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氷の墓標  作者: 水梨なみ
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序章 氷の森

空気が痛いほど張りつめていた。

指ではじけば鈴の音を響かせて、空間そのものが壊れてしまいそうに。

ここには動くものは何一つなく、生きているものもまた何一つない。

白と青のみからなる世界。

木々も葉も木陰に生えた草も全てが、氷でできていた。地面も全て氷に覆われた閉ざされた空間は、生を全て否定している。

空気ですら、鬨を止めたようにそよとも動かない。

ざりりっ……。

突然、氷が悲鳴を上げた。ガラスが砕けるような音が響く。

風が空間を横切り、空気を波立たせた。

蒼い風だった。透明な蒼い風。

張りつめた空気がリンと鳴る。空気はその動きを恐れ、身を震わせた。動は許されざる行為だったからだ。

蒼い風にマントがそよぐ。

フードがその背に滑り落ち、黒髪が顕わになった。

若い男だった。軽く頭を左右に振ると前方の氷の壁を睨み据える。

動が許されない空間で、その男はただ一人、生をもつものだった。

否、正確にはもう一人……。

それは確かに生きていた。三百年前の姿そのままで。

長い青みがかった白銀の髪を周りの木々の枝が口づけるようにすくい上げ、透き通るような白い肌の少女は、氷に抱かれて眠っていた。

「イリア」

男は呟いた。

久しく空気を震わせたことのない生あるものの声に、空間が恐怖に戦慄いた。

その怯えが伝わったのか美しい少女を包む氷が、微かに震えた。

「やっと見つけた」

黒晶の瞳に氷が抱いた少女を映し、先ほどよりはっきりと男は呟いた。

「しかし、少し遅かったようだ。ここには生あるものは存在できない。死の香りしかしない」

そっと男は周りを見回した。人の形に彫あげられた氷の塑像が、凍った木々の間に点在していた。精巧な造り、まるですぐにでも動き出しそうなほどの出来具合の氷の像。

「こんなにも、多くの人を……」

痛ましげに男は目を細めた。塑像と見えた人型の像は、人が凍りついたものだった。全てが、彼女に魅せられ、助けようとして犠牲となった人々。

氷人の像はまさに墓標……。

「やはり、三百年は長過ぎた」

凍った葉が声にそよいで硬質な音を立てる。

「我が名はラーグ。イリア、お前を迎えに来た。三百年の時を超えて、我々の空白の時を埋めるために」

空気を大きく振動したラーグの声に氷の森は震えあがった。凍った葉が砕け散り、視界は一瞬、眩い光に包まれる。

少女を包んだ氷が怒りに身を震わせた。それは、乙女の永遠の眠りを妨げるものは何者をも許さないと告げているように見えた。

「なぜ……」

囁くようにラーグは言葉を継いだ。

「なぜ、信じられなかった」

乙女の瞼が微かに動いた。そして、ゆっくりと瞼が開かれていく。

「私をも凍らせるのか。お前を助けようと赴いたこの幾多の人々のように。私もこの空間に閉ざそうと言うのか」

それでもゆっくりと瞼は開かれていく。

「愛していたのに。お前は俺を信じてはくれなかった。愛し続ける不安に耐えられなかったのか?それとも……」

まるで泣いているようにラーグは叫んだ。

「教えてくれ、イリア。一緒にいても不安だとお前は言った。この至福の時がいつか壊れてしまうと。俺がお前から離れて行ってしまうと」

ラーグは拳を握りしめた。爪が掌に食い込む。

「俺は帰ってきたんだ。約束の日に戻ってきた……それなのに……」


ラーグが村に戻ると、村は騒然としていた。

「どうした?」

「おお。ラーグ。森が、森の一部がないんだ」

「ないってどういうことだ」

ラーグの問いに、村人たちは不吉な前触れだとか、呪われたのだと話した。

「言葉の通りだ。森の中にひらけたところがあったろう?あそこ辺りが木も草も消されたように何もない。最初からそこだけ土の広場であったかのようにだ」

村人の言葉に、ラーグは森の中心まで走った。そしてその光景に息を飲む。本当に言葉通りだった。森が消えてなくなっていた。

広場を囲んでいた木々も綺麗な花を咲かせていた草も、広場の切り株もなにもかもそこには存在していなかった。

「イリアを見なかったか?」

呆然と森で立ち尽くすラーグの後ろから、声がかかった。ラーグは振り返る。イリアの育ての祖父が立っていた。

「イリアがいないのか?」

「昼にここに出かけると言い置いたきり……」

老人は首を弱々しく、横に振った。

「まさか。そんな……」

約束は今日だった。ここで会おうと約束したのだ。あの日にイリアと。


まるで、昨日のことのように脳裏によみがえった映像にラーグは唇を噛みしめる。

そしてラーグはイリアを探して旅に出た。近隣の町や村、辺境も都市も見て回った。しかし、イリアに会えることはなかった。

ラーグは氷に抱かれたイリアを見つめる。

氷の森がしゃらしゃら音を立てた。氷が砕ける音が後に続く。

「時は流れた。数え切れない時が。しかし、時は俺の上を素通りし、俺はお前を求めてそれこそ世界中をさまよい続けた。時に置き去りにされたまま、三百年も……」

言葉に触発されたかのように、森の時が動きだす。氷が割れ、風が渦を巻く。ラーグの剣の柄の先端にある龍の爪が握りしめた紅い珠がその赤みを増していく。蒼い風に紅い色彩が混ざりはじめ、刺すような冷気を持った待機は次第に熱を帯び始めた。

「最愛の……イリア」

イリアの瞼が完全に開き、青い瞳がラーグを見つめた。

『ラーグ』

鈴を転がしたような声が届く。

『ラーグ』

腰に差した剣をラーグはすらりと抜きはなった。氷に白銀の刃が映る。

「もう、終わりにしよう、イリア。お前を助けるにはこれしかないんだ。俺たちは、時を飛んでしまったから。時の水たまりは溶けて消えなければならないから。帰ろう、イリア。あの時へ」

手に持った剣を握りしめるとラーグは剣を振り上げ、イリアの氷の棺に向かって一気に振り下ろした。

氷の棺はガラス細工のように粉々に砕け散る。美しいイリアとともに……。

悲鳴が長く森にこだまし、旋風が悲鳴をかき消した。



勢いよく起き上がった反動で、ベッドが軋みを上げた。

「……夢……?」

ラーグは両手の平を上に向けじっと眺めた。剣を握っていた感触も氷を砕いた手応えも残っているような気がした。

身体中が冷たい汗で濡れている。髪すらも湿っていた。掌に顔を埋める。

何度目だろう。こんな夢を見るのは。

最初はイリアの姿を見るだけだった。氷の中で眠るイリアを。次にはなんとか助けられないかとあらゆることをやってみた。何度も何度も……。しかし、最後にイリアはいつも砕け散る。氷の棺とともに。

最近、訪れる夢では、今夜のように自分の手で彼女を砕く。彼女を助けるにはあれしか方法がないとでも言うように。

俺はイリアを助けたいんだろうか。それとも、壊したんだろうか。

夢は自分の望みなのだろうか。

掌に顔を埋めたままラーグは唸った。嗚咽のようだった。

ラーグの上に何度も何度も訪う同じ夢。

そして、イリアはいまだに見つからない。


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