだろう。そうとなれば、もう明日の学校は寝ずに行くつもりでいた方がいいな。

 私は溜息を一つ零すと噴水から綺麗な水を五〇ばかりドローして、町を巡ってみることにする。もう四時間以上ここに居たためか、噴水広場に出している屋台の主人が、明らかにほっとした表情を浮かべていたのを見逃さなかった。悪かったな、不審者っぽくて。まあ、丸一日以上同じ場所に同じ人がいればびびるだろうな。しかも私、屋台の主人が開店準備する様子もガン見していたし。

 けれどあれはNPCだし、あんな人間味を感じさせるような表情を浮かべるのだろうか? NPCといえば、ただPCの話しかけに予め決められた言葉を話すだけ。それとも臨機応変的に表情を浮かべるようなことも設定されているのか? VRMMORPGはやはり違うということなのか。

 何か心に引っかかる疑問を内に、私はとりあえずクエスト持ちのNPCを探そうと町を歩く。クエスト持ちは頭上に白いアイコンで【!】マークが出ているのだ。クエストを受注すると緑に変わり、達成し報告のみの状態になると赤に【!】マークが変わる。シナリオクエストだと受注前が黄色の【!】マークであとは他と同じだ。ちなみに反復クエストだと受注前は青になっている。

 私は脳内に出るマップレーダーと実際にそこらに居る人々の頭上を見回しながら、ひたすら町を練り歩いた。

 ……これで、何周目だろうか。三周目、かな。何故誰の頭上にも【!】マークがないんだ! 試しに町人にクエストありませんかと聞いてみるが、答えは「そんなもん、冒険者ギルドにでも行け」と返されるだけだった。おかしいな、ゲーム公式サイトの説明にはちゃんと載っていたのだが。だがこれだけ探してもないということは、やはり冒険者ギルドに行ってみるしかないということだろう。

 結局もうログインして六時間は経過していることになっていた。そういえば、お腹も空いてきたな。何か屋台で軽くつまめるものでも買うか。……あれ、だが空腹なんて感じるのか?

「なんか疲れてきた、精神的に」

 歩き通しだったが体の疲れはまだ感じなかった。けれどお腹と精神を癒すために、私は町の出口に向かう通りにある屋台の焼肉の匂いに釣られて足を向けた。肉にからまったタレがいい具合に焼けていて食欲を誘う。

「らっしゃい、焼き鳥一本三〇ジールだよ。食ってくかい?」

「はい、五本ください」

「あいよ」

 屋台に着いた私に手際よく焼いている主人が聞いてきたので、とりあえず五本頼む。お金は……お金は。ステータスを開いて所持金を見ると、一〇〇ジールとあった。少なっ! あれ、一本三〇ってことは全部で一五〇ジールじゃないか。

「すみません、やっぱり三本にしてください」

「ん、おお分かった」

 私は慌てて本数を減らしてもらうと、九〇ジールと念じて手の平に硬貨を出した。初めて硬貨を手にしたが、大きさは五〇〇円玉くらいで色は金色だった。書いてある字と柄さえ同じならまんま日本の五〇〇円硬貨だな。屋台の主人が焼き鳥を紙袋に詰めてくれている間に硬貨を観察していた私は、ほれと紙包みを差し出してくれた主人の手にかわりに九〇ジールを載せた。渡された紙包みからは上手そうな焼き鳥の匂いが漂ってくる。早くどこか座れるところを探して食べよう。

「ぶほっ! おい、これ違う!」

「え?」

 にんまりと紙包みを見ながら味を想像していた私に、屋台の主人が吹き出した。危ないな、もう少しで唾がかかるところだったじゃないか。だが違うとはどういうことだろうか、たしかにジールのはずなのだが。

「おっおい、譲ちゃんどこのお貴族様だ? 九〇は九〇でもこりゃ金貨の九〇ジールじゃないか。こちとら庶民の屋台じゃ九〇ジールといやあ銅貨に決まってるぞ」

「え、銅貨? 硬貨に種類があるんですか?」

 いや、でも九〇ジールと念じて出てきたのはこの金色の硬貨だぞ。そのまま金貨というみたいだが、それと庶民じゃ銅貨が普通ということは、普通に考えて間に銀貨もあるのだろうか。首を傾けて屋台の主人を見れば、主人は慌てたようにこんな大金もてないとばかりに返してきた。

「譲ちゃん、いやお嬢様。今回はおれっち……じゃなくて私の奢りにしておきますので、どうぞ食べて下さい」

「えっあの、私は貴族なんかじゃ」

「いえいえ、気に入っていただければまたのお越しをお待ちしておりますのではい。ありがとうござました!」

 主人が早口で捲くし立てるようにぺこぺこお辞儀をしながら、急に丁寧な態度と口調に改めて言ってきた。これは、紙包みはやるからとっとと帰れって言ってるんだよな。私は貴族じゃないただの一般人なのに、出した硬貨が悪くて勘違いさせてしまったようだ。

 訂正しようとしたが、主人はもうこのやりとりは終わりとばかりに、黙々と焼き鳥を焼く作業に戻ってしまっていて、おそらくこれ以上は何か言っても無駄なのだろうなと、私は銅貨を手に入れることが出来たらもう一度この屋台に来て主人に代金を支払うことに決める。

「すみません、いただきます。お金ができたら必ず払いに来ますから。ありがとうございました」

 お辞儀をした私は紙包みを抱えて今居る通りをとりあえず離れようと歩く。先程のやりとりをちらちらと窺っているのがいたからだ。そりゃ、貴族とか口調とか急に変わればなんだと見るだろうな。もしくはカモとしてみていたのかもしれないが、私には分からない。

 とにかく、せっかく食べ物を手に入れることが出来たのだから、早くどこかに落ち着いて食べよう。

 あの通りから二つほど別の通りを抜けた先に、憩いの場として作られたのだろう小さい公園があった。公園内の歩道には等間隔で石が置かれており、座るには丁度いい形と大きさで、きっと散歩の腰休めにでも設置されているのだろうと見た。

 視線を巡らせるとやはり座って休んでいる町人がいて、私はまだ誰も座っていない方へ足を向ける。隣で美味しそうな匂いを漂わせて食べるのは悪いと思ったからだ。

 石に座った私はさっそく紙包みを開けて焼き鳥を一本取り出すと、串に刺された鶏肉の塊を二個口に入れて咀嚼する。これは、旨い! 甘じょっぱいタレが鶏肉によく絡み、そのタレが少し焦げているのもまた旨さを強調している。これは、ご飯がすすむだろう。ああ、白米が食べたい。紙包みに付いているタレもご飯に付けて食べれたら……。涎がたくさん出てきた。ご飯に付けて食べる姿を想像するも、残念ながら手元には白米はない。この世界には白米はあるのだろうか? いや、こんなに旨い焼き鳥があるのだからないとおかしいだろう、きっとあるはず。

