第1章 出会い(2)
「ふう」
身体をゆっくり伸ばしながら、少年は大きく息を吐いた。
「助かったぜ。一応、礼は言っておく」
片目を瞑って、まったく悪びれずに少年は笑う。
――と、少年の身体が宙に浮いた。
「魔法使いか」
剣を腰に戻し、ラーグは空中で胡坐をかいて浮かんでいる少年を見た。
「そういうこと。オレは、ルシア。あんたは、勇者様?」
皮肉を含んだ視線でルシアはラーグを空中から見下ろした。
「やめてくれ。そんな大層な者じゃない。俺の名は、ラーゲルクヴィスト。ただの旅人だ。この剣はちょっとした成り行きで譲り受けたもの」
「ラーゲル……っ痛。長い名前だな。舌を噛んじまった」
舌を出し、痛そうにルシアは顔を顰めた。
「ははは。ラーグでいい。そう呼ばれている」
声を立てて笑って、ラーグは答えた。笑いながら、この前笑ったのはいつだっただろうと自問する。大体、人と会話したこと自体、かなり久しい。この辺境地帯では、それこそ一人の人間も目にしていないのだから……。
「あーあ。腹減ったな。あんた、なんか持ってない?」
空中にフワフワ浮きながら、ルシアは訊いた。
「変な奴だな」
「なんだよ。ずいぶん、長いことあそこに閉じ込められていたんだ。腹も減るさ」
憮然と答えるルシアをラーグは下から見つめた。
「それはそうと、なぜ、こんな奇矯な状態で、閉じ込められていたんだ?お前の魔法で出られなかったのか?」
ラーグの言葉にルシアの肩先が揺れる。自分のふがいなさを改めて指摘され、ルシアは憮然とした。
「うるさいな。――の呪いだよ。――の魔法で閉じ込められたんだ」
誰かの名前を告げたようだが、ラーグには聞こえなかった。ともすれば音にもなっていなかったかもしれない。名前そのものを言うのを封じられているかのように。
「氷のお姫様にちょっかいだしたからさ。自分より高位の魔法使いが掛けた呪いは解けないんだよ。それ以上の力がないと……」
「今、何と言った?」
ルシアの言葉は途中で遮られた。急に詰め寄ったラーグがルシアの襟首を締め上げたからだ。
「くるし……」
「今、何と言った?」
「やめ……くるし……」
次第に浮いてくる足をばたつかせ、ルシアはもがいた。何度か足がラーグの身体にあたったが、ルシアを掴んでいるラーグの腕は緩む気配もない。
ルシアは必死の思いで、両脇に垂らしていた腕を持ち上げ、ラーグの胸に両手をつくと魔法を放出した。
ラーグの身体は仰向けに、2、3メートルほど吹っ飛んだ。ルシアもその反動で、後ろに飛ばされ、地面に落ちる。二人の間を風がくるりと渦を描いて消えた。
「……なに……すんだよ」
地面に両手をついて、咳き込みながら絞り出すようにルシアは言った。とっさに風の力でラーグを吹き飛ばしたが、そうしなければ殺されていたかもしれない。
いったい。突然、なんだったのだろう。
苦しそうに肩で息をしながら、ルシアは倒れているラーグを見た。ラーグは、地面に肘をつくとゆっくり身体を起こしている。かなりの衝撃で吹っ飛んだはずだが、特に怪我もないようだった。
急に激昂したラーグが腑に落ちず、ルシアは直前の会話を思い出す。
ラーグは何と言ったのか?何を問うていた?
氷のお姫様……
記憶がそこにいたって、ルシアははっとした顔をした。
「あんた……」
ルシアは、ラーグを驚いた瞳で見つめた。地面に座っていたラーグはルシアの声にゆっくり顔を上げた。
「氷のお姫様を探している人だね?」
続くルシアの言葉にラーグは身体を震わせた。
「何故それを……?」
瞳に苦悩の光が瞬き、一瞬後に切望するような狂おしい光に取って代わった。
それを見て、ルシアはふわりと空中に再び浮かんだ。
「なぜ、知っているんだ。何を知っているっ!!」
身体を起こし、ラーグはルシアに向かって叫んだ。
泣いているような叫びだった。
懇願とも怒りとも苦しみともつかない表情がラーグの面に現れては消えた。
何かを言おうとルシアは口を開きかける。しかし、ラーグの表情に何も言えなかった。ただ、ラーグを痛ましげな瞳で見つめ、それからくるりと空中で一回転するとルシアは忽然と姿を消した。瞬きの間もないほどの鮮やかな消え方だった。
「おい。待て!」
ラーグの声が草原に響き渡った。しかし、声は風がさらって消え、後には草の鳴る音だけがこだました。