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第6巻:如月令嬢は『鉄扉の跳躍を数えない』  作者: アリス・リゼル


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第3話『銀幕と鉄板』 ~Section 6:青年の足跡と、閉館のカウントダウン~

 劇場の最上部に穿たれた映写室の小さな窓。そこから見下ろすという特異な視点に気づいた瞬間、僕の中でバラバラだった事象が一本の確かな線として繋がり始めた。


 観客席から見上げれば不自然な死角となるスクリーンの左上も、映写室から真っ直ぐに見下ろせば、視界の中心に飛び込んでくる特等席の座標へと変貌する。犯人は、映画の幕が全開になった瞬間、映写室からスクリーンを見つめているであろう『劇場支配人』ただ一人に向けて、あのステーキ皿を見せつけたかったのだ。


 無人の客席に立つ如月さんは、スクリーンの左上から映写室の小窓へと、アメジストの瞳を静かに往復させた。


「見せる相手が特定できた以上、犯人の条件は自ずと絞られてくるな」


 彼女はインバネスコートのポケットから懐中時計を取り出し、銀の蓋を弾いて時間を確かめると、淀みない口調で論理を組み立て始めた。


「第一の条件は、この月乃劇場の『営業時間外』に、誰にも咎められることなく内部へと侵入し、長時間の作業を行える環境にあること。第二に、可動式スクリーンマスクの構造や、その幕がどこまで引き出され、どこに収納されるのかという劇場の設備機構を熟知していること。そして第三に……映写室の小窓から見下ろした際の、正確な視線の先、すなわち『支配人の目線と重なる座標』を完璧に把握していることじゃ」


「それって、つまり……」


「うむ。外部の単なる愉快犯や、思いつきで忍び込んだ部外者には到底不可能な所業じゃ。暗闇の中で重い鉄板を抱えて脚立に登り、強力なテープでスクリーンマスクの裏側に細工をする。そんな大掛かりな仕掛けをリスクなく実行できる人間は、この劇場の内部構造とタイムスケジュールを完全に把握している『内部関係者』に限られる」


 如月さんの言葉は、冷徹な事実として劇場の空気を引き締めた。

 僕たちの手元には、すでに一つの有力なピースが存在している。先ほどロビーのテーブルで鑑定し、過去のローカルブログから見つけ出した『キッチン・マカロニ』の店主の孫、誠也という青年だ。


 もし、あのステーキ皿を仕掛けたのがその誠也という青年なのだとすれば、彼は現在、何らかの形でこの月乃劇場に関わっているはずだ。


「サクタロウ。先ほどの情報の続きじゃ。その『誠也』という青年が、現在この劇場に内部関係者として出入りしているという確証を掴め。お主の得意分野じゃろう」


「わかりました。やってみます」


 僕は力強く頷き、再びタブレット端末を起動した。

 とはいえ、劇場のスタッフリストや人事データなどという機密情報が、そう簡単にネット上に公開されているわけがない。しかし、ここは新市街の高度なセキュリティシステムに守られた企業ではなく、一ヶ月後に閉館を控えた旧市街の古びた映画館だ。必ずどこかに、デジタルの足跡が残っているはずである。


 僕は月見坂市のローカルネットワークに接続し、検索の切り口を変えた。

 直接スタッフリストを探すのではなく、過去数年間の『月乃劇場』が発信したアルバイトの求人情報、シフト募集のアーカイブ、さらには劇場名をタグ付けした従業員らしきSNSのアカウントなどをクローラーで一斉に掻き集める。旧市街の店舗は、求人サイトの掲載期限が切れた後も、ローカルな掲示板やSNSの片隅に募集の痕跡を残したままにしていることが多いからだ。


 薄暗い通路の隅に移動し、壁に寄りかかりながらタブレットの画面を高速でスワイプする。青白いバックライトが、僕の顔と、隣で静かに待つ如月さんの純白のブラウスを微かに照らしていた。


「……月乃劇場は、日中のチケットもぎりや売店のスタッフは年配のパートさんが多いみたいですね。でも、閉館後の深夜に行われる館内清掃と設備のメンテナンスは、外部の業者ではなく、直雇用のアルバイトに任せているようです。時給は深夜割増で……あ、これだ」


 僕は数万件のノイズの中から、一つの求人アーカイブと、それに紐づく採用決定の古いログを掘り当てた。


「昨年の春に更新された、深夜清掃アルバイトの採用記録です。そこに……『小鳥遊 誠也(たかなし せいや)』という名前があります。年齢は現在二十歳。先ほどの洋食屋のブログに書かれていた高校生という年齢から逆算しても、完全に一致します」


「ビンゴ、というやつじゃな」


 如月さんは満足げに頷き、インバネスコートの襟を少し立てた。


「閉店した洋食屋の孫が、今は廃館間際の映画館で、深夜の清掃アルバイトとして働いておる。深夜であれば観客も他のスタッフもおらず、ステージに脚立を立ててスクリーンに細工をする時間も十分に確保できる。そして何より、清掃員であれば館内のあらゆる場所に出入りし、映写室からの視界を一人で確認することも容易じゃ」