「これはやばい。一気に焼き鳥屋のファンになった」

 あまりの旨さにその後三本一気に食べ終えた私は、紙包みの中に付いているタレを名残惜しくも諦めると、小さく折りたたんで傍あったごみ箱に捨てた。ああ、本当に旨かった。絶対銅貨を手に入れてまた買いに行こう。私は固く誓う。

 その後しばらくぼーっとしていたのだが、結局今はログインしてからリアル七時間経っている。GMコールはまだ鳴らない。一度この状況を整理してみたほうがいいかもしれないな。

 友人がログインすることはもう諦めているのだが、さすがに私自身がログアウト出来ないということは諦めるのは無理だ。家族や学校に友人に将来のことを考えるととてもじゃないが、ここに居続けるわけにはいかない。しかも、今の私の種族はアクアピープルなのでリアル一時間ごとに水の摂取が必要だ。不便極まりない。

 夕飯を食べてからリアル六時間でお腹が空いたということは、生理現象はリアル時間に則っているのだろう。つまり、私はこの世界では食事や睡眠その他諸々が人よりかなり長い間しなくても平気ということだ。リアル三時間でゲーム内の体感一日、リアル一日で八日、なのでこの世界で私はだいたい六時間ごとの食事と考えるならば二日間は余裕でもつ。頑張ればリアル二、三日食事睡眠は我慢できるのでかなり懐事情に優しい設計だ。だって一カ月ちかく我慢できる計算なのだし。

 けれど、体力や魔力回復の為に食物を摂取することも出来ると公式にあったが、五感の中でゲーム内に取り入れられていない嗅覚に味覚まであるのはおかしい。あと痛覚もあるが極軽いものらしい。本当に軽いのか? 私は試しに自分の頬を思いっきり抓ってみる。いだだだだだっ!! めちゃくちゃ痛いじゃないか! これじゃリアルと変わらないぞ。ちなみに、どうでもいいことだが性関係のことも反応しないらしいぞ。どうでもいいことだが。

 ギルドマスターのお嬢さんというのも気になる。公式でゲーム内容を見た時も、キャラ作成時にもログインしてからもそんな設定はなかった。GMコールを今は待つしかないのだが、あと一日待ってもコールがないようならばギルド本部に行ってみた方がいいかもしれない。もしかしたら何か分かるかもしれないし。まあ、これはまずは話を聞いてみないと分からないので保留だな。

 NPCがやたら人間臭いのもかなり気になる。まるで本当の人間と会話しているようで、内心とても不安だった。もっとよく観察した方がいいな。

 あとは、ジールか。どこかの店にでも入って調べてみる必要があるな。私がログインした時はゲーム内は朝七時頃だったので、今は十五時を過ぎたところだ。営業しているだろうから今から行ってみるか。

 んー、そうだな。それに町の外に出て戦ってみる必要もあるか。ここは始まりの地であるから敵も雑魚しかいないはずだし、後衛ジョブの私でもおそらく余裕でいけるはず。焼き鳥屋の主人の様子だとお金は十分みたいだし、これから行く店で装備をみてみるのもいいな。いくらVRでゲームだといっても今までのコンシューマーゲームとは違い、戦うのは戦闘経験など全くない私自身だ。準備はいくらでもしておいていいだろう。

「よし、じゃあ行くかな。えっとー確かマップには町の出口付近に武器防具や薬草のマークがあったはず」

 私は立ち上がると脳内に浮かび上がったマップを頼りに、まずは防具屋へ行くことにする。だって、いくらゲームでもVRなのだし死ぬのは怖いし。自分が血だらけになったり刺されたりするのを見るのは極力避けたい。学生の私がプレイしているのだから、それほどグロテスクな表現はないだろうが。

 ちなみにこのゲームはR15である。高校二年生の私は余裕でアカウントと取れたわけだが……あれ? そういえば、私のほかにもプレイヤーがいるはずなのだが、マップレーダーに青い点があったのは見ていないぞ。自分は橙色の丸で、敵は赤、NPCは白、名付きNPCは緑、他プレイヤーは青なのだが、正式サービスが開始したばかりで私以外誰も居ないのはおかしくないか?

 防具屋へ歩きながら先程整理したことを考えていると、胸の中をぐるぐると不安が回り広がっていく。ここは……ここは現実、なのだろうか。いや、でもまだそうと決まったわけではないし、決めるにも早すぎるだろう。確かめていないことはまだいくつもあるのだから。

「ここか、防具屋ブットクルスね」

 防具屋の前に着いた私は店先に立て掛けられている看板確認し、木の扉を開けて中へと入る。

 店内には客は私しかいないようだ。カウンターごしにいらっしゃいませと愛想よくおばさんが声を掛けてくるので私もこんにちはと返す。

 左手の壁側には、上は兜から下は具足まで材質違いごとに一式がマネキンに飾られていて、全部で一〇体並べられている。右手のほうはインナーが木製ハンガーラックにたくさん掛けられていた。それ以外はマネキンの脇の各テーブルに冊子が置かれてあって、あとは店内を飾っているアンテーィークの装飾くらいだ。インナーは手に取ってみることができるが、防具は……冊子を開いてみると、一式の見た目がマネキンで見れて、測ってからのオーダー制だということが書かれていた。どうやら文字は読めるらしい。見た目はまったく日本語ではないのに。

 とりあえず、後衛ジョブである私は金属の鎧など装備できそうにないので、おとなしく布製のローブを見ることにする。そういえば、水の中に入って下半身が魚になる時って、下半身に身に付けていたものはどうなってしまうんだろうか? これも後で試したほうがいいだろうな。

 冊子をぺらぺら捲ってみると、その内の一頁に載っている白に緑の柄がライン状に入っているフード付きのローブが気になった。私の魚部分は水色から群青色のグラデーションになっているので、きっと合うだろう。お、腰に広がりを抑えるための革のベルトもあるぞ。うん、いいなこれ。これにしようか。

 靴はどうしたらいいのだろうか? 今は初期装備の革のブーツを履いているのだが、水の中に入ったら当然脱げるだろうしな。脱げた靴も服同様どうなるか分からないし、できれば常時数センチほど浮いていられる魔法があれば裸足でいられるのだが。あと、服に撥水とか出来れば助かるな。まあ、そんな都合よい魔法ないか。攻略wikiを見ることができれば探せたのだが、そんなこと言っても仕方ないか。魔法を覚えられるところに行ってみるしかないな。

