第5章 仕組まれた闘い(2)
切った猿の悲鳴でラーグは我に返った。自分でも思いがけないほど物思いに沈んでいたらしい。しかし、身体は勝手に動いていて、目の前の敵は死体の山に変わっていた。
『すべてのことには意味がある』
まさにその通りだとラーグは思う。ラーグが得た勇者の剣は、ルシアを救い、また、氷の森への鍵となるという。そして、今は目の前の敵を鮮やかに屠って行く。
剣は更に輝きを増し、ラーグにもっと大きい獲物に行くようにと急きたてる。
「わかっている。あいつを倒したいのは俺も同じだ。しかし、その前にこのバケモノ猿を蹴散らかさなければならないんだ」
ちらりとラーグは森の上に見える蜘蛛の頭へと視線を走らせた。蜘蛛の目らしいところがラーグを見ていた。茶を濁した緑の瞳がどんよりとラーグを見下ろしている。
「なんだ?」
ラーグは何度か目を瞬いた。いま、蜘蛛のどろりとした眼が黄色く光ったような気がしたのだ。しかし、目の前の蜘蛛が何かをした気配は微塵もない。大体、思考能力があるかどうかも不明なのだ。それなのに、獲物に突進していく様子もないのが不気味に思えた。
ざんっ
再び、剣が振り下ろされ、猿が吹っ飛んだ。意識がまた目の前の猿どもに戻った。とにかくここで活路を開かなければ明日はないのだ。
それにしても数が多すぎた。いくら切ってもきりがない。
さすがのラーグですら身体のあちこちが痛み、汗が身体を伝うのがわかる。息が乱れ、胸が激しく上下する。
しかし、それでも剣は空を舞い、一匹一匹、屍に変えて行く。
「そろそろ、俺の出番かな」
ふあふあと宙に浮いているルシアはラーグを見下ろし呟いた。
「あいつ一人じゃなんとかなりそうにないし、かといって、こっからは自力で脱出できそうにないしなあ」
のんきに呟き、逆端から片つけてと思い、ルシアは身体の向きを変えた。しかし、口から出たのは呪文ではなく悲鳴だった。
「ルシア!」
ラーグの声が遠くに聞こえた。
「どうした、ルシア」
しかし、その問いに答えられる気力はルシアには残っていなかった。この目で見ていてさえ、目の前の光景は信じられなかったのだから……。
「ルシア!」
叫びながらラーグは視線をルシアの方へと投げた。しかし、視線はルシアを捕らえることはなかった。急に飛びかかってきた猿を切り捨て、ラーグは愕然とする。
「嘘だろう」
いま、この手で頭を叩き落とし、その血が地面に吸いこまれていくのを見た。手にも肉を叩き切った感触が残っている。
しかし、目の前に立っている頭のない(・・・・・)猿は生きていた。首から青い血を流しながら、襲いかかってくる。
そして、その周りでもさっき死体に変えた猿たちが立ちあがった。
「ただでさえ、キリがないというのに」
舌打ちして、ラーグは剣の柄をぐっと握りなおした。目の前の頭のない猿を力任せに横に薙ぐ。胴が飛び、新たに血が流れる。倒れる音を確認し、生きているやつより、身体の一部をなくし、よろよろとゆっくり歩み寄ってくる猿に剣をあてる。
また、そいつらも地に崩れ落ちた。
「地獄の門番に栄光あれだ。ここが地獄だって言われたって、俺は驚かないぜ」
ラーグの肩に荷重がかかる。血に濡れた毛むくじゃらの手だ。考える前にそれを引きちぎり、投げ飛ばす。
「うっ」
呻いて、ラーグは一歩退いた。そいつは、腕だけ(・・・)だったのだ。
「切ったら切っただけ、敵が増えるってわけか。一向に敵は減らない」
肉片一つ残せば、それが襲ってくる。実際、辺りは舞っている血と動く肉片、頭のつぶれた胴、飛びまわる頭と、歩きまわる手足がラーグに向かってひしめいていた。
「ラーグ。切っちゃだめだ」
震えるルシアの声が頭上から聞こえた。彼にもどうしていいかわからないらしい。
「気持ち悪い」
ルシアの呟きに同感だとラーグは剣を構えて思う。
ばらばらの身体のパーツはそれ自体が、また時にはパーツが適当に集合する。頭の位置に腕が、腕の位置に脚が。ただ肉片が集まってざわざわ動いているものもある。
恐怖心が徐々にラーグの背にも湧き上がってくる。これが完全にラーグを支配すれば、待つのは死のみだ。
もしかしたら、こいつらの仲間入り……。
離れた頭上で、牙の間から掠れた息が通る音がした。
「嗤ってる。あの蜘蛛の化け物が嗤ってる」
恐怖に彩られた声で、ルシアが呟く。かちかちと歯が鳴る音さえも聞こえた。
「ルシア。少し離れていろ」
ルシアに声をかけてラーグは敵の密集し始めた今いる場所から駆けだし、なるだけ敵のいない方へ移動した。
肉片一つ残さなければいい。
ラーグは剣先を上に向け、胸の前で勇者の剣を掲げた。
「何をする気?」
ラーグの側に宙を移動し、ラーグの背後に浮き上がったルシアが訊く。
「我と契約しせり火の精霊サラマンダー、契約に従い、出で来て我を助けよ。フレムーリア、出でよ」
高らかにラーグは召喚の呪文を唱えた。そして、剣で古代の魔法呪文をえがく。剣が赤い光を纏い、輝いた。光が四方八方へ拡散し、そして、姿の定まらぬ人の形をとった炎が出現した。
「嘘だろう。ラーグ、あんた……」
驚いたルシアの声を歓喜の笑い声がかき消した。
『久しいの、ラーグ。あまりお呼びがないので忘れられたかと思ったぞ』
笑いを収めて、火の精霊はラーグを責めた。
「そんな悠長なこと言っている場合じゃないんだ。こいつら切っても増える一方で、肉片一つ残せば動き出す」
さすがにいきなり出現した炎に恐れをなしたのか、猿どもはラーグに飛びかかるのを躊躇し、遠巻きにしている。
『そなたが我を呼びだすのは大概とんでもない時だが、今回のが一番ひどいのう』
あくまで火の精霊はのんきである。
「あいつらを焼き払ってくれ。元凶はあの化け物蜘蛛だ」
『わかっているのなら無駄なこと。我が炎をもってしてもこれらを無に帰すのは無理というもの。灰になっても襲ってくるぞ。あの蜘蛛を倒さぬ限りはな』
揺らめき、炎は進言する。
「では、強硬突破しか手はないってわけか」
『援護はしよう。無駄だとは思うが』
炎の王はゆらりと揺れた。