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魔術師様の執着  作者: うる


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1/10

1.

――また、あの夢だ。


 熱い。胸が、焼けるように熱い。  視界が赤く染まっていく。  私の胸に深々と突き刺さっているのは、見紛うことなき、あなたの愛剣だった。


『……な、んで』


  目の前に立つ男の顔は、逆光でよく見えない。  でも、その銀色の髪だけが、私の血の色と対照的に美しく輝いていたことだけは覚えている。


 愛していたのに。  誰よりも信頼していたのに。


 伝えたかった「好き」という言葉は、喉の奥で血の味にかき消され――私は、絶望の中で目を閉じた。


 ◇


「……はぁ。なんて目覚めが悪い夢かしら」


 私、ルチア・バーンズ(17歳)は、ため息をつきながら泥だらけのブーツを見下ろした。


 ここは王都から馬車で三日、さらに徒歩で半日かかる深い森の奥。  頭上を覆う鬱蒼とした木々のせいで、昼間だというのに薄暗い。森特有の湿気が、私の悩みの種である赤毛の強烈な天然パーマを、さらにボワッと膨張させていた。


「うう、髪がまとまらない……。ただでさえ爆発してるのに」


 手櫛で赤い髪を無理やり抑え込みながら、私は睨むように前方を見上げた。  木々の隙間から、古びた石造りの塔がそびえ立っているのが見える。


 あそこが私の目的地、『黄昏の塔』だ。  かつて世界を救った伝説の英雄にして、今は人嫌いの隠者となった『大魔導師クライヴ様』のお住まいである。


「それにしても、遠すぎるでしょ……」


 こんな人里離れた秘境にやってきた理由は、ただ一つ。  実家の借金を返すためだ。


 私の実家であるバーンズ男爵家は、絵に描いたような貧乏貴族だ。  そんな我が家に舞い込んだ、この塔の家政婦募集の求人。  条件は『年齢不問、給金は相場の十倍』。  ただし備考欄には、小さく『※生きて帰れる保証なし』と書かれていたけれど。


「背に腹は代えられないわ。魔獣が出ようが偏屈ジジイが出ようが、稼ぐまでは帰らないんだから!」


 私は気合を入れてスカートの土を払い、ツタの絡まる重厚な扉の前に立った。  周囲には鳥の鳴き声すらなく、肌を刺すような濃密な魔力が漂っている。  前世の記憶なんて大層なものはないけれど、私の本能が「ここはヤバイ」と警鐘を鳴らしていた。


 でも、借金取りの顔を思い浮かべれば、伝説の魔導師なんて怖くない。  私は深呼吸をして、扉をノックした。


「失礼します! 本日、家政婦の面接に伺いましたルチアです!」


 返事はない。  代わりに、ゴゴゴ……と地響きのような音を立てて、勝手に扉が開いた。


「……自動ドア? 便利な世の中になったものね」


 私は恐る恐る中へ足を踏み入れた。  外の蒸し暑さとは隔絶された、ひんやりとした静寂。  広いホールは薄暗く、床には何十年分の埃が積もっている。壁には蜘蛛の巣が張り巡らされ、本や実験器具が乱雑に散らばっていた。


「うわぁ……汚い……」


 私の「家政婦魂」がピクリと反応した。  これはやりがいがありそうだ。給金十倍も頷ける。


 そのホールの奥。  螺旋階段に腰掛けて、分厚い本を読んでいる人影があった。


 床まで届きそうな、月光のような銀髪。  少し病的に白い肌。  彫刻のように整った顔立ちをしているが、その全身からは「関わるな」という強烈な拒絶のオーラが出ている。


