地獄の迷宮、開幕
――昼下がりの謁見室。珍しく、来客があった。
「世界を放浪していた料理人、ハーモニと申します。ぜひ、ここで働かせてください!」
目の前で、白衣姿の男が深々と頭を下げる。聞けば、“グルメマスター事件”が世間で話題になり、カレーライスを発明した私のもとに弟子入りしたいという。
……あの事件、村以外でも有名になってたんだ。
「でも、うちはオカリナが料理担当だし、人手は足りてるわよ?」
「姫様。この者を採用しましょう」
即答したのは、オカリナだった。
「えっ。あなた、人間はゴミクズとか言ってたくせに?」
「この者を雇えば、三食の調理時間を節約できます。その分、姫様の修練に時間を回せます」
「……却下で」
「おめでとうございます。採用です」
「人の話を聞けぇぇぇ!」
結局、多数決(※一対一)で押し切られ、料理人は採用された。
⸻
料理の腕は確かだった。
朝食のオムレツも完璧。昼のスープも絶品。
だが――それが地獄の始まりだった。
「では、姫様。修練の時間です」
「……もうちょっと休憩を……」
「腹ごなしに魔力制御をどうぞ」
「嫌ですぅぅ!」
朝も夜も魔法訓練、剣術、瞑想、体力錬成。訪問者もなく、孤独と過酷さに心が折れそうになる。
鏡の前で「なんか頬こけた?」と自分を心配する日々。
そんなある日、ヴィオラが訪ねてきた。私はその存在に心から救われる思いだった。
「姫様、ずいぶんお疲れのようで……」
「見ればわかるでしょ……」
「面白い報告がございます。森の奥に洞窟がありまして、入ろうとすると番人が現れ、入場料を取るとか」
「……観光地?」
「いえ、どうやら“冒険者の力試しには最適”との噂です」
――嫌な予感しかしない。
オカリナがすぐに食いつく。
「おそらく“迷宮の魔女”ですね。懐かしい」
「誰?」
「かつて姫様が暇つぶしに雇った魔女です。壁なんか邪魔と、各階層を爆破しまくったのでキレて下野しました」
「知らないわよ!」
「しかし修練にはもってこいです。彼女の迷宮には定評があります」
「だから“修練”って言葉を封印して!」
聞く耳を持たぬオカリナは、すでに剣を磨いていた。
「準備完了です。行きましょう、姫様!」
「いや、ちょ、まだ行くなんて――」
「善は急げです!」
⸻
森の奥、霧に包まれた洞窟前。
黒い帽子を被った女が立っていた。
「姫様ですか。復活なされたという噂は本当だったのですね……」
女は眉をひそめる。
「また迷宮を壊しに来たの? 本当に勘弁してほしいんですけど」
「その節は大変ご迷惑をおかけしました」
頭を下げる私を見て、オカリナが前に出る。
「姫様の修練のため、最難関迷宮を用意していただきたい」
「ちょっ、言ってない!」
「代金は、先日のぬいぐるみ報奨から姫様がお支払いします」
「言ってないってばぁぁ!」
魔女は面倒くさそうにため息をついた。
「……まあいいわ。前金で金貨十枚ね。爆破しながら攻略するのは勘弁してね」
こうして、私たちは洞窟の奥へと足を踏み入れた。
――地獄の第二ラウンド、開幕。
⸻
全部で二十階あるらしい。階段前には必ずボスクラスの魔物が待つという。
雑魚モンスターが最初の肩慣らしのはずだったが――
「なんかとんでもないのがいきなりいるんだけど。これ雑魚?」
指を震わせて差す先に、黒く巨大な竜。
「ダークドラゴン。竜種の中でも上位種でかなり凶暴です」
「そんなの勝てるわけが!」
いや。
落ち着いてみたら、そんなに強いか?
オカリナと毎日のように稽古させられているが対面したオカリナの方が圧倒的に強いオーラを出している。
そしてそのオーラなら私は彼女を越えている。
「グオォォォ!!」
ドラゴンが吠える。洞窟内が揺れる。
だからどうした? ただの威圧ではないか。
私の紅い瞳が黄金に輝き、闇が私の足元から周囲に広がり、闇に覆われたドラゴンの動きが止まる。
「絶望のオーラごときでひるむなトカゲよ」
私は闇の炎を指先に灯した。
それは光ではなく、すべてを呑み込む“黒い火”。
まるで洞窟そのものが呼吸を止めたように、空気が凍りつく。
「暗焔槍」
闇が槍の形に変わり、ドラゴンの胸を貫いた。
一瞬、咆哮が洞窟を震わせ――その巨体が崩れ落ちる。
「……勝った?」
灰が舞い、空気が戻る。
私は息を吐いた。手も震えていない。心も静かだった。
「さすが姫様。下等生物相手に見事なまでのオーバーキルです」
「褒め言葉に聞こえないんだけど」
「ところで、最初の雑魚に時間をかけても仕方ありません。次からサクサク行きましょう」
「サクサクって」
「敵が現れた→姫様の攻撃→敵を倒した。これくらいサクサクが理想です」
「三行で終わらせようとするなぁ!」
「さぁ姫様! 次は一階のボスです。やってみましょう!」
「だから私の話を聞けぇ!」
私の叫びが洞窟内に響き渡るのであった。




