四話
中々感想もらえないですね。
「…………まったく、ひどい目にあったわね」
薄暗い住宅街の中、黒い一つの影がぼそりと呟いた。否、それは影ではなく雫と言う人間だ。その表情には、若干の疲れが見て取れる。
「ふぅ……」
少し詰まった息を吐き出すように、軽く溜息をする。水分を含んだ空気が気管に絡みついて気持ち悪い。
ゲームセンターで遊んだあと、近くのカフェでダラダラと過ごしていた。そのせいで、太陽は山の向こう側へ隠れ、月が「こんにちは」と言うように反対の方から昇って来ている。月のくせに……。
パカリ、と携帯電話を片手で開ける。メールが受信ボックスに入っていた。ピッ、ピッと操作する。
『件名:バイトについて
やぁ、私だ。
調子はどうかな?いや、君のことだから相変わらず無難な日々を送っているのだろう。
さっそく要件だが、件名にある通りバイトの件だ。
悪いとは思うが、明日シフトに入ってくれないか?なに、君の都合もあるだろう。無理なら無理で構わない。
どっちにしろ、今日の22時までには連絡をくれないか。無い場合は強制的に入れるからな。
では、また明日。』
……
また明日、とはフリだろうか。あの人は掴み所のない人だが、他人にあまり強制はしない性格だ。おそらく、出来れば来て欲しいと言うことだろう。
ちらりと、携帯電話の時計を見る。
『18:09』。
しばらく、考えてみることにしようか。
パチン、と携帯電話を閉じて、スカートのポケットに入れる。
さて、帰りますか。
帰路のに向かう足取りが、彼女とは無意識に軽くなる。他人には言えないが、雫が上機嫌になる時は友人と遊んだ時がほとんどだ。
―――――――――――――南方夜架と柄城有紀。
中学生になって初めて出来た友人。夜架との出会いは最悪なもので、有紀との出会いは劇的なものだった。しかし、今となっては良い思い出だと思う。あの出会いがなければ、二人の友人になるのは夢のまた夢だったはずだ。
今日のゲームセンターでの出来事を思い出し、思わず微笑んでしまう。と―――――――――――――。
「―――――――――っ!!」
濃厚な空気が周囲を囲み始めた。その空気は鉛のように重く、腹の方にずしんと負担がかかる。いや、これは殺気だ。
殺気が空気を冒し、とてつもなく体の自由を奪おうとしてくる。それはまるで蛇が獲物に体を巻き付けるように、少しずつ締め上げているようだ。嫌な汗が一気に体の表面に浮かび、冷たくなって滑り落ちていく。
「ふっ」
気合いを入れるために重心を落とし、短く息を吐く。
殺気を無効化する方法は大きく二つある。
一つ目の方法は、同じ殺気、あるいは相手を超える殺気を出すことだ。しかし、これを実際にやってみせるのは、ある程度高い実力とそれなりの修羅場を乗り越えた者しか出来ない。
二つ目の方法は、相手の殺気を受け流すこと。殺気を殺気と脳や体に認識させず、ただの空気と扱うことだ。だが、これも欠点がある。生物は敵を攻撃する場合、殺気を爆発的に膨らませる。これは必然と言っても過言ではないだろう。殺気を感じなくした手法を取ると相手の攻撃がいつ来るのか解らず、まともにその攻撃を受け止めてしまう可能性がある。無意識化で防御が出来ればいいのだが、そんなことが出来るのは達人クラスの人だけだろう。
雫はこの方法のうち、前者の方を選んだ。常人が息をするのも苦しい空気を肺に取り込み、ゆっくりと深呼吸を始める。頭のスイッチを“日常”から“非日常”に切り替えた。
先ほどまでの陽気な気分は綺麗さっぱり消え、代わりに自分を殺そうとしている対象に向かって殺気を放つ。殺気同士が相乗効果によりさらに濃くなり、ミシリと空間が歪む様な死の気配が辺りを包む。
じっ――――――。
後方から固いアスファルトを踏みしめる音がした。その音は今の世界では異端すぎる。
「――――――――」
制服のこすれる音さえ出さずに、雫は振り返った。その動作は自然で、まるで最初から彼女がその方向を見ていたように錯覚させる。
「へぇ、少し変わった嬢ちゃんかと思えば、そうでもないらしいな」
雫の暗い瞳に映ったのは、どこにでもいそうな男だった。
十人いたら十人全員が平凡と口をそろえる容姿。20代前半ぐらいだろうか。少しよれたTシャツに、程よく色の薄くなったジーンズ。だが、
「西洋剣?」
これもまたスタンダードな両刃の西洋剣が握られていた。何の修飾もされておらず、RPGの一般兵士が持っているような地味さだ。しかし、現代でそのような西洋剣を所持しているのは限られている。しかも、この日本で堂々と路上で出して良いものではない。
「銃刀法違反です」
雫は目の前の光景を見ていながら、いつもと変わらない調子でそう言った。敬語で言ったのは相手が年上に見えたからである。
「あぁ?」
「刃渡り15cm以上の刀、やり及びなぎなた、刃渡り5.5cm以上の剣の所持を禁じる。他にも細かいことはありますが、それは明らかに西洋剣です。日本では牢屋にお世話になるレベルですよ」
「んっ、そうなのか。やはり生きにくい国だよな、ここは。ったく、自分の身は自分で守らなきゃならないと言うのに」
男はやれやれと言うように首を左右に振った。雫はそれを油断なく見つめる。こう話してはいるが、殺気はあの男から出ているのだ。対峙している今でもそれは変わらない。
男は視線を雫に戻し、肉に飢えた狼のように舌を出した。
「さて、世間話もここまでにして――――――――――――――――――――――――――――死んでくれねぇか、嬢ちゃん」