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おかえりなさいませ。悪魔姫様。

――真っ暗だ。


体が、まったく動かない。


あれ、私……何してたんだっけ。


テレビでニュースを見ながら、カッププリン食べて……。

そのとき、隣の部屋から叫び声が上がった。


「ギャーー!! ゴキブリ出たぁぁ!!」


びっくりして立ち上がろうとした瞬間――視界がぐにゃりと歪んだ。


そこから先の記憶が、ない。



「はい、死後世界管理局・誤送係です」


気づいたとき、私は真っ白な空間に立っていた。


床も壁も天井もない。ただ、漂白されたみたいな世界。


カウンターの向こうでは、天使のような職員が書類をめくっている。


「えっと……ここ、どこですか?」


「死後世界管理局です。えーと、お名前は――星野美苗さん。お歳は四十九歳。……あれ?」


天使が首をかしげる。


「死因欄が“ゴキブリ誤認による回収”になってますね」


「はぁ!? 何その死因!? 私、人間だよ!!」


「……あ、やっぱりですか。申し訳ありません。現場班が“黒く動いた魂”を誤ってゴキブリと認識してしまったようで」


「失礼すぎるでしょ!? 髪が黒いだけだよ! 夜勤明けでテカってただけ!!」


天使は苦笑しながら書類を閉じた。


「大変申し訳ございません。処理は完了済みですので、生き返りは不可となっております」


「不可って軽く言うな!!」


「代わりに“転生特典”を適用させていただきます。希望欄に“静かな生活”とありましたので――」


「そんなの書いた覚えない!!」


「“空き城物件”を手配いたしました。それでは、よい転生を」


「待ってぇえええ!!」


叫ぶ間もなく、足元から白い光が吹き上がった。

視界が再び真っ白に染まっていく。



まぶしい。


目を開けると、石造りの天井があった。


冷たい空気が肌を撫でる。


破れかけた赤いカーテンが風に揺れている。


私の周囲には、古びた家具と蜘蛛の巣。


「……ここ、お城?」


立ち上がり、窓の外を見る。


見渡す限りの森。遠くに小さな村の屋根が見えた。


風の音と鳥の声だけが、静かに響いている。


「……静か。最高じゃない」


誰もいない、広すぎるほどの廃城。


ここなら、誰にも文句を言われず暮らせそう。


「よし、今日からここ、私の家!」


その瞬間、声がやけに若く響いた。


振り返ると、そこに鏡があった。


「……あれ?」


映っていたのは、見知らぬ少女。


腰まで流れる深紅の髪。宝石のように輝く紅い瞳。


そして――漆黒のドレス。


胸元には真紅の宝石。金糸で縁取られたレースが月光を受けてきらめいていた。


「ちょ、ちょっと待って。これ……お姫様じゃん!」


頬をつねる。痛い。夢じゃない。


「まさか、ゴキブリ扱いされた末に……姫転生って。人生、何があるかわからないわね」


鏡の中の自分を見て、思わず苦笑した。


「まぁ、悪くないかも」


その瞬間――背筋をなでるような寒気。


扉の奥で、誰かの笑い声がした気がした。


「……気のせい、だよね」


私は深紅の髪をかきあげた。


その髪が夕日に照らされ、一瞬だけ炎のように燃え上がる。



……とりあえず、落ち着こう。


お姫様っぽい姿になったのはいいとして、問題は――。


「……お腹、すいた」


ぐうぅぅ、と腹の虫が鳴く。


さっきまでプリンを食べてたはずなのに、転生すると胃袋もリセットされるらしい。


「お城って、キッチンとかあるのかな」


長い廊下を歩きながら、重い扉をひとつひとつ開けていく。


けれど出てくるのは、壊れた家具や朽ちた絵画ばかり。


食料庫らしき部屋も見つけたが、中は空っぽだった。


「パンひとつもないの!? なんで空き城にしたのよ、あの天使!」


叫んでも、返事はない。


静寂だけが、やけに広く響いた。


仕方なく、窓辺に腰を下ろす。


外の森を見下ろすと、夕日が沈みかけていた。


「……食べ物、取りに行くしかないか」


お姫様が自給自足。なんだかロマンチックでもあり、惨めでもある。


それでも、生きるためにはやるしかない。


「よし、明日から農業だ」


そうつぶやいて立ち上がる。


しかし、漆黒のドレスの裾を見下ろして気づいた。


「……畑仕事、できる格好じゃない」


真紅の髪を束ね、ドレスの裾を持ち上げながら、私は思った。


「姫、まずは服を探すところからね」


城の廊下に、かすかに風が吹き抜ける。


それはまるで、この奇妙な第二の人生を祝福するようだった。



二階のテラスから周囲を見渡すと、小さな村が見えた。


「あそこに行けば、服や食料を分けてもらえるかも」


暗くなる前に行かないと帰れなくなりそうだったので、私は城を飛び出した。


三十分ほど歩いたが、不思議と疲れない。


さすが若い身体。ありがたみを噛みしめる。


「これで空でも飛べたら最高なのに」


独り言のつもりだった。


だが次の瞬間――。


背中が熱を帯び、黒い影が広がった。


「え……なに、これ?」


視界の端で、黒い翼が大きくはためいた。


身体がふわりと浮き上がり、風が顔を切り裂くように吹き抜ける。


「な、なによこれぇぇぇ!!!」


空に悲鳴が吸い込まれ、夕焼けの中を、黒い翼の姫が舞い上がった。


――こうして、“ゴキブリ誤送姫”の異世界生活が始まった。


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