 ローブは決まったとして、インナーはどうしようか。私はサイズごとにたくさん掛けられている木製ハンガーラックに近づいて見る。長袖、七分に五分。半そでとノースリーブの五種類あり、色や柄物で分けられている。その中で私は七分と半そでとノースリーブを全て色はアイボリーで二枚づつ買うことにした。白いローブだからあまりインナーの色が透けるのは好ましくないからな。

 下着は……あった。正面カウンターの左側の棚に籠の中に入って陳列されていた。ブラはリアルでいうスポーツブラしかなかったが、色と柄がたくさんある。うーん、そうだな。これもアイボリーでいいか。色気なんてものは必要ないし。

 ショーツも同じでいいか。とりあえずどちらも三枚づつ買おう。あれ、もしかしてノーパンの方がいいのかな? だって魚になったら……って、いやいや! そもそも常時水の中なわけではないし、入る機会があればその時に脱げばいいじゃないか。町中でも履いてないとか痴女だ! 裾は足首までのローブだし、強風でも捲れることはないだろうからバレなければ大丈夫だろうが。まあ、このへんも後で試してみるか。

「すみません、これください。あと、ローブのオーダーしたいんですが」

「かしこまりました」

 正面カウンター右側の試着室でサイズを測る。そこで自身のサイズが書かれたカードもくれた。次回からはこのカードを見せれば計らなくてもいいのだそうだ。他の店でも同様らしい。

「こちらのローブでしたら二日後には出来上がりますので、ちょうど今くらいの時間にまた来て下さい。お支払いはどうなさいますか?」

「今します」

「ありがとうございます。全部で二十二銀ジール頂戴いたします」

「すみません、細かいのなくて、一金ジールでお願いします。それと、できれば一〇銀だけ銅でお願いしきますか?」

 私は一ジールを取り出した。ゲーム内では一種類だけのはずが、三種類になっているなんてな。ついでに銅貨も手に入れておいた方がいいだろうと一銀だけ頼む。今回のお釣りで大体の価値が分かるだろう。

「かしこまりました。七十七銀と一〇〇銅ジールのお返しです」

「ありがとうございます」

「いえいえ、よくあることなので大丈夫ですよ。ではこちらがローブ以外のお品物になります」

「はい、ありがとうございます」

「有難うございました。二日後お待ちしております」

 なるほど、焼き鳥屋での値段と防具屋の値段で判断すると、銅貨が一〇〇円、銀貨が一〇〇〇円、金貨が一〇〇〇〇〇円といったところか。ということは、庶民は銀貨までが手の出せる範囲なのかな。

 さて、ブットクルスで会計を済ませた私は、今度は武器屋に来ている。杯を買うためだ。私はアクアピープルの武器も扱うことができるので、それも見てみようか。

 ちなみにアクアピープルの武器はハープだったりする。何故ハープなのかというと、実は種族スキルに歌う、がある。これはハープを装備しないと使えない。パーティ内に十分間バフを掛けられる補助的な役割を持つものなんだが、公式には全部載っていなかったので、新しい歌の覚え方は分からなかった。自分で探してみよう! とか書いてあったし。

 最初から覚えているのは、風の防御膜で敵の物理攻撃を緩和するもの、精神面の状態異常を回復し十分間またかからないもの、町中で歌ってNPCからお金を貰うことの出来る三つだ。お金を貰うとかって、旅の吟遊詩人みたいだな。今のところお金に困ることはないが、気が向いたら試してみよう。

「うーん、ウッドカップにブロンズカップとスチールカップか」

 やはり始まりの町だからか、たいした物は置いてない。防具屋の頼んだ白いローブも素材は綿だったし。おそらく、段階的に買い揃えて、スチールになったら次の町へ向かう感じなのだろうか。ウッドカップは一銀八銅ジール、ブロンズだと四銀三銅。スチールは十五銀ジールだ。スチールでいいかな。ハープはブロンズ製からあった。これもスチールでいいか。

 防具屋より見るものが少なかったため、私はスチール製のカップとハープを購入するとさっさと店を出る。

 次は道具屋かな。マップを見ると町の出口から二軒目にあったので早速向かう。着いた店に入ると、薬っぽい匂いが店内に漂っていて、様々な道具や薬が雑多に陳列されておりいかにもファンタジーの道具屋といった感じだった。

 とりあえず、今は購入した物意外なにも持っていないので、体力や魔力回復に状態異常回復薬は買っておこうと思う。あとは何だろうか。ゲームで初期に必要といったらこれくらいだよな。よく分からないし、今回はこれだけにしておこうか。カウンターにいる店のおばさんに話しかける。

「すみません、体力や魔力回復薬を一〇個づつに、精神と肉体の状態異常回復薬を五個づつください」

「はいよ、体力と魔力の効果はうちには一番低いのしか置いてないけどそれでもいいかい?」

「大丈夫です」

「それなら、一つ二〇〇銅ジールだから全部で六銀ジールになるね」

「ちょうどで」

「毎度あり!」

 そうだ。ここ二日は町の中をぐるぐるしていただけだが、もうリアル時間では夜中の一時三十分になっているし、そろそろ宿をとっておいたほうがいいかもしれない。GMコールもまだないし。マップにはたしか三軒あったから、NPCの会話がどこまで出来るのかここで試してみるのもいいかもな。

「ありがとうございます。あの、ところで一つお聞きしたいことがあるんですが」

「なんだい? 言ってみな。あたしゃこの町に生まれてから四十六年住んでんだ。知らないことなんかないよっ」

「えと、この町のおすすめの宿が知りたいんです。今日着たばかりなので、そろそろ宿をとっておいたほうがいいかと思って」

 私はそのまま思っていたことを伝えると、おばさんは腕を組みながらにっこりしてうんうんと頷きながら口を開く。

「宿かい、そうだねえ。この町には宿が三軒あるんけど内一軒は旅のお貴族様の休憩に使っているところだし、もう一軒は中級でも上のほうの冒険者やそれなりの地位のあるものが使うところでね、こっちは防犯面は安全だが宿代はかかる。最後の一軒は駆け出し冒険者や貧乏人が泊まるようなところで、防犯は自己責任だからねえ、お譲ちゃんみたいなのだと、できれば二番目に言った宿がいいと思うんだけど大丈夫かい?」