 彼がゆっくりと顔を上げ、気だるげに私を一瞥した。


「……人間か。迷い込んだなら、森の出口へ転送してやる。さっさと消えろ」


 氷のように冷たい声。  深いアメジスト色の瞳と目が合った瞬間、私の心臓がドクリと跳ねた。


 ――知ってる。  この目を、私は知ってる気がする。


 初めて会うはずなのに、なぜか懐かしくて、そして胸の古傷がズキズキと痛むような、怖い感覚。


「ま、迷子じゃありません! 採用面接に来たルチアです! ここで働かせてください!」


 私が負けじと大声で宣言すると、彼が煩わしそうに眉をひそめた。


「ルチア……? 聞いたことのない名だな。雑用係など必要ない。どうせすぐに逃げ出すか、私の魔力に当てられて死ぬだけだ。帰れ――」


 彼が指をパチンと弾こうとした、その時だった。  窓から差し込んだ一筋の光が、私の赤い髪を照らした。


 彼の指が、ピタリと止まる。


「……あ?」


 気だるげだった紫色の瞳が、極限まで見開かれる。  彼は持っていた本を取り落とした。バサリ、と音が響く。


「その髪……魔力の色……魂の形……まさか」


 ヒュンッ!


 彼が消えたかと思うと、次の瞬間には私の目の前に立っていた。  転移魔法!?  あまりの近さに、私は悲鳴を上げて後ずさる。


「ひっ!?」 「待て、行くな!」


 ガシッ、と腕を掴まれた。  痛いほどの強さ。でも、その手は小刻みに震えている。


「……嘘だろ。まさか、向こうから来てくれるなんて……」


 彼は私の顔を食い入るように見つめ、唇をわななかせていた。  さっきまでの冷徹な魔術師の面影はどこへやら。今の彼は、まるで三百年ぶりに飼い主を見つけた捨て犬のように、必死な形相をしていた。


「探した……ずっと、ずっと探していた……」 「あ、あの……? 私、人違いでは……」 「いいや、間違いない。私の……愛しい……」


 彼は言葉を詰まらせ、そのまま私を強く抱きしめた。  逃げようとする私を、決して逃さないように。


「採用だ。……いや、もう一生帰さない」


「え?」


「この森の結界を最大強度で閉じる。誰にも渡さない。お前が望むなら世界だってくれてやる。だから――」


 彼は私の髪に顔を埋め、深く、重く息を吸い込んだ。


「もう二度と、私のそばから離れるな」


 (……え、なにこれ)


 人里離れた森の奥。助けを呼んでも誰にも届かない密室。  どうやら私は、とんでもなく「重い」案件に自ら飛び込んでしまったらしい。


 恐怖で固まる私をよそに、彼は恍惚とした表情で、私のくせっけの髪を指に絡めている。


「痩せているな……。何か食べたいものはあるか? 最高級の肉か? それとも甘い菓子か? 何でも言え。この塔にある財宝を使えば、国ごとお菓子屋を買い取れる」


 彼は私の手を握り、子供のように目を輝かせた。  その言葉を聞いて、私の頭の中にある「家政婦スイッチ」と「貧乏性スイッチ」が同時にカチリと音を立てた。


 国ごと買い取る?  財宝がある?  一生帰さない?


 ――つまり、終身雇用(高給)確定ということでは?


 私はスッと冷静になり、彼の胸元を押し返した。


「あの、魔導師様」 「なんだ? なんでも言え。月が欲しいか?」 「いえ、月はいりません。……それより、掃除用具はどこですか?」


 私の言葉に、魔導師様――クライヴ様は、キョトンと目を丸くした。


「……はい?」


「採用してくださるんですよね? しかも破格の待遇で。  だったら、働きます。タダ飯なんて私のプライドが許しません」


 私は彼の手を振りほどき、腕まくりをした。  そして、埃まみれの床と、蜘蛛の巣だらけの天井をビシッと指差す。


「まずはこの汚部屋の大掃除からです!  こんな埃っぽいところで生活していたら、健康な人だって病気になりますよ! ほら、雑巾とバケツを出してください!」


「え、いや、君はそこに座って……」 「座ってたら掃除になりません! さあ、指示を!」


 私が仁王立ちで迫ると、世界最強の大魔導師様は、なぜか頬を赤らめて嬉しそうに呟いた。


「……ああ、そうだ。この強引さ……間違いなく、彼女だ」 「聞いてますかー!?」 「分かった、分かったよ。……雑巾だな? ほら、最高級のシルクの布だ」 「もったいない!!」



 この時の私はまだ知らなかった。  この目の前の美形魔導師こそが、かつて私の心臓を貫いた張本人であり――今もなお、私を殺した罪悪感と愛に囚われ続けている、世界一厄介な男だということに。

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