第5章 仕組まれた闘い(4)
がさり。
物体と化した猿どもを手で払い、ラーグはのしかかった猿どもの下から這い出し、立ちあがった。
そのまま、走り出す。
その行く手を遮るように茶色の蜘蛛の足がドンと地面を叩いた。ラーグは足を止めて、頭上を振り仰ぐ。蜘蛛と視線が交差した。蜘蛛の黄色い瞳が爛々と輝いている。
「あれは……あいつの声……」
先ほどの声の主は蜘蛛だった。自分の獲物を盗るなという叱咤の鳴き声。
その命令で猿どもは物体と化した。
だが――
「結局、状況は同じか……」
ラーグの呟きに、背後からルシアの叫びが重なった。
「ラーグっ!目を瞑って」
言われるままとっさにラーグは瞳を閉じた。
「――光よっ!!」
カッ――
閃光が辺りを焼く。
呪文はほとんど聞き取れなかったが、ラーグはルシアが魔法を使ったことを知った。
瞳を閉じてもなお、瞼を透かして痛いほどの光が見える。
ギャィゥー
蜘蛛が苦しみの声を上げるのが聞こえた。
「ラーグ!いまだ。早く剣を拾って。早くっ!」
ルシアの声にラーグは走り出す。言われるまま剣まで全力で走り、剣を地面から抜き去ると、向きをかえ、蜘蛛に向かって再び駆けだした。
「あいつの弱点は眉間だ。そこにもう一つ眼が見えた。それを貫いて……」
ルシアの叫びが突風に吹き消される。
蜘蛛が閃光のショックから立ち直り、辺りに風を起こす。
ラーグはその中を懸命に蜘蛛のもとへと走る。
宙に立った格好で、ルシアは飛ばされないようにバランスを取った。
態勢を立て直し、蜘蛛を凝視する。
今の攻撃で、蜘蛛は完全に弱ったラーグからルシアに標的を変えた。黄色い眼でルシアを睨みあげ、咆哮をあげると、ルシアめがけて強い風を巻き起こす。
邪魔ものを排除するために吹き飛ばす気だ。
「身体もでかくて、魔法も使うなんて嫌な奴だな」
文句を言いつつ、ルシアは体勢を保ちながら、気を貯める。
「だけど、動物は動物だ」
叫ぶが早いか、指先から閃光が迸り、炎が渦となって、蜘蛛へと突進した。しかし、風の方が強かった。あっという間に炎は向きを変え、逆にルシアに向かって進んでくる。
ルシアは防御壁でそれを避けた。
目標を逸れた炎によって、辺りの木々がたちまち火に包まれる。
蔓が炎に悶えて、くねくねと身を踊らせた。
それが他の蔓にも下草にも触れて、更に火は広がっていく。
しかし――
蜘蛛は炎も平気だった。
火が近付いても気にした様子もなく、ルシアへ攻撃を続ける。
「このバケモノ!熱いのがダメなら冷たいのはどうだ」
差し出した両手から氷のつぶてが飛び出し、空を切って進んでいく。これは風より速かった。鋭い氷の切っ先が蜘蛛の身体を傷つける。黒い体液が吹き出し、地面を濡らした。
じゅっ
焦げる嫌な臭いがして、地面がどろりと解けた。
「ラーグ!」
ルシアの叫びにラーグは大丈夫とかるく手を上げた。
ルシアはそれを見てほっと息を吐く。
ラーグはすでに蜘蛛の足の付け根へと飛びあがっていた。
肩から流れ出る血が痛々しい。かなり体力も奪われているだろう。立っているのもやっとなのかもしれないとルシアは思う。ラーグは唇を引き結んで、剣を片手に蜘蛛の頭へと急いで蜘蛛の身体を駆け上がっていく。
「早く。ラーグ」
叫んで、ルシアは蜘蛛に視線を戻した。
ギーギー、ギィー
蜘蛛はこのルシアの攻撃で完全に逆上していた。身体を激しく振り、ラーグを落とそうと試み、そしてすごい声で吼えた。
黄色く輝いた瞳が、ルシアを睨みつける。
ヤバい
とっさにルシアは防御壁を強化した。さらに次の雹を用意する。
しかし、蜘蛛の方が早かった。
蜘蛛から光の剣が無数に出現し、ルシアに向かって放たれた。
両腕を顔の前でクロスして、ルシアは蜘蛛の攻撃に耐えた。ほとんどの光の剣は防御壁に遮られ、きんきんと金属的な音を立てて霧散する。
そのたびに辺りは眩しい光に包まれた。
身体が後ろへ押されるのを懸命に耐える。
「くうっ」
壁が耐えられなくなり、幾つかの光の束が腕を掠って行く。赤い血が防御壁の中で珠となってはじけた。
ルシアは怒りが湧いてくるのを感じた。内側から熱い怒りが湧いてくる。
熱く猛るような怒りが身体を渦巻いて、ルシアはぐっと腹に力を込めた。
「バケモノのくせに生意気なんだよ」
悪態をついて、ルシアは防御壁を修復する。
しかし、防御壁を修復しても、強化しても、蜘蛛からの攻撃の全てを防ぎきれない。
光の矢がルシアの身体に傷を増やす。
「痛っ」
腕に比べれば小さな痛みを頬に感じ、ルシアはその白い頬に指を当てた。ぬるりとした感触があった。指を頬から離し、目の前に持ってくる。
「血……」
赤い液体が糸のように、白く細い指にまとわりついていた。
ルシアの瞳が細められる。
しばらく、何が起こったのか把握しかねているようだった。
「血……」
もう一度、呟く。
と、その細められた瞳がかっと見開いた。
「よっくも……」
周りの空気がざわめいた。辺りの黒いエネルギーが全てルシアへと集合していく。
蜘蛛は嗤っていた。やっとルシアを怒らせたことが嬉しいかのように。低い唸り声にも似た声で確かに嗤っていた。
「俺の顔に……傷つけて……」
ルシアの瞳が白く光り、前に突き出した腕から溢れんばかりの光の珠が放出した。
「いけーっ!!」
いままでとは比較にならないほどの圧倒的なエネルギーと大きさ。
辺りを眩いばかりの光の尾を引いて、光の珠はまっすぐに蜘蛛に向かって飛んでいく。
ラーグの姿が蜘蛛の頭上に飛び上がるのが見えた。剣を大きく振りかぶるのも。
ルシアの光の珠が蜘蛛の胸元に吸いこまれるのと、ラーグが三番目の緑色の目に剣を突き立てたのは同時だった。
一瞬の静寂が辺りを支配する。
ギャっーギー
激しい光が蜘蛛から四方八方へ放出され、強烈な爆音が蜘蛛の断末魔の声を引き裂いた。
地面は鳴動し、
空が裂け、
炎の渦が駆け抜けた。
ラーグは爆風にあおられ、空中へ身体を吹き飛ばされた。
落ちて行きながら、ラーグは蜘蛛の中に白い光が取りこまれ、蜘蛛の体内から緑色の光が溢れ、蜘蛛が内側から破裂していくように霧散していくのを見た。自分の身体の周りに張られた防御壁はびりびりと音を立て、今にもはじけ飛びそうだ。
その音を聞きながら、ラーグの意識が遠くなる。
くらくなっていく意識の中、ラーグはその双眸で確かにイリアを見た。