「そうなんですか、お金のことなら大丈夫です。じゃあ、その二番目の宿に行ってみますね。教えていただいてありがとうございました」

 本当は最後の宿でもよかったのだが、このゲームの世界は公式に載っていたのとは違うことが多い。ならば防犯面は安全と言っていた宿の方がいいだろう。もし最安値の宿で何かが起きても、私はまだ戦闘をしたことがないので、うまく事をかわせるかは分からないし。

「いいんだよ、二軒目の宿はコポリントの宿木っていうんだ。飯も旨いと評判だからね、おすすめはサンブダケとキクリ菜のカトス鳥の卵とじシチューさ」

「コポリントの宿木ですね。シチューかあ、ご飯楽しみにします」

 どれも聞いた事のない名前だが、シチューというだけで食欲が沸く。

「期待していいよ、じゃあまた買いにきておくれ」

「はい、また来ます」

 道具屋を出た私は、焼き鳥屋の主人に九〇銅ジール支払って、おばさんから聞いたコポリントの宿木という宿に向かうことにした。防具、武器、道具屋と回って、ゲーム内の時間はちょうど夕方。宿が取れたら焼き鳥だけでは満腹にはならなかったし、おばさんおすすめのシチューを食べるのもいいかもしれない。

 宿の場所は、私が友人を待っていた中央噴水広場の外周通りにあり、来た道を戻ることになる。道具屋を出た私は購入したものは全てインベントリに入れることにした。このインベントリは異空間か何かの空間に物を収納できるのだが、一〇〇種類まで入れられて、一種類九九九個まで入る。最初は二〇種類までなのだが、私は課金で一〇〇種類までに上げたのだ。

 手ぶらで散歩気分を味わいながら、中央噴水広場に戻ってきた私は外周通りの東側に建っていたコポリントの宿木を見つける。

「ここかあ、部屋空いてるといいな」

 石壁作りの大きめの建物にダークブランの漆塗りの両扉。そこを開けると何人もの人達がフロントの寛ぎスペースで談笑などをしていて、宿のガードマンらしき制服に帯剣した数人がカウンターや二階に上がる階段に立っている。なんか、話に聞いていたよりも高級な感じだ。

 私はフロントカウンターへ進むと、受付の人に一泊夕食付きで頼む。

「すみません、一泊夕食付き一部屋空いてますか? 朝食はいりません」

「ようこそいらっしゃいませ。一泊夕食付きですね、空いてます。相部屋と個室どちらをご希望ですか?」

「個室でお願いします。それと、できれば湯浴みをしたいのですが」

「個室ですね、三階角部屋が空いてます。湯浴みは夕食後でよろしいですか?」

「はい」

「前払いで十二銀ジールになります」

 お風呂は毎日入るものだ。ゲーム内だと八日でリアル一日だから、八日ごとに入ればいいのかと思うが外に出ればやはり汚れるし、戦闘などがあれば当然だ。最初睡眠だけを考えてゲーム内二日に一度泊まればいいかと思ったが、風呂のことを考えれば食事や睡眠はともかく宿だけはずっととっておいた方がいいのかもしれない。

「あの、まだ考え中なのですが同じ部屋をずっと借りることって出来ますか?」

「ええ、できますよ。ただ、そうするとどこかの貸家を借りたほうが安上がりになるかと」

「貸家ですか」

「ええ、こちらにお泊りいただければ嬉しいのですが、やはりお客様も誰憚ることなく寛げることの出来る方が良いとのことで。しばらくの拠点として町の貸家を借りられてる方も多いのですよ」

「そうなんですか。検討してみます」

「食事だけのご利用も出来ますので、その時はぜひご利用下さい。ではこちらが鍵になります。食事は一階右手の廊下途中にありますので。夕飯が済みましたらまたいらして下さい。湯をお持ちしますので」

「わかりました」

 鍵を受け取った私は、上り下りが面倒なため三階角部屋に行く前に夕飯を食べることにする。レストランに行くと夕飯時だからかすでに満席に近い状態になっており、一人で食べられそうな席が見当たらなかったので、六席の円卓を囲んでいる三人組みに相席を頼もうと近づく。

「すみません、ここいいですか?」

 声を掛けると三人が私の方へ振り向いて、そのうちの温厚そうな笑みを浮かべたエルフの女性がどうぞと席を手で指し示してくれる。

 これが生エルフ! やっぱり美人である。輝くような金髪に切れ長の碧眼は澄んでいて、さすが精霊から一番に生まれた森の民だと感激だ。長く先が尖った耳もなんとも魅力的だった。眼福すぎるその姿に一瞬見とれてしまった私だが、見すぎると不振がられるだろうしなんとか自制し席に着く。

 席に着いた私にメニューを差し出してくれたのはヒュム族の男性で、つまり普通の人間なのだがなかなかに精悍な顔つきでこちらの彼も眼福だ。

「ありがとう」

「ああ」

 受け取ったメニューを開くと、道具屋のおばさんが言っていたおすすめのサンブダケとキクリ菜のカトス鳥の卵とじシチューの絵が描かれている。おすすめと言っていただけあり、絵描き人の腕も良いのもあるがまるで美味しそうな匂いまで嗅げそうな絵だ。見ただけで涎が出る。

「これがおすすめかあ。美味しそう」

「旨いぞそれは。一度食べたらやみつきになる、俺もおすすめのシチューだ」

 三人目に火竜族の男性がにかっと笑いながら頷く。体格が素晴らしい。まさに筋肉が鋼のようながっしりとした青年だ。平常時は怖そうだが、笑った顔はなかなかに可愛らしい。いや、大の男にこれは失礼か。

「そうなんですか、実は道具屋のおばさんに聞いてきたんです。おすすめだって」

「ああ、サバサのおばちゃんか。あの人良い人だろ」

「ええ、とても親切な方ですね。また買いに行きたいお店です」

 道具屋のおばさんを知っているのか、ヒュムの男性が乗ってくる。まあ、見た目冒険者だから当然道具屋には行くのだろう。エルフの女性もこちらを見る。

「私達もサバサさんの所にはよく買いに行くのよ」

「じゃあ、そのうち道具屋で顔を合わせそうですね」

「ふふ、そうね」

 その後もこのような談笑に私を加えてくれ、私達四人は美味しい料理に舌鼓を打つ。さすがおすすめなだけあって具材によく絡まった程よい塩味のクリームシチューと卵が絶妙に合っている。これ、ご飯を入れて食べたいな。今食べてるのは丸パンだけど。でも、パンを浸して食べるのもとても美味しい。本当にやみつきになるな。