 すべてのピースが、カチリと音を立てて一つに組み上がった。

 物理的な不可能犯罪を可能にした可動式スクリーンマスクのトリック。それを仕掛けたのは、亡き祖父の洋食屋のステーキ皿を抱えた、深夜清掃員の青年だったのだ。


「でも、如月さん」


 僕はタブレットをスリープ状態にしながら、どうしても拭いきれない疑問を口にした。


「どうして彼は、あんな手の込んだことをしたんでしょうか。支配人に見せたいなら、直接あのステーキ皿を渡しに行けばいいじゃないですか。わざわざスクリーンの裏に隠して、映画が終わった瞬間に現れるようにするなんて……まるで、映画の演出みたいです」


「そこが、人間の持つ情動の不可解で泥臭い部分じゃよ」


 如月さんは客席の出口へと向かって歩き出しながら、静かに答えた。


「論理的に考えれば、直接手渡すのが最も効率的じゃ。だが、人間は時として、効率や合理性よりも『意味』を優先する。わざわざあの場所、あのタイミングを選ばなければならないほどの、強烈な情動のルーツがそこにはあるはずじゃ。……直接本人に聞くのが一番早いな」


「本人に聞くって……どうやってですか? 支配人に話を通しますか?」


 僕が尋ねると、如月さんはピタリと足を止め、振り返って冷ややかな微笑を浮かべた。


「愚か者。あのようにステーキ皿を見て感傷に浸っておった支配人に話を通せば、不用意に事態を引っ掻き回すだけじゃ。それに、犯人は深夜の清掃員。ならば、彼が最も油断し、最も『彼自身の領域』にいる時に接触するのが鑑定のセオリーというものじゃ」


「それって、つまり……」


「待ち伏せじゃ。劇場を一度出たふりをして、深夜、清掃にやってくる誠也を直接押さえるぞ」


 如月さんの決定は絶対だった。

 僕たちはロビーに戻り、係員に「鑑定は一時保留とする」とだけ告げて、一度月乃劇場を後にした。あのステーキ皿は、証拠品として支配人の手元に一旦預けられている。


 劇場の外に出ると、旧市街の空はすでに茜色から深い藍色へと変わりつつあった。

 新市街の方角を見やれば、環境操作システムによって統制された無機質で煌びやかな光のタワーが夜空を突き刺している。しかし、ここ旧市街は違った。街灯はどこか暖かみのあるオレンジ色で、シャッターが閉まり始めた商店街からは、夕飯の支度をする匂いや、古びた換気扇の回る音が聞こえてくる。


「さて、深夜の清掃が始まるまでにはまだ数時間あるな」


 如月さんは懐中時計を見つめながら、ぽつりと呟いた。

 僕は内心、激しい焦燥感に駆られていた。日曜日に同級生の美少女と二人きりで映画館に来ただけでも僕のキャパシティは限界を突破していたのに、このまま深夜まで一緒に過ごし、挙句の果てに暗闇で待ち伏せをするというのだ。これはもはやデートどころの騒ぎではない。完全に非日常のサスペンス劇場だ。


「あの、如月さん。深夜まで、どうやって時間を潰すんですか?」


「腹が減っては戦はできん。どこかで時間を潰しつつ、作戦会議じゃ。……安心せい。旧市街の裏道には、夜更かしをする者たちのための隠れ家がいくらでもある」


 そう言って、如月さんは迷うことなく旧市街の入り組んだ路地へと足を踏み入れた。僕は慌てて彼女の背中を追う。道行く人々が、クラシカルなインバネスコートを羽織り、純白の手袋を身につけた美しい少女の姿を物珍しそうに振り返っていたが、彼女は一切気にする素振りを見せなかった。


 数時間後。

 日付が変わる少し前、僕たちは再び月乃劇場の裏手へと戻ってきた。

 正面の華やかなネオンサインは完全に消灯し、手描きの映画看板も暗闇に沈んでいる。一ヶ月後に閉館を迎えるという事実は、夜の静寂の中でより一層の寂寥感を漂わせていた。


 僕たちは、従業員専用の通用口から少し離れた、古いレンガ塀の影に身を潜めた。

 三月に入ったとはいえ、深夜の風はまだ肌寒い。僕はパーカーのポケットに両手を突っ込んで身を縮めていたが、隣に立つ如月さんは背筋をピンと伸ばし、全く寒さを感じさせない凛とした佇まいを保っていた。


「来ましたよ、如月さん……」


 僕が声を潜めて指さした先、街灯の薄暗い光の中に、一台の自転車が滑り込んできた。

 乗っていたのは、地味な作業着の上にウインドブレーカーを羽織った若い青年だった。背中にリュックを背負い、どこか猫背気味に歩くその姿は、タブレットで確認した洋食屋の厨房にいた『誠也』の面影と確かに一致していた。


 誠也は自転車を壁際に停めると、周囲を警戒するような素振りも見せず、ポケットから鍵を取り出して通用口の重い鉄製のドアを開けた。ギィ、と錆びた蝶番が微かに鳴る。彼が中に入り、ドアが閉まりきる直前。


「行くぞ」


 如月さんが短く告げ、レンガ塀の影から音もなく滑り出た。

 僕は心臓を早鐘のように打たせながら、彼女の後を追って劇場の裏口へと足を踏み入れた。


 冷え切った鉄板が紡いだ不可解な物理トリック。

 そのルーツの終着点である青年との対峙が、深夜の無人の劇場で、今まさに始まろうとしていた。



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