「ところで今更だけど自己紹介しない? オレは見ての通りヒュムのカイランっていうんだ。ここに居る二人とは冒険者仲間なんだ」

「そうなんですか。あ、私も見ての通りアクアピープルのユリシアっていいます」

 散々話しておいてだが、そういえば名前も知らずにいたな。カイランに続いて私も名乗る。

「私はエルフのナアムよ。本名は名乗れないからそう呼んで」

「俺は火竜のサグナスだ、よろしくな」

「皆さんよろしくお願いします」

 エルフは真名は家族の他に伴侶とエルフの長だけが知ることができるらしい。知っていたとしても普段は愛称で呼ぶのだそうだ。精霊に近いエルフは真名を知られると縛られるのだそうだ。近いというか、ほぼ精霊みたいなものなのかもな。肉体がある精霊みたいなものか。

 精霊は肉体という器は真名で縛られた主従関係にある者しか持てない。産まれてきた最初から肉体があるエルフ。近いが同じではない。種族的な大本の親は精霊だが違うのだ。精霊は肉体は縛りだがエルフはそうではないから。

 その見た目の麗しさと清廉さを好むエルフはあまり清浄な森から出ないで過ごすそうだ。けれどナアムさんは一般的なエルフとは違うようだな、俗世である町に冒険者としているのだから。最初プレーヤーかと思ってマップレーダーを見たが、点は名付きのNPCである緑だった。この宿にいる者達も皆白と緑で青は居ない。

 やはりこれだけの時間居るのにプレーヤーは私だけなのはどう考えてもおかしい。そんなことを考えていると次第に胸を薄暗い雲がおおっていくような感じがした。

「ユリシアさんは?」

「え?」

「旅かなんか? アクアピープルもエルフの私達みたく普段は森から出ないように水から出ないって聞くから珍しくて」

 俯いていた私にナアムさんが質問してくる。そうか、それもそうか。決まった間隔で水分補給しないと生きていられないしな。やはり不便な陸で暮らすアクアピープルは少ないらしい。

「はい、実は私も冒険者なんです。まだ駆け出しですけど。外の世界を見て回りたくて」

「ふふ、結構お転婆なのねユリシアさん。まあ私も同じだけど」

「ナアムさんもですか?」

「そうよ。というか、ここにいるカイランに惚れて付いてきたってのが本当の理由だけど」

「ええっ! お二人そうなんですかっ」

 柔らかい微笑みを互いに向け合っている二人を見ると、なるほど納得だ。そう納得していると、ごっほんというわざとらしい咳払いが耳に入る。咳払いをしたのはサグナスさんだ。

「で、俺はその二人のお邪魔虫ってわけだ」

「邪魔じゃないって。いつもそう言って茶化すんだからな、サグナスは」

「時々気が利かないときもあるけどね」

「ほらな」

 どうやらこの甘い雰囲気はいつものことのようだ。ご愁傷様です、サグナスさん。いつも居心地の悪い思いをしていたんですね。けれど、それでも仲間でいるのだから、信頼し合っているのだろう。そうでなければこんな甘い雰囲気の中いられないものだ。普通なら勝手に二人でやってろってなるだろう。

「くすっ楽しそうなパーティですね、羨ましいです」

「そう言ってられんのは傍から見てるからだ。ユリシアも四六時中いればそんな呑気なこと言ってられんぞ」

「そうですか」

「そうだ」

 断言したサグナスさんは、それでも心底嫌な顔でなはく、やれやれだぜといった感じでいる。やはり私の思った通りなのだろうな。

 こんな感じで終わった食事。私は三人に相席のお礼と楽しい食事でしたと言って別れ、フロントカウンターへお湯を頼みに行くことにする。色々考えることが多すぎて精神的に疲れたから早くさっぱりしたい。

 私が部屋に着いた数分後にはお湯が運ばれてきて、大人が入っても余裕のある大きめの桶の中に持ち込まれたお湯を流しいれてくれ、宿の従業員が出て行くと、私は部屋の鍵をしっかりと閉めた。

 ああ、お湯に疲れる! 私はさっと服を脱ぐと、そろりと片足をお湯の中に入れてみる。まだ変化はない。というか、お湯でも魚になるのだろうか? 考えていても分からないので、思い切って腰まで浸かってみた。

 すると、なんと下半身が青白い光に包まれて、目を瞑ってすぐ開けたときにはもう私の下半身は魚になっていた。

「うわ! すっごいこれ、本当に人魚だし! てか、鱗が綺麗だあ」

 腰下が水色で、尾びれにいくにしたがって群青色のグラデーション。部屋の明かりが差すお湯の中の鱗はきらきらと光を反射している。膝を曲げる感じで入っているのだが、特に違和感はない。試しに尾びれを動かそうと思ったら、自分の手足のように自由に動かせた。当たり前か、なんせ元は自分の下半身だし。

 にしても、何度も言うが本当に綺麗。海や湖に川で早く実際に泳いでみたい。そういえば、よく人魚のイラストを見たときなんかは、貝のブラをしていたっけ。この世界にはあるんだろうか? いや、恥ずかしくって着けたくはないが。

 自画自賛を散々した後、私は桶から這い出てタオルで体を拭くと、またさっきの青白い光が下半身をおおい次の瞬間には人型に戻っていた。なるほど、変化する時はこんな感じなのか。そうだ、ついでだから下着も洗うし履いてからお湯に浸かってみようかな。

 結果からいうと、勝手に脱げた。浸かって光って変化したらプカプカと下着が浮いていたのだ。これは、人前で変化するのは避けたいところだな。誰が好き好んで履いてた下着を見せたがるか。

 ……となるとやはりノーパンなのか。ノーパンなのか? 私の他の陸に上がっているアクアピープルはどうしているのだろうか。ぜひ会って聞いてみたい。だが切り出し方がわからないな。すみません、あなたノーパンですか? うん、直球はだめだな。なら、変化する時って服装どうしてます? これだと服装全体のことと思われて下着については話してくれるかわからない。水に入る前に気をつけていることは? これならもしかしたら話してくれるかもな。よし、もし同種族に会えたらこう聞こう。

 そんなことを考えていたらゲーム内時間は夜の二十三時になっていた。服を着てそろそろ寝たほうがいいだろう。とうとうGMコールもなかったし。明日まで待ってもなければこちらから出向くしかないな。あまり長時間この世界に居るわけにはいかないのだから。

 もう八時間はいるのだ。早くログアウトできないと無断欠席になってしまう。いや、その前に親が気づくか。だが、それもまずい。きっとリアルの私は気を失っているのだろうし、起きないと病院に運ばれてしまうかもしれない。そうしたら大事になるだろう。意識不明なのだから。ああ、まずいぞこれは。

 いつも私は朝七時に起きて自宅近くの高校へ八時十五分で出ている。徒歩一〇分の距離なので学校に着いてから一時限目まで十分の余裕があるのだ。母親がいつもより遅い私を起こしに来ても返事がなければ体を揺さぶられるかもしれない。そうなったらアウトだ。七時三〇分には来るかも? 遅くて八時か。できれば七時までにはログアウトしたいところだが。最悪八時までにはなんとかしないとまずい。

 ゲーム内の朝七時でリアルは夜中の三時一〇分。朝八時までは後ゲーム内時間は丸一日と八時間しか残っていない。でも、そのうちの八時間は睡眠でなくなるから丸一日か。ギルド本部はどこにあるのだろうか? 一日で着ける場所にあるのか。ここは始まりの町なので、町を出る必要がありそうだ。本部なのだからおそらく国の首都あたりにあるのではないだろうか。世界マップで確認するか。

 脳内で世界マップを開いてみると、最初に現在地の周辺マップが出て、その後脳内で世界マップにタブを切り替えると世界アルカナの全体図が見れる。中央大陸を七つの大陸が囲んでおり、七つの大陸に各三つづつ国がある。各国は海を挟んで対立していたり同盟を組んでいたりで色々とごたごたしていてる。アクアピープルは大陸に領土を持っておらず、しいていうならば海全体が領土といったところか。基本アクアピープルはどの海域で暮らそうが自由にしているのだそうだ。

「えーっと今は始まりの町に居て、町はウィール・オブ・フォーチュン国にあって首都はフォルトゥナ

かあ。ギルドって世界規模であるんだよねきっと。だとしたら本部がこの国の首都とは限らないよね」

 そうか、となるとどこの国に本部があるのか調べないとだめなのか。これ以上はマップを見ても分からないし、明日宿の従業員にでも聞いてみようか。

 結局何も分からなかったので、私はマップを閉じて眠ることにする。明日は何か進展があればいいのだが。

 翌日、顔を洗い身支度を整えた私は宿の従業員に話を聞くためにフロントへと行く。知り合いが本部と同じ国を拠点にしているらしいのだが、国の名前を忘れてしまった。本部はどこの国にあるのでしたっけ? とかで大丈夫かな。何か突っ込まれても暮らしていた海域以外のことはほとんど知らないって通せばいいか。陸の上のアクアピープルは珍しいしおそらく大丈夫だろう。

「すみません」

「はい、なんでしょう」

 人の良さそうなヒュム族のお兄さんがにこやかに返事をしてくれたので、私はさきほど考えていた質問を言う。

「知り合いがギルド本部と同じ国を拠点にしているらしいと聞いたのですが、国の名前を忘れてしまって……。ギルド本部はどこの国にあるのか教えていただけないでしょうか」

「ギルド本部ですか? ジャスティス国の首都バランスですよ。ここからだと辻馬車と獣船を乗り継いで六日はかかりますね」

「ジャスティス国の首都バランスですね、どうもありがとうございました」

「いえいえ、良い旅を」

「はい」

 お礼を言ってその場を離れた私はコポリントの宿木を出ると中央噴水広場のベンチに腰掛ける。

 本部へは六日かかるのか。これでは今から行っても間に合わない。どうしたらいいのだろうか。駄目元でもう一度GMコールをしてみるかな。

 とりあえずコールするだけならすぐなので、私は今日こそはという思いでしてみる。ポーンとコール音が脳内に響く中、でろ~でろ~と念じていた私は次の瞬間全身を振るいあがらせた。

『ユリシアーっ! オレのユリシアーっ!!』

「なっ!?」

 二回目のコール音の途中で繋がったかと思えば、いきなり私の名を感極まったような大声で呼ぶおじさんの声が脳内で大音響となって埋め尽くした。頭が割れるし! うっさいわ! 誰だか知らないが、いきなり大声で出るなど非常識ではないのか!

 別に耳から聞こえたわけではないのに、思わず両耳を押さえてしまった私は脳内で現在も響いているユリシアという声をまずは黙らせようと思った。

「ストップ!」

 その声に応えてぴたっと止んだ大音響に私はほっとしたが、いつまた始まるかわからないしすぐにまた話し出した。

「もしかしてギルドマスターさんですか?」

 オレの、というくらいだし、そんな人は昨日の名前はもう忘れたが女の人が言っていた人物しか思い浮かばない。そう考えて私は聞くと、今度は咽び泣く声が脳内に響き始めた。なんなんだ……。

『ゆ、ユリシアが、オレの可愛いユリシアが他人行儀だ……義父さんって呼んでくれない……うっう……』

 ……う、うざい。何が楽しくて知りもしないおじさんに泣きつかれなければならないのだ。しかも義父さんって、やっぱりこのうざいおじさん、いや、おっさんはギルドマスターなのか。なんか、ショックだ。

 とにかく、この状態をどうにかしなければ私の精神上よろしくない。

「とにかく落ち着いて下さい。うざい、おっさん」

 あ。しまった。うるさいです義父さんって言おうと思ったのだが本音を言ってしまった。だが咽び泣きも止んだし、いいか。

『……ユリシア、前にも増してつれなくなったね。義父さん、寂しい』

「はいはい、すみませんね。ところで聞きたいことがあるんですがいいですか?」

 いじけた口調になんだかもう気を使うのが疲れた私は用件があることを伝える。このやりとりがリアルでの父と同じなのだ。正直面倒くさい。

『んん、なんだい? ユリシアの質問なら義父さん何でも答えちゃうぞ!』

 なんでだろう、イラつく。これで傍で会話していたのなら、近づくな臭いとか言ってしまいそうだ。加齢臭って本当に嫌だ。

 リアルでの私はいつもそう言って男用の香水をかけるのだが、今は持っていないし傍にいるわけでもないしな。あ、別に男用の香水は父の為に買ったわけではなく、私の鼻の為に買ったんであって、おしゃれな父が好きとか、そういうわけでは決してないということを忘れないように。そんなんじゃないのだからな!

「いつから養子になったんでしたっけ?」

 しばらくの間互いに無言になった。なんだこの間は。

「その前に初対面のはずですが」

 ギルドマスターが何も言ってこないので更に私は続けた。そうなのだ、初めてログインしたのにゲーム内のキャラと、しかもまだ行ったことのない場所にいるキャラと会うわけがないのだ。なので私にとっては当然の疑問だったわけだが。

『ユリシアが、ユリシアが反抗期っ!』

「ふぅ。そのノリいい加減うざいので止めていただけませんか? 早く質問に答えて下さい」

 話をちゃんと聞いているのだろうか? 私はつい溜息をついてイライラした口調になってしまう。私には時間があまりないのだ。早く答えてこれないと困る。

『三年前にウィール・オブ・フォーチュン国の南の海域で奴隷商人に連れ去られそうになったところを俺が助けたのは覚えているかい? その時ユリシアは天涯孤独の身の上で、捕まっていた時に食べ物もろくに与えられてなかったせいで衰弱していたんだ』

「奴隷商人?」

『そうだよ。そいつらはもう駆逐してあるが、ユリシアは心に深い傷を負ってしまい、助けた俺以外の者は誰一人と近づけなかったんだよ。いつも俺の後ろにくっついて歩いてて……可愛かったなあ、あの頃のユリシア』

「それはいいですから続きを」

 話が脱線しそうだったのですかさず軌道修正するために口を出すと、咳払いが聞こえた。

『それから約二年半をそっちで二人で暮らしていたんだが、どうしても外せない仕事ができてね、俺は一人ギルド本部へ戻らないといけなくなったんだ。けれどユリシアが一人になると泣きに泣いてね。ならばと形になるものを作ってしまうことにしたんだよ。書類としてね』

「それが、養子になったってことなんですか? 手続きや証明のための書類とかですよねそれ」

『ああ。それでも寂しそうだったんでGMコールを特例で許可することにして、いつでも話せるようにしたんだよ』

 ふむ、なるほど。大体の経緯は分かったぞ。その後私は半年を一人で暮らしていたのか。いや、私なのかそれは? キャラ作成や始まりの町に降り立った時やチュートリアルでも、そんな設定はなかった。ではこの設定はなんだのだろう。訳がわからない。

「こっちで二年半って、ギルドマスターなのに本部をそんなに空けていて良かったんですか?」

『平気さ、俺の部下達は有能なんでね。本部に戻ったときに子持ちになってたんで相当からかわれたよ。俺にとっては嬉しいからかいだったけどね』

「……そうですか」

『ああ』

 話を聞いていて、これは本当なんだなと理解した。何故ならとても愛情のこもった落ち着いた声だったから。私ではないユリシアも、本当に懐いていたんだろうな。私が作成したキャラなのに、非常に悪い気がした。

『それで、今度はこっちから聞いてもいいかい?』

「え? ええ」

 納得していたところに、今度はギルドマスターから質問があるのだと言われる。

『ユリシア、君は誰だい?』

 どきっとした。こんな質問をしていれば、そりゃあんた誰よってなるだろうが、実際に言われるとなんだろう。私なのに私じゃないような。いきなり何かに取って代わられて、私という役割を押し付けられたような、体と心がちぐはぐな感じ。この質問のせいで、突然自分自身がぶれて確固たる意思として存在することが出来ない。

 このゲームの世界に来てから今まで出てきた数々の疑問。それらが一気に私に襲い掛かってくるような気がした。

 あれ……なんだろうか、急に視界が暗くなった? それに私何故、地面に顔をつけているのだろうか? わからない、わからない。何故私はここに居るのだろうか? 義父さんだというギルドマスターの焦ったように私を呼ぶ声も次第に遠くなっていく。そんなことを考えていた私はその後、気を失ったのだった。

『おきて』

 ……ここは何処だろうか。心がすごく凪いでいて心地好い。真っ白な空間に足元に地面がないのに私は立っていて、けれど全くそれが不安になってはいない。不思議な場所だ。

『こんにちは』

 鈴のような可憐な声が私の耳に届く。私の他にも誰かいるらしい。私は声のした方へ顔を向けると驚いた。少し目の前にユリシアが立っていたのだ。ユリシアは柔らかく微笑んでいて、もう一度こんにちはと挨拶してきた。

「こんにちは。あの、ここは? ユリシア、だよね」

『そう、ユリシア』

 真っ白な何もない空間を見回しながら聞くと、ユリシアはこくんと頷く。

 そういえば、私倒れた? 顔が地面についたところまでは覚えている。あの時はそう、急に私がばらばらになったような感じがしてすごく怖かった。そして気がついた今は何もないここ。もしかして私死んだのだろうか? ここは死後の世界? でも何故ユリシアがいるのだろう。初めてのログインでそんなに思いいれがあるほどプレイしてたわけではないのに。

『大丈夫。ここはわたしの心の世界。貴女とお話がしたくてここへ呼んだの』

「心の世界? じゃあ私は生きてるのね」

『ええ、今は義父さんの要請でギルド支部の職員が貴女を宿のベッドに寝かせてくれてるわ』

 そう言ってユリシアが何もない場所に手を翳すと、丁度ユリシアの私をベッドに運んでくれた様子が楕円形に映像として映る。良かった、無事で。私がほっとしていると、ユリシアがごめんなさいと呟く。

「どうして謝るの?」

『わたしがここへ呼んだから』

「でも、生きてるし大丈夫だよ。気にしないで」

 呼んだことについて申し訳なさそうに頭を下げるユリシアに、私は安心させるように笑った。けれど、ユリシアの顔はまだ曇っている。

『違うの。そうじゃないの……わたし、貴女とわたしが瓜二つだったから、繋げてしまったの。貴女はもう元の世界に戻ることが出来なくなってしまった。本当にごめんなさい』

「え、え? どういう……」

 繋げた? 私とユリシアを? 元の世界ってリアルのことだよね。戻れないってなに。どういうことなのだ。

『義父さんと離れて暮らしていた半年、その間に私は不治の病にかかってしまった。でもそれを義父さんに伝えることが出来なかった。わたしが一人だったように、義父さんも一人だったから……一人にしてしまうことが辛かったから、あの日夢で見た貴女を見つけて思ってしまったの』

「病って……夢ってなに?」

 話が見えない。ユリシアの顔は泣きそうになっていて、泣かれたくなかったがログアウトできない理由が分かるのだろうかと思うと、私は慰めて話を止めさせることも出来なかった。

『不治の病にかかってから四ヶ月経った頃、ある夢を見たの。こことは違う世界で変わった服を着た貴女が、もう一人の女の子と仲良く歩いていて、その後何かの箱の中にわたしと同じ外見の人物を作っていた。それを見てはっとしたの、これはもしかしたら創造主アイン神が見せてくれた希望なんだと』

 それは、もしかするとPCでキャラ作成をしている時のことだろうか。

『夢から覚めても鮮明に覚えていたそれは、次第に死へと向かっていった衰弱したわたしの体を見て、死ぬことが辛くて悲しくなっていった中で唯一元気の出ることだった。そして、いよいよ最後の日となったあの時』

 俯いて話していたユリシアが顔を上げる。目が合った。

『四大精霊のうちのウンディーネにとても愛されていた私は、死の間際に願ってしまった。夢で見つけたもう一人の私をここへ呼んでくれと。そして、私の代わりに生きてほしいと願ってしまったの』

 願ってしまったの。

 願った? 私をユリシアとしてこの世界に呼んだ。ユリシアが私を? ユリシアの願いが叶ったのか。だから私が今ここに居るのだろう。そして、もう戻れないと。

「私はユリシアの代わりに呼ばれたの?」

『ごめんなさい……』

 ぱんっと真っ白な空間に音が響いた。ユリシアが頬を押さえることもせずに横を向いている。そう、今私はユリシアに平手打ちをしたのだ。けれど私は謝らない。当たり前だ。この話はきっと真実だ。だからこそ私には資格がある。ユリシアを打つ資格が。

「私の家族は? 生活はどうだってよかったの? 元の世界で死ぬまで生きるはずだった私の将来は? ねえ」

『ごめんなさい』

 ユリシアはそう言うとぽろぽろと涙を零し目を瞑った。弁明はしないということだろうか。そんなことされても私は、私の未来を奪われたことを受け入れるなんてできない。

 ユリシアの話を聞いて頭では理解した。そうしてしまった理由も分かる。罪悪感一杯の表情を見ていると何故か憎いという感情も湧いてこない。でも、受け入れられない。だってもう、私は二度と家族や友人と会って笑ったり喧嘩したりできないのだ。……帰れないのだ。

『ごめんなさい、ごめんなさい』

 そう言うと、ユリシアは私を抱きしめてきた。……あ、私泣いてたのか。ユリシアの肩が涙で濡れる。帰れない、帰りたい。ただいまって言いたい。

 でも、帰れない。

 私はそのままユリシアに抱きしめられて涙が枯れるまで泣いた。

「ありがとう」

『ごめんなさい』

 泣き止むまで抱いていてくれたユリシアにお礼を言うと、私の言葉にぶんぶんと首を振ってまた謝るユリシア。散々泣いた私は、今妙にすっきりしている。まるで生まれ変わったかのように。

 いや、現実問題として生まれ変わったも同然なのだが、一応一段落つけてしまったのだろう、私は。一段落、か。すとんと心で納得できる。そう思うと、いまだ罪悪感一杯で泣いているユリシアを見て何故だか可笑しく感じてしまって、つい吹き出してしまった。

『詩亜?』

「ごめんごめん。なんだか可笑しくって」

 くすくすと笑う私に戸惑っていたユリシアだが、両肩に手を置いて私が笑いかけると釣られるように微笑んでくれた。うん、なんだかもう大丈夫みたいだ。今なら、まだ受け入れることはできなくても、この世界でやれる気がする。

「ユリシアの気持ちはわかったよ。まだ帰りたい気持ちも強くあるけど、私、この世界で生きてみる」

『いいの?』

「いいのって言われても、帰れないんだしさ。ここで生きるしかないじゃない」

『ごめんなさいっ』

 縋るように、窺うように私を見てくるユリシアにそう言うと、ユリシアはまたぽろぽろと涙を零す。現実として言っただけで、攻めてはいないんだけどまあいいか。このくらいは。

 けれど、このまま放っておくとこの真っ白な空間で溺れてしまいそうなので、そろそろ泣き止ませたほうがいいかもしれない。

「ほら、もう泣かない! 生きるって決めたからやるよ。で、生きるついでに義父さんも義父さんのままでいてもらう。ね?」

『……詩亜っ!』

 顔をくしゃっとさせて泣き止ませるつもりが、更に泣きながら飛びついてきたユリシアに私は苦笑いをする。なんだかもう、本当に憎めないな。よしよしと頭を撫でながら泣き止んでと言う。

『ありがとう。ありがとう詩亜』

 結局泣き止むことはなく、ユリシアは私にお礼を言い続けた。

 それからしばらくして、空間が光り輝きだした。次第に眩しさが増して、もう目も開けられなくなって。両手で目を覆っても眩しくて。

『そろそろお別れだね』

「そうだね、ユリシアは大丈夫?」

 どうやらお別れの時間になったようだ。寂しそうに微笑むユリシアに、私はついそう聞いてしまった。だって、ユリシアはもう。

『大丈夫、詩亜がいるから』

「わかった」

 そんな私の気持ちを知ってか、ユリシアは寂しさが全く感じない、力強い笑みをする。そうだね、これからはユリシアも一緒だね。いつか、受け入れられたら、その時はまた会えるといいな。

 眩しさに耐え切れなくなってきた頃、ユリシアの存在がもう微かにしか感じられなくなっていた。ああ、お別れだね。もう泣かなくていいのだからね。そうして存在が融けていったのを感じる。

『ありがとう』

 宿のベッドで目が覚めたとき、ユリシアの声が聞こえた気がした。

 ゆっくり目を開けると、ギルドの職員と思われる制服を着たヒュム族の女性がほっとした表情を浮かべるのが見える。看病していてくれたのか。

「ありがとうごさいます、看病してくれてたんですよね」

「いえ、気がついて本当に良かったです。ギルド本部のギルドマスターから切羽詰ったコールが来た時は大変だったんですよ。後で安心させてあげてくださいね」

「はい」

 やはりギルド職員だったらしい。女性が水差しから水をコップに入れて渡してくれ、それを受け取った私はゆっくりと飲み干した。生き返る。

 それを見届けていた女性は、微笑むと一度ギルド支部に戻って色々準備してきますね。と言って部屋を出て行った。なにかあれば宿の従業員を呼べば対応してくれるとのことだ。けれど、体に異常はなにもなく私はいたって健康体だ。ぐっすり寝ていたためか眠気も感じない。

 どうしようかと思ったが、私はふと窓の外が見たくなった。ベッドから起き上がると窓辺に寄り窓を開ける。外は真夜中で、宝石を思いっきり散りばめたような綺麗な夜空があった。

「よろしくね、アルカナの世界!」

 何故だか急に挨拶をしたくなった私は、満面の笑みで夜空に向かって声を上げた。すると、まるでよろしくねと返事をしてくれたかのように、星空がきらきらと瞬いたのだった。

 私の名前は草上詩亜。けれど、これからはユリシアとして生きていく。よろしくね。



ここまで読んでくださった方、本当に有難うございました